[6-6] ヨシ!
「睨み合いを続ければ、先に疲弊するのは向こうだ。
態勢が整い次第、仕掛けてくるだろう。
間もなくだ。皆、気を引き締めろ」
シエル=テイラ亡国『東方防衛軍』を預かる将、グロスウィエラ伯キルベオは、自ら陣を見回って檄を飛ばしていた。
シエル=テイラ亡国が、ノアキュリオの国境に軍を並べて、威圧を始めて早数週間。
ノアキュリオも、それに対応して軍勢を用意していた。
亡国は奇襲を仕掛けなかった。
古い流儀に則って使者を送り、開戦事由を並べて因縁を付けていた。
だがそれをノアキュリオ王国は黙殺。亡国がお行儀良く返事を待っている間に、何ら外交接触の無いまま、着々と戦争の準備を整えていた。
シエル=テイラ亡国は、敢えてそれを待った。筋を通した。後々の事を考えての判断で、ノアキュリオの動きもどうせ全て織り込み済みだ。
揃えられた武器と矢弾。魔石と多少の蒸気タンク。そして、アンデッドを修理したりグールの食料にしたり、色々と使い道がある冷凍保存の屍肉。
今すぐにでも起動できるよう、繰機兵たちによって整備されている戦略級魔導兵器。……整然と並んで出番まで立ち尽くすゴーレム兵団を含む。
魔法で築城された即席砦の壁上では、正確なリズムで歩哨が歩き回っていた。兵の士気は高く、剣を打ち合って自主的に訓練する者の姿もそこかしこに見受けられる。
周囲の様子を見ながらキルベオは、授けられた策を頭の中で幾度も反芻していた。
奇想天外な、異界の知識とすら思える戦術……参謀なる魔女から授けられた作戦。それは、1000年以上の戦いの経験から引き出されたものだという。
頭の中で戦盤の駒を動かして考えてみれば、確かに順当に行けば勝てそうだと思わされた。
――ノアキュリオ王国の戦術は未熟だ。
近年の戦いを研究しても、単純なことしかしていない。戦略に至っては、個々の騎士たちが利益を主張する以外に、存在するのか否かすら……
だが。それはノアキュリオを侮る理由にはならぬ。
勝ちの望みを抱きながら、しかし油断もしないよう、キルベオは己を戒めていた。
思い通りに事が運ばないのが、戦場というものだ。
――騎士たちの個々の武力と財力、そして広い国土から生まれる兵の数!
ノアキュリオは強大だ。
当たり方を少し間違えただけで、我が軍は粉微塵に消し飛ぶだろう。
人口は強さである。
5人の英雄に率いられた1000の軍勢と、10人の英雄が戦ったら、どちらが勝つだろうか。……状況次第だから確定的なことは言えないが、普通に考えたら後者だ。
人口が多ければ、突然変異的に生まれる強者の絶対数も増えるし、貴族たちの血筋を改良して才能の限界を引き上げる『血のプール』も広くなる。
故にこそ人口は強さであり、世界最大の人口を抱えるノアキュリオの軍は、強い。
――敵方に奇妙な動きがあるらしい、という情報も気に掛かる。
何が起こっても対応できるよう、構えておかなければ。
ノアキュリオが態勢を整えたとき、戦いは始まる。
それは今ではないだろうが、しかし、すぐ近くの未来だった。
*
同時刻。
ノアキュリオ軍の領域の、なんということもない丘の下に造られた、地下巨大空洞にて。
「こちらでございます」
「おお……これが陛下の……」
半端な城ならまるごと入ってしまいそうなほど巨大な洞窟は、一体のゴーレムの臨時格納庫とするためだけに、つい最近、魔法で造られた。
それは、空洞内に跪いていた。
立ち上がれば頭が天井にぶつかってしまうから。
太い太い腕と足は、艶やかに黒光りして、青緑の魔力光ラインが幾重にも迸る。関節を防護する装甲が盛り上がっているせいで、大きさも相まって、城壁を守る防塔みたいな有様だ。
頭部は騎士の兜の形ではあったが、それは面覆に見える部分のスリットから閃光を放つ、超大出力の魔力投射砲であった。
その、信じられないほど巨大なゴーレムを見上げる騎士が二人。
