[2-6] ノックは3回、手は膝に
ルネが見下ろした先で、狭い小屋の中に隠れていた者たちは目を見張っていた。
まず護衛らしき冒険者が4人。“竜の喉笛”に比べても明らかに装備のランクが落ちるし、威圧感が無い。第二等級か、いいとこ第三等級か。
衛兵や騎士みたいな鎧を着ている小綺麗な戦士たちは公爵の私兵だろうか。シエル=テイラの制度上、廷臣は封領を持たず、それを分封して配下の騎士を持つこともできないのだが、門番や護衛として私兵を持つことはあり得た。だが実力的には大したことなさそうだ。
どう見ても従僕らしき男は……日本の二次元界でよく見る戦闘執事とは違いそうだ。純粋に侯爵の世話をするためにここに居るのだろう。
目を引くのは、ボロっちいログハウスには似合わない豪華な服を着た初老の男。テイラカイネに逃げ込んでいたというヒルベルト派宮廷貴族。レブナントアラスターが残した人相書きとも一致する外見のゼーバッハ侯爵。
そして……奇妙なのがもうひとり。
どこかオリエンタルな雰囲気も漂わせる、黒髪の見目麗しいメイド。四つん這いになった彼女の顔はアザだらけで、理由は分からないが状況からすると侯爵に薪でぶん殴られている最中だったようだ。
人間に近い外見だが、その頭部には、産毛のようなものに覆われた三角形の獣耳がある。
彼女は、針のように黒い瞳孔が細まった琥珀色の目でルネを見上げていた。
――なんかさっき、すごく強い殺意とか憎しみを感じたんだけど……あれって、この猫娘さんの感情?
猫娘さん(仮称)だけがルネに対して恐怖を抱いていなかった。
彼女がルネに向ける感情は、どちらかと言うと信仰に近い。
「な、なんでここが……!!
探知できる距離ではないはずだ! 確かにマークスはそう言っていたぞ!」
侯爵が絶句していた。
ルネは伏兵や街周辺に隠れている者をあぶり出すため、半径2,3kmほどに広域化した≪生命感知≫を使っておいたのだ。
戦況の把握のため広域探査の魔法を使うことはあっても、コストパフォーマンスを考えればここまで広域化して使うことは普通無い。戦場の周囲だけで必要充分だ。
ただルネは普通ではない。この程度の魔力消費、なみなみと満たされた風呂桶からコップ一杯の水を汲み出すようなものだ。無視できない消費ではあるが、しかし充分すぎるほどに余力を残している。結果としてゼーバッハ侯爵を発見できたのだからルネの判断は妥当だったと言えるだろう。
「さて、それじゃまず材料ひとつ、っと」
煙突の残骸から飛び降りたルネは、わなわなと震えている侯爵を無視してひとまず魔術師を貫き殺した。
電光石火の動きに、当の魔術師だけではなく、周囲の前衛系冒険者3人も私兵らしいふたりも反応できなかった。
やはり大した実力ではないらしい。つまり殺しても大したアンデッドにはできない。魔術師も実力は微妙そうだが、それでも魔術師は貴重なリッチの材料だ。
呪いの赤刃に貫かれた魔術師が倒れ、周囲の者たちはようやく解凍された。
「おおおお、お前ら! あれを倒せ! 私を守れ! 金の分は働け!!」
わめき散らす侯爵だが、こんなヘッポコたちにルネが倒せるわけないし、さすがに侯爵もそれくらい分かっているだろう。本音は『私が逃げる時間稼ぎをしろ』辺りだろうか。
まあ、こいつら程度で時間稼ぎができると思っているなら蜂蜜漬けの果物みたいに考えが甘いし、時間稼ぎをしただけで逃げられると思ってるなら角砂糖を2ダース突っ込んだコーヒーのように甘いのだが。
「む、無理だあああああああ!!」
何にせよ、侯爵に捨て駒にされるのは御免とばかり、冒険者のひとりがルネに背を向けて逃げ出した。
「ど、どこへ行く! 逃げたところで逃げ切れるわけが……!」
「追いかけないから逃げちゃっていーわよ。残りは逃がすのが惜しいほどの材料でもなさそうだもの」
「「「………………はい?」」」
侯爵のみならず、その場の全員がぽかんと口を開けて呆然としていた。
「だから、狙いはゼーバッハ侯爵だから他はどうでもいいって言ってるの。
どうしても向かってくるって言うなら丁重にお迎えして、アンデッドとしてわたしに仕えてもらうけれど」
臆病風に吹かれて逃げるだけ、殺したところで大した利益にならない……
そんな相手を手ずから殺すというのはルネの精神に掛かる負荷が大きい。
ルネは『とある理由』のせいで、あまり一度に残虐行為をしすぎると精神的負荷から行動に枷が嵌められてしまう。
これから市民を虐殺して街を潰す大仕事が待っているのに、こんなところで残虐行為ポイントを稼いでなんかいられないのだ。
もちろん敵はそんな事情を知るよしもない。
彼らの目には、ルネの振る舞いは強者の余裕と気まぐれに映るはず。そして恐怖する人々というのは、逃げ道を作ってやれば逃げ出すものなのだ。
「逃げろぉーっ! こんなの勝てるわけねえ!」
「ゾンビやスケルトンの相手するだけって言うから雇われたんだぞ!」
「ボスのネームドなんかと戦ってられるか!」
雇われ冒険者のみならず、侯爵の私兵らしい連中まで武器を放り出して逃げを打った。
テイラカイネの街から離れる北の方角へ、無我夢中で走り去っていく。
残ったのは、動けない侯爵。腰を抜かしている従僕。そして、恍惚とした眼差しでルネを見つめている猫娘さん(仮称)だった。
――さっきから変な感情が見えるんだけど……ナニコレ。
「ぐ、く、く、ぐぅぅうううう!!
