[6-30] その名を呼ぶ者
シエル=テイラ亡国は急ピッチで戦闘準備を整えていた。
『北翼軍』は、竜王戦の生き残りを中心に補充・再編され、ノアキュリオの反攻を警戒する役目となった。
とは言え、攻め込むだけの力も持たせ、圧を掛けていくことになる。ノアキュリオ軍をなるべく多方面に展開させ、守りが広く薄くなったところを食い破るというのが、理想である。
『北翼軍』は当初、竜王の分身によって破壊されたエルシウス砦跡地に陣を構える筈だったが、辺りには超常的な魔力の残滓が色濃く残っており、使い手無き魔法のような怪奇現象や兵の体調不良が多発し、場所を移すことになった。
そのせいで亡国軍は余計な手間を強いられることになったが、転んでもただでは起きられない。
傷つけられ、地獄のように変じた大地を調査して、何か戦いに使えるものが残っていないか調べることになった。何しろ、分身と言えども古代竜が全身全霊の戦いを演じた跡地だ。力の残滓でも抽出できたなら、得るものがあるはずだった。
岩盤がめくれ、溶け、ガラス化し、あるいは焦げて灰になった大地。
そこに立つだけで頭を締め上げるような痛みに見舞われる。
エヴェリス直属の研究員たちが、慎重に身を守りながら辺りを調査する中、ルネも、視察ではなく調査に参加し、感覚を研ぎ澄ませて周囲の様子を探っていた。
濃厚な(しかしもはや役に立たない)魔力の中から、使えるもの、一塊のもの、結晶化したものを探す。
騒ぎ立てる群衆の中で聞き耳を立て、猫の鳴き声を探すようなものだったが……猫は意表を突いて、空で鳴いた。
――ゴーレム……?
ルネは大地から目を離し、空を見上げた。
奇妙な気配。いや、魔力反応か。
鳥と言うか、金属のフレームを持つカラクリの鳥形凧人形とでも言うべきものが、比較的低空を飛んでいた。
そいつは足に何かを掴んでいて、ルネの頭上を通り過ぎながら、投げ落とした。
「姫様、危ない!」
影のようにルネに付き従っていたミアランゼが、落下物目がけて手を伸ばした。
まるで届かない距離と高さに思えたが、彼女の背後に血の霧が渦を巻き、巨腕の形を成し、鋭く伸びる。
彼女自身より大きな血霧の巨腕は、握りつぶすほどの勢いで、落下物を掴み取った。
一方ルネは、ちょうど頭の中が探査モード。落ちてくるものを観察、超常的な感覚によって分析し、危険性の有無を判別していた。
何なのか分からないのに迂闊に触れて、払いのけたり潰したら、逆に危険な場合もある。ミアランゼはルネに危険が及ぶよりはと見るよりも動いたのだろうが、ルネ自身はそうもいかない。
「危ないようには見えないけれど」
「念のため、危ないと申しました。結果として嘘をついたことをお許し下さい。
……安全なら良いというものではありません。あのような無礼者をみすみす通すとは、まったく、『フロッカス』は何をしているのか……」
ミアランゼの血霧の巨腕の中で、少しひしゃげてしまったそれは、金属製で円筒形の密封容器だった。
本当は捻って開けるものらしいが、歪んで開かなかったので、ルネは力尽くでへし折って開封した。
中には、上等な便箋が丸めて入れられていた。
「爆弾には見えないわね。なら、『紙爆弾』かしら?」
「姫様。まず私が毒味を」
「理論上、呪いの手紙如きでわたしを害するのは無理よ」
便箋には美麗な書体で、とりとめの無い日常の話がつらつらと記されていた。
目的外の者に読まれることを警戒してなのか、誰がとも誰にとも一切書かれていない。
だが、中途の一文にルネの目は吸い寄せられた。
『――是非とも一度、帝都に来て下さい。誰からも愛された古い友人の話をしましょう――』
この手紙の意味するところは、既に明白だった。
* * *
迅速さが重視された。
ルネとミアランゼ、そしてエヴェリスは近場の天幕に集まり、防音をはじめとした多重の防護を施して、城内のアラスターに遠話を繋いだ。
「なるほど、ね。彼らはノアキュリオ王宮の異変も、トレイシーの消失も、既に嗅ぎつけている、と……」
