[1-44] サーキットブレーカー
『第11隊、ホぼ完了シましタ』
「第11隊西進せよ。大通りで第2隊に合流し以後指揮下に入るように」
『第4隊、少女3名ヲ捕獲。これヨリ連行シまス』
「了解した」
本陣たる公爵居城の執務室。
机の上には街の地図が広げられていて、地図の周囲には、びっしりと呪文を書き付けた御札のような遠隔通話用マジックアイテム『通話符』がいくつも置いてあった。
各部隊の隊長たるグールは予備も含めて通話符を持っており、作戦進行状況を指揮官であるアラスターに逐一報告しているのだ。
グールは『屍食鬼』とも言われるアンデッドだ。
屍肉しか食べないのであまり人を襲うことはない大人しいアンデッドだが、飢えれば人を狩って腐るのを待つくらいはするし、ルネの配下なら命令通りに軍事行動もする。
生前の記憶や意思はかすかに残るのみで、性格も邪悪にねじ曲がっているが、知性だけは人族並みである。
ルネはこの『知性を持つ』という特性に目を付けた。脳みそが足りないゾンビや簡易ゴーレム程度の判断能力しかないスケルトンを統率するためグールを小隊長として配したのだ。
本当ならリッチを使いたいところだが、魔術師を魂ごと材料にしなければならないので数が揃えにくい。
知性を持っているだけなら霊体系アンデッドでもいいのだが、物を持ち歩けないというのは少々不便だ。
そんなわけで隊長格はグールだった。
公爵は地図の上に載せた駒を動かしながら、殲滅が完了した区画には赤くバツを付けていく。
通信があればそれに応じて指示を出し、状況の変化を地図に書き加えていった。
『アラスター。報告にあった脅威を排除したわ。他に対処不能な敵の情報はあるかしら?』
通話符のひとつからルネの声が聞こえ、アラスターは相手に姿が見えていないことを承知の上で恭しく頭を垂れて応じる。
「ございません。おそらくそれが最後かと。冒険者と交戦中の部隊はございますが、騎士のアンデッドで対処可能な範囲です」
『分かったわ。
……っと、そこね! ≪召雷≫!』
雷鳴が轟き、いくつかの悲鳴が通話符越しに響く。
「いかがなさいましたか?」
『ああ気にしないで。逃げ遅れた市民を見つけたから殺しといただけ。
わたしが手に入れた材料は、その場でアンデッドにして適当に城の前に向かわせてるわ。どっかの部隊と会ったら回収させといて』
「かしこまりました」
『わたしはこのまま適当にぶらついて、逃げ遅れて隠れてる奴らを見つけ次第殺して回るわ』
市街にあるいくつかの広場には、アンデッドによって殺された材料たちが積み上げられている。ルネはそこを巡回して≪屍兵作成≫で兵を増やして回っているのだ。
そして感情察知の力で隠れている市民を発見した場合は、通りすがりに適当に殺害して、兵に適する者はその場でアンデッドに変えていた。
「……逃げると言えば、討ち漏らした市民が街の外に逃げ始めておりますが、こちらはいかが致しましょう。手の空いた部隊に追撃させますか?」
『そーねぇ、まずは街の中を綺麗にするの優先でいいんだけど……んっ?』
何かに気がついたらしいルネ。
『ちょっと待ってて!』
「かしこまりました」
通話符の向こうから爆発音が聞こえてきた。
*
「みぃーつけたっ」
「あ、あああああ……」
ルネの魔法によって半壊した家屋の中。
逃げ遅れてしまい、息を潜めて隠れていたらしい3人の女性が、怯えきった目でルネを見ていた。
これと言って特徴の無い町娘ルックのハイティーンの女性たち。地球基準では『少女』と呼ぶべきかも知れないが、こちらでは既に成人済みとして扱われ、人によっては結婚している歳だ。
別に家族というわけでもなく、偶然連れだって同じ場所に隠れたという雰囲気。椅子や机を並べて室内にバリケードを築いていたが、ルネは頭を首の上に載せると、空いた左手で軽々とテーブルを持ち上げ背後に放り投げた。
「ひいいっ!」
喉の奥に押し込めたような悲鳴が上がる。
震える女たちをルネは観察する。
体格は平均から痩せ形。わざわざアンデッドにして召し抱えたいほどのものでもない。
年齢的にもルネの依り代としては不適切。
つまり特にルネの役には立たない。殺してしまってもいい対象だ。
「お、お助けください……」
「あああ……神様神様神様」
「お願いします。命だけは……命だけは!」
必死の命乞い。
うるさいな、と思っただけだった。
縋るような目をルネに向けているが……ルネが他のアンデッドたちと違って小綺麗な姿なので、話が通じやしないかと期待しているのだろう。あいにく、それは大きな間違いだ。この事態の元凶なのだから。
