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[6-29] うたかたの絵空事

 魔城奥部の空気は、常に邪気を孕んで重くわだかまっているが、この日は一層、重かった。


 黒く滑るような質感の軍議の卓に、華やかな少女の姿の彼は、もう居ない。

 代わりに、堅物の雰囲気を漂わせる諜報エルフ・ガトルシャードが、一歩退いた位置で報告の書類を抱えていた。


「このようなことが……」


 岩を擦り合わせるような重い口調で、思わずと言った調子で、ガトルシャードは言葉を漏らす。


「失礼致しました。これは、ただの感想に過ぎませんでした」

「構わないわ。お陰で隠密衆の現状認識を確認できたと思うから」


 冷徹な仕事人でさえ、動揺を隠しきれていない。

 実務上の問題もさることながら、常に明るく人の輪を取り持つ彼は、大いなる潤滑油であった。それが突然消えたのだ。


 ノアキュリオ王都へ向かったトレイシーの連絡途絶……

 何があったのかさえも不明のままだ。

 彼がヘマをしたのだろうか。それとも信じがたいことではあるが、彼の想定と実力すら上回る何かがノアキュリオ王国には眠っていたのだろうか。


「もはやノアキュリオ王国の王都周辺に関しては、深い霧が掛かったように何も分からない状態です。全ての諜報は無力化され、成果を得たかと思えば誤情報を掴まされ、探る者が神隠しのように消えていきます」

「人材の浪費には気をつけて」

「……出たとこ勝負、しか、ないか」


 彼女にしては長考と言える時間、考えて、それからエヴェリスが口を開いた。

 アラスターもそれに応じる。


「国境防衛の要を陥落せしめ、ドラゴンどもの秘策も打ち破った。攻め時であることは間違いありません」

「その点に異論は無いわ。足を止める理由は無い」


 ルネも同意した。

 状況が見えないからと言って引き下がっていたら、いつまでも戦うべき相手と戦うことができない。

 そして現状に問題があるとしても、それは個別戦闘のレベルだ。軍の動きが止まるほどではない、と判断していた。


 普段より心持ち露出が少ない格好のエヴェリスは、肘と、豊満な胸部をだらしなく卓に乗せて、こめかみ辺りを揉んでいた。


「一応、ね。こんな策は下策も下策だけれど、一つ言っておくわ。私や姫様込みでノアキュリオの王都まで攻め上れば、相手のまやかしなど打ち破れる。ズルの手札が山ほどあるからね」

「……で、ありましょうな」

「手空きになった者を利用して、防諜の徹底を」

「はっ」

「それから、過去の記録を……」


 ルネがふと、思いつくと同時に口に出したのを聞いて、ガトルシャードは弾かれるような反応をした。

 彼が鉄面皮の下で、得たりとばかりに興奮するのを、ルネは見て取った。


「……ノアキュリオが最初からこうだったのか、ある時点から何かが変化したのか……もし変化があったなら、どの時点なのか割り出せないかしら」

「その件に関してですが、私の見立てでは六年前かと」


 軍議の卓に座す全員の視線が、万年仏頂面のエルフに集中した。

 彼は既に何かを掴んでいたのだ。


「この所見に関して、姫様と魔女様にご確認頂きたく、至急、資料をまとめております」

「理由は? 一旦、不正確な説明でもいいから」

「予想外の出来事が何も起こらなくなった、と言うべきでしょうか。正確には、起こってはいるのですが……物事の辻褄が()()()()()。一般的にはどのような国でも、無知と無能と、利害の綱引きから、信じがたい選択をしばしばするものですが……約六年前、ノアキュリオ王国の決断に『下限』が現れました」


 奇妙な視点にも思われたが、説得力があった。

 人は皆……いや、人に限らず、知的存在は全てが不完全なのだろう。だからミスはする。だが、そのミスの愚かしさには確かに優劣が存在する。物事の道理をどこまで弁えているかによって。