ルネが受け取った手紙のことを聞いて、エヴェリスはすぐに事態を飲み込んでいだ。
判じ物のような内容だったが、何故、こんな手紙をルネに直接渡してきたのかという事情まで含めて考えれば、色々な事情が透けて見える。
『読み解いてくれる』という、信頼に基づいたメッセージだった。
「この手紙、絶対にケーニス皇帝が一枚噛んでいると思うのだけど」
「可能性は高いわね。かなり。
この手紙の差出人が、姫様のおっしゃるとおりにキャサリン・アークライトだとしたら、彼女は押しも押されぬ最高級官吏。内殿での拝謁が叶う地位よ。そこまで皇帝が気を許す相手なら、たとえ義務など無くても、皇帝と示し合わせて動くはず」
「そうね」
キャサリン・アークライト。
ケーニス帝国の王宮(皇宮)にて、対シエル=テイラ亡国戦略、並びに対“怨獄の薔薇姫”戦略を担当する官吏。
彼女は既に、全ての亡国高官にとって、名前を覚えるべき敵だった。ファライーヤの財務大臣の名前を知っているべきなのと、同じように。
ルネと彼女の間に存在する、容易ならざる因縁も、噂程度に知られてはいた。
「究極的には、皇帝と言えど彼女を制御することは不可能だけれど、彼女は道を違える瞬間までは従順に帝国に尽くすでしょう」
ルネはキャサリンが何をどう考えるか、分かっていた。
彼女は必要だと思えば、自身の命も、帝国の命運も、何もかも擲って決断する人物だ。それを果断さと言うべきなのか、狂気と言うべきなのか、ルネにもよく分からないが。
だが同時にキャサリンは極めて理性的で機知に富み、目的のためとあらば恐るべき忍耐力を発揮する。いつでもデタラメなわけではなく、世間体を考えて完璧な淑女として振る舞うこともできる食わせ物だった。
『我らがノアキュリオとの戦端を開いてより、ケーニスはディレッタとの決戦を準備しております。
あくまでも、一般論的なお話と前置き致しますが……ここで我らが躓けば彼らも困りましょう』
机の上に置いた通話符がアラスターの声で喋る。
彼は真面目くさって、重要事項を念押し的に確認した。
もちろんルネも忘れてはいない。
ケーニスは長年、打倒ディレッタの野望を隠しておらず、ルネが直通の侵攻路をどこかの山脈に作ってしまってからは尚のことだった。
そんなケーニスにとって最も避けたいのは、『ディレッタの弟』ノアキュリオが、ディレッタと手を組んでケーニスと戦うこと。
しかして今、ノアキュリオ王国は、シエル=テイラ亡国相手に手を取られている状態だ。ケーニスとしては今後どう転ぶとしても、今は亡国に活躍して貰った方が都合が良い。
協力し合えれば都合が良いのは、双方にとって確か。
とは言え竜淵にしてみれば接触するだけでも危ない橋だ。
直接やり合って帝国兵を数多惨殺したのは、せいぜい十数年前なのだから、まだ帝国民の記憶にも新しかろう。もし亡国との接触を試みた話が漏れたら国内が不安定化する。
故にこそ、リスクを踏み倒してでも状況を動かすという、竜淵の相応の本気度が滲む。
「こんな時に国を留守にしたくないけど、わたしは、応じるべきだと思う」
「同感。向こうから声掛けてきたなら、渡りに船ではあるわ」
……私情も一欠片ほど、無いとは言えないが。それはそれとして。
「アラスター。エヴェリス。留守を預けるわ。侵攻のスケジュールに変更は無し。わたしが途中から合流する展開も想定しておいて」
『はっ』
「了解ー」
* * *
ルネは魂だけの姿となって現地に向かうこともできたが、そのためには現地に生贄を要する。後々の展開を考えて、ルネは物理的にケーニス入りすることになった。
シエル=テイラ亡国の現在地からケーニス帝国へ向かう旅程は、意外にも容易であった。
大陸の北の果ては魔力資源が極めて乏しく、気候も峻烈。とても人が住める場所ではなく、『不毛地帯』と呼ばれている。
住みよい場所ではないが、環境に適応した魔物たちにとっては楽園だ。今のルネにとっては敵を警戒する必要が無い、便利な移動経路だった。
