[2-11] 堕ちゆく先はイヌカレー
「テイラカイネに出てきたのはノアキュリオ軍だったらしい。でも、それにしちゃなーんかおかしいんだよねー。
ノアキュリオ軍に聖獣を運用していた実績は無いし、その計画も無かったはずなのよ」
かつて作戦司令室として使われていたらしき、場内の一室。
壁に掛けられた国内地図に、エヴェリスは蛍光チョークみたいなもの(後から魔法で綺麗さっぱり消せるらしい)で矢印を引いた。
ノアキュリオ軍が駐屯地としているウェサラ跡地から、テイラカイネへと。
エドフェルト侯爵はノアキュリオ軍を呼び寄せていた。だが、軍のほとんどが到着したのはルネが脱出した後だ。
実質、聖獣を率いて現れた謎の老婆ひとりのせいでルネは撤退に追い込まれたことになる。聖獣たちはノアキュリオ軍と連係しているようだが……
「じゃあ、あれは何だったの?」
「残念ながら分からない。私もこの世界の全てを知ってるわけじゃないし。
魔王軍だって五大国にスパイくらい入れてるけど、情報は上がってなかった。極秘裏に準備してたとか、あるいは……あまりにも傍流の出来事だったから捕捉しきれなかったという可能性もある。
聖獣そのものは、まあ対策を立てればいいのだけど。どうしてあんなものを持ち出してきたかはちゃんと調べた方が良さげ。
ディレッタ神聖王国が絡んでるとなると厄介だよ。特にご自身もアンデッドで、兵も現状では基本的にアンデッド、という姫様には」
いちいちごもっともだ。
聖獣はパンチや引っ掻きの一発にすら聖気が籠もっている。おまけに身体も聖気の集合体みたいなもの。アンデッドにとっては天敵と言っていい。
同等以上に強力な邪気を纏えば防御できるが、ルネが見た聖獣はどれもこれも強力で、まさか全ての兵にあれと同等の守護を与えるわけにはいかない。
「あのお婆さん、ちょっと危険を冒してでも殺しとくべきだったかしら。不快なだけで特に何の力も無いように見えたんだけど」
「どうかなー。術者じゃないなら殺したところで召喚獣消えないし、無意味だったかも。
ま、なんにしてもまた聖獣軍団とぶつかることになるのは確実だよね」
対策が必要だ。そして、なんであんなものが出てきたか探らなければまずい。
情報を分析するブレインは居る。
となると、次は情報収集係を用意しなければ。
「間諜が要るわね」
* * *
「ボクをどうする気なの!?
ゾンビの餌!? スケルトンの材料!? 奴隷!? 観賞用!?
あまつさえボクをそこの魔女さんの慰み物にでも!?」
「……元気な捕虜だね。ちなみに私としてはアリだよー」
「わー! やっぱりー!!」
呪力の鎖で全身を雁字搦めにされた芋虫状態のトレイシーは、そのまま空き部屋に転がされていた。
男性にしては甲高い悲鳴を上げながら、びたんびたんとトレイシーは暴れる。
それを見てルネは、刺すように言った。
「まどろっこしいからもうやめていいわよ、その演技」
びたんびたんが止まる。
トレイシーは一瞬真顔になって、それからお茶目に舌を出した。
「てへ。バレてた? 憎めない捕虜ってこんな感じかなって思ったんだけど。
……本音をエスカレートさせた演技は心を読む相手にも効くって話だったのになあ」
「口調ほどの焦りが見えないんだもの。あなた割と冷静だし……怖がりつつもちょっと楽しんでるわよね?」
ルネは邪神の加護のせいでなんでもありのデタラメアンデッドだが、その母体となるのは最上位の霊体系アンデッド・アビススピリット。悲嘆や絶望の感情を喰らう邪悪な霊であり、感情を読み取る能力は非常に高精度だ。
外側の態度と微妙に異なるトレイシーの内面をルネは見抜いていた。
「美少女とか、美少女にしか見えない美少年との出会いは人生を輝かせるアクセサリーだよ。
どんなヤバい状況でも素敵な出会いには感謝しなくっちゃ。すっごい可愛いですよ、ルネ様」
ストレートに『可愛い』と言われてルネはちょっとドキッとした。
