[2-1] 献花上等
シエル=テイラ王国はベルガー侯爵領、領都イニオン。
西のジレシュハタール連邦との国境に近い都市で、連邦の文化的影響も色濃い。石組みの家が多いシエル=テイラにおいて、黒い木材と漆喰と組み合わせた連邦風の家並みは珍しいものだ。
うっすらと雪化粧した、素朴で美しい街並みが続く中、その場所は異質だった。
ほのかに漂うきな臭いニオイ。
天へと伸ばした手のような、炭化した柱。
家財の残骸……
それは、焼け落ちた家だった。
こぢんまりした可愛らしい家だったのだろうと想像することはできるが、もはやその姿は面影もない。
庭の木も飛び火を受けたのか焼け焦げていて、しかも庭中掘り返した形跡があるのだからさらに荒れ果てた雰囲気を醸し出していた。
「…………」
昼日中ではあるが分厚い雪雲が垂れ込めて辺りは薄暗い。
小雪がちらつく空を見上げ、そしてルネは門をくぐった。
「……ただいま」
ほんの少し迷ったけれど、その言葉を口に出す。応える者はない。
ほんの少し胸が苦しかった。
ここはルネと母・ロザリアが暮らしていた家だ。
あの日、王弟派の騎士たちがやってきて、ルネは全てを奪われた。
そんな気はしていたが、やはり家はあの後焼かれていたようだ。騎士たちが焼いたのか街の者が焼いたのかは分からない。庭を掘り返したのは……隠し財産でも探したのだろうか。
罪人の財産は罪状次第で没収され、国や領のものになる。
特に街中の土地はだいたいが領主からの借り物という位置づけだ。
書類上は領に返還されているわけで、本来ならこの家はとっくに片付けられていなければおかしい。だというのに、何故未だこの有様なのか。ルネは分かる気がした。
ルネを恐れるあまり誰も手が出せないのだ。
周囲の家々には人の気配が無い。
メアリー・セレスト号よろしく人だけが消えてしまったかのような雰囲気だ。
この家の近くに住んでいたくなくて逃げ出したのだろう。
しかし、そんな有様でありながら、庭には割と頻繁に人の出入りしている形跡がある。
庭の真ん中に粗末なテーブルが置かれ、その上に白薔薇が並べられていた。
とっくに萎れたものから、まだ瑞々しいものまで。
シエル=テイラ特産のスノーローズ。雪の中に咲く薔薇で、観賞用とポーションの調合用に使われる。シエル=テイラの国章にも取り入れられていて、そして、ルネの名前の由来でもある。
ルネ・“薔薇の如き”・ルヴィア・シエル=テイラ。
銀髪銀目をスノーローズに見立て、両親はルネに“薔薇の如き”というあだ名を付けた。
その銀髪銀目ゆえに忌み子として母ともども宮廷を追われたルネは、白薔薇の王女であった。
献花台。
人々がルネに白薔薇を捧げているのだ。
それは、誰から始めるともなしに国中で始まったことだった。
ルネを悼む人々が。そして何より“怨獄の薔薇姫”を恐れる人々が。
追悼と贖いの証として捧げるスノーローズ。
「……ばっかみたい」
怒っていいのか呆れていいのかも分からないまま、ルネは嗤う。
「こんな花ひとつで救われるなら……最初から復讐なんてしてないのよ……」
献花台を無視して、ルネは焼け落ちた家の中に入っていった。
* * *
突如として現れたアンデッドの軍勢に王都テイラルアーレが攻め陥とされてから、約三週間。
少なくない数の人々がイニオンの街に流れ着いていた。
理由は、王都から西へ逃げた人が多かったということ。
みんなアンデッドの手に落ちた王都からなるべく遠くへ離れたがったということ。
そして、『連邦に逃げれば安全だ』という噂が広がったのが一番の原因だった。
“怨獄の薔薇姫”は反連邦を掲げた僭主ヒルベルト2世と騎士たちによって殺された。であれば、敵の敵は味方とでも言うべきか、“怨獄の薔薇姫”は連邦には攻め込んでこないのではないかと誰かが考え、それに賛同する人が多かったのだ。
ついでに言うなら、なんと言っても連邦はシエル=テイラと付き合いの長い国だ。苦境に陥ったシエル=テイラの民を助けてくれるかも知れない……と、ヒルベルトを熱狂的に支持したはずの者までが考えていた。浮気しておいて妻に泣きつくダメ男のように。
街外れの広場には粗末なテントが立ち並び、くたびれた様子の人々がたむろしている。
このテントは神殿からの支援だ。近隣の地域から物資をかき集め、難民キャンプを作り上げていた。
神殿は神の愛を、そして邪神との戦いを説いている。困窮する人族を助けることは(少なくとも建前上)神殿の使命だった。
特に今回は、アンデッドに王都を占領されるという超級の非常事態。邪神と戦う神の尖兵である神殿にとって、ここで人々を助けなければ(ただでさえ堕ち気味の)信用に関わるのだった。
もちろん、急なことゆえに万全な支援など不可能。
暖を取るためのものなど、所々に設置されたたき火だけ。
人々はどこか呆然とした表情で火の周りにたかっていた。
そんな灰色の難民キャンプに、突如、威勢の良い声が轟く。
「さあさあ皆様お立ち会い!