このまま北東の果ての魔王国を経由し、帝国入りするのだ。国境防衛の隙間を抜ける手筈は既に整えてあった。
ワイバーン・ゾンビが抱えて飛ぶ『翼竜車』にて、ルネは空を行く。
羽音と風の唸りばかりが耳に響く夜だった。
共に行くのはミアランゼのみ。不毛地帯を無休で突っ切る強行軍なので、生者は供にし難い。荷物を減らすほどにワイバーンは速力を増すことだし。
不用心にも見えるだろうが、女公爵より授かった吸血鬼だの、戦闘用ゴーレムも抱えている。それに必要とあらばルネは魂だけの姿となって逃げ帰れる。決して100%安全ではないが、無防備ではないのだ。
ちなみにミアランゼはどうなのかと言えば……ケーニスはディレッタのみならず神殿勢力との関係も最悪である。世界中、津々浦々に存在する神殿学校がケーニス帝国でのみ機能不全で、ケーニスは自前の教育機関を作らなければならなかったほどだ。(そのせいで逆に学問が盛んになったのだから多方面に皮肉ではあるが)
ケーニス国内では、『聖なる監視の目』が他国ほどには働いていないので、騒ぎさえ起こさなければヴァンパイアでも平然と潜入できる国だった。魔王軍と睨み合う北方は比較的緊張感があるが、そこさえ抜ければどうとでもなる。
静かな夜を睨みつつ、ルネはケーニス到着後の手筈を頭の中で何度も確認し、ノアキュリオ攻略の段取りについても考えていた。
「時には……お呼びの声がかからずとも、ワタクシはこうして参ります」
「!?」
唐突だった。
そう広くもないはずの客車の中に、先程まで乗っていなかった者の声がした。
半ズボンスーツ姿をした、耽美な佇まいの、深窓の美少年といった雰囲気の何かが立っていた。
彼がただの美少年ではないと、ルネは知っている。知らずとも見れば分かる。あまりにも邪悪な気配の持ち主だ。
「あなた、ザレマ=ミライズ……」
「ええ。その通り。ワタクシめの名を覚え置いて下さいましたようで、全く誠に光栄にございます」
大魔女エヴェリスの契約者。
彼女に魔女の力を与えた下級悪魔。
ルネにとっても、度々邪悪な奇跡をもたらして助けてくれたビジネスパートナーだ。支払いはいつも、べらぼうだが。
現れる時はどこからともなくひょっこり現れる奴だから、こんな場所にいるとしても、別におかしくない。おかしいのはテンションだ。と言うか普段のテンションがおかしい。いつもテンション高く道化師めいた振る舞いをする彼が、今はどこか、しおらしく大人しかった。
こんな調子だと本当に耽美に思えてくるから冒涜的な話だ。
「今宵は姫様に一つ、警告をしに参りました。いえ、実のところ警告などできませぬ。そう、言うなれば、『ヒント』とでも表現するのが実に似つかわしくございましょう」
悪魔など、全てを嘲笑い騙すものだ。
笑顔も涙も信用できぬ。感情を読み取るルネの力も、悪魔に対しては実際どこまで信用してよいものか。
しかし、もし敢えて、眼前の彼から受けた印象を信じるのであれば、それは真摯な忠告だった。
「意味が、よく……」
「ワタクシが忠誠を誓うは、この世にただ一人。エヴェリス様をおいて他にございません。あの御方の名をお呼びする時、ワタクシはいつも……恐怖と憐憫によって厳粛な気持ちになるのです。ええ、悪魔とはもっといい加減に振る舞うべきものでございましょうが、はい」
考える暇すら与えず、ザレマ=ミライズは一方的に、自分が言いたいことをベラベラと喋り倒した。
ルネは必死で彼の言葉を一言一句違えぬよう、頭の中に書き留めた。
「お話は以上にございます。この謎かけを姫様が解き明かしてくれること、ワタクシは半ば望み、半ば望みませぬ。……では、これにて」
「あ、ちょっと!」
ザレマ=ミライズの姿は、それっきり、瞬時に掻き消える。
彼の力によるものか、不自然に眠りこけていたミアランゼが目を覚まして、身を起こした。
年末以降、信じられないほど忙しくて更新の間隔が開いてしまいました……
窮地はひとまず脱しました。
今年前半くらいまでは更新間隔が不規則になりそうですが、なるべく書けるようにしていきます。




