[6-10] 大爆発のあとしまつ
ノアキュリオ軍は全ての……つまり人命も含む……資源を消費して、最速での敵中突破を企図し、シエル=テイラ軍はそれを迎え撃った。
超大型ゴーレムの援護・救出が、ノアキュリオ軍の目的であることは明白だった。あのゴーレムは、それ以外の全軍よりも価値があったのだ。
故に、超大型ゴーレムの爆発四散が、合図だった。
ノアキュリオ軍は、自殺的と言うより無理心中的と評すべき総攻撃を仕掛けていたが、戦場後方で発生した大爆発を見て取るや、もはやこれ以上の戦闘続行は無意味と判断したか、退却を開始した。
倒れた軍馬と人間たちの死体を、えっちらおっちら踏み越えて、ノアキュリオ軍は逃げていく。
逃げる者の背中は、剣を突き立てるにも、矢を射かけるにも容易い獲物である。しかして、シエル=テイラ亡国軍の追撃もまばらであった。
戦闘はあまりにも激しすぎ、双方が傷つき、疲弊していた。唐突に戦いが終わって、破壊されたアンデッドとゴーレムの残骸が散乱する中で、生き残った亡国の兵たちは逃げ去る敵を見送った。
勝ちとも負けとも思えぬような、唐突で尻切れトンボな、戦闘終了だった。
* * *
戦いが止んで。
立派に設えられていた陣地は、たった一体のゴーレムの大暴れによって、荒れ果てた廃墟の様相を呈していた。
瓦礫や、折り砕かれた材木が散乱する中に、申し訳程度のテントや、魔法で土を練って作り上げた四角い部屋が並んだ。疲労困憊した兵たちは倒れ込んでいた。
ルネ自らの参戦と救援は、そのまま戦闘後の前線視察となった。
「皆、よく戦ってくれました」
ドレスが戦塵にまみれるのも構わず、ルネは陣の中を歩いた。
元よりルネは、返り血と泥にまみれることを厭わず戦い続けてきたのだが、それを直接見た者はやはり少ない。軍の規模が大きくなっている分、尚更のことだ。
荒れ果てた陣営にルネが姿を現したこと自体に……そして、そのルネこそが敵の超大型ゴーレムを打ち倒したのだと聞いて、驚く者も多かった。
「……≪屍兵修復≫」
戦いで損傷し、身動き取れずにいるアンデッドをルネは見舞い、邪な力を分け与える。
生者を癒やすことはあまり得意でないが、アンデッドの扱いは得手だった。
疲れを知らぬアンデッドの兵たちは、身体さえ直ればすぐに立ち上がり動き出す。
生きた兵の救護に、ゴーレム兵の修復に、そして陣地の再構築に。
急速に活力を取り戻しつつある陣地では、昼間だというのに空はうっすら暗くなり、闇色の霧が立ちこめ始めていた。それはルネの威光の色であった。生きている者たちにとっては少し、居心地が悪かったかも知れないが。
「ノアキュリオ王国は、世にも愚かな思い違いをしました。
全力で攻撃を仕掛ければ、我ら亡国の兵は容易く踏み潰され、恐れを成して逃げ出すだろうと。
現実はどうであったか……あなたたちこそが、よく知っていることでしょう。
大切なオモチャを壊してしまい、泣きながら帰って行ったのはどちらだったでしょうか?」
静寂の中で鳴らされた鈴のように、ルネの声はよく響いた。
戦場の王と言うよりも、物語を朗読する学び舎の少女の如く、ルネは歴史を物騙る。
「どうやらノアキュリオの皆さんは、先の一戦で戦争そのものを終わらせたかったようですね。きっと故郷で、湿気た揚げ魚でも食べる予定が入っているのでしょう。
では……彼らの望みを叶えて差し上げましょうか。
ノアキュリオの兵たちを、巣穴に蹴り返すのです」
無邪気な冗談めかしたルネの言葉に、野太い歓声が返った。
* * *
陣に築かれた即席砦の地上部分は、超大型ゴーレムの鉄腕で薙ぎ払われてしまったが、地下部分は無事であった。
そこには当然ながら、地脈に直結させて通信効率を高めた遠話室も存在している。
『……と言うわけで現状の分析では、連絡の齟齬か誰かの独断で、全く連携が取れないまま超大型ゴーレムが投入されてしまった、という線が有力かな』
『ご苦労』