これなるは我が国特産のスノーローズ。その白は雪深き峰々よりもなお美しく、妖しの術によりて煎ずれば千人力の薬とならん!」
演台じみたテーブルの上にスノーローズの花を並べ、どことなくチンピラめいた雰囲気の男が立て板に水の口上を述べていた。
「哀れなりしは白薔薇の姫君。怨みも深き“怨獄の薔薇姫”。断頭台の露と消ゆ。
否、否、否! 姫はその身を邪神に捧げ、誅罰下さんと立ち上がる!
姫の怒りは天を焦がし、屍の兵が地の底より現れん。
其は姫の罪なりや? 否、否、否! 我ら皆等しく罪人なり! 非道なる血を流れさせたもうた我ら、皆等しく罪人なり! やがて姫は現れよう。我らが罪を裁かんがために!
……さあさあ皆様お立ち会い!
これなるは我が国特産のスノーローズ。その白は雪深き峰々よりもなお美しく、妖しの術によりて煎ずれば千人力の薬とならん!
己が罪を想い、償わんとする者あらば、人よ、いざこの花を手に取り白薔薇の姫君に捧げたまえ。哀れなる姫の魂を安らわん!
さあ買った買った、1本200スクートだ! 早い者勝ちだよ!」
口上に呼び寄せられるように、物売り男の周囲へふらふらと人が集まってくる。
たちまち長蛇の列ができた。
「1本ね、はい毎度! そっちは4本? へえ、家族の分ね。そちらさんは……なんと10本! いいねえ、きっとあんたの気持ちは姫様もご覧になっておられよう!」
スノーローズは飛ぶように売れていく。
充分な金を持っている避難民は少ない。もしお財布に余裕があったとしても、この状況で余計な出費は防ぎたいところだろう。それでも皆がスノーローズを買っていくのだ。
「なあ……なんでこんなことになったんだろうなあ……」
「だから言ったろうが。あんな詐欺師を信じるなって」
「だってよう、何もこんなによ……店ぇ建て直したばっかだったんだぞ」
「命があっただけで儲けもんじゃねえか。
……このうえ、命まで取られたくなきゃ反省しとけよ。それを“怨獄の薔薇姫”が見ててくださるかは分からねえけどよ」
「ああ……死にたかねえよなあ……」
スノーローズを買った者たちが話していた。
反連邦の機運は、ヒルベルトの死によって一気にしぼんでいた。と言うか、みんなそれどころではなくなったと言うべきか。残ったのは、いつ“怨獄の薔薇姫”が自分を殺しに来るかという不安と恐怖だけだ。
ワラにも縋る思い。不安から逃れるために、明日も自分が生きているという保証を誰もが欲しているのだ。
「さて次は……おや?」
並べられた白薔薇もだいぶ減った頃。
物売り男は、次の客が一歩離れた場所に居るのを見て首を傾げる。
視線を下にやると、そこに小さな子どもが並んでいた。
フード付きの粗末な外套を着ている。ぶかぶかの外套をすっぽりかぶっているせいで『小さい』以外のことは分からない。くすんだような赤毛がフードに収まりきらず、こぼれている。
「わたしにも薔薇の花をくださいな」
彼女が声を発して初めて、少女であると分かった。
「はいよ、1本200スクートだ」
「……実はわたし、お金が足りないの。よろしかったらお安くしてくださいません?」
「はァ?」
少女の言葉に、ずっと気さくで明るい調子だった男の声音が、いきなり威圧的なものになる。
「帰れ帰れ! 物乞いなら他所でやりな!
