[2-32] Fly Me To The Moon
痛み。
怒り。
痛み。
怒り。
魂がひび割れたように痛み、魂を軋ませるように怒る。
「ごめんなさいもナシ……? 騙して悪かったとか! 事情があったとか! 言い訳のひとつもする気無いの!? 言われても聞かないけどね!!」
萎えていた手足に、活が入った。
ふらつきながらもルネは立ち上がり赤刃を構える。
「……なんだ? いきなり自分を刺したと思ったら……何を言っているんだ? こいつは」
「生前の記憶と現在の区別が付かず、錯乱しているのでしょう。アンデッドにはままあることです」
戸惑った様子の“果断なるドロエット”など、ルネの眼中には無かった。
ルネが感情察知の力で見てしまった、モルガナの心の中。
そこには神の眼があった。
何故そんな所から見えたのかは分からない。
だが、あれがこの世を作りたもうた神の意志であることをルネは理解してしまった。
もしかしたら、という思いもあった。
ルネが邪神に騙されていたとか、何かの手違いがあったとか、仕方のない事情があったとか。
でなくてもせめて、後ろめたさくらいは感じているだろうと考えていた。自分の都合で放り出したのだから。
だが、ルネが触れた大神の思考は……ルネに向けられていた思考は、まるで不具合を起こした機械部品を取り替えるかのような『排除』の意思でしかなかった。
聖なる気配が近付く。石畳を踏みしめる、激しく重々しい足音が。暗夜に羽ばたく翼の羽音が。
「聖獣が追いついたか。……かかれ!」
エルミニオの命令は聖獣ではなくパーティーメンバーに対するものだ。
3人が一斉に詠唱を開始し、髭面の盗賊はマジックアイテムでルネに狙いを付けた。
そんな彼らの盾になるように前に出て、飛びかかる虎型聖獣。黄金の鉤爪を閃かせて急降下する鳥形聖獣。
ルネは、先陣を切った虎の爪が届く寸前、≪短距離転移≫を行使した。目の前の聖獣の背後に。
別方向から飛びかかった二頭の虎型聖獣が攻撃を空振り、勢い余ってルネの居た場所で衝突した。聖獣たちが怯んだその一瞬に、ルネは呪いの赤刃を一閃する。
二頭の虎がいっぺんに両断され、血と臓物をぶちまけた。
「大きいから! 強いから! 人を超えた存在だから!
だから! それだけの理由で! 全てを自由にできるとでも思っているの!?」
ルネは吠え猛る獣のように夜空に声を響かせた。
どこか高いところでふんぞり返っている大神が、この声を聞いていると信じて。
ルネは大神の配した駒だった。
ひとまずストックしておいて、必要になれば加護を与えて戦わせるための。
使わないだろうけれどとりあえず用意しておくだけの。
死んだら死んだで補充するだけの。
もし、とち狂って反逆するなら何の感慨もなく敵として処分するだけの。
駒、だった。
そこに情など存在しない。一方的に利用するだけの関係だ。
「ならばわたしは、あなたの居る場所まで登ってみせる! あなたを握り潰して! 地面に叩き付けて! 踏みにじってやるわ!
