[6-60] 野蛮な力
「さて、これで一対一ね」
「嘘こけ」
いけしゃあしゃあと言ったルネに、ディアナは呆れた調子で返す。
そして二人の視線は、壊れかけた防塔三階の、歪んだ石床の一点で交わった。
すると、石床が内側から爆発した。
下階から、解体ハンマーを叩き付けたような一撃があったのだ。
そして、舞い飛ぶ瓦礫を隆々たる肉体で撥ね除けながら、飛び上がってくる者がある。
「気づかれたか。
どこかの猫野郎みてーにゃ行かねえや」
ずん、と重く着地したのは、ウヴルだ。
あの肉津波が封じられるなり、彼は地上を部下に任せて、戦いの場に急行して来た。
そして不意打ちを仕掛けようと潜んでいたようだが……ルネはもちろん、そこにウヴルが居ることを察知していたし、ディアナも神の全知に因ってか、あるいは彼女自身が気配を呼んでか、悟っていたようだ。
「姫様、助太刀つかまつります」
「犬獣人ねぇ……あんた、何者だい」
「シエル=テイラ亡国、獣人兵団長ウヴル!
闇奴隷の身分よりお救いくださった姫様のご恩に報いるため、馳せ参じた!」
神は地上の全てを見ているという。
対峙した相手のことぐらい、ディアナに告げるだろう。本来なら問うまでもないことだが、それでもディアナはウヴルに問うた。
知ってか知らずか、夜闇も揺