恋愛感情的なドキドキではなくて、何か、心から抜け落ちた何かを感じたような気がして。
母からは口癖のように聞かされた褒め言葉だったけれど、国ひとつ滅ぼした恐るべきネームドモンスターに面と向かって『可愛い』なんて言ってくれる人は、この世界にどれだけ居るだろう。
ちなみに今のルネは非戦闘時なのでレブナント形態(つまり普通の人間と同じ姿)をしているのだが、これがデュラハンやリッチの姿をしていてもトレイシーは同じことを言ったのではないかという気さえする。
キザなナンパ男のような言葉だが、トレイシーの発する感情に下心は見えなかったし、お世辞でもなさそうだ。
「……まるっきりナンパ男のセリフなのに、劣情皆無で言われるのも逆に気持ち悪いわね」
「だってボクは可愛い女の子を手籠めにしたいんじゃなくて、同じようになりたいだけだもーん」
少女型中年男性は堂々と供述する。
「で、彼を使うのね」
「トレイシーは国内の冒険者にネットワークを持っているし、コミュ力の高さで誰にでも取り入って情報を引き出してくる。盗賊としての隠密行動で重要施設なんかに侵入しての調査もこなせるわ」
「うええ……褒められてるはずなのに嫌な予感しかしない。ボクそんなに有名だったの?」
「ちょっとね。知る機会があったのよ」
「もしかしてそれ、イリスちゃんの記憶かな」
「そう……」
肯定しかけてルネは何かおかしいとに気付く。
ルネがイリスに取り憑いていたと知っているのは、ルネに殺された“竜の喉笛”の3人くらいだったはず。トレイシーが知っているはずがない。
いや。
ルネの活動の痕跡を掻き集め、尋常ならざる洞察力によって推理したとしたら、あるいは。
「にゃは、図星?」
トレイシーは微妙にドヤ顔だった。
「追記。頭もキレるわね。
とにかく、このトレイシーをレブナントにしたらとても有用な情報をたんまり得られると思うの」
「やめて、お願い!」
ルネの提案に、即座にトレイシーは声を上げた。
「あら、それは本気の焦りね」
「本気に決まってるでしょ! ボクはまだ死にたくないの! 毎朝毎晩、鏡を見て自分のエロ可愛さにドキドキしていたいの! アンデッドになるのはやだ!」
「でもまだ余裕のある焦り方ね」
「お願い、生きたまま言うこと聞くから殺すのだけは勘弁して! ほら、レブナントじゃ使い捨てでしょ!? そうじゃない方がいいでしょ!?」
――来た。
トレイシーが口にしたそれは、まさにルネの目論見そのものだ。
レブナントは生前の外見と能力(魂ごとレブナント化できれば魔力さえも)そのままで忠実なアンデッドにできるのだが、数日で劣化し『ただの新鮮なゾンビ』になってしまうという欠点がある。
トレイシーの優秀さは、身体能力よりも諜報員としての能力だ。レブナントにして使い捨てるのは非常に惜しい。できれば再利用可能な形で使いたいところだ。
と言うかトレイシーのちょっと余裕がある態度も、ルネにとっての自分の有用性を認識していたからだろう。
この会話、最初から落としどころがほぼ決まっていたとも言える。
「もちろん生きたままの方が良いけれど、隙を見て逃げられたりダブルスパイになっちゃったりしそうなのよね。
そこに縛りを掛ける方法は………………あるわね」
わざとらしくそう言って、ルネは指を鳴らした。
「ミアランゼ、入りなさい」
部屋の外に控えていたミアランゼがしずしずと入ってくる。
琥珀の目をした猫耳メイドの首元には、粘り着くように輝く革の首輪。
「この首輪、彼に渡してもいいかしら?
ミアランゼにはもう必要なさそうだものね」
「うっ……それもしかして『隷従の首輪』ってやつ?」
トレイシーがうめく。
ミアランゼはこの首輪によって『逃げること』や『周囲の者に攻撃すること』を永続的に禁じられていたらしい。
つまり、そういう使い方ができるのだ。
ミアランゼは自ら首輪を外してルネに差し出す。
その首輪を見てエヴェリスは目を丸くしていた。
「よく見りゃこれ、人族製のコピー品じゃなく私が作ったオリジナルじゃない?