……時間を稼げ、ミアランゼ!」
血を吐くような苦悩の言葉。
だがルネは、猫娘さんあらためミアランゼを思いやる気持ちなど侯爵の心から読み取れなかった。
ただ純粋に財産を失うことを惜しがっているだけだ。
侯爵の命令に、猫娘あらためミアランゼは顔面蒼白になる。
「そんなっ……!」
「お前には獣人の血が混じっているのだろう!? なんとかやってみせろ!!」
絶望的な表情を浮かべながらも、ミアランゼはルネに飛びかかってきた。
ものすごく奇妙だった。
攻撃に際して発生するはずの敵意が全く見えないのに、彼女はルネを攻撃してくる。
――身体だけ勝手に動かされてる……? あの首輪、妙な魔力が……
そして気付く。ミアランゼと呼ばれた彼女がルネへの攻撃を開始したのは、侯爵があの変な魔動機械に声を掛けた瞬間からだ。
ルネはミアランゼのタックルを容易くかいくぐり、左手に持っていた首を胴体の上にそっと載せる。
首と胴体の接着力は大型磁石程度。激しく動いたりちょっと衝撃を受ければ首が転がり落ちてしまう状態だが、おそらく問題ない。残りの面々では白兵戦に長けたデュラハン形態のルネにパンチ一発すら叩き込めないだろう。
そしてルネはひとっ飛びで、逃げようと踵を返しかけた侯爵との距離を詰めた。
赤刃を、軽く振るう。
「ふーん? なにこれ、リモコン? あの首輪マジックアイテムっぽいけど、これで操ってるの?
面白そうなアイテムゲーット」
「い……」
ルネの手にはスチームパンクな雰囲気のマイク付きリモコンが収まっていた。
それを掴んでいる侯爵の右手と一緒に。
「痛ぎゃああああああああああああ!!」
右腕の断面から血を噴き出しながら侯爵は絶叫した。
ルネが侯爵の腕を切ってリモコンを奪ったわけだが、彼には何が起きたかも分からなかったに違いない。
「あああ! わ、わたわた私を助けろ! ミアランゼっ!!」
もはやリモコンからは引き離されている侯爵。
しかし、先程の『時間を稼げ』という命令は未だに有効らしく、ミアランゼはルネに追いすがる。
ミアランゼの動作は隙だらけだった。
身体能力はちょっとだけ高いらしいが、武術などの心得は皆無らしい。
素人丸出しの格闘攻撃をルネはひょいひょいと躱した。
「……そ、その箱に! 『全ての命令を解除する』とおっしゃってください! どうか!」
ルネに掴みかかりながら、必死の形相でミアランゼが叫んだ。
「えーっと……『全ての命令を解除する』? これでいいの?」
「びぶっ!?」
ルネが命令の解除を告げた瞬間、ミアランゼは弾かれたように方向転換して侯爵に飛びかかり、その鋭い爪で顔面を引っ掻いていた。
「よくも……よくも今まで好き勝手をしてくれたな。お前も父さんと母さんの仇だ……!」
「待て! 話し合おう! 何の力も無い無力な小娘だったお前を10年もの間養った私は……」
「黙れええええええっ!!」
侯爵を押し倒して馬乗りになったミアランゼは、鋭く尖った爪を立てて侯爵の胸元に手刀を突き立てた。
右手、左手、右手、左手、右手……
「ぎゃああ! うぐはっ! ごはぁっ!」
「思い知れ! お前は少なくとも三度の死に値する!!
父さんの命! 母さんの命! そして私が受けた屈辱!!
