[6-2] 黄昏の竜王
列強五大国の一、“太陽王国”ノアキュリオ。
大陸の中北部に広大な領土を持ち、大陸最大の人口を抱える国である。
ジレシュハタール連邦が『蒸気と歯車の国』と言われるように、ノアキュリオ王国を言い表すのであれば『騎士と冒険者の国』。
民が多ければ騎士まで多いのも道理だが、ノアキュリオは兄弟国のディレッタ神聖王国に比べると神殿の権威もまだ控えめで、ケーニス帝国のように王が絶対の権力を持つわけではない。さりとてファライーヤ共和国のように力と金を持つ民草が中心になって国を動かしているわけでもない。相対的に騎士がでかい顔をしてのさばっている国なのだ。
そして冒険者など世界のどこにでも存在するが、ノアキュリオ王国のそれは典型とされ、冒険者が片付けるべき仕事も多い。肥沃な国土は善き人々の営みの狭間に、闇をも育む土壌となるのだ。
跋扈する魔物たちの中でも、最大の存在と言えば、無論、ドラゴンだ。
ノアキュリオは世界最大の人口だけではなく、世界最大の『ドラゴン口』をも抱えている。
そのドラゴンたちの三割ほどが、一所に会していた。
王国西部、『無名山脈』の一角。鎗の穂先を並べたみたいな険しい山の上に、いくつもの巨影が座している。遠くからでもそれと分かるほどの壮観な景色だが、このドラゴン集会を視認できるような範囲に、人は住んでいない。
『人の世が騒がしい。巣に立ち入ろうとする盗人が減るのは助かるが……』
『やはりシエル=テイラは、まずノアキュリオと事を構えるつもりらしい』
『騎士どもが掃除を考え始めている。ドラゴンの巣が無ければ、奴らは軍を動かしやすくなるからな』
『亡国の連中がやってきたらどうする? 敵ではなかろうが、どれほど野蛮か』
『戦いになれば、人よりは厄介だぞ』
山脈に腰掛けたドラゴンたちが、唸り声のようなドラゴン語で鳴き交わす。
ドラゴンたちは数年に一度、こうして集まり、群れの方針を定めているのだ。ドラゴンたちの話題は、目下起ころうとしている戦争のことだ。
ノアキュリオ王国の北西の端に国境を接する小国……シエル=テイラ亡国。
かの国が、かつての王女のアンデッドと、彼女が率いる魔物たちによって征服されたのは記憶に新しい。人の国など、ドラゴンたちが昼寝をしている間に生まれては滅んでいくような儚いものだが、しかし此度は何か事情が違うと、皆、感じているようだった。
戦の気配だ。それも、己らにも影響を及ぼすような、大きな。
ドラゴンたちは皆、なにしろ頭が良い。お互いに未来予想をさえずり合って、何が起こるか、どうするべきか、まさに百家争鳴の有様だった。
『論に、能わず』
その中で、ただ一言。
岩が擦れ合うような重い唸り声を聞いて、かしましく咆え交わしていた強大なドラゴンたちが一斉に静まりかえった。
ひときわ高い峰の上に、とぐろを巻いたドラゴンあり。肉体は誰よりも大きく、重厚で。歳を歴て薄ら黒く染まった紅い鱗は、分厚く多重に発達し、彼が座す山脈そのものの一部みたいに逆立っていた。
世界最古のドラゴン。魔王に従わぬドラゴンたちの首魁。
“黄昏の竜王”。
それは冒険者ギルドとかいう与太者の集まりが勝手に付けた二つ名ではなく、ドラゴンが、ドラゴンの言葉で、彼を呼んだもの。
ノアキュリオ王国にドラゴンが多い理由は、“黄昏の竜王”が根城としているためであった。
『確かめるまでもないこと、だが……
我らの目的は、群れの繁栄。
要するは、血の結束を基とした、盤石の天地支配。
そのための備えはしてきたであろう?』
竜王の言葉を、牙の隙間から火の粉と共に漏れる唸りを、ドラゴンたちは謹聴していた。
『我らは千年、石を積む。その障害あらば、塵も残さず排除する。ただ、それだけだ。
強欲な人族どものように、縄張りの外に何かを求めたところで、得るものは無い。
雨が谷川を穿つように、風が山を削るように、粛々と栄えよ』
魔王軍の(……“黄昏”一派曰く『犬のように飼われている』)ドラゴンたちは、世界を征服してひっくり返し、人無き世界を実現するため動いているという。
一方で“黄昏の竜王”は、そんなよく分からぬことに興味は無い。ドラゴンの王国を作り、その群れを強大に、ただひたすら強大にしていくことが望みだ。
そしてそのためには、超然たる武力も、また必要だった。
ドラゴンによる地上支配には、それこそ万年かかるやも知れぬ。だとしても、そのために、今日、ひとつ石を積む。
……ドラゴンは寿命が長すぎる。故に積み重ねや貯えを尊ぶのだが、それと同時に、短期的で小さな努力を後回しにしがちな悪癖があった。長く生きていれば誰しもどこかで『宝物庫をまるごと呑み込む』大いなる好機に当たるわけで、ドラゴンはそれを逃さず食い尽くす方に重きを置きがちだ。これはエルフなどの長命種族にも言えることで、たとえば部族の統率を脱した『街エルフ』は、大概、怠惰に堕落していく。
“黄昏の竜王”の特徴は、ドラゴンらしからぬ勤勉な考え方にあった。
勇者でも軍隊でも魔王でも、何が来ようと叩き潰す。そのために備えてきた。
ドラゴンは強大で、悠久の時を生きる存在だが、反面、極めて繁殖力が低い。だからこそ、賭け事をするかのように無闇に戦うのではなく、長き時を費やす必要があった。なにしろ焦って縄張りを増やしても、そこを支配するドラゴンが足りない。
“黄昏の竜王”は、ドラゴンたち個々の力を鍛え、魔物どもを兵として、王国を築いてきた。必要なだけ、縄張りを拡げてきた。少しずつ、ゆっくりと。
そして……
『ご報告! ご報告!』
猛禽に似た劣種竜が、集会のど真ん中に飛び込んできてけたたましく囀った。
伝令だ。
『討ち取られり!
“苔生す炎”卿、討ち取られり!
シエル=テイラ亡国に! 討ち取られたり!』
竜王は、かっと目を見開き、同時に周囲三つの火山が噴火した。