殺さない理由は特に思いつかない。ウェサラは反撃の狼煙として、見せしめとして、こっぴどく潰すと決めた。別に全員を殺す必要は無いのだけど、死人は多い方がいいだろう。
呪いの赤刃で切り刻んでしまえばいい。3人そろって仲良く真っ二つだ。
淡々と殺し、キルスコアを+3するだけ。
それでいい、はずなのに。
――あれ……? なんでだろう。楽しくない……
ルネの手にした赤刃は、動かなかった。
殺すことが楽しくない。
何故だろうか。
罪悪感? 良心? そんなものは既に存在しない。あの生き地獄の中で、人としての尊厳と共に奪い去られた。
この場に来るまでもルネは無辜の市民を、数十は手ずから虐殺している。
乳飲み子と、それを抱え込んで守ろうとする母親をまとめて貫いて殺した。家族を守ろうとする父を刺し殺し、そのゾンビに妻と娘を殺させた。身体が衰えて逃げることかなわず、病床で祈りと共に最後の刻を待つしかなかった少女を躊躇無く惨殺した。
目の前の女たちだけを特別視する理由が無い。
――……ううん、そうじゃないわ。
ルネは、気がついた。
――積み重なってる。
まるで、息を止めて海に潜り続けているかのように、ルネは殺せば殺すほど、少しずつ息苦しくなっていた。
呼吸の必要は無いはずなのに、胸を、肺腑を締め付けられているように感じる。
それは、『恐怖』だった。
見放される事への恐怖だった。
ルネは本当の意味で殺人への忌避感など持っていない。目的のためなら病の老人も乳飲み子も殺せる冷酷で手前勝手な復讐者だ。
だが、優しかった母はルネの蛮行を見てどう思うだろう。
死の間際までルネを想ってくれたディアナは、返り血に染まったルネを見てどう思うだろう。
きっとふたりとも、生きていたらルネを諫め止めようとしたはず。
それはまだいい。世界を敵に回した復讐など、もとより常人の理解を超えたことだ。
しかし、もしも。救いようのない敵として見捨てられてしまったら?
『母の愛』を……失ってしまったら?
『……幸あれ。あたしはいつでも……あんたを見てるよ』
……ディアナの言葉は『復讐者としてのルネ』に、救いではなく呪いとして纏わり付いていた。
あの戦いでルネは、自分がただの少女であることを思いだした。
――ば、バカみたい。わたし何考えてるの?
お母さんもディアナも、もう死んだのよ。わたしのこと見てるかどうかも分からない。死んだ瞬間に輪廻転生しちゃうことだってあるんだから、まだこの世界に存在してるかどうかだって分からないのよ?
あまりにも馬鹿馬鹿しくて子どもっぽい感傷だとルネは思った。
既にここには居ない者のため、ルネは『全てを滅ぼす怪物』ではなく『悲劇のヒロイン』たろうとしている。有るか無いかも分からない最後の一線を守ろうとしている。
どこまでがセーフでどこからがアウトかなんて自分でも分からない。
だからこそ怖い! 殺せば殺すほどに、自分は堕ちきってはいないかと恐ろしくなる。
別に、ルネに情が芽生えたから殺害をためらったのではない。
少し心を落ち着ける時間があれば……そう、たとえばもし明日、目の前の女たちと再会したなら何のためらいも無く切り刻めただろう。
身を堅くして祈り震える3人と、視線が通う。
彼女たちを斬れば。
彼女たちを斬れば子どもっぽい感傷と決別し、善悪などカケラも顧みないような復讐装置になれるのだろうか。
ルネは、ギリ、と奥歯をかみしめて剣を降ろした。
「……質問するわ。迅速に正確に答えなさい。
王弟ヒルベルトがエルバート王から王位を簒奪した時、あなた達はそれを喜び、祝福したかしら?」
その言葉とルネの姿に何事か察したらしい女性A(便宜上、ルネに向かって左からABCとする)は、すぐさま居住まいを正し、震えながら跪いた。これは平民が王族に対して取るべき礼だ。
そして声を上げた。
「姫様! 私はあのような行い、あり得ないことであると考えます!!」
ルネが“怨獄の薔薇姫”であると、つまり先王エルバートの娘であると気付いたようだ。王都での騒ぎや事情は、ちゃんとこちらにも伝わっていたらしい。
Aがした事を見て唖然としていたBも、すぐに事態を飲み込んだようでそれに続く。ガチガチと奥歯を震わせながら頭を垂れる。
「私も同じように考えておりました、姫様!」
遅れてCも跪く。ABと同じように言うのかと思いきや、Cは震えながらも顔を上げ、胸に手を当てて訴えた。
「姫様、違います! この女どもはヒルベルトの所行を喜んで語っておりました! 首を切られた王族についても『いい気味だ』と!」
「はあ!?」
「な、な、何を言ってるの!」
Cの告発にABは顔面蒼白になった。
「こ、こいつこそあのクーデターを喜んでおりました!」