その時になって泣いて謝っても遅いんだからね!!」
見上げたルネ目がけ、急降下の軌道を微調整した鳥型が襲いかかる。
黄金の仮面のようになった頭部。聖獣の目は奇怪な輝きを放っていた。鳥目ではないらしい。
「≪凍枷≫!」
ひとまず、無詠唱でもそこそこ威力が出る低位の魔法で仕掛ける。
黄金の短冊飾りみたいなものをジャラつかせた翼が凍り付き、後ろ手に縛り上げるかのような姿勢で拘束した。
「キィィィィィィ……!」
金属の軋むような音を立てて鳥型聖獣は落下する。鉤爪で石畳を叩き割って着地した。
聖獣は翼をふるって氷の枷から逃れようとする。聖獣は概して魔法抵抗力が高く、このままだと抜け出されてしまうだろう。
ルネは即座に鳥型聖獣の細い首を刎ねてトドメを刺した。
そこに、風切り音。
「な……っ」
迫り来る火の玉を見て取ったルネは、即座に限界距離の≪短距離転移≫で距離を取った。
轟音、そして爆発。内側からめくれ上がるように石畳が吹き飛ぶ。
髭面の盗賊とエルミニオが持っている、花火筒みたいなマジックアイテムの攻撃だ。
「何あれ。グレネードランチャーってやつかしら?」
回避したルネ目がけて、今度は神聖魔法が飛ぶ。
「「≪穿つ流星≫!」」
ふたりの神殿騎士が、砲丸ほどの大きさをした輝く魔法弾を同時に撃ち出した。
「≪禍血閃光≫!」
対抗してルネは、赤黒き死の閃光を剣先から撃ち出す。
閃光が辺りを薙ぎ払うと、並んだ石造りの建物はことごとく輪切りにされて内側に崩れるように連鎖的に倒壊。輝く流星はルネに届かず炸裂し果てた。
ついでに狙われた神殿騎士たちは飛び下がって閃光を躱す。
硝煙とも土煙ともつかないものを突き破って虎型聖獣が襲い来る。
爪と牙をルネは赤刃で受け止める。
血と呪いから作り出された赤刃は、黄金の手甲のような聖獣の爪とお互いを削り合い、スパークするような火花を散らした。
そのままルネは詠唱を結ぶ。
狙いは聖獣ではなく、さらに背後。
「≪死の烙印≫」
「つぁあっ!? あぶねえ!」
髭面の盗賊の首回りに、絡みついた蔦のような刺青が浮かんだ。
彼は慌てて心臓を庇うように身体を丸める。だがそれだけだった。
――さすがに、簡単に死ぬような甘い耐性じゃないわね……
≪死の烙印≫は『即死魔法』と呼ばれるもののひとつだ。
被術者の抵抗を突き破れば一撃で死に至らしめ、そうでなければ大したダメージを与えられないという一か八かの攻撃魔法。
即死魔法は効率よく生物を殺すための複雑で精緻な仕掛けであり、その術式は(エヴェリスのような変態的な魔法開発者たちから)芸術品にも例えられる。そのためか、歯車ひとつ抜けたゴーレムが動かなくなるように、抵抗された即死魔法は著しく効果を衰えさせるのだ。
実際、即死魔法の成功率はあまり高くないのだが『運が悪ければ問答無用で死に至る』という効果は冒険者たちに怖れられ、とりあえず使っておくだけで牽制できる魔法でもある。
「即死魔法が来やすぜ!」
「仕方ない、護符を使え!」
エルミニオの指示が飛び、冒険者たちは各々護符を起動する。
≪聖別≫の嫌な気配が消えた。
狙い通り。これで強化は使えない。護符は敵の魔法攻撃をシャットアウトできるアイテムだが、無差別に発動するため自分自身や味方からの魔法も吸収してしまうのだ。
――“果断なるドロエット”は聖獣を前に立たせて援護射撃する態勢っぽい……ひとまず守りを固めさせて強化を使えなくする。そして……
虎型聖獣を切り伏せたルネは、さらに飛来する鳥型に向かって飛び込み、鉤爪の一撃をくぐりざま足を切り飛ばす。
そして。
「≪地殻変動≫」
地面に亀裂が走った。
石畳を割り、めくれた石畳の下から露出した地面さえ割って、深く。
「うお!」
「くっ」
「あっ!」
地上にいた盗賊と神殿騎士たちが標的だ。
盗賊はひらりと身を躱したが、重い全身鎧を着たふたりは一瞬間に合わなかった。
下半身が亀裂に吸い込まれたところで、亀裂は閉じようとする。
挟み潰すほどのパワーは無いけれど、それでも動きを封じるには充分だった。
「≪騒霊≫」
続いて、崩れた家の瓦礫がふわりと宙に舞った。
数十数百のつぶてがルネを取りまくように浮かび流星群となって飛翔する。
相手が護符を使っていようと関係ない、物理ダメージを与える魔法だ。
「くそっ!」
狙いは全員。だが、その中でも足を止められた神殿騎士ふたりは為す術が無い。
……かと思われたが、岩の嵐に呑み込まれる寸前、ふたりの姿は掻き消えた。
そしてエルミニオの隣に現れる。
――転移!?
