[6-7] オリーナの巨人
キルベオは即座に叫んだ。
その判断と命令が、この戦いで敵味方の全てを見渡しても、最も価値のあるものとなった。
「緊急事態だ、戦略室に遠見と遠話を繋げ! 絶対に途絶えさせるな!」
『はっ!』
キルベオの脳裏をよぎったのは、先日、隠密頭と交わした雑談だ。
彼(男だというのが未だに信じられないが)曰く、『情報の価値を本当の意味で分かっている指導者は少ない』。
シエル=テイラ亡国の力とは何か。邪神手ずからの加護を受けた姫様や、抜きん出た戦闘力を持つ者たち、あるいは空飛ぶ城や国土のグラセルム鉱脈など、鮮やかに目立つ要素は数あれど、情報力なくして大国と戦えはしないだろうと。
知識の集積もそうであるし、他国の状態を知る情報収集、戦場における『目』と『耳』の数、そしてその正確さ……亡国は同規模の他国と比較して異常なほど、情報を重視する態勢を築いている。
なれば、その方針に従うべきであろうとキルベオは考えた。このゴーレムは存在自体予想が付かなかったもの。収集するべき情報の塊だし、国家戦略級の判断を今すぐせねばならぬやも分からぬ。ならば情報を手に入れるべきだと。
ゴーレムは、中身をくり抜いたら人が住めそうなほどの腕と足を振り回し、砦と陣地を軽々踏み潰していく。
振り下ろされる巨大な握りこぶしに向かって光の壁が展開されるが、それは脆く貫かれ、粒子となって散る。そして、その下に居た数人がまとめて圧死した。
「障壁も無意味か……!」
「将軍、早く後方へ!」
早くも周囲はパニック状態だった。
アンデッドやゴーレムの兵はどんな状況でも平静なので助かるが、人族や、一般の魔物はそうもいかない。武器も放り出して我先にと逃げ出していく。
逃げるのはいい。ほとんどの兵にとっては、この場に踏みとどまってもなにもできないのだから。しかし整然と秩序立って逃げなければ、なにしろ効率が悪いし犠牲者も出る。躓いて転んだゴブリンが、後続の逃走者たちにのしのし踏みつけられていた。確かめるまでもなく死んだだろう。
その、人魔の大波の頭上を駆け抜ける疾風一つ。
体重が無いかと思わせるほどの身軽さで、逃げ惑う者たちの鎧の肩当てを踏みつけ、飛び渡り、巨大ゴーレムの足に躍りかかる。
「ドウチョウ! アツリョク!」
清澄な金属音が鳴り響き、巨大ゴーレムのすねに火花が散った。
グールのサムライ・ウダノスケが抜刀一閃、斬り付けたのだ。
だが、いかな達人の剣と言えど、馬鹿でかい金属質の足にはうっすら傷を付けるにしか至らなかった。
「硬い! 刃が通らぬでござる!」
「下がれ! 闇雲にぶつかるな!」
――無理か。特殊戦闘兵級の猛者をぶつけたところで、無意味に消耗するだけだ。
ウダノスケほどの兵ならあるいはと、キルベオは一瞬期待したのだが、流石にこれ程のデカブツが相手では、そうもいかない。キルベオは即座に、淡い希望を切り捨てた。
『英雄の浪費』……それは古今東西の戦争における、典型的で致命的な負け筋の一つだ。たとえば千の軍勢をなぎ払えるような無双の英雄を、万の軍勢に挑ませて失う。英雄に希望を抱く指揮官の宿痾であるが、そんな負け方をすれば国力にすら大いなる痛手を負う。
「動きを鈍らせろ! ドラゴン用に用意していた係竜索を出せ!
前衛部隊には敵巨大ゴーレムの動きに惑わされず、その場に留まるよう伝達せよ。
あれが攪乱した隙に敵が流れ込んでくる!」
「将軍、まずは落とし穴を……」
「堀り巡らせろ! 囲え!」
命令が下るや術士たちが動き出す。
拳を振り上げた巨大ゴーレムの半身が、がたりと沈んでバランスを崩した。足下に大穴が空いて、片足が沈んだのだ。
大型ゴーレム対策として特によく使われるのが、掘や、落とし穴だ。
デカいゴーレムは当然に強いが、動きに融通が利かない。最も有効な魔法攻撃は、火の玉でも雷でもなく、地形を変えてずっこけさせることだった。
だが、巨大ゴーレム沈み込んだ足を引き抜きながら、辺りを腕で薙ぎ払う。
さらには物見櫓に手を伸ばし、それを引き抜くと目の前の砦に叩き付けた。即席の武器は強度が足りずに一撃で砕け、それを打ち付けられた砦の方も部屋が一つくらい無くなった。
「……でかすぎるか。
なら、分かった、まず片足を埋めろ!
砦が壊れても構わん!」
同時、伝令兵の捧げ持つ通話符が繰機兵長からの声を届ける。
『係竜索、配置完了しました』
「判断は各々に任せる!