「違います! 私はこいつらに話を合わせていただけです! 心にも無かったことですが……」
「いい加減にしなさい!」
「きゃあっ!」
BがCに組み付き、拳で顔を殴った。Cも必死で顔を掴み返す。
「どうしてそうやって自分ひとりだけ助かろうとするの!」
「私たちを売る気!? この嘘つきが!」
「どっちが嘘つきなのよ!!」
そのまま3人はルネをそっちのけで殴り合い、掴み合いの乱闘になった。
ルネはいきなり頭痛がしてきたような気がして、左手に持った頭のこめかみを右手で揉みほぐす。
「えーとね……最初に大事なことを言い忘れたわ。わたし、嘘が分かるの」
「「えっ……」」
絶望の呟きを残し、AとBの首は宙を舞っていた。
力を無くしたBの腕から抜け出し、Cはそのままへたりこむ。
「あ、あわわわわ……」
「ふん。これなら別に平気ね。直接的な復讐はノーカンってことかしら」
赤刃を軽く素振りして、ルネは自身の精神状態を確認する。
不備は無い。苦しくもない。むしろ楽しい。
Cを睨め付ける。この女は斬る気にならない。……少なくとも、たっぷり残虐行為を働いた後である今は。
「逃走を許すわ。ただし、覚えておきなさい。わたしは必要とあらば、あなたのような人でも殺す。
今ここであなたが生き延びるのは、ただの理不尽な幸運によるものだと理解しておきなさい。
……早く行きなさい。わたしの気が変わらないうちに!」
「は、はい……!」
ルネがアゴをしゃくると(正確には、首を掴んでいる手をそういう風に動かすと)Cは立ち上がり、転がるように駆けだした。
その背中を見送ったルネは、自分自身のふがいなさに落胆していた。
理由を付けて、ようやくふたり殺せた。
反ヒルベルト派だったとは言え、あとのひとりは見逃してしまった。このウェサラはこっぴどく潰すつもりだったのに、ルネ自ら市民を見逃したという実績を作ってしまった。
――わたしは……何なの? こんなザマで……復讐だなんて……
復讐者かくあるべしという理想像にはとても届かない。弱くて、矛盾していて。
これでは復讐を遂げられるかすら怪しい、と思いかけた時だ。
ルネの頭に閃きが去来した。
あのABCの殴り合いは余計な茶番だったが……
もし、あれを国家規模でやれるとしたらどうだろうか。
――そう……そうだわ!
全員殺すのが目的じゃないのだから、むしろこの手は使えるわ!
全てを無差別に破壊するだけの化け物には交渉も命乞いも通じない。そうなれば人々は団結し、ルネを倒そうとするだろう。
だが、そうでないとしたら?
ルネは保留状態にしていた通話符を取り上げて起動した。
「アラスター。追撃は無しよ。って言うか使い道が無い人はもう殺さなくていいわ。逃げる人には逃げさせちゃいなさい。『街を潰した』っていう実績とニュースがあれば充分だわ。いい?」
『かしこまりました』
「それと、戻ったら作戦会議よ。王都攻撃の新しい作戦を思いついたわ。実現性があるかと具体的な段取り。あなたの頭が無事なうちに全部決めなきゃならないんだから、よろしくね」
『かしこまりました』
通話符を保留状態に戻し、ルネは無理やりに笑ってみる。
いつのまにか残虐行為の限界制限ができてしまっていた。それは復讐者として足枷になるだろう。
だが、別に殺せなくなったわけじゃない。休み休みでやればいいだけだ。
それに……たまに『殺さない時』があるからこそ可能になる作戦もある!
――……こんなわたしの戦いだから、『復讐』になるんじゃないかしら?
半分こじつけだが、ルネは無理やりポジティブに考えた。
壊れきった無情の復讐装置でなく、母親や母親代わりに嫌われることを恐れるような『人』の所行だからこそ、ルネの戦いは『化け物の大暴れ』ではなくて『復讐』たりうる。
ルネは、少女であった。
化け物でも復讐装置でもなく、母を恋しがり悼み悲しむ少女であった。
「……お母さん」
ぽろりと、口から言葉がこぼれ落ちて、はっとしたルネは両手で頭を抱えてぶんぶん振る。
「わあああ! 今のナシ! ナシナシナシ!!」
幸い、通話符は保留状態だったし、近くにはグールも逃げ遅れた市民も存在せず、その言葉を聞いた者は居なかった。
ルネはほっと息をついて、そして、半壊した家の中から空を見上げる。
か弱い少女から母を、命を、全てを奪った奴らが、今もこの空の下でのうのうと生きている。
だからこそ……
――…………戦え!!
魔法であちこち打ち壊され、死体とアンデッドの残骸が転がる大通りは、荒涼として静まりかえっていた。
* * *
ルネはまだ知らない。
この決断が単なる作戦という枠を超えて発展し、人の世に仇なす者として君臨するルネを作り上げていくのだと。