[6-4] 落下距離(m)x3点
ルネがヴァンパイアの翼で羽ばたき、ドラゴンたちに向かっていくと、陽を照り返す艶やかな赤い鱗を持つ四頭のドラゴンは、畳んでいた翼と四肢を拡げて高速飛行にブレーキを掛ける。
『貴様が“怨獄の薔薇姫”か!』
雲すら消し飛ぶほどの咆吼。
ドラゴンは普段ならドラゴン語で話すのだろうが、飛行中だからなのか、咆えながら念話で話していて、おかげでルネにも理解できた。
『いかなる正当な理由があって“苔生す炎”卿を殺したか!
己こそが万象の頂にあり、支配者であると思い上がっているなら、よかろう! 圧倒的な力への畏れを思い出させてくれよう!』
『不死者が何するものぞ。死後まで数えて2,30年の赤ん坊が、ドラゴンに楯突くなど一万年早いわ!』
「流石ドラゴン、キレ方も頭良いわ」
戦闘態勢に入るや、ドラゴンたちは分度器とコンパスと定規で描いたような四角四面の軌跡で散会飛行。そこからルネに向かってきた。
『『ゴアアアアア!』』
炎のブレスだ。
二頭による、文字通りの十字砲火。そして僅かに時間差を置いて、さらに二頭。
なるほど、空を飛んでの戦いには相手に一日の長がある。ルネの飛行能力を見切って、初撃で体勢を崩し、ちょうど回避した先に時間差攻撃が直撃するよう図っている。
とは言え、食らってやる義理も無し。
≪短距離転移≫で射線から外れ、ルネはドラゴンのうち一頭と距離を詰める。
『転移か!』
そして、交差飛行しつつ翼を切り落とそうとした。
……のだが。
「!」
ドラゴンが、空中に踏ん張った。
そして鎗の穂先みたいな前肢の爪を振るう。真っ二つにされる寸前、ルネは剣で受けた。
弾き飛ばされたルネに炎の魔法弾が追いすがる。数で圧す攻撃なのに、一発一発が魔力投射砲の弾みたいな致命的威力。ルネは氷柱の魔法弾を打ち返し、相手の魔法弾を炸裂させて止めた。
見間違いではない。一瞬、と言うか数秒だが、確かに敵のドラゴンは空中に立った。
おそらく別のドラゴンが魔法で理力を発生させ、空中に一瞬、足場を発生させたのだ。
強大な魔力とブレスばかりがドラゴンではない。その巨体もまた、天災級の怪力を発揮する。制動が効きにくい空中で、地上のように器用に動き、踏ん張って殴りつければ、ふわふわ飛んでいるだけの標的はひとたまりもないだろう。
『おっほ……良い良い。ドラゴンがこんな戦い方するなんて!
“黄昏の群れ”はドラゴンの能力の活かし方を研究してるとは聞いたけど、なるほどねえ!』
「ねえなんか変な音が遠話に乗ってるんだけどポップコーン食べてる?」
腰に挟んだ通話符からは、地上で観戦するエヴェリスの声が聞こえていた。
『しぶといな』
『逃げられる前に片付けるぞ。合わせろ』
ドラゴンたちは、唸るように咆え交わす。
そして一斉に、牙を剥いた。
『ガアァアッ!』
瞬間、世界の色が変わった。
どう表現すればいいか、ルネには分からなかった。
なにしろそれは尋常ならざる、人の語彙には本来存在しないであろう感覚だったから。
分かる範囲で言うなら、乾きと熱さをルネは感じた。まるで、今の自分が生身の肉体であるかのように。
眼下の地表を、炎が走っていた。
ちょうどルネたちが居る場所の直下を中心に、野焼きのように、円形に炎が広がっている。
燃えているのは草だけでなく、土まで燃え尽きて真っ黒な無の砂漠と化していく。それだけでもおかしいのに、見上げれば頭上の雲にさえ火が付いて、黒い灰が風に舞う。……空に浮かんだ塵と水分の塊でしかないはずの雲が、綿毛のように燃えていた。
『えっ』
「『えっ』って言った!? 今!?」
エヴェリスが驚きの声を漏らし、ルネはそのことに驚いた。
彼女が驚くほどの出来事は少ない。
それだけの重大事だ。
何が起こっているか。ルネは、自分も似たようなことをやっているからこそ、察した。
部分的にだが、世界のルールが改変されている。
――魂源魔法に近い! 世界の在り方を定める奇跡の力……いくらドラゴンでも、そんな簡単に!?