部屋一杯に敷き詰められた魔方陣から、青白い光が立ち上り、遙か彼方の声を届けていた。
砦の地下に居るのはルネと、将軍たるキルベオ。
遠話の向こうの指揮所には、いつもの面々が集っていた。
当然ながらノアキュリオ軍内にはシエル=テイラのスパイも潜り込んでいるし、虫や鳥に偽装した偵察ゴーレム・使い魔などによってひっきりなしに盗聴が仕掛けられている。
たとえ軍の核心部から情報を拾えずとも、外縁の動きや関係者の反応から推理できる物事はあり……それによると『超大型ゴーレムの投入は事故の可能性が高い』というのがトレイシーの結論だった。
結果の重大さを考えれば、溜息が出るほど馬鹿馬鹿しい話だ。
……全ての重大な出来事に何者かの作為や企みがある、とは限らない。偶然の出来事が比類無き惨事をもたらすことも、ままあるのだった。
『それで、何万の兵と引き換えてでもゴーレムを無事に取り戻そうとしての全軍突撃命令だったっぽい。ここは戦闘前に騎士たちに説明されたみたいだし、確定で良さそう』
『結果として、この戦いは戦術も何も無く、双方の軍を正面からぶつけ合って互いに磨り潰しただけの、原始的な戦闘となったわけか……』
『ポジティブに考えるなら、相手は秘密兵器を有効に使えず無駄に失ってしまったんだから、ありがたい結果ではあるわ』
アラスターもエヴェリスも、悪夢にうなされているような声音だった。
『ノアキュリオは結局、巨大ゴーレムも取り戻せず、不本意な形で多くの兵を死なせた。今後、ノアキュリオでは政治的不和の嵐が吹き荒れるだろう』
『今後どころか現状、既に敵陣は不和不和だよ。不和不和』
『だが、それ以上に大きな問題は我が国、我が軍にこそ発生している』
『そうなのよねえ。
うちは戦術の優位で、損耗を抑えて勝つつもりだったもの。
磨り潰し合って勝ったら、次が続かないものね』
分かりきっていたことの確認だった。ルネは無言で事実を噛み締めた。
兵たちには都合良く希望を持たせつつ、ルネは現実を直視しなければならない。楽観主義は敗北への一里塚だ。
ノアキュリオ軍は、個々の力量と装備の質にこそ優れるが、内部の利害対立の結果として単純な戦術を採用しがちだ。付け入る隙は数多あるはずだった。
何をされたら一番困るかと言えば、ノアキュリオ軍が損害を厭わぬ捨て身の物量作戦に出たら、単純に控え戦力が少ないシエル=テイラが不利になるのだが、それは起こりえぬはずだった。
なにしろ『全体の勝利のためにお前は死ね』と、大勢に対して言う必要がある。ノアキュリオの平均的な騎士たちは、配下の農兵が死んだところで涙の一滴もこぼさぬだろうが、あまりに死なせれば領地の経営が揺らぐし、手柄を立てるための手駒が居なくなってしまう。
だが。
替えが効かない秘密兵器を失うという、更に大きな損失を回避するために、勢い、ノアキュリオ軍は破滅的な全軍突撃を敢行してしまった。
そして、秘密兵器の超大型ゴーレムがシエル=テイラの本陣で暴れている状況は、誰にとってもわかりやすい勝利の好機であり、攻撃を仕掛けることに合理性が生まれてしまった。
結果として誰が図ったわけでもないまま、戦いは防御を捨てた全力の殴り合いとなり、両軍に甚大な被害をもたらした。
『単純に数だけで言うなら、相手はまだ何回もおかわりを出せるわ。……本当に数の話だけするなら』
「根本的な……何らかの形での戦力補充が必要、という認識で合っているかしら」
『はい。私はそのように考えます。
雑兵の死体を掻き集めて下等なアンデッドを増やすだけでは、とても足りませぬ』
問題は多層的に捉える必要があった。
中長期的な戦力増強は既に準備しているが、それが足りるかどうかさえ再計算が必要になりそうだ。
そして、目の前の戦いに勝利するための戦力を如何に捻出するか。
頭数を揃えるだけなら、どうとでもなる。死体を掻き集めてアンデッドにすればいい。
だがそれでは本当に数だけだ。
