[6-24] ハニー『トラップ』
「大儀であった」
ルネの言葉が、軍議の幕を切って落とした。
地獄のように全てが燃え落ちた戦場から、西へ後退した場所の、とある農村。
村の神殿の礼拝堂で、祭りの夜の晩餐みたいに机を置いて、そこが軍議の間とされていた。
軍議を見守る祭壇奥の神像は『古いもの』が打ち壊されて、真新しい邪神像にすげ替えられている。
ルネ、エヴェリス、トレイシー。前線指揮官のマニオと、他数名の主立った隊長たちなどが並ぶ。
『……あれを撃破できたのは、最悪中の最善であった』
ミアランゼが台座に乗せて捧げ持つ通話符が、アラスターの声で重く言った。
彼はリモート参加である。
「同意だわ。やりたい放題させて無事に帰させるのが最悪だったから」
「まさか同じものがまだまだある、ってことは無いよね?」
「それはなんともね。そこまでの無茶は無いと思いたい」
“黄昏の竜王”の複製分身は撃破された。
此度、使われた『複製分身製造装置(仮)』は、間違いなくドラゴンどもの切り札だったはずで、それを打ち破れたのは大いなる戦果。
さらに、“黄昏の竜王”の戦闘データを取ることができた。
倒せることも分かったし、相手の戦い方も分かった。次があれば(つまり仮に本物と戦うことになったら)もっと上手くやれるはずだ。
兵と兵器の喪失に見合う戦果だったとは言えるだろう。
言えるはずでは、あるのだが。
「結果的に敵の砦も防衛軍も無くなったから……それも、良かった、のよね……?」
『左様にございます。戦略的には状況は良くなっているはずですが……』
「……不気味」
何かを憚るように疑問符付きで現状を肯定した、ルネとアラスターの言葉を、トレイシーが引き取った。
「でしょ? ボクもそう思ってる」
その場に満ちた沈黙が、トレイシーの言葉を肯定した。
彼はちっとも笑っていない、真面目な顔で、そう言った。
「何もかも怪しいんだ。入念に偵察と諜報をしているはずなのに、いざ動くまでノアキュリオの動きが見えない。ずっとだよ。ボクたちは、絵が描かれた壁を見て論じているような気分だ。合間に混じる正しい情報さえ、投げ与えられたエサだったのかも知れない……」
怪談めいた話だった。
シエル=テイラ亡国は、情報・諜報を重視している。
敵は単純に兵力・国力で言えば格上ばかりなのだから、情報力くらいでは上回っていなければそもそも勝てない。
体制を造る下地もあった……エヴェリスとトレイシーの存在が、亡国を諜報大国へと導いた。
だが、それがノアキュリオには今ひとつ通用していない。
荒っぽく表現するならノアキュリオは良くも悪くも『数だけの国』だ。そのはずなのに、するりするりと亡国の手を躱して、一枚上手を行き続けている。
一つ一つの事例には説明も付く。
だが全ての情報を俯瞰する立場のトレイシーは、更に多くのかすかな違和感を感じている様子だった。
何かがある、と。
「だからボクが行く」
「行くって……王都へ?」
「ちゃんと調べてるのに分からなかったなら、あとはボクが行くしかない。こっちでやってる仕事は……一旦止まるけど」
現在トレイシーは、自ら前線で仕事をするより、組織の長としての仕事が主だ。
彼は亡国にとってかけがえのないパーツである。
だが、一兵卒としての彼が必要な場所とは、即ち、最も危険な潜入となる……
ルネも、トレイシーも、それを分かっていた。
「どう?」
「行きなさい。でもわたし、あなたを使い捨てる気は無いから」
「了解、姫様」
その言葉は、具申された意見の承認であり、『無事で帰れ』と『消滅ぬことも想定している』の狭間だった。
* * *
……ノアキュリオ王国、王都テビエカ。
300万以上の市民を抱える、王城を中心とした大大大都会は、もはや尋常の街壁には収まらぬ。
周囲の砦と関所を中心に、徹底した魔物の駆除と防衛体制の構築を行うことで、市街地の安全を守っていた。
人口と市街の広さに比例して、当たり前だが酒場も増える。
その酒場は『悪しき野犬』亭という名前だった。
……実は同じ名前の酒場がテビエカに三軒あるのだが、そのうち最も西に存在するもの。
冒険者向けと言いつつ誰でも入ってくるような大衆酒場である。
酒場の奥のテーブルで、トレイシーは酒をちびちび飲みながら、蜘蛛の巣のような人物相関図を紙に書いていた。
耐毒の訓練を積んだトレイシーは、並みの酒では酔わない。酒ごときで仕事の判断力を鈍らせることはなかった。酔ったふりだけなら完璧にこなすが。
――情報収集体制は機能していた。相手が変わったんだ。
テビエカに派遣していた間諜たちと連絡を取り、彼らの情報収集体制を確認し、情報網から最新の情報を集め……
数日の仕事を終えてトレイシーは、そう結論づけた。
――情報の、
蜘蛛の巣のような人物相関図のラインに、×を付ける。
――流れが、
×を付ける。
――断たれていってる。
×を付ける。×を付ける。×を付ける。
相関図の中に、ぽっかりと、島が浮かんだ。
もしくは『ドーナッツ』とでも表現するべきだろうか。
これはノアキュリオ宮中の情報の流れ。
王を中心とした数人だけが、その他の廷臣と切り離されて、浮き彫りの状態になっていた。
――見事なカマクラじゃないか。宮廷中枢の5,6人に全てが集中してる。
トレイシー自ら探りを入れて察知したのは、王が巧妙に廷臣たちを遠ざけている構図だった。
『カマクラ』の中に居る者が何を考えているか、知るための窓口は一つしかない。
――もし、この全員が口裏を合わせて『外側』に出す情報を調節していたら? ……普通そんなことはできない。どこかで綻ぶ。ウチの国じゃないんだから。だけどもし、何かの特殊な要因で、それが成立してしまったら?
