[6-62] 誰も死から逃げられない
石壁に囲われた小部屋にて。
長距離転移陣の燐光の中から、機腕の男が姿を現した。
「ただいま」
「団長! 首尾は……」
「上手くいった」
バーティルは帰りを待っていた供の騎士に、短く告げた。殺人を誇る趣味は、彼には無かった。
旧シエル=テイラの第二王宮騎士団は、主として守りを担当する軍だった。
故に、国土をよく把握していた。そう努めた。
地形も、蜘蛛の巣のように張り巡らされた地脈の交差点も、知っていた。
バーティルはここしばらくの間、『王国』内を駆け回って諸侯との会談を重ねた。
その合間、国元から持ち込んだ大量の魔石を、野山に少しずつ隠して回ったのだ。自分一人が、地脈を通した長距離転移を重ね、乗り継ぎ、王都北からウェサラまで一瞬で行って帰るだけの……そのために必要な魔力リソースを。
そして今、それを使った。
今居るこの場所は、避難民キャンプの最寄りとなる地脈の交差点。
正確には、その地下にある廃墟。
かつて“ナイトパイソン”という犯罪組織が使っていた施設……要するに秘密基地だ。
密輸品倉庫、人質や人身売買のための牢屋、違法薬物製造用錬金工房など、実に盛りだくさんの悪事に使われていた形跡が見受けられる。
まあ、それは今はどうでもいい話だ。この廃墟がちょうど都合の良い場所にあって、利用価値が生じたというだけだ。
「王都の戦いの観測は、どうだった?」
「可能な限り、幻像を収集しました」
「なら、その記録だけ先に私が持って行こう。万一にも失えないからな」
真鍮製のパンケーキみたいな物体を、バーティルは部下から受け取った。
そして再び、転移魔方陣に踏み込もうとした時だ。
「な、なんだか知らんが、終わったのか?
じゃあ、俺らの仕事も、終わりか?」
背後から、おどおどとした様子の声が掛かって、バーティルは振り向く。
シエル=テイラ『亡国』の脱走兵の、リザードマンどもだ。
彼らはこの廃墟をどうにかして見つけ出したらしく、ここを隠れ家として野盗行為を働いていた。
バーティルはリザードマンたちを制圧して廃墟の地下施設を奪い取ったのだ。
制圧したリザードマンの半分くらいは牢屋に放り込み、残りの半分はバーティルが持ち込んだ蒸気供給装置(回し車型)に放り込んで延々走らせた。ちなみにメシはくれてやった。
「ああ。短い間だったが、協力感謝するよ」
初めて会ったときより一回り痩せた気がするリザードマンたちにバーティルは言いつつ、手のひらサイズのスイッチ端末を握り込んで起動した。
その瞬間、リザードマンどもの手足に嵌めていた蒸気式電磁枷が作動し、手首と手首を、足首と足首をぴたりとくっつけて拘束した。
手足を封じられて身動きできなくなったリザードマンたちは、訳も分からぬ様子で床に倒れ、水揚げされた魚のようにうごめくばかりだった。
「私は貴様らを『亡国』に引き渡す」
「なっ……!? い、インチキだ!
協力すれば殺さないと! 言っただろう!」
「私は殺さない。なにしろ外から来ている身だからね。
この国で罪を犯した者を、私が勝手に裁くようでは筋が通らないだろ? 司法権は私には無い。
だから正統な手続きに繋げるのさ」
拘束されて唖然とするリザードマンたちに、バーティルは冷たく言い放つ。
「……貴様らは野盗として、少なくとも50人は、この国の民を殺した。
とても友好的な気分にはなれないな」
絶望的な沈黙が流れ、それからリザードマンたちは、火を付けられたようにわめきだした。
「この畜生!」
「鱗無し! 殻無し!」
「乳啜り!」
『×××××!!』
「後は任せたぞ。
私は予定通り、一旦西に帰る」
「はっ!」
そして全く取り合わず、今度こそバーティルは転移陣に消えた。
*
夜も白々明け始めた王都市街では、残党狩りが行われていた。
街に散って隠れたディレッタ兵が、『風読み』によって、獣人の鼻によって、根こそぎ狩り出されていく。
「ぐおあっ!」
逃げようとした隠密兵が、犬獣人の丸太のような腕によって組み伏せられ、雪に濡れた石畳に顔を抑え付けられていた。
「気をつけろよ! なるべく生かして捕らえろとの仰せだ!」
「へい、隊長!」
「あ、生きてさえいれば手足ぶっちぎるくらいは構わねえからな」
そう言ったウヴルの方を、ディレッタ兵は地に伏したまま睨む。
人間というのは、怒りでここまで汚い表情を作れるのかと呆れるほどの形相で。
「なんのつもりだ、畜生ども……
私をアンデッドにできるとでも思っているのか?」
「まさか。てめぇらみんな、意味わかんねー加護とやらに守られてんだろ。
だから材料にはできねえ」
唾を吐きかけてやってもいいかと思ったが、代わりにウヴルは牙を剥いて笑う。
「殺しても無意味だから殺さねえ。
その代わり、てめぇは生と死の狭間で永遠に苦しみ続ける。
悲鳴、苦痛、屈辱、絶望……まあ、なんかそういうのが、あのお城の燃料になるんだとよ。
たっぷり役立ってもらうぜ」
ウヴルがそう言った途端、ディレッタ兵の顔が恐怖に歪んだ。
捕虜をなじって憂さ晴らしだなんて、下品で非生産的なことだとウヴルは思うが、それでも一つ、我慢のならぬことがあった。
ディレッタの兵はもっぱら、その身と魂を守る加護を受けている。邪悪な力によってアンデッドにされないためだ。死ねばその肉体は輝かしい灰となって散り、魂は直ちに神に抱かれ天へと引き上げられる。
……なれば命懸けの戦いも恐ろしくはなかろう。
より大きな権力に属し、金と、手前勝手な大儀を持つ者が都合よく救われるのだ。いくらディレッタでも雑兵までまともな加護は行き渡らない。
それなのに自分だけ安全圏に居ると分かって、さも勇敢であるかのように振る舞う輩が、気に食わなかった。
「連れてけ」
「この冒涜者どもが!