数と同時に、ある程度の質を確保しなければ、敵が大駒を一つ二つ投入してくるだけで、戦線は容易く崩壊する。
『とは言え、近場で集められる戦力は集めた上での開戦だったもんなあ』
『傭兵の募集は成果が芳しくありません』
『ここはやはり、訓練期間短縮のための改造兵士構想を導入するしかないのでは!』
『高等アンデッドの生産ラインを拡充できませんか』
「エヴェリス。東部沿岸のサイコ・イルカたちは?」
『受け入れ態勢の整備が必要にはなるけど、既に関係構築ができているという意味では悪くないわね』
一通り、案が出たところで、短い沈黙を破ってアラスターが切り出す。
『僭越ながら、姫様。そして参謀長殿。
この期に及んでは魔王軍に助勢を求めるも策のうちかと』
先送りにしていた宿題の話だった。
魔王軍。
かつて大陸を征服しかけたが、今は大陸北東部の不毛の大地に押し込められている、魔物たちの軍勢。
あるいは、それを軸として成立する国。
もはや人類の脅威とは言い難い状態になってしまったが、単純に戦力だけで言うなら、魔王軍は未だ、シエル=テイラ亡国より遥かに強大だ。
そして、味方かは分からないが少なくとも、敵の敵ではある。
人族世界を滅ぼすという目的も大筋では合致している。
共闘できれば頼もしいのは確かだったが、今のところ、シエル=テイラ亡国は魔王軍と碌な接点を持っていない。
使節を送って挨拶したことくらいはあるが、それだけだった。
と言うのも、何しろ魔王軍は外の勢力と関わりを持つことにあまり積極的ではない。本来、魔王軍は魔王軍で唯一絶対の存在であるから、他の勢力と外交して関係を築き、協力するという考えがそもそも薄いのだ。
服従するなら受け入れてくれるだろうが、それでは意味がない。
ついでに言うなら、エヴェリスが権力闘争に敗れて出奔してきた組織なので、彼女をナンバー2に据えているシエル=テイラとしてはちょっと気まずいのもある。
『……私情を抜きにしても、あんまり気が進まないんだけどね。
今の魔王軍は悪い意味で官僚化して、組織として腐ってる。仮にどうにか交渉して援軍の約束を取り付けても、出てくるのが5年後とかになりかねないわよ』
『地方軍などと個別に交渉し、『出稼ぎ』をさせるのはいかがでしょう』
『これは魔物の気質の話なんだけど、利益よりも力による統制で動くのよ。
だから、そこまでするならうちの国に引き抜く気でやらないとだし、そしたら魔王軍本体とは関係悪化一直線だから、ちょっとねえ。
部隊レベルなら呼べる奴も居る……かなあ』
エヴェリスは具体的な誰かの顔を思い浮かべて、組織内の力学をシミュレートしているような口ぶりだった。
『試みる価値はあるけど、政治的なコストと多少の時間は掛かるわね。
後は姫様のご決断次第……かな』
「ねえ、『10』ではなく『9』を頼るのはどう?」
ルネの提案に、傍らのキルベオは、一瞬、意を図りかねた様子だった。
おそらく遠話の向こうのエヴェリスは、即座に意味を理解して、既に実現性の検討を始めているところだろうけれど。
「今、危険な展開があるとしたら、我が国の消耗を好機と見てディレッタが乗り出してくることでしょ。
いずれにせよ、牽制の必要はあるはず」
『あっちはあっちで面倒なんだけど……まあ、魔王軍よりゃ望みがありそうか』
冒険者ギルドが定めている、魔物の脅威度ランク。
最高位は『10』で、これは魔王のみを表す。
魔王に次ぐランク『9』は世界に五匹。……最近まで四匹だったが、遂に“怨獄の薔薇姫”もそこに名を連ねた。いずれも、人族世界の地図を変えうるほどの勢力を持つ者たちだ。
ノアキュリオを群れの根城とする“黄昏の竜王”。
ジレシュハタールの癌とでも言うべき“偽りの機神”。
ファライーヤの経済に寄生する“屍売り”。
そしてディレッタの闇の底には、神の下僕たちにとって最大最悪の敵が潜んでいる。
『了解、どうにか繋ぎを付けるわ。
この世界の表に居る唯一の真祖、“深淵の女公爵”と』




