[6-63] 冷酷な復讐鬼
『わたしは元より、国を背負うべく生まれた身ではありません』
死体を積み上げた大きな荷車が、テイラ=ルアーレの大路をゆっくりと走っていた。
敵の死体も、味方の死体も、最初から死体だったものもある。いずれにせよ全てが再利用されることは確実だった。
大犬は火の粉を吐きながら、嫌な顔一つせずに大荷物を牽いていた。
『もし父と母の、そしてわたしの命が不当に奪われなければ、雪深き祖国の片隅にて、今も静かにささやかな営みを続けていたでしょう。
しかし、温かな灯火は、流れ落ちた血によって消し止められました』
城下では、自国民とディレッタ邦人の仕分けも行われていた。武装したスケルトンがずらりと並んで監視する中、市中引き回しされる罪人のように、ぞろぞろと人々が列を作っている。それを役人たちと隠密衆が、流れ作業で簡易的に取り調べていた。
旧王都の市民は、ひとまず身の上を自己申告させた上で、新たに構築された国民管理システムへの登録を進めていく。
ディレッタ人は……まあ、用途は色々あるだろう。
『我が国に何が起こったか、あらためて口にするまでもないことでしょう。
おぞましいほどの身勝手。力を持つ者らの私利私欲。真に成すべきを考えぬ蒙昧な怒り……
多くの人々の怠惰で愚かな考えが惨劇を生み出しました』
自動運転の蒸気荷車が、シエル=ルアーレの北門前までやってきた。
それは特に何も載せていなかったが、後尾に鎖を結わえ、数珠つなぎにして数匹のリザードマンを引きずっていた。
延々引きずられてきたらしいリザードマンどもは鱗がハゲて、既に胃液まで空っぽに吐き戻した状態。
もはや立ち上がることすらできぬ様子のリザードマンたちは、そのまま引っ立てられていった。
『わたしも、また……愚かだったと言えるでしょう。
人の世の善なるを信じていました。
心正しき者は報われると。罪を犯した者は裁かれると。悪徳は消え去る定めにあり、この世には幸福な秩序がやがて、あらんと』
壊れた城壁の上。半人半機の老ドワーフが、ヒゲを撫でながら石棺を睨んでいた。
異界から吹き出す奇怪な肉塊。今は石の塊に閉じ込めて無害化しているが、これをいつまでも抑えきれるか分からない。そもそも、湧き出てくるものの性質がいつまでも同じとも限らない。
どうやって封印すれば最も安全で、突然の異変にも対応できるか。同時に内部のものを解析できないか。彼は頭を悩ませていた。
実のところ、悩むのも解決策を考えるのも、それを作るのも楽しくて仕方がないわけだが。
『ああ、全ては間違いだったのだと、取り返しが付かなくなってからわたしは気がつきました。
わたしから全てを奪い去った者たちは……正義の側に、居たのです。
彼らが殺し奪うことさえ正義の戦いであり、賞賛され、咎められることなく、神々すらその背を照らした。奪われただけのわたしは、悪として貶められた』
シエル=ルアーレの拡張夢想炉が、一時、130%以上の出力を発揮した。
このことについて夢想炉の『中の人』は、何も起こらなかったと訴え計器の異常ではないかと主張した。その後、彼女は一日上機嫌だった。
同時刻、周辺に居た研究員が『虹色の目の女を見た』と報告しているが、いかなる監視機器にも該当する侵入者は捉えられていなかった。
『そんなわたしを、月は哀れみ、死せる命と一振りの剣を遣わしました。
わたしの戦いは、そこから始まりました』
王都の空を横切る、真昼の流星があった。
真鍮色の蝶たち……ジレシュハタール連邦製の監視ゴーレムだ。
もはや回収は諦めて、働けるだけ働かせるつもりなのだろう。おそらく昨夜の戦いの間も、こいつがずっと戦場を見ていたはず。
今更対処したところで何も変わらぬが、とは言え、見つけてしまった以上は放ってもおけぬ。
エルフの密偵は戦いに使われて放置されたままの弓を拾い上げ、四本の矢で四機のゴーレムを射落とした。
『家族の敵を討つまでは、そう長くありませんでした。
ですが、それは終わりではなく、まだ始まりのうちでした。
我が国を蚕食するけだものは数限りなく、世界中におりました。
惨禍を引き起こした者たちは、この地上で最も力を持つ……五つの正義、でした』
シエル=ルアーレの兵営区画にて、セレモニーに入りきらない兵たちが広間に集まっていた。
高所に掲げられた幻像盤にはゴーレムの視界が映し出されている。もう一つの城の中の風景、整然と並んだ儀仗兵たちの作る道が。
『正義とは、何なのでしょうか?