ノアキュリオの『神聖討伐軍』を率いる将、ゴボル侯ギュスターブ。
そして、諸侯戦力の寄せ集めである神聖討伐軍の一部隊として派遣された、王師軍(国王直属軍)の隊長、ジヨルエ・マルド・ティエレだ。
「『風車巨人』。
ちょうど魔力を流して駆動試験中です」
ジヨルエは金属質の巨人を見上げ、耳まで口が裂けそうなほど、にんまり笑っていた。
それは力のもたらす陶酔であった。
「70万枚の金貨を投入して作り上げた最強の決戦兵器……
使うのであれば、今を置いて他に無かろうと、陛下は仰せです」
「くはははは……こんなものに殴りつけられては、あの空飛ぶ城とて只では済まぬだろうな」
ジヨルエは、ギュスターブが自分と同じようにへらへら笑っているのを見て、露骨に顔をしかめる。
「……こやつは、あくまで陛下の財産だということをお忘れ無く。
我ら王師の管理するものです。投入の判断は王師が行います」
「分かっておりますともさ。
これだけの切り札を与えられながら、出し惜しんで勝利を逃したとあっては、王師の名は地に落ちましょう。
正しき判断をしてくれるものと信じておりますよ」
騎士たちは陰険な目配せをし合う。
軍全体の指揮を取っているのはギュスターブであるからして、自分の下で自分の思うように動けと言うのは、まあ正当性がある。
一方で、虎の子の超大型ゴーレムを出すからには、万が一にも失えぬ。こんなものを二つも三つも作り直したら国が傾く。協力して欲しいなら、快諾できるような作戦を立てろ、活躍のお膳立てをしろと王師軍が要求するのは、それもそれで当然だろう。
実際ジヨルエは、『風車巨人』の起動レバーをギュスターブに渡す気は毛頭、無かった。
「この『風車巨人』は極秘裏に建造されたもの。
戦地への移動も、大量の魔石をつぎ込み、転移にて行いました。
相手に気取られていない一度目が肝要です。陛下の剣が大いなる打撃を与えられるよう、使いどころはようくお考え頂きたい」
「どこにでも転移できるのですな?」
「ええ、陣の物見櫓から見下ろせるほどの距離なら、どこへでも」
「分かりました。有効に使いましょうとも」
二人の騎士の視線が火花を散らした。
これでも彼らはノアキュリオの騎士としてはかなり控えめで協力的な方だ。軍を構成する諸侯の部隊は、皆『自分だけは危険を冒さずに手柄が欲しい』と考えていて、そのためなら努力を惜しまない。
それでも負けたら全員が損をするから、なんだかんだで戦う。そうなれば数の多さと個々の強さで猛威となる。それがノアキュリオの戦争だった。
「おい、もういいぞ。動力を落とせ」
「かしこまりました」
ジヨルエが命じると、王師軍の繰機兵が応じた。
繰機兵は洞窟の隅で水晶板をせわしなくひっきりなしに並べ替えていたのだが、命令されて、羊皮紙のメモを見ながら、並べ替えのパターンを変えていく。
「あっ!?」
そして、絶望に凍った声を上げた。
洞窟全体が青い燐光に包まれた。
目もくらむほどの強烈さだ。それは巨大ゴーレムの足下から立ち上る魔力光だった。
青い光は、円を基軸とした幾何学的な紋様を、大空洞の底面に描いていた。
「転移陣!?」
「貴様、何をした!」
「も、申し訳、あ、ありませ……」
ガタガタと全身を震わせてへたり込み、もはや呂律も回らない様子の繰機兵は、どうにか言葉を絞り出す。
「…………間違えました!」
魔力光は一層強まり、次の瞬間には立ち消えた。
その時には大空洞は、全くのがらんどうになっていた。
*
それは唐突に、そこに居た。
日を遮る巨躯。
前代未聞の巨大さを持つ、ゴーレムが。
あと一歩足を動かせば、防壁を乗り越えて、駐屯地を踏み潰せる距離に。
何があっても対応できるように、とは思っていたが。
「………………これは、ないだろう」
キルベオが呟いた直後に、巨人の腕が地に振り下ろされた。