今こそ己の行いを悔いて悔いて悔いて悔いてそして死ねええええええっ!!」
爛々と目を輝かせたミアランゼの攻撃に、口と胸から血を噴きながら侯爵は悲鳴を上げる。
ルネは完全に置いてけぼりだった。
「……えーと……どういう状況なの?」
「“怨獄の薔薇姫”様。私をお救いくださりまして本当にありがとうございます。
……私はミアランゼ。幼い頃からこの男に家畜とされ、この首輪によって自由を奪われ、終わることのない屈辱を与えられて弄ばれてきました」
侯爵の顔を踏んづけて立ち上がり、折り目正しく礼をするミアランゼ。メイド服の白いエプロンと両手が返り血で染まっているのでスプラッターな姿だった。
「この上、厚かましいお願いとは存じますが……どうか、あなた様にお仕えする幸せを賜りたく」
「えぇ?」
耳を疑ったルネだった。
よりによってルネに仕えたいと、自分から言い出す者があるとは。
ルネはミアランゼの感情を念入りに探る。
邪念や利己心は存在しない。自らの利益のためにルネに取り入ろうとしているのではなく、信心深い修道士が生活の全てを神に捧げるように、己の身命全てをルネに捧げようとしているのだ。
――人材が欲しいと思ってたところだけど、こういうのはちょっと引くわね……
って言うか、どこかで自分の『誤解』に気付いて熱狂から醒めるんじゃないかしら。
言うまでもないがルネは復讐者。
しかも『特定の数人だけをターゲットにして無辜の人々には手を出さない』みたいなお上品なものではない。復讐のために必要とあらば、エベレスト級の屍山もナイル級の血河も築くだろう。
そんなルネの道行きに、並大抵の者では付いてこられない。どこかでルネの行いを嫌悪し、恐れをなし、離反するに決まっている。
まあもしも後からガタガタ言うようならその時に処分すればいいという考え方もあるが、できれば面倒ごとを抱えたくはない。
「やめておきなさい。あなたにはあなたの帰るべき場所があるはずよ」
「私には行くあても無く、帰るべき場所もとうに喪いました」
「わたしに付いてきたら、まっとうな生き方も死に方もできないわ。あなたが生きられる場所を探すべきではないのかしら」
「私が私であるというだけで金貨で売り買いするような社会に、私の居場所などありません! あなた様の居る場所こそがわたしの居場所です!!」
「わたしを救世主か何かと勘違いしていないかしら!?
わたしはただの復讐鬼。殺して壊して滅ぼすだけよ。世間的には悪党か、でなきゃ災害だわ! 何が嬉しくてそんなにわたしを信じられるの? 邪神を信仰して世界を滅ぼすのがお望みなの!?」
「私を救ったものはなんですか?
官憲の裁きでもない。神と神殿の慈悲でもない!
ただただ殺し滅ぼすためとおっしゃる、あなた様の戦いではありませんか!」
ミアランゼは侯爵の腹に拳を叩き付けた。『うぼはっ』と悲鳴が上がる。
「この世界が私を捨てるというのなら……上等です。私もこんな世界は要りません。
あなた様は邪神の意に従い、この世界を破壊するのですよね? どうか私にその様をお見せください。そして私もあなた様の戦いの一助となりたいのです!」
胸に手を当ててミアランゼはシャウトする。
ルネは、はっとして息をのんだ。
――ミアランゼも、復讐者なんだわ。
彼女はルネと違って殺されたわけではない。
だが、全てを奪われて否定されたのは同じだ。
恨みのままに戦うか、恨みを抱えて消えていくか。その岐路にミアランゼは立たされている。
そして、ミアランゼにルネのような力は無い。彼女は戦いをルネに託すしかないのだ。
ルネはミアランゼを召し抱えようか考え始めていた。
「一助って……あなた戦えるの?」
「あ、ええと……今は無理ですが……」
「じゃあ潜入とか諜報は?」
「み、未経験です……
使用人として一般的な仕事であればできます……」
――う~ん…………
ちょっと評価に困るルネ。
力が無いどころか、戦いに関しては完全に役立たずということか。
「仕事のために必要なことはなんでも覚えます! ですから、どうか!」
「分かった、分かったわよ。……適当に盗賊技能持ってるグールとかに教育させたらものになるかしら」
必死で意欲を主張するミアランゼの熱意に、ルネは折れた。
まあ少なくとも裏切りはしないはず。ならそれはそれでいいだろうと思ったのだ。
「ありがとうございます!」
感極まったミアランゼは深々とひれ伏しながら侯爵の顔面をばりばり掻き毟った。
「とりあえず……その男はわたしもいたぶっておきたいから、その辺でやめといてちょうだい」
「はいっ!」
「って言うか、もう手遅れ?」
痙攣する血まみれの物体を見下ろして、ルネは首を傾げた。
今さらですがルビ無しで『魔術師』と言った場合は魔法を使う人全般。
『ウィザード』とルビを振った場合は冒険者ギルドがクラスとして認定している魔法職冒険者の人を指します。
『戦士』と『ファイター』についても同様です。
分かりにくかったかな、と少々後悔……