ふたりとも、砕けた宝石みたいなものを手の中に握り込んでいた。
あれが転移のマジックアイテムなのだろう。おそらくは使い捨てで、エルミニオの所に飛ぶもの。
ふたりの騎士は剣と籠手を交差させ、頭を守るようにして瓦礫からエルミニオを庇った。
そして、岩雪崩を掻き分けるように一条の雷光がルネ目がけて迸る。
「きゃうっ!」
身体を打ち据えた衝撃にルネは震えた。
エルミニオが杖状のマジックアイテムから雷撃を放ったのだ。
ダメージは大したことないが、服と肌がちょっと焦げた。
「くそ、ダメージの通りが悪いな。やはり炎にすべきか?」
「ならこれでどうだ!」
瓦礫が飛びきったところで、露出狂魔術師に守られていたらしい盗賊が顔を出す。
どう見ても本来の手の2倍くらいありそうなサイズの籠手を右手に着けていた。
「こいつは効くぜ!」
爆音と共に握り拳が切り離された。
「ロケットパンチ!?」
画像加工ソフトの拡大ツールでも使ったような勢いで鋼の拳骨がカッ飛んで来た。
だがルネは、岩を食らって墜落してきた鳥型聖獣に空中ハイキックをかます。
吹き飛ばされた聖獣はジェット拳骨に巻き込まれ、勢いが削がれた鋼の拳をルネは真っ二つにした。
「今だ!」
「任せて!」
女魔術師がスポットライトみたいなものをルネに向けて構えていた。
そのコスチュームも相まって手品のアシスタントか何かにしか見えないが……
――あれは、こないだも使ってた神聖スポットライト!
あんな物、持っていなかったはずなのに。
と言うことは収納魔法から取り出したのだろう。魔術師が居るのにあまり魔法が飛んで来ないと思ったら、彼女は荷物持ちに徹していたのだ。
聖なる光が照射される、その刹那。
「おっと」
ばさりと、翻るマントがルネの視界いっぱいに広がった。
牛を煽る闘牛士のようにマントを掲げたトレイシーだ。
ダメージを受けていた足は、荷物に入っていたポーションで回復させたらしい。
銀河のような輝きの光が照射される。
だがそれはトレイシーの身体とマントに遮られ、その隙間からこぼれる光だけでは、せいぜい不快なだけだ。
「やっぱり人間には効かないね」
「ナイスカバー」
この間にルネは己の身体を作り替えていた。
身体から肉の重みが失われ、やせ細り、やがては骨だけになる。
呪いの赤刃は、宝石を削り出したような魔杖に。
魔法に特化したリッチ形態だ。
「……≪七連魔弾≫」
盾になったトレイシーを回り込むように、ルネは魔法を放った。
魔法で生み出された七発の呪いの弾丸は悪魔の歯軋りみたいな音を立てて飛ぶ。
空中で何度も折れ曲がって軌跡を変え、うち二発は鳥型の聖獣に、もう二発は別の鳥型聖獣に。そして残り三発は神聖スポットライトに。
「うお!? やっべ……」
さすがに魔動機械にまで護符を貼り付けてはいなかったようだ。
機転を利かせた盗賊が自分の腕で二発の魔弾を防ぎ、護符に攻撃を吸わせるが、最後の一発がそれをすり抜けて魔動機械に穴を開けた。照射される光が、途切れる。
さらに、空中に分かれて飛んだ方の銃弾は舞い降りる鳥型聖獣を貫いていた。
――これで鳥型は最後……!