いいか? 俺だってタダで花を持ってきてるわけじゃねえんだ。皆さんのためを思って、ギリッギリの商売をしてるんだ。これ以上安くしたらおまんまの食い上げだぜ!」
頭ごなしに怒鳴りつける物売り男。その言葉は確かに正論ではあった。
だが。
少女の目的は、値切る事ではなかった。
「近くの花屋さんから130スクートで買ってきたものを200スクートで転売してるだけなのに、安くできないの?」
公衆の面前で発せられた告発の言葉。
フードからのぞく口元に、凍てつく空に浮かんだ三日月のような悪戯っぽい笑みが浮かぶ。
「はあ!?」
「なんだと!?」
「おい、本当か!」
スノーローズを買った者たちが一斉に顔色を変えた。
「そ、そんなわけないだろう!? 俺は適正価格で……」
引きつった顔で反論しようとする物売り男だが、少女は追い討ちを掛ける。
「王都で生花を買おうとすると、そういう値段になる事もあるそうね。でもここでは生のスノーローズでも安いのよ。産地だもの」
「んな……」
この場に居る者のほとんどは王都からの避難民だ。
地元の情報などろくに知らない。
そこにつけ込んだ値付けだった。
「買う人と売る人が居るならそれで構わないっていう……経済ってそういうものかも知れないわ。
でも、買う人が知らないのをいいことに、不安につけこんで売りつけるそのやり方。わたしは嫌いよ」
物売り男が青ざめる。
じりじりと客たちが迫っていた。
先が見えない不安な状況。人々の心は、水を入れすぎて破裂しそうな革袋みたいなものだ。目を血走らせた男たちが腕まくりする。
「し、しまった! 急用の急病でおっかさんが死にかけてカミさんの頭から腹痛が産まれそうなのを思い出した! 皆さん、今日はここまでということで!」
「あ、こら!」
「逃げんな、金返せ!!」
残りのスノーローズと金を引っ掴み、物売り男は一目散に遁走した。
* * *
「はぁっ……はぁっ……畜生、ひでぇ目に遭った」
追跡する人々を撒いて路地裏に逃げ込んだ物売り男。
彼は、名をドゥエインという。
効き目の怪しいタリスマンからブランド品のバッタ物まで。
この街で『詐欺』と『アコギ』の中間くらいの商売をして、生業としている男だ。
ドゥエインは小脇に抱えたスノーローズの籠を見て舌打ちする。
ドゥエインが思いついた新しい商売は、さっきまでは間違い無くうまくいっていたのだ。
あの訳の分からない子どもが現れるまでは……
「ねぇ、お兄さん」
「うわあ!?」
追っ手は全員撒いたはずなのに、いきなり背後から声を掛けられてドゥエインは飛び上がった。
振り向けばそこにはぶかぶかの外套を被った少女の姿がある。
「こここ、このガキャ!! さっきはよくも!!」
「わたしには花を売ってくださらないの? 特別に130スクートにしておいてあげるわ」
「誰がやるか!