流れ弾を味方に当てるなよ。撃てるときに撃て、貫ける部位を貫け」
『了解!』
巨大ゴーレムの右足だけが、どんどん地中に沈み始めた。魔法で地面に穴を開けているのだ。
そして、穴を掘るために掻き分けられた土は、堤防を築くようにゴーレムの足にまとわりついて、さらに身動きを封じていく。
そうして動きが鈍ったところに。
『撃てえ!』
大太鼓の音みたいに、重く空気を震わせる発射音。
柄に鎖を結わえた巨大な矢が、何本も飛んだ。矢とは言ったが、そいつは本当に巨大で、馬上槍の倍ほどはありそうだ。
そんな巨大な矢、『係竜索』が飛んで、巨大ゴーレムの装甲に跳ね返され……だが、うち数本は装甲が薄い部位を突き破り、突き立った。なにしろこいつは、空飛ぶドラゴンの鱗を貫いて、地上に繋ぎ止めるために用意した兵器だ。繋がれた鎖は、発射点に深く打ち込まれた杭に繋がってピンと張り、これまた動きを鈍らせる。
「どうだ……!?」
その様をキルベオは、ゴーレムが現れた側の反対の端の物見櫓から見ていた。
整然とこしらえたはずの陣地と砦は、かんしゃくを起こした子どもが暴れ回った後の部屋みたいに、崩れ壊れて、穴ぼこだらけで、酷く散らかされていた。
散らかっているのはおもちゃではなく、逃げ遅れた兵や、避難の時間を稼ぐために囮になった低級アンデッドの残骸だ。
その真ん中に、悪ガキならぬ巨大なゴーレムが蠢いている。
片足を地面に深く、股近くまで埋め込まれ、腰付近や関節部に矢が突き立って繋がれている。さらに追加の係竜索が打ち込まれ、突き立つ。
ここまでされては、さしもの巨大ゴーレムも流石に窮屈そうだ。
このまま動きを封じられるか、とキルベオは思いかけ、異変に気づく。
まるで騎士の兜みたいな、巨大ゴーレムの頭部。
そのスリットの向こうの青白い光が、増している。
ゴーレムの目が光っているのだろうか。そういう造りのゴーレムは何故だか多い。だがこれは光りすぎと言うか、何か異様な……
閃光。
一瞬の光に続いて、耳を打たれるような音。
ゴーレムの顔面から……兜のスリットのようだった部分から、膨大なエネルギーの奔流が吹き出した。
射線上の大気も、己に繋がっていた鎖も焼き溶かし、着弾点に蒼輝の大爆発を引き起こす。繰機兵長と繋がっていた通話符は、一瞬、死にかけの虫みたいな音を立てて永遠に沈黙した。
「……馬鹿げている……」
キルベオは思わず、呟きを漏らす。
あんな大出力の魔力投射砲は、都市防衛障壁でも防げるかどうか。どう見ても燃費は最悪の攻撃だから、何発撃てるか怪しいが、しかし、それが三発か四発か、というだけでも対処は変わる。
鎖を発射地点ごと吹き飛ばして拘束を減らしたゴーレムは、少しずつ、埋まった足を引っ張り出そうとしていた。
「ゴーレムの制御を奪えぬか!?」
「試みていますが、おそらく不可能です!
あの大きさでは内部導力の余波だけで、こちらの干渉を打ち消してしまいます!
熊みたいにデカい操作杖でも用意できるなら別ですが」
「仕方ない……
命令波の妨害だけでも続けよ」
『ご報告申し上げます!』
偵察の者に繋がる通話符が声を上げた。
『敵、出陣を確認!
農兵および市民兵80隊規模です!』
「待て。
正確に報告しろ。
敵は、今、出陣したというのか? 忍び寄っていた兵がこちらへ突撃してきたのではなく?」
『はい。その通りです』
「空行騎は?」
『姿は確認できますが、地上兵の動きを待っている様子です』
謎かけめいた奇妙な報告だった。
――何がどうなっている? 明らかに段取りがおかしい。そのくせ、民兵80隊となれば総攻撃もいいところだ。
この巨大ゴーレムは明らかに決戦兵器。
単騎駆けをさせただけで、こんな大惨事を引き起こしているわけだが、軍勢と共に進撃すれば脅威度は更に跳ね上がったはず。それをしない理由が分からない。まあ、ノアキュリオの軍の体制が非効率的なのは周知の事実だから、手柄争いの結果、ゴーレム操縦手が将軍の承諾を得ぬままあれを投入したと言うことも、あり得るかも知れないが……
キルベオは、思考を中断する。
うなじの毛が逆立つような感覚を覚えて。
殺気とは少し違う。予測。予感。
ゴーレムが、こちらに意識を向けている、気がした。
金が掛かっているゴーレムほど、頭が良い。
繰機兵の指示が無くとも、人が考える程度のことは、自己判断して動く。
「いかん。
総員、飛び降りろ! 着地ぐらいは自分でどうにかしろ!」
「将軍!?」
キルベオは剣を抱え、兜を押さえて、手すりをひらりと飛び越えた。
直後、ゴーレムの頭部から放たれた極大の閃光が、櫓の上半分をもぎとって消滅させた。
2月中はちょっと普段より更新が間延びすると思われます。
(ライター業多忙&コンテスト向け新作書き下ろしのため)
お待たせして申し訳ありませんがご了承ください……