「六年前……我らが東の地に身を潜めていた頃か……」

「城作りも、概ね形になった時分だわね。枠がだいたい出来て『主動力の構成どうしようか』って言ってた頃」


 その時期に、ノアキュリオ王国に何か変化が起こった。


 宮廷を牛耳る『黒幕』の存在を、トレイシーは最後の報告でにおわせていた。

 おそらく、その時期に現れたのだ。諸侯の調停に右往左往するばかりだった宮廷を作り替え、国全体を統制する機関とした、何者かが……


「引き続き、分析を。何か分かったらすぐに報告なさい」

「はっ」


 ガトルシャードは恭しく、身体を二つ折りにするような礼をした。

 どんな損失が、喪失があろうと、しょげてなど居られない。誰もが必死に戦っているのだから。


 * * *


 軍議の後。


「……エヴェリス。少し、時間を貰っていいかしら」


 すぐに研究室に戻ろうとするエヴェリスを捕まえて、ルネは庭園に引っ張っていった。


 城上層部に作られたバルコニー状の庭園は、今日も爛漫に咲き誇る毒花で彩られていた。

 花粉にすら毒が混じっているはずだが、その程度はエヴェリスならあしらえるだろう。


「どうしたの改まって」

「別に……なんとなくね。あなたのことを知らなすぎた気がして」


 僅かに、ばつの悪さと気恥ずかしさを感じながらルネは言った。


「……誰が、いつ居なくなるか、分からないということに気がついたのよ」

「ごめん姫様、そこで私に声掛けてくれるの感激して良い?」


 エヴェリスは少し湿っぽく笑った。


 何か、大いなるやり残しを抱えてしまったという感情が、ルネの中に在った。

 過程はどうあれトレイシーは、最初期から仕えていた臣下。だが、戦いと国の運営にかまけて、彼について知ることも、彼に報いることも、半端なままで終わってしまったという気がした。


 そしてエヴェリスも。

 そもそもが侍女であるミアランゼとは、普段の生活で飽きるほど一緒に居るが、エヴェリスは仕事の虫だ。『仕事』の話は散々しながらも、隙あらば研究室に籠もる彼女と、のんびりした時間を過ごした経験は少なかった。


「まあ、分かるわよ。姫様のお気持ち。

 私らは『永遠』ってものを軽々しく享受しがちなのが悪癖だわ。

 決して不滅ではないはずなのにね」


 エヴェリスは花を一輪手折り、吐息に乗せて散らした。

 ふわりと芳香が立った。

 花びらが飛んでいく先を彼女は見つめていた。


「でも私、あらためて深く語るほどのことなんてそうそう無いのよねー。

 折角の機会に申し訳ないんだけどさ」

「何百年も魔女をやって、大戦を生き抜いて、二柱の魔王に仕えたのに?」

「それは私を構成する上っ面の情報かなあ。ただただ何かを作って、上手く行ったら万々歳。そんなことを何十年何百年と繰り返してるだけで……」


 普通、人間というのは、決して長くない数十年の人生の中でも、大いなる執着や焼け付くような後悔を生み出すものだ。

 だが、それより長く……ヘタをしたら千年以上生きているはずのエヴェリスは、酷くあっさりとしていた。

 そんなところも彼女らしい、と言えるのかも知れないが……


「時々、変な気分になるのよ。

 自分が空っぽみたいな……

 やるべきことをずっと探し続けているような……

 何か、やらなければいけないことを忘れているような……」

「……これだけバリバリ働いておいて、贅沢もいいとこじゃない」

「それはそう」


 流石にルネは、意外に思った。

 何事も愉しみを極めるような態度で事に当たっているエヴェリスが、思春期のモラトリアムみたいな悩みを持っているとは思わなかったから。


「と言いつつ、今の自分とか仕事とかは、自分史上でも結構好きだね。

 魔族はどうしても……『そういう生まれだから魔王軍で戦ってる』って奴が多いんだわ。

 亡国ウチは違うもんね。一兵卒までみんな色々ありすぎて、面白……面白いって言うのも失礼か。みんな、さ……」


 寸の間。

 自分を含む全てを、盤上の駒のように扱う彼女が、その時は静かに特定の一人に対して思いを馳せていた。


「ねえ、姫様。

 指一本でも見つかれば、私が元に戻したげるから。……ま、世界をひっくり返すなら、遅かれ早かれ結果は同じ……万象が崩れ積もる終焉の中で、遭うことになるのかも知れないけどね」


 ルネは無言を以て返答とした。

 願望であれ、予断であれ、自分が口に出したら裏切られる気がして。


 空を見ていたエヴェリスが、ふと、ルネの方に向き直る。


「姫様。それ、死んでる身体よね」

「そうだけど……」


 エヴェリスは、すい、と指先を返す。

 庭園に作られた人工的な小川の水が、一掬い、重力に反して浮かび上がった。


 それをエヴェリスは。


「えい」

「わぷっ」


 ルネに引っかけた。


 結果としてルネの両頬は、そぼ濡れ、水が滴る。

 本来なら死人の肉体に、涙を流す機能は無いが。


「気分だけでも」

「馬鹿」

「あははは、必要な時には胸を貸そうとも。余るほどデカいからね!」


 自分の前では突っ張らなくてもいいのだと言われた気がした。途方もなく長い時間を生きた魔女にしてみれば、確かにルネの意地などちっぽけなものだろう。

 ルネはただ乱暴に、手で頬を拭った。

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― 新着の感想 ―
向こうの視点を見ているだけに……なんかもにょるなー
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