てめぇいい加減にしろよ、ちっと世の中のルールってやつを……」
かなりの速度で走ってきたのになんで子どもの足で追いつけたのか分からないが、ここで会ったが百年目、だ。
都合の良いことに周囲には人の目も無い。相手が少女と言え、2,3発はぶん殴ってやらないと気が済まない。
少女の胸ぐらを掴み上げようとするドゥエイン。
だが、するりと外套だけが脱げて少女は抜け出した。
その少女は一瞬、どこにでも居るような純朴な赤毛の少女に見えた。
だがその姿が蜃気楼のように揺らぐ。
ドゥエインは魔術師崩れと組んで詐欺を働いた時に、似たようなものを見たことがあった。魔法による幻影だ。
外套と幻影を脱ぎ捨てた少女の姿は。
新雪のように輝く銀色の目と銀色の髪。華奢な体つきであどけない顔をしているが、しかし彼女の眼光には、狂気にすら近い冷たい怒りが宿る。
動きやすいありふれたワンピースのスカートには……人の血で描いたと思しき、薔薇。
「これでもくださらないの?」
「あ、あぁ……っ? あああああああっ!!」
ドゥエインは悲鳴を上げるしかできなかった。
熱狂の中で首を切られた悲劇の姫君。
一国の王都を陥落せしめた恐るべき復讐者。
ネームドモンスター“怨獄の薔薇姫”。ルネ・“薔薇の如き”・ルヴィア・シエル=テイラが、伝え聞く姿そのままに立っていた。
「誰か助けてくれぇーっ!!」
身を翻してドゥエインは逃げ出そうとする。
が、風のような動きでルネは回り込んだ。
「ぎゃっ!」
足が焼けるように痛んでドゥエインは悲鳴を上げ、転倒した。
右足が足首で切断されていて、真っ赤な血があふれ出していた。
「い、痛え! 痛ええええええっ!!」
「『誰か』? まずわたしに許しを請うのが先ではないのかしら。
ちなみに、声は届かないわよ。魔法で遮音してるもの」
言われてみれば風の音も街の喧騒も全く届かない。
もはや逃げることも助けを呼ぶことも不可能なのだ。
戦うのは……言うまでもない。無理だ。自分の商売を衛兵隊にチクろうとしたクソアマをぶん殴るくらいしかドゥエインにはできないのだ。
「その白薔薇が償いの証だというなら、まずそれを差し出すのが筋じゃないかしら?」
「待ってくれ! いや、お待ちください!」
降参の印に両手を挙げて、次いでドゥエインは平伏した。
そして、過去最大級の勢いで舌を回す。
「わ、私がこのような仕事をしているのも、ひとりでも多くの人に貴女様を弔わせるため!
それはまあ、確かに少々阿漕なマネもしましたが、しかしこれも生活のためやむにやまれずにございます! そもそも王都を逃げ出した彼らは貴女様を死に追いやった罪人! 彼らから多少の金を巻き上げたところでももも問題はございますまい!」
「……あなた、ヒルベルトが王位を簒奪した時、それを支持したかしら?」
「心ならずもそのように振る舞いました、はい! 周囲の目が恐ろしかったもので! 面目次第もございませぬ! しかし私はあのような男、最初からハナクソひとつ分も信用しておらず……」
嘘だった。
連邦の連中がグラセルムを買い叩いていると聞けば、鉱石産業に無関係のドゥエインだって腹くらいは立つ。馬鹿な王様が殺されてまともな奴が取って代わったと聞けば、それは痛快な出来事だと思った。
それにドゥエインはイニオンで『仕事』をしすぎて、最近ちょっと肩身が狭くなっていた。これでノアキュリオと仲が良くなるなら東の方が賑やかになるから、河岸を変えるのにちょうどいいと考えていた。
だがそんな事はおくびにも出さない。
ドゥエインは平気で嘘をつける男だった。
――うなれ、俺の舌よ! 俺は口で生きてきた男。相手がどんな化け物だろうと、ガキ一匹くらい騙してみせる……!
「ふうん……」
ルネが考え込む素振りを見せたので、ドゥエインは愛想笑いを浮かべる。相手をなだめたり信用させるための商売用の笑みだ。
上手くいっただろうか、と一瞬思った。
だが、続くルネの言葉は彼を絶望の淵に突き落とす。
「わたしも慣れてきたかしら。後ろめたさを伴わない嘘もだいたい分かるようになってきたわ。
アラスターとダウトをやって鍛えた甲斐があったわね」
「は……?」
「ちょっとむかついただけだから、脅かす程度でもいいかと思ってたんだけど……
気が変わったわ。めっちゃ苦しめてから殺す」
* * *
その日の夕刻、全身に百を超える刺し傷を負い、顔の表皮を剥がされた惨殺死体が発見された。
被害者が抱えていたと思しき籠がひっくり返って、辺りにはスノーローズが散らばっていた。それはあたかも死者に供えられたかのようだ。
路地の壁に背を持たせるようにして悶死していた男。その背後には、男の血によって禍々しい薔薇が描かれていた。