[6-3] 一頭だけなら
シエル=テイラ亡国は、南側の小国群を、『ノアキュリオからの保護』の名目で次々と勢力下に収めていった。
旧シエル=テイラを含む、俗に言う『北方小国群』は、ノアキュリオ王国とジレシュハタール連邦の狭間で長く争ってきた。それは時に両大国の代理戦争で、時には国情の混乱ゆえに生じた内乱で、あるいは権益の衝突による小競り合いでもあった。
特に東側の国々はノアキュリオを親分と仰ぐより他に無く、事実上の属国として強制的に庇護され、有形無形の代価を支払っていた(当然西側ではジレシュハタール連邦が同じ事をしている)。
それをシエル=テイラ亡国は『長く続いた不当な搾取』と非難。そして、ノアキュリオによる不当な要求から身を守る連合体の構築を一方的に提唱。安定維持という名目で派兵して堂々と国境侵犯した上で、周辺国に接触した。
もちろん、こんな提案をされて『はい』と言えるわけがない。
しかし、魔物の軍勢がやってきたというのに選択肢があろうか。いずれの国もシエル=テイラ亡国に対抗できるほどの軍事力など持たないのだ。
当然ながらノアキュリオはこの事態を座視せず、救援軍を派遣。
だがここでシエル=テイラ亡国の部隊は大方の予想に反し、ノアキュリオ軍と激突せず、周辺国家の国土内を逃げ回った。
軍事的威圧のために編成されていたのは、アンデッドを中心とした疲れ知らず補給要らずの部隊。人族の常識からはかけ離れた行軍速度が出せる。
ノアキュリオ軍は『防衛のために陣取るべき場所』がコロコロ変わり、かと言って亡国軍に追いついて叩き潰すこともできず、疲弊させられた。それは即ち、ノアキュリオ軍を受け入れた現地の負担でもあった。現地軍との協力や、別働隊を編制しての挟み撃ちも幾度か試みられたが、浮いた駒を逆に機動戦術で狙い撃たれる結果となった。
そうして散々、ノアキュリオ軍が役に立たぬところを見せつけ、彼らをからかうように目の前で威圧行脚をした末に、シエル=テイラ軍は満を持してノアキュリオ軍とぶつかった。
実際のところノアキュリオ軍は、派遣されたシエル=テイラ軍の部隊を悠々粉砕できるほどの戦力はあったはずなのだが、増援として突然現れたシエル=テイラ亡国のゴーレム兵団に目算を狂わされ、大敗を喫した。……もちろん、決戦までにさんざん引き回されて焦れていたのも、判断を誤った理由ではあろうが。
シエル=テイラの国土に眠るグラセルムは、高等ゴーレムの頭脳に用いる希少金属。領土を回復したシエル=テイラ亡国は、グラセルム資源を用いて急速にゴーレム兵団を整備していたのだ。予想されてはいたことだが、これまた常識外れの速度で生産と配備が進んでいた。ノアキュリオ王国の中では、ジレシュハタール連邦の全面支援が疑われたほどだった。
ともあれ、この一戦は抵抗する人々の心を折るに十分だった。
シエル=テイラ軍が敵以外に対しては全くもって紳士的で乱暴狼藉の類いを一切働かず(なにしろアンデッドとゴーレムばかりの部隊編成ゆえ規律と命令は絶対遵守だ)、周辺の魔物を飼い慣らして取り込み、賊の類いは徹底して討伐し、一般国民の安全にとってはむしろ利になっていたことも、情勢の変化を後押しした。
体裁だけは対等の軍事同盟として、実質的には無条件降伏による完全なる併呑として、シエル=テイラ亡国は周辺の小国群を征服。
税収、地脈から得られる魔力、そして人的資源……あらゆる面でリソースを拡大したシエル=テイラ亡国が、次に剣を向ける相手は当然のように、ノアキュリオ王国だった。
* * *
シエル=テイラ亡国の面々は、全速力で退却していた。
「事故、もしくは正当防衛を主張したいんだけど!?」
