[6-14] Record 083 中庸理論
その光景に、四人は絶句した。
「なんだよ……これ」
ジオ・スキャナーで確認した通りの、広大な地下空間だった。
天井は高く、水平方向は全く果てが見えない。五階建て以内のコロニーなら、まるごとすっぽり入りそうだ。
その場所が『洞窟のようだ』と辛うじて思えるのは、空間の天井部分から鍾乳石のような岩柱が垂れ下がっているからだ。
壁は遠すぎて見えないし、地面部分は空間全体を覆い尽くすものによって隠されていたから、洞窟らしいのかどうかさえ分からない。
コンバットスーツの暗視装置を通して空洞下部を見下ろしてみれば、血のような赤黒い液体の中に、頭も尾も存在しない何万匹もの肉の蛇が漬かって、横たわっていた。
そんなものが、果て無き地下空間をどこまでも満たしている。
正気を侵食するような冒涜的光景だった。
エヴェリスたちが着ているコンバットスーツには、空気中の異物や毒素を浄化する機能がある。幸い、その機能は十全に効果を発揮している様子だったが、バイザーのHMD表示には大気の危険を警告するアラートが点灯していた。
そして、消し去りきれずに微かに漏れてくる異臭だけでも、うんざりするには十分すぎた。
四人は、空間の天井に空けた穴付近にグラップルハンドで掴まっているわけだが、ワイヤーを伸ばして降下しようとは誰も言い出さなかった。
あれに近づいてはならないと、身体の全細胞が叫んでいるかのようだった。
「つまり、簡単に言おう。
俺たちが知っている世界は、こいつを地の底に繋ぎ止めて封じるためのリソースとして消費されてる。
下手すりゃ、デウス・エクス・マキナ自身の力の大部分も含めてな」
マルティーノは、彼自身がそれを信じているのかどうかさえ怪しい、慎重に探りつつ訝しむような口調で言った。
地上のインフラ・チェーンに深く関わった者や、頭の回る者は、一度は考えたことがあるはずだ。
『余剰資源はどこへ消えているのか』と。
全人類を管理下に置いて労働させ、デウス・エクス・マキナが生み出しているもの……電力や物理的資材、計算リソース等々。そのうち、コロニーの維持管理や人々の生活のために使われているものは、全体のほんの1割程度だ。
人類がデウス・エクス・マキナに搾取されていることはもはや言うに及ばないが……デウス・エクス・マキナは、上位クリアランスの役人と違い、贅沢をしない。天然肉など食わないし、計算リソースを浪費してAI合成ポルノを作っているわけでもない。
では、『彼』は人類から搾取したものを使って、何をしているのか。
マルティーノは、これが答えだと言う。
「デウス・エクス・マキナは、ただの機械じゃない。昔の人間が作った、ただの人類管理システムじゃない。
むしろ機械なのは『ガワ』だけだ。俺たちのコンバットスーツと同じだよ。
その中身は……言うなれば、神ってことか」
「神だって?」
ジョイは、Eランク合成魚肉を食ったときと同じ顔をした。
ジョイにとって……そしてその同志たちにとって、神とはデウス・エクス・マキナであり、打倒すべき巨悪であった。
古き迷信の時代の神を気取り、人類を管理する『ポンコツ野郎』。あれが本物の神かも知れないなんて、口が裂けても言ってはいけないことだ。『信仰者』の連中ではあるまいし。
「俺たちが、よりによってその名を口にするのか」
「要するに巨大なエネルギーを持つ意識体だ。そう表現すれば、あり得るだろう。
思い出せよ。『中庸理論』さ」
「おいおいおい、ここで中世暗黒宗教時代の話かよ」
「仮に、デウス・エクス・マキナによって歴史学が禁じられたことにも、何か意味があったとしたらどうだ」
「だとしたら奴は……己が『本当の神』である証拠を隠そうとしている……とでも?」
グレゴリオが25分ぶりに喋った。
スーツから露出させている、サイバネ化した彼の右腕で、ギアが高周波の音を立てて駆動していた。
神に届いたはずの右腕。
ただ単に電磁ナイフを突き立てる、というのは、あまりに無謀だったのかも知れない。片腕を失うだけで済んだのは、むしろ幸運だったのか。
大昔、中世暗黒宗教時代の迷信深い人々は、父なる上位存在が自分たちを見守っていると信じた。
そして世界には科学では説明できない奇っ怪な力が存在すると信じていた。
しかし人類の進歩と共に啓蒙の火が点されて、科学の力が全てを解き明かして、神も妖精も魔法も、全て消えた。そんなものは最初から、愚かで無知な人々の想像の中にしか存在しなかったのだと分かった。
そして人類は黄金時代を謳歌した。どこかのバカが、神の名を騙って人類を管理するポンコツを創り出すまでは。
……それがエヴェリスたちの知る歴史だ。禁じられた歴史学を各々、密かに学んで過去を知った。
だが、その内容すらも正しいとは限らないのだ。
本当に禁じられているとしたら、何故これほど多くの者が歴史を知っているのだろう?
仮に禁じられた学問すら、真実を隠すための作り話なのだとしたら、隠されていた本当の真実とは?
『神を騙り人類を管理する狂った機械』という、作り話。
その内側に、全く違う真実が存在するとしたら。
「……光も闇も無かった混沌の中庸から、光を生み出したとき、闇もまた生まれた……
なら、これが、デウス・エクス・マキナの……反対側?」
エヴェリスは、相変わらずコンバットスーツの胸のサイズが合っていないので前にかがめず、ぶら下がっている身体全体を傾けて下方の様子を見ていた。
「おそらく、な。
こんなものが存在する、という事実こそ、デウス・エクス・マキナの中身がまともじゃない証拠だと俺は思う」
中世の迷信においては、世界には光の神と闇の神が存在するとされ、人類は光の神に造られたのだと言われていたらしい。
全知全能たる人類の守護者と対を成す、全ての滅びの源……
そう説明するのなら、この眠れる冒涜的な肉塊にも、確かに説明が付くかも知れない。
馬鹿馬鹿しい妄想のようにも思われたが、では、他に、この光景をどう説明すればいいのだろう。現状と言い、今こうして見ているものと言い、非科学の極みではないか。
「こ、これがマイナスなら……プラスであるデウス・エクス・マキナとくっつけたら、ゼロに戻らないかな……」
エヴェリスは、あくまでも娯楽的な物語としてだが、旧き神話を学ぶことに傾倒した時期があった。
だからこそ、電波に周波数が合うように、現実離れした神話的な思考がすぐに頭に浮かんだ。
「そんな無茶苦茶な……」
グレゴリオは頭を振り、もはや理解が追いつかないという調子で唸る。
一方で、ジョイは何事か考えていた。
「エヴェリスの考えが正しいかどうかは、一旦どっちでもいい。
『このグロい肉塊を使えばデウス・エクス・マキナと戦えるんだ』ってハッタリかましゃあ、怖じ気づいた連中が、またやる気を出すはずだ」
さらりと楽しげに、彼は言う。
ジョイは、そういう考え方をする男だった。どんなものでも彼に掛かれば、人の心を弄ぶ手札になる。そして、ノせて、その気にさせて、喜んで動くよう仕向けてしまう。
天性の先導者……あるいは煽動者と言えるだろう。
ジョイが、その才覚を出世や多少のクレジットのためではなく、人類のために使おうと考えたのは、幸運なことか不幸なことか。それはまだ分からない。
少なくとも、次の戦いが終わるまでは。
「これでセクター2は動くだろう。
反撃開始だ」