「掴まりなさい!」
飛びかかってくる虎型の顔に≪衝撃弾≫をたたき込み、顔面をミンチにしつつルネは叫んだ。
「つ、掴まるってこう?」
「そうよ! やっと……少し馴染んだわ!」
ホネホネした身体を抱きかかえるようにトレイシーが手を回す。
ルネはそれを確認して、さらに変化を行った。
血色悪く、冷たい肉体。
口の中がむず痒くなり、犬歯が異常に伸長する。
鋭く伸びた爪でシャツの背中部分を裂くと、そこから滑るような質感をした被膜の翼が飛び出した。
夜と同じ色をした翼は、ルネの身体をふた巻きできるほどの大きさだった。
ヴァンパイアへの変化だ。
外見を真似するだけだったヴァンパイア変化は、ユインの魂を喰らったことで実のあるものとなった。
喰らった魂が馴染むには少し時間が掛かる。だから、今、最低限使える分のリソースを全て『飛行』に割り振った。
ルネは大気を叩き割るように羽ばたいた。
「飛んだ!?」
驚愕の声をその場に残し、ルネは夜空を突き抜けた。
「狙え! 撃ち落とせ!」
ルネは背後から照らし出された。
花火の打ち上げみたいな音を立てて、魔法の気配が猛追する。
だがルネはそれに取り合わなかった。
ぼしゅるっ、という形容しがたい気の抜けた音を立てて、ルネに触れる前に魔法が消失する。
≪対抗呪文結界≫……魔力を垂れ流して全ての魔法を遮断する範囲防御魔法。
これを他の魔法と同時に使うことはできない。だが今のルネは魔法ではなく自身の翼で飛んでいるのだ。
続けて数発の追撃があったが、それらも全て霧散する。
「降りてくるのだ、この臆病者がーっ! 貴様を倒すのはこの“果断なるドロエット”だーっ!!」
エルミニオの癇癪もだんだんと小さくなっていった。
白銀の大地に眠れる森、雲を透かす朧月と闇に溶ける峰々。
異常に夜目が利くようになった身体で美しき夜の世界を見ながら、ルネは最高速度で飛んだ。
そして街が充分に小さくなったところで、ばさり、ばさりと翼をはためかせ、ホバリングに移行する。
「手間を掛けさせたわね」
溜息と共に呟くと、背中にしがみついたトレイシーは『にゃは』と笑った。
「なんのなんの。でも結局何があったのさ?」
「戻ってから説明するわよ。あれはエヴェリスにも聞かせなきゃならないと思うし……
トレイシーこそ無事なの? 怪我はいいにしても、思いっきり毒を吸ってなかった?」
「まあボクは対毒訓練もしてるから割と平気。やっぱ喀血って儚げで絵になるよね」
「軽口たたけるなら大丈夫かしら。……って、ちょっとあなた……」
しがみつくトレイシーから温かな感情が流れ込んできて、ルネは辟易とする。
「なんで感謝するのよ、そこで」
「えー。結局ちゃんと助けてくれたし、身体のことまで気遣っといてその言い方はどうなのさ」
「それはあなたが使える手駒だからよ。助けられるなら助けるし、身体を損なっていないか気にも掛けるわ。人材は天から降ってくるわけでも山に自生してるわけでもないんだから大切に扱わなきゃ。
……だいたいあなた、『隷従核』で従わされてるせいで危険な目に遭ったのに、そこで助けられたからって感謝するのは辻褄が合わないんじゃない?」
「まあ、そうなんだけど……」
トレイシーは『そうじゃないんだけどなー』的なもどかしい思いを抱えていた。
彼の戸惑いも分からないではない。
捕虜を戦奴にするなんて事はありふれているし、領民を物のように扱う貴族だって珍しくない。そういった事例に比べれば、ルネからトレイシーへの扱いはかなりマトモなものだろう。
文字通り奴隷のようにトレイシーを扱うこともできたわけだが、なんとなくルネはそこまで振り切れない。
『人材を粗末に扱えば確実にしっぺ返しが来る』という、21世紀の労働者としての常識がルネの歯止めになっていた。
本当にただそれだけで、特別なことをしているつもりはなかったのだが。
――『いい人』みたいに思われるのって、やっぱりちょっと落ち着かないわね……復讐のためならどんな外道行為でもやる覚悟で戦ってるのに……
くすぐったいような気持ちになって、ルネはうなり声をかみ殺す。
とにかく目的さえ達成できればそれでいいと考えてルネは気を取り直した。
まずは、こんな無駄なことを考えていないで早く王都に帰らなければ。
「ところでトレイシー。あなた、三半規管に自信はある?」
「え? それって……」
ルネは王都に向かって羽ばたいた。
ゆっくりまっすぐに安定飛行しようとしたのだが、大急ぎでテイラカイネから脱出した時のように、飛行の軌跡は心電図みたいなものになった。
ヴァンパイアの羽はドラゴンの飛行と同じで、生体に宿る魔力を使う、魔法ならざる魔法だ。
細かい原理は分からないがホバリングはまだマシだった。だが移動しようとすると途端に制御が難しくなる。この辺りは≪飛翔≫の魔法と同じだ。
しかも、まだルネの飛行能力は形になりきっていなかった。
「ちょ、なっ、まっ!」
「魂食べた直後だからまだ完成してないのよ! 舌噛まないように奥歯食いしばってなさいよ!」
「うひゃああああぁぁぁぁぁぁ…………」
上下左右に揺さぶられるトレイシーの悲鳴を、朧月が聞いていた。