考え込んでいたトレイシーは、酒場の入り口の鈴を鳴らして入ってきた客の姿を見て、考察を中断し、メモを仕舞った。
三十路くらいの、見るからに肉体労働者という男だった。
仕事で鍛えられた上半身はほぼ裸で、土埃に汚れていた。
「……とりあえずビールくれ、親父。あとはいつものやつで」
「あいよー。串焼き肉と、まじしおスープだな」
この店の常連である彼は、それだけで注文を済ませた。
トレイシーは隣のテーブルから、彼の姿を横目に確認する。
――巨大ゴーレムの残骸分析の結果、割り出された、最も新しい改修の痕跡。それを担当した大工兼魔動力技師集団……『ドグラ組』。彼は若手の纏め役のデリン。仕事上がりにいつもあの席に座る。
デリンの注文を取って厨房に戻っていく店主に、トレイシーは腰を浮かせて声を掛ける。
「ねえ、親父さん! アタシにも……きゃあ!?」
トレイシーは意図的に、器用なアクシデントを起こした。
立ち上がりかけたとき、丸テーブルの脚に自分の足を引っかけて揺らし、まだ中身が残った酒瓶を跳ね上げて、隣のテーブルに座るデリンの膝の上に転がしたのである。
「おうわっ!?」
「あっ……ご、ごめん、おじさん!」
「お、おいこら、いいって! もともと汚れてんだからよ!」
「じっとしてて!」
トレイシーはデリンの膝の上から酒瓶を回収し、酒がこぼれて濡れたズボンを強引に手ぬぐいで拭いた。
この時トレイシーは、大人びた少女剣客風の出で立ちをしていた。トレイシーは物腰や姿勢だけで、身長も体重も年齢も、柔軟に自分の見え方を変えることができるのだ。
デリンは目を白黒させて、されるがままにしていた。
「本当にごめん……その服弁償するかわりに、今夜のお酒奢るわ」
「そこまでさせられるかよ!」
「こう見えて! アタシ、優秀な冒険者なんだから。お金くらい持ってるわよ!」
「そ、そうか」
「だから遠慮しないで受け取って!」
厚底靴と姿勢で身長を誤魔化し、胸と尻に詰め物をすれば、ガキの身体には見えない。
成熟しかけた美しい少女に近寄られたら、大抵の男は悪い気などしないものだ。
状況が少し不自然であったとしても。
話を繋いでいるうち、トレイシーは自然に、デリンと同じテーブルに座っていた。
「その格好、大工さん?」
「おうよ、ドグラ組ってんだ」
「へえ? お城にも出入りしてるとこよね?」
「おお! よく知ってるな!」
「見た覚えあるのよ」
自尊心をくすぐられた男は、酒の勢いも手伝って、みるみるうちに舌を軽くする。
「ありゃ、いつだっけ……5年前だったかな。魔術塔を新しく造ったんだ。俺ら若手はそっちをやらされて……ベテランと、他にも何人か、秘密の仕事ってのをさせられてたなあ。聞いてみたけど誰も仕事の中身を言わねえんだ」
「あっれー? それアタシに言っちゃっていいの?」
「いいんだよ、俺は何も知らねえんだから! だははあ!」
トレイシーはからかいながら感心するフリをした。
その裏で、冷徹な思考を巡らせていた。
――ゴーレムの建造もしくは改修に、技術があるメンバーだけ引き抜いて使ったら怪しまれるから、組を丸ごと使ったんだ。そのための表向きのカモフラージュとして『ハブられチーム』にやらせる、どうでもいい仕事が、魔術塔の建設か……
現在トレイシーは、巨大ゴーレムがいつ完成したか、誰が何のためにあんなものを極秘で作ったか、追いかけようとしていた。そこに異常事態を解き明かす鍵があると信じて。
しかし、トレイシーの思考は脇道に逸れた。
――本当に?
違和感だろうか。
勘だろうか。
何かが、思考の側面に引っかかった。
「あなたが造ったのって、どんな塔だったの?」
「なんてことない、普通の魔術塔さ。居住スペースがあって、実験室があって。俺らがやったのはそこまでだ。新しい宮廷魔術師を囲ったんじゃねえか」
「……場所は?」
「場所? そりゃ宮殿ん中だよ」
「じゃなくてぇ、宮殿のどの辺りかってお話」
一瞬、デリンは質問の意図がくめない様子だった。
「中心部に近いとか、本城と直接、地下通路で繋がってたりしなかった?」
「おう! まさにそうだった」
それは高揚か、はたまた怖気か。
総毛立つほどに冷たい衝動が、トレイシーの全身を駆け抜けていた。
所詮は状況証拠だが、手元の情報と合わせると、新たな景色が見えてくる。
――居る。カマクラの中に、もうひとり。決して表舞台に立たない誰かが……!