うっわー、懐かしい! 懐かしいしあんまり直視したくない! あの時は最高傑作のつもりだったけど、今見ると色々と作りが甘いなあ。
20個しか作らなかったから、さすがにオリジナルはもう残ってないと思ってたよ」
「……隷従の首輪の開発者? 魔女さん何者?」
「知らないでしょー。噂が立って伝説になるような魔女なんて二流も二流。
一流の魔女は知られざるもの。私は闇に隠れ潜んで生きてきたのよ。その方が仕事しやすいし。
世間にゃ知られていないけど、魔力も技術力も当代随一だと自負してるよ」
訝しむトレイシーにエヴェリスは得意満面だった。
「これってエヴェリスの作品だったのね。なら効き目は折り紙付きってところかしら」
「そーよ。鈴は付けた覚えないけど」
「じゃあさっそく使ってみましょ」
首輪を着けようとすると、トレイシーは頬を赤らめ、恥じらうように困ったようにうっとりと呟く。
「ああ……首輪を着けられて、ボクこれから姫様にどんな酷い命令をされても逆らえないんだ……」
ルネが感情を読むところによると、トレイシーは嫌がりながらも興奮していた。
「………………変態かしら?」
「変態ではないでしょうか」
ルネの疑問にミアランゼは全面的肯定を返す。
「でも首輪を着けたとして、問題はどうすればもれなく行動を封じられるか、なのよね。
なんか命令の隙を突いてうまいこと脱出されちゃいそうな気がして……」
と言うか、トレイシーならやる。絶対にやる。
逃げられずとも、トレイシーは人族の街に潜入中に誰かに助けを求めることさえできればいいのだ。逃げることを封じ、助けを求めることを禁じても、命令の穴を突いてなんとかしてしまう可能性が高い。
するとエヴェリスが、攻撃力50くらいありそうな厚さの紙束を虚空から取り出した。
「魔神とか悪魔と契約するための契約書雛形があるんだけど、これどう?
あいつら基本的に底意地悪いから願いを曲解して叶えたがるもんで、なんか頼む時は単語の解釈まできっちり縛る契約を作るんだ。命令機でこれを読み上げて行動を制限すればいいんじゃないかな」
「待って! 先にそれボクに読ませて! 人間に適用しちゃいけない項目とか絶対あるよね!?」
「よく気がついたね。えらいえらい」
「わー! やっぱりー!!」
そいつを見せろとばかりにトレイシーは身をよじり、首を伸ばした。
契約書を軽視する者は死ぬ。
それは21世紀の地球だろうと、中世だか近世だか分からないファンタジー世界でも同じ絶対の摂理だった。魔法が絡むと裁判の余地すら無く物理的に死にかねないから余計に質が悪い。
もしかしたら勧善懲悪を子どもに教える寓話より『契約書を確認した正直じいさんは幸せに暮らし、契約書を読まなかった意地悪じいさんは魔神の契約に身体を引き裂かれて死にました』みたいな教訓系ダークネスおとぎ話がこの世界には必要なのかも知れないと、埒もないことを考えるルネ。
「あとさ、首輪なんて着けて行ったら目立ってしょうがないんじゃない?
同じ機能の目立たないアクセサリーを急いで仕上げるから、それ着けさせなよ。私の手持ちの材料で作れるはずだからさ」
「首輪を見て誰かが『取ってあげる』ってなっちゃったら終わりだものね。じゃあ製作お願いするわ」
「了解、ツケにしとくね」
「逃げ出せる余地が無い……」
うんざりぐったりといった調子でトレイシーが顔を突っ伏す。
一応、逃げ出すことを諦めてはいなかったようだが、テキパキと手際よく段取りを整えるエヴェリスに絶望したようだ。
「フルーツキャンディみたいに甘くて軽い絶望ね」
「わーん、味わわれたー。でもその例えは可愛くて嬉しいー」
「能天気なやつだねえ」
ともあれ、これでルネは敏腕諜報員の徴用に成功した。
能力的に優秀なだけではなく、トレイシーは人間だという大きなアドバンテージがある。対アンデッドの探知に引っかかって怪しまれることも、聖気の結界でダメージを受けることもない。
彼女……もとい彼は、ルネの目として耳として大きな力となるはずだ。
「では、この首輪はご不要ですね? 私にお返しください」
ルネが持ったままの鈴付き首輪に手を掛け、ミアランゼが琥珀色の目を輝かせる。
「もう必要ないでしょ? それに、あなたにとっては忌まわしい枷ではないのかしら」
「ですが姫様から私に着けていただけるのでしたらとても有り難いことで、幸せです」
「………………変態かしら?」
「変態ではありません」
彼女の喉からはゴロゴロと猫らしい音が聞こえていた。