地獄の炎に焼かれてから後悔しても遅いぞ!」
「悪ぃな、俺たちゃとっくに焼かれてるからよぉ、後先のことなんざ怖くないね」
ウヴルは鼻で笑って、拳ほどの大きさをした干し肉の塊をまるごと口に放り込み、くちゃくちゃ噛みながら去って行った。
*
王都の北側市街は魔法によって地形すら変えられ、ちょっとした砦のような防衛陣地となっていた。
もっとも、それが機能するのは、守る側に守る動機がある限りだが。
亡国軍に包囲されたシエル=テイラ『王国』の騎士たちは、ベーリの死を知って投降した。
実際これ以上戦って何かを得られる状況ではなかった。
「……終わったか」
亡国兵に囲まれ、武装解除して膝を突いた騎士たちの、一人が言った。
「否。これは始まり。
我が国の穢れを雪ぎ、過ちを正し、新たなる時代を始めるのだ」
誰に言ったわけでもないだろう呟きに、一匹のグールが応えた。
彼は近衛のグール騎士たちを従えて、威圧的に靴音揃え、堂々と陣に踏み入った。
「ジェラルド公!?」
「あの話は……本当だったのか……」
アラスター・ダリル・ジェラルド。
旧シエル=テイラの公爵であった男。ルネに殺されてレブナントとなり、後にグールに作り替えられ、今は亡国の国軍元帥の地位にある。
頭は切れるが我欲の塊で、また平民や地位が低い者を軽んじて侮る悪癖があった。……のだが、アンデッドと化してルネに絶対服従の身となったことで、欠点の大部分を克服した。今はただただ優秀な指揮官だった。
この場に居る『王国』諸侯は、当然ながら10年前までジェラルド公と付き合いがあっただろう。明らかに生者のそれではない、蒼白な肉体の老爺を見て、皆、二の句が継げぬほどに驚いていた。
「ふむ……生憎、私自身の記憶は曖昧であるが、どうやら知った顔であるようだの」
アラスターは特に感慨も無さそうに、騎士たちを睥睨した。
仮に生前の記憶が残っていたとしても、おそらく彼は、こういう反応だっただろう。
「正統なるシエル=テイラ王・エルバート陛下の娘……ルネ・“薔薇の如き”・ルヴィア・シエル=テイラ殿下のお言葉である。
伏して拝聴せよ」
朗々とアラスターが言い放つと、グールたちは左右にさっと分かれて、後から来るルネに道を開く。
辺りは水を打ったように静まりかえった。
騎士たちは凍り付いてルネを凝視していたが、やがて五月雨式に頭を垂れ、地に擦り付けた。
覚悟を決めてこんな場所まで来たのだ。彼らも今更ルネを見て、震えるほどの恐怖など感じるまい。
だが、ただ彼らは敗北を悟り、頭を垂れるより他にできることは無いと悟ったのだろう。
「不忠の罪を問う前に、まずは、あなた方に労いと感謝を。
ディレッタ神聖王国の愚かしい苛政の下で、よく民を守ってくれました」
ルネはまず、内心とは裏腹な優しい言葉を掛けた。
当然そうしてきたのだろうな、という詰問であった。
実際、旧シエル=テイラの諸侯がこの地に残ってディレッタとの間に立ったことは、民にとっていくらかマシな展開だっただろうとルネは考えている。
「しかして、わたしに剣を向けたその罪は決して看過しがたきもの。
夜明けまでに選びなさい。
屍兵となって忠誠を示すか、斬首の罰にて罪を償うか」
無言。
だが、皆が聞いている。
地に伏す指に、力が籠もっていた。燃えるような後悔の念によって。
彼らの多くは、かつて王弟ヒルベルトについた裏切り者だ。
中にはそれを、素晴らしい正義の選択だと思って成した者もあろう。あるいは、己の地位を守るために仕方なくそうした者もあるだろう。
いずれにせよ、あれから時が流れ、彼らには自省するだけの猶予があった。裏切り者たちは皆、有形無形の何かを捨ててきた。そう理解するだけの時間もあった。
それでも『勝者の側に立ち、生き延びることができた』という事実が彼らにとって最も大きな肯定だったのだ。
今、ルネはそれを剥ぎ取った。頭上を照らす勝利という太陽の光は失われ、彼らは今、闇の中ではじめて本当の意味で己の罪を見た。
そうして罪を反省するか、他人のせいにして運命を呪うかは、まあ、それぞれだろうけれど。
「よいか……これは勿体なくも、お慈悲を賜ったのだと心得よ。
各々に事情もあろう。どうするのが己の名誉に適うか、あまり時間は無いが、よく考えるがよかろう」
アラスターの言葉にも、騎士たちは無言だった。
静寂の中で、地に伏す彼らの背中を、言葉の重みが軋ませていた。