辺りを乾かしているだけ……ではなさそうだ。
ドラゴンたちの重圧が増し、爪に牙に、喉の奥に、火が灯る。
世界を、焚き付けにしている。
ルネはそう思った。
『ウグオオオオオ! 魂の残滓すら残さぬ! 消えよぉ!』
炎の津波が押し寄せてきた。
四頭のドラゴンが一斉に炎のブレスを吐いた。先ほどまでと比べたら、数十頭分にもなろうかという恐るべき火力。圧力。膨大な光量の前で、もはやルネの視覚は役に立たず、魔法的な感覚で世界を知覚する。
そして、炎の中。
『ちょちょちょ……姫様!』
「これくらい大丈夫!」
ルネは、どちらを向いても炎しか存在しない中で、身を丸くして耐えていた。
炎はルネの周囲、数センチのところで避けて後ろに流れる。
傍からは、魔法の防壁なりなんなりで防御しているように見えるだろう。このブレスの奔流に晒されて長くは持たず、魔力が尽きれば死ぬと。
実際のところ、ルネは自分を包むクルミの殻のように、異なる法則の世界を断層のように生み出して、ブレスを逸らしているのだが。
『そうじゃない耐えて! データ取るから!』
「主君に無茶言うのね!? ボーナス削るわよ!?」
『ボーナスなら三人くらい減らしてもいいから!』
炎は防いでいるはずなのに、ルネは魂が軋むように感じた。
ただの熱ではない。なるほど、向こうも世界のルールを変えているなら、ルネの守りにも手が出せよう。
受け流す、痺れる、震える。そして。
限界が来る前に、ブレスを吹き付けるドラゴンたちの背後に転移した。
『抜け出た!?』
ドラゴンが驚く。
いかなる術者でも同時に行使できる魔法は一つ。防御しながら転移はできない。捕まえてしまえば削り殺して勝ちだと思っていたのだろう。生憎、先ほどのルネの防御は奇跡の力。魔法とは別の枠だった。
内蔵魔力もまだ残している……と言うか、ルネの特徴的な強さの一つは、常識からは桁が二つくらい違う内臓魔力容量だ。万全の状態であれば、基本的にスタミナ切れなど起こさない。転移系の魔法は全体に消費が重いのだが、ルネはそれを乱用できる。
旋回しようとするドラゴンたちに、ルネは背後から襲いかかった。
『来るか! 愚かな判断を悔いよ!』
ドラゴンの全身が、その赤い鱗が、燃え上がった。
――力を纏った!
ブレスを掻い潜って接近戦に持ち込んだところで、行使する力の総量は同じ。
パンチ一発が、先ほどの極大ブレスにも等しい。
そして、こいつらが空中でも地上戦を展開できるのは、先ほど見た通りだった。
だがルネは突撃。
そして組み合おうかという、瞬間。
虚空から金貨を取り出し、宙にぶちまけた。
『なっ!?』
『あっ!?』
収納魔法を模した、異界収納。
なんだかんだで現金も持ち歩いていると役に立つので、ルネは即金でお屋敷が買える程度の金額はいつも持ち歩いていた。
それを、金貨の流星群とした。
ドラゴンの性質として『財宝好き』は有名だ。
その執着は、人には理解が及ばぬ部分もあるほどで。戦いの最中でもドラゴンたちは、ほんの一瞬、まばゆく輝く金貨に視線を奪われた。
その、僅かでも気を逸らすというのが致命的だった。
かつて『中庸の者』が己を割いてこの世界を作ったとき、全ての存在が創世の力を持った。だがそれを用い、奇跡の力を行使するのであれば、自らの在り方を極限まで研ぎ澄ます必要がある。
早い話、雑念が混じった瞬間に、奇跡の力は散り消える。
炎が消えた。
ルネは勢いを落とさず突撃。
すれ違いざま深紅の魔剣で、前方のドラゴンの翼を裁ち落とした。
『ギゲエエアアアア!』
ドラゴンのうち一頭が、悲鳴を上げて墜落していく。
『貴様、よくも』
何かを言おうとした仲間のドラゴンの顔面に、今度は雷撃のアッパーカットが突き刺さった。
地上から突然立ち昇った稲妻は、意思あるかの如く迸り、ドラゴンどものアゴを正確にかち上げた。
焦げて割れた鱗が爆ぜ飛び、さらに着弾点で雷球が発生して電気ショックを展開。衝撃と電撃どちらによるものか、気絶したドラゴンたちが堕ちていく。
『あー……この試作品、失敗かもだわ』
暢気な声が、通話符から聞こえた。
見下ろせば地上のエヴェリスは、花火筒みたいなものをこちらに向けて構えていた。
『非致死性兵器のつもりだったのに、これはドラゴンじゃなきゃ死ぬわ』
断続的に四回、巨大な地響きがした。