より多くの人数。より多くの富。より多くの軍事力。多数を生かすのであれば、幾ばくかの者を踏みつけ虐げ、搾取して省みずとも構わない。
わたしは踏まれたもののひとつ。堆く積み上げられた数多の屍のひとつ。血に染まった砂浜の、一粒の砂。
正義の手に掬われず、悪として貶められた全てを、誰が救うのでしょう?』
重厚な門扉が引き開けられた。
鋭い靴音。
銀色の少女が姿を現すと、金管楽器による熱狂的なファンファーレが鳴り響く。
『なれば……驕れる正義に、悪の鉄鎚を』
ルネは一歩一歩、進んだ。旧王城の奥へと。
それを迎えるのは士官や、一定の地位にある官吏。有力な商人や市民の代表者などだ。
表面的にはルネを歓迎し、歓声を上げている。その内実では数多の感情が渾然となっているのをルネは感じた。
熱狂している者から、仕方なく頭を垂れている者まで、居る。均すことはできないだろう。国とはそういうものだ。全ての想いを呑み込んで突き進む力が求められる。
『わたしたちは証明する。
わたしたちという損失の重さを。
踏み倒されるはずだった罪の重さを』
突貫工事で清められ、絨毯が敷かれた道。
ルネが進む先には謁見の間がある。長い間、正統な主が座すことなかった玉座が、そこにある。空白の玉座が。
主立った臣下たちが、そこでルネを待っていた。
ミアランゼは血の大槍を抱くような姿勢で玉座の傍らに跪いていた。侍女と言うよりも近衛の立ち位置だ。漆黒の皮膜の翼を笠のように拡げて、先っぽに花の咲いた尻尾がピンと立っていた。
トレイシーは、飾り気無くも可愛らしい黒のワンピース姿だった。彼が何者なのか見抜くことは、事情を知らぬ者には難しかろう。父に連れられて式典にやってきた貴人の令嬢のようだ。諜報機関の長であるからして、間違いなくこの国の首脳陣なのだが。
あまり表舞台に出たがらないエヴェリスも、今日ばかりはここに居た。奇怪な輝きの金属で絢爛に彩られた魔女装束は、豊満な胸部も太ももも丸出し同然で、まともな人族国家の宮廷なら確実に服装コードに引っかかる露出度だが、生憎ここは人の世に仇成す悪の国。力と自信を誇示する出で立ちこそ相応しい。
どう見ても高価なスーツを着た老グール。裃姿のグール・サムライ。獣骨の飾りと鞣し革のドレスを身に纏い、生きた花を腕に巻き付けたダークエルフ。ボディペイントの奇抜さを競う、上裸のオーガと犬獣人……
『皆、聞きなさい。
わたしが皆を救うことはないでしょう。
ですがわたしは、皆と共に滅びましょう。
この世の全てを諸共に焼き尽くし、聖なる罪に満ちた世界を、無に還しましょう。
その日まで、わたしの剣として力を尽くし、身を捧げなさい』
民に呼びかけるルネの言葉が、拡声されて響いていた。
城内だけではなく、城下にも。
そして世界が聞くだろう。世界中が耳をそばだてている。一挙手一投足に注目している。どうにかして言葉を拾ってきて、野火のように世界へ拡げるだろう。
ルネは、玉座に腰を下ろした。
だが、ここにのんびり座っていられる時間は無い。
歓声と拍手の中で、すぐまたルネは立ち上がり、そして深紅の魔刃を掲げた。
「…………滅びあれ!!」
魂から湧き上がるような叫び声が、轟き響き合った。




