[6-20] 脱いでも魔力は上がらぬ模様
国旗を掲揚するポールみたいな長大な槍が、地より空へと放たれた。
重厚にして強靱な槍の柄には、地上まで伸びるアダマント製の鎖が繋がれている。
典型的な竜狩りの兵器。係竜索だ。
こんな馬鹿でかい『矢』が命中すれば、さしものドラゴンと言えど痛手となるし、地上に繋ぎ止める錨と成すことで、天を舞うドラゴンの動きを大きく制限できる。
一頭のレッドドラゴン目がけ、僅かに角度とタイミングを違えて、三本の係竜索が飛翔。
『おおおっ!』
ドラゴンが咆吼すると、それが力ある言葉だったのか、空を震わす衝撃波が迸った。
今まさにドラゴンの鱗に食いつこうとしていた竜化吸血鬼が数体まとめて消し飛ぶ。係竜索も弾かれて軌道を変えるが、うち一本が辛くも後肢に命中。
巨体を大地に繋ぎ止めるには至らず、脚一本をもぎ取って、巨大槍は地上に引き戻されていった。
そこを掠めて、ルネは飛ぶ。
炎を纏う尾撃に正面から立ち向かい、タイミングを合わせた≪短距離転移≫によって最短ですり抜ける。
ドラゴンの鱗よりも赤い軌跡を魔刃が描き、腹甲が裂けた。
「偵察からの情報は!?」
『……やっほー、姫様』
ルネが傍らを飛ぶゴーレムに声を掛けると、指揮官のマニオではない、意外で呑気な調子の声が聞こえた。
「トレイシー? どうして前線に?」
『ちょっと、ついでがあったからね』
『隠密頭』のトレイシー。
彼が亡国最優秀の隠密であることは論を待たないが、組織作り、情報分析、全体の方針策定の方が重要な仕事である故に、今はどうしても後方での仕事が忙しい状態だ。
気軽く前線に出て来ることはできなくなった。が、居れば当然心強い。
「敵のドラゴンが、おそらく増援を呼んだわ」
『聞いてる。戦闘開始時刻と、ドラゴンが現れたタイミングから、第一陣の待機場所はだいたい割ったよ。候補は三箇所かな。今、全部に偵察を飛ばした。それらしいのが来たらすぐに報せるね』
「流石」
とにかく、“黄昏の群れ”に関しては情報がなさ過ぎる。群れの頭数すら概算しか無い状態だ。
ある程度は出たとこ勝負で、相手の動きを見てから探り始めるしかなかった。
ドラゴンは、何の準備も無く身一つで現れて軍と戦える相手だ。
たとえば人族の空行騎兵が動くなら、騎獣の飼料が必要になる。騎手の装備も飯も必要になる。
平時より騎獣を育てておかなければならぬのだから、使おうと思えば準備が必要で、戦時にどれほどの数が出てくるか、事前の諜報で推測もできる。
だがドラゴンには、それが無い。
彼らの身軽さは、空行騎兵ともまた微妙に異なる色彩を帯びているのだ。
『どの程度、やるつもり?』
「対処不能な数のドラゴンが出てきたら、どうせ逃げ切れないから、戦力全喪失を覚悟で殺るだけ殺る……かな」
『まあ、逃げられないならそうするしかないもんね』
「相手が戦力を『出し得』になると、今後調子に乗って動くようになるでしょうから、そういう意味でもね」
ルネは炎のブレスの前に敢えて身を晒し、異空間への入り口を生み出してブレスを呑み込み、竜化吸血鬼の編隊を庇う。
そして、『出口』をサンダードラゴンに向かって作り、業火を纏う破壊の波動を撃ちだした。
味方のブレスを返されて、鱗を焼かれ破砕されたサンダードラゴンは、回転しながら吹き飛ばされたが、踏ん張るように翼を広げて宙に踏みとどまる。
「こっちも空行騎兵を呼んでるから、それ込みでなんとか。後は、何かの間違いで竜王が現れるなら首を取れるだけの策があれば……」
『それなら多分、もう大丈夫』
弾き飛ばされたサンダードラゴンの動きが空中で止まった、その瞬間。
そいつは苦痛にうめいた。
『うっ!?』
下方から真鍮色の鋲がいくつも飛んできて、翼を鱗を甲殻を破り、サンダードラゴンに突き刺さっていた。
見るからに痛そうだが、人間に喩えるなら釘でも刺さった程度の威力か……と、思われた瞬間。
『グオッ!?』
サンダードラゴンは、穴あきチーズ状態になった。
突き刺さった鋲を中心に何らかの魔法が発動し、球状に体組織を消滅させた。
それが体中で何カ所も発生したのだから、いくらドラゴンとて、生きてはおれぬ。
サンダードラゴンは重力の鎖に絡め取られ、飛行機雲のように撒き散らされる血の航跡を描きながら、真っ逆さまに墜落していって地響きを立てた。
『ボクはついでがあって来たんだ、って言ったでしょ』
「あら珍しい。戦場に出てくるなんて」
恐るべき破壊の鋲が、引き戻されていく。
その先に、コクピットだけ抜き出した戦闘機みたいなものが浮かんでいた。
小さな大砲かラッパ銃みたいな、無数の筒状の発射装置。懐中時計みたいな無数の計器。レバーやハンドル、そしてスイッチが、重力を無視して浮かんでいる。
概ね球状に並んだ機器類の、その中心にある座席に着くのは、真鍮のゴーグルを着け、漆黒のロングドレスを身に纏う魔女。
緊迫度に応じて露出度が減る彼女の、かなり本気な姿だった。
◇
その頃、地上。
砦の地下、遠話室にて。
砦を預かる守備隊長リベラは、困惑しつつ遠話の魔方陣に向かって訴えていた。
「しかし、ド、ドラゴンと、よりによってドラゴンとの共同攻撃など、どのように戦えば……彼らに戦いを任せて砦を守るわけにはいかぬのでしょうか! こちらの援軍も間もなく……」
『攻めよ』
容赦の無い声が響く。
リベラの訴えにも、遠話の向こうのジヨルエは、取り付く島も無い調子で返した。
『シエル=テイラは先の会戦の時点でさえ、対ドラゴン戦闘の備えをしていた。
放っておけばドラゴンと言えど、犠牲が出るやも知れぬ』
「既に……二頭が墜とされております」
『何だと!? 何をうかうかしておる!
