[6-5] 祭りの日に現れる魔王の合理性に関する一考察
「さあご用とお急ぎでない方はよくよくよぉく聞いてくださいな!
我らが同盟に戦果あり。いやいやこいつぁ戦果だなんて生っちょろいもんじゃあない。
東の方じゃゴブリンが砦を作っていたもんだ。なんでかって? よく言うねえ、王国騎士どもがちょっかいを掛けてくるじゃないか。ゴブリンとどっちがバカか知れたもんじゃねえ……」
祝祭の紙吹雪が舞う街角で、朗読師が新聞片手に、面白おかしく講談をぶっていた。
ここは、いわゆる『北方小国群』の一つ、カルヒッセラ王国の王都。……旧王都、と呼ぶ者もある。
街中には、生花も造花も問わず、赤い花が飾られていた。その意味を、今やこの国の誰もが知っていよう。鮮やかな赤の花びらを見て、血を連想しない者も、また、居ないはずだ。
国を挙げての大祭りは『解放記念日』の祝祭。
北方相互防衛同盟が成立し、ノアキュリオ王国の駐留武官や大使が追い出された、二周年の記念日だった。
……建前の話を一旦忘れるのであれば、シエル=テイラ亡国が周辺国家を占領・併合してから二年目。亡国は豪勢に予算をつぎ込んで、新領地全体で祭りを催していた。
安っぽい政治宣伝だと見る向きも当然あったのだが、浮かれたおめでたい雰囲気でタダ酒が振る舞われたら、人は、本当におめでたいような気分になってくるものだ。
何より、これは力の誇示であった。
タダ酒が振る舞われると言っても、その量が尋常ではない。どれだけ準備をしたのか、飲んでも飲んでも次が出てくる。しかもそれが鉄くず臭い安酒ではなく、ドワーフが造ったという火を噴くように強い酒だの、エルフが造ったという花の香りの甘ったるい酒だの、見たこと無いような美酒が百花繚乱だ。
本物のバカは喜んで酒を飲むだけだが、少し頭が回る者なら恐ろしくなっただろう。準備して運んだのが酒ではなくて、例えば兵糧と矢弾であったなら、何ができただろうか、と。
さて。
祭りとなれば、書き入れ時だと、芸人なんぞは張り切って往来を賑やかす。
その中には、世の中の事件を面白おかしく騒いで伝える、講談師も居た。
「ところがその日は様子が違った。突然ドラゴンが現れた。
なにしろドラゴンだ、雲を突くようなでかさだ。身体がデカいもんだから声もデカい。天国にも地獄にも届くようなデカい声で言ったんだ。
『やい、うるさくて昼寝もできんぞ、ゴブリンめ。丸焼きにして頭から食ってやろう』と。
ドラゴンの不幸は、なんてこった、そこに姫様が居られたことだ。
紅玉の刃を抜き放ち、ずんばらりと……」
ノアキュリオ国境付近での事件は、もはや人々の知るところだった。
居合わせた者は少数だが、あれだけの大事だ、東方に展開中の軍全体が情報を共有している。さすればどこからか話は伝わる。
「すげえ話だとは思わないか?
ゴブリンみたいな、取るに足らないものさえ姫様はお救いになる!」
「バカ、よく考えろよ」
縁石に腰掛けた酔っぱらい二人が、人垣の後ろで講釈を聞いていた。
「そのゴブリンどもを守ったせいで、俺たちがドラゴンに殺されるかも知れないんだろ。
いい迷惑だ。ゴミみたいな魔物ごとき見殺しにすりゃ良かったんだ。
それができないんだから、結局、姫様とやらは魔物だよ。魔物の側だよ」
酒で顔を真っ赤にした男は、酒で軽くなったがよく回らない舌で、蕩々、まくし立てる。
酔っ払いは声もデカい。周りの者が眉をひそめようと、それすら目に入っていない。
そんな男の背後に、供の侍女を連れて通りすがる、どこぞの令嬢の姿があった。
「ミ」
「私が往来で突然人を殺すとお思いですか?」
「…………割と」
「流石は姫様。私をよくお分かりです」
件の姫様こと、ルネその人と、供として付き従うミアランゼだった。
ルネは金髪碧眼の少女の皮を被っており、ミアランゼも特徴的な耳や尻尾を隠して、ただの人間に化けていた。
「今は、それを、しません。
姫様がお困りになるからです」
「わ、分かったわ」
噛んで含めるようなミアランゼの言い方と迫力に、ルネは思わずたじろいだ。
「何故このように御自ら、市井の様子をご覧になりますので?