「そういう理屈が通用する相手ならいいんだけどね!」
大型自走トロッコ『火車』は動力炉から青い光を吐いて、その航跡を地上すれすれに残しながら疾走する。
積まれていた工具や建材は、安くて重くて機密が存在しないものから順番に放り出し、ぐんぐん速度を上げていた。まだ載っているのは捨てられない大事なものと、ゴブリンの繰機兵隊、そしてルネとエヴェリスだけだ。
シエル=テイラ亡国は、いよいよノアキュリオ王国との戦端を開こうとしていた。
だが、そのために『同盟国』の国境付近で準備をしていたところ、虫の居所が悪かったのか何なのか、近くを縄張りにしているドラゴンの逆鱗に触れてしまった。
よりによって、ちょうどルネが視察に来ていたものだから、話がややこしい方向に転がった。ルネはゴブリンの繰機兵隊を守るため、彼らを襲ったドラゴンを返り討ちにしたのだ。なにしろドラゴンとなれば天災級の脅威。ほどよく手加減して無力化することは叶わず、暴れ狂うドラゴンを殺害してしまった。
「ドラゴンたちは、ゴブリンだのグレムリンだのといった卑小な魔族を、庇護と引き換えに奴隷にしてる。
相手方のそれを殺すってのは軽微な警告のつもりだったんでしょう。でも私らには」
「国民」
「だものね。真面目なんだから」
エヴェリスは自ら軽快にハンドルをさばきながら、皮肉でもなさそうな調子で笑った。
シエル=テイラ亡国は、やがては復讐のために消費するべき、ルネの剣だ。
しかして、究極的目標のためにフレキシブルな対応をしすぎて、筋論をないがしろにすれば、かえって目標から遠ざかるとルネは考えていた。
ドラゴンとの衝突を避けるため、ゴブリンどもを見殺しにする選択もあった。後々、楽にはなっただろう。だが、民が不当に害されるとき、それを守らなければなんとする。問題は道徳よりも、国家が保障する秩序の強度だ。『べき論』は一度投げ捨てれば、いざというときに自分も使えなくなる。
『オオオオオオオッ!』
天地を揺るがす雷鳴のような咆吼が、車体をびりびり震わせた。
荷台に積まれたゴブリンたちが、ぎゃあぎゃあと恐慌の声を上げていた。
「来たわよ」
空は、抜けるように青かった。
雲よりはまだ低い場所に、日の光を遮る巨影が、三つ、四つ。
ドラゴンだ。
翼を拡げて、胴体が流線型になるよう脚を畳み、高速飛行の体勢を取っている。
こちらを空中から追跡しているのは明らかで、その証拠にルネは、土砂降りの大雨みたいに降ってくる敵意と殺意を感じ取っていた。
「話し合ってくれそう?」
「そういう気分にさせるしかなさそう!」
「了解、姫様」
若々しく、瑞々しい、純粋な怒りだ。状況を忘れて味わうなら、なかなか美味である。
何十歳か何百歳なのかも分からないが、ドラゴンとしては若者だろう。おそらく。
同族を殺されたと聞いて、血の気の多い連中が飛び出してきたのだ。感情任せの行動を戒めるべき年長者たちは、抑えきれなかったのか……計算ずくで、敢えて暴走を許したか。
エヴェリスは自走トロッコを停車させる。
追跡するドラゴンの速度を計算し、逃げ切るのは不可能と判断したのだ。逃げ込めそうな場所も周囲には無い。
ならば燃料には別の使い道がある。
ルネは深紅の魔剣を手の中に生み出し、助手席を飛び降りた。
「あいつらまで殺すのは、流石にあんまりオススメしないわよ」
「大丈夫、一頭目で感覚掴んだから。
ねえ、ドラゴンの翼って斬っても再生できる?」
「相手はドラゴンよ?
魔法と貯えた財宝で、なんでもしやがるわ。
連中の古傷ってだいたい、思い出とか戒めのために残してるだけだもん」
「要は殺さなきゃなんでもいいのね!」
そしてルネは、打ち出された矢のように空へ飛び出していった。