攻め立てよ! 敵の地上戦力を掻き乱すのだ! さもなくば全てが無意味になる!』
ちなみに墜とされたドラゴンはこの時点で三頭になったのだが、リベラはまだそれを把握していなかった。
「確かにドラゴンは味方のように見えますが、あんな大雑把な攻撃を避けながら戦うのですか!?」
『そうだ! ドラゴンの側にも配慮するよう、こちらから申し送りをしてある』
「それはドラゴンに対して、秋の森で落ち葉を避けて虫を踏めと言うようなものです! あんな、あんなもの……」
リベラは、あの絶望的なまでの破壊をどう言葉にすればいいか、迷った様子だった。
最初の一撃で、確かに敵は消えたが、丁度あの場所で戦っていた味方も死んだ。
ドラゴンと共に戦うというのは、そういうことだと、リベラは思った。
ドラゴンはそもそも……考えてみれば当然なのだが……人族の生き死にに対する感覚が人族とは違いすぎる。巻き込まないよう頼まれても、大して深刻に考えてはおるまい。
味方だけ避けて攻撃するのが難しいと判断したら、『まあしょうがないか』でブレスを吐きかねない。
「……敵だけを狙い撃つなど、無理でございましょう。既に味方に犠牲が出ております。ブレスが降ってくる中に突撃すれば隊単位で吹き飛ぶやも……
仮に10人のうち1人が巻き添えになるとして、それは運が悪かったのだから諦めろと!? 私に、そう命じよと!?」
『そうだ』
ジヨルエの答えは重く静かで、リベラは、心臓を鷲掴みにされたような心地だった。
言い訳すらしないのか、と。
しかして。
『少し……事情を明かすが。
ドラゴンたちの大いなる協力を得るため、支払った代価は、決して安くない。
それを、口さがない者たちが『無駄遣いだ』と言い始めたら、国が揺らぐ。
しかし協力を深めていけば、我らは生き延びるだろう。分かるな?』
続くジヨルエの言葉に、リベラは理解した。
してしまった。
全て、仕方が無いのだと。
――そうか……『ドラゴンの協力を得て勝った』という実績が必要なのだ! 圧勝によって、同盟の価値を証明しなければ、諸侯に面目が立たなくなる! 引き分けは敗北だ。ドラゴンどもが攻撃を諦めて帰る前に、勝ちに行かなければならぬわけか!
ノアキュリオの王は、決して、ケーニスの皇帝のような強権は持たない。
むしろ、勝手に振る舞う諸侯をまとめるために右往左往しているのがいつものことだ。
ジヨルエは、いかなる代償を支払ったか口にしなかったが、諸侯が激しく反発するほどの何かだとは分かる。
それを王宮が勝手に決めたとなれば、国が空中分解する危機にもなるだろう。
こんな時に諸侯が王家に反目し、国が不安定になれば、戦う前に国が死ぬ。『強大な敵が目の前に居るのだから、問題は脇に置いて力を合わせよう』とはならないのだ。
王家と貴族たちの心がバラバラになれば、下手をすれば誰もが利己ではなく正義の心で、己の信じる勝利の道へ国を引っ張っていこうとして、国が八つ裂きになるのだと……リベラには、そんな未来が見通せた。
ドラゴンとの同盟を決めた王家の判断が正しかったか、分からない。もしかしたらジヨルエや、当の陛下にさえ、分からない。
しかし、もはや引き返すことは罷り成らず、その道に賭けるしかないのだ。
多くの命で代償を支払うことになろうとも。
『この一戦が大いなる分水嶺! 我が国の存亡が懸かっていると思え!
逃げ出す者が居たら、矢を射かけて撃ち殺しても構わん! 攻めて攻めて攻めて、圧倒的に勝利せよ!』
「はっ……!」
リベラは遠話室を飛び出すと、地上への階段を駆け上がった。
わけのわからぬ炎が、腹の底で燃えていた。
「全軍突撃だ……一歩たりとも後退はさせない。空の支配者たちが我らと矛を並べるであろう!
汚らわしいシエル=テイラの怪物どもを、我が国の領土から叩き出すのだ……!」
血を吐くように、己に言い聞かせるように呟きながら、リベラは砦の指揮所に躍り込んだ。
「やめておけ」
黒くて白くて赤い女が、リベラを待っていた。
その女は、メイドそのものの姿をしていた。漆黒のワンピースに、白いエプロンとヘッドドレス。
一見すると人間のようだが、しかし奇妙なことに彼女の頭部には、猫のような三角形の耳があった。
彼女は顔面も、エプロンも、真っ赤な血で汚れていた。まるで、自分より遥かに巨大な肉の塊に頭を突っ込んで血を啜ったかのような有様だ。
彼女の肌の上では、ひっきりなしに黄金の火花が弾けて火傷を作り、それがすぐに、粘土で塗り固めるように修復されていた。
女の真っ赤な双眸から放たれる、深紅の眼光を見てしまった瞬間、リベラの心は全てが満たされ、感動の涙が溢れてきた。