民の考えや、流行りの風聞でしたら、隠密衆がまとめて奏上致しますでしょうに」
「それは編集済みの情報よ。
わたしはプロの編集を信頼したいけれど、何か変化があったときに、自分で感じられるようにはしておかないと」
「お忍びでなくても視察はできましょう。
さすれば不埒者など近づけません」
「そうしたくないの。
別に悪口が聞きたいわけじゃなく……」
ルネは今こうして、お忍びで祭りの様子を見回っている。
ここ最近はずっと執務室に缶詰で、ようやく出かけたと思えば開戦準備を進める東部の視察。
このままではいけない、という気がして、何かにせかされるように街に飛び出してきた。さて、その気持ちをどう言い表すべきか。
「わたしが来ると分かっていると、皆、身構えてしまうから。
それは歓迎の態勢を組まれてしまうという意味でも、そうだし……気持ちの面でも」
「生魚と焼き魚の違いのようなものですか」
「そう……
ん? そうかな? そうかも……」
何か違う気もするが、とりあえずミアランゼが納得してくれるなら、それでよしということにした。
「あなたは、反対なの?」
「いいえ。全ては姫様のお心のままに」
言い切ってから、ミアランゼは、言葉が足りないと思ったようだ。
「……ありがたく勿体ないことだと私は思います。
姫様をお慕い申し上げる民草は確かに多く……ですが、それ以上に遙かに姫様は、民のために尽くしておいでです。
私はそれを時折……とても歯がゆく思います」
北国の短い春が始まろうとしていた。
街は賑わっていた。理由はタダ酒ばかりでもない。
ささやかで素朴な佇まいだった王都には、たった二年で自走馬車が走るようになり、拡張市街の工場区に突き立った真鍮色の煙突からは廃蒸気が漂う。
実験的に、強引に『蒸気化』を推し進めた街は(もちろん混乱が発生して犠牲者も出たが)発展し、少なくとも、新領地の人々の暮らしぶりは上向き始めていた。
「いいの。
わたしが求めているのは完璧な勝利ではなくて、現実的な勝利だから。
極論、国民全員に嫌われていたとしても、それで勝てるなら構わない」
王道を尽くそうとも、それが全ての人々に恩恵を与えるわけではないし、まして喜ばれるわけでもない。ルネはその点を自分でも驚くほどに割りきってた。理想の王になることも、人々に好かれることも、ルネの目的ではないのだから。
言い切ってから、ルネは、言葉が足りないと思った。
「でも、それはそれとして、わたしを想うあなたの忠誠は、得がたく素晴らしいものだと思う」
ぼふっ、と。ミアランゼのスカートの後ろ側が、内から突き上げられた。
「尻尾」
「っ……!」
犬は嬉しいと尻尾を振るが、猫は喜び甘えるときに、ぴんと尻尾を立てるのだ。
「ず、随行中に心乱すなどあってはならぬ事……
未熟の証と思い精進致します」
「行動と台詞が150°くらい違う」
ミアランゼはかがみ込んで頬を擦り付け、首筋を甘噛みしようとするものだから、ルネはその顔をぐいと押しのけた。
ゴロゴロと喉の音がして……
「……雷?」
違った。ミアランゼの喉が鳴る音ではない。
もっと重くて腹の底まで響くような音が、晴れた空から聞こえてきた。
そして突然、雷が落ちた。
「うわあっ!?」
間近の街路樹が落雷で裂けて、慌てて飛び退こうとした酔っ払いどもは、足がもつれて一回転した。
「あれは私のせいではありません」
「分かってる! あなたがやるなら直撃させるでしょ!」
「流石は姫様。私をよくお分かりです」
雷は雨あられと降りしきり、建物の屋根を砕く。
その音だけでも耳がおかしくなりそうだった。往来の人々は逃げ惑い、手近な建物に飛び込んで、逃げ遅れた子どもは泣きわめく。
空は晴れているのに……否、もう晴れてはいなかった。
不穏に分厚い雲がせり上がり、それが徐々に形を成していく。
それは、ドラゴンだった。
捏ねられた粘土のように、雲が形を変えて、本物のドラゴンより遙かに巨大な雲のドラゴンとなった。
そいつは地上を睥睨し、天国にも地獄にも届きそうな大声で、人間の言葉で、咆えた。
『呪われしシエル=テイラの不死姫と、その郎党!
そしてそれに従う、卑小なる人族どもに告ぐ!
愚弄には愚弄を。
貴様らには、やがて竜の災いがあろう!』
雲のドラゴンはそれだけ言うと、散り消えた。
空は青さを取り戻し、ひっきりなしの落雷も止まって、耳が鳴るほどの静寂が訪れる。
呼吸をすることすら恐れるかのように、人々はただ空を見上げて、わなないていた。
やがてノアキュリオとの戦端が開かれる。
その時、騎士だけが相手ではないのだと想像するのは、誰にとっても容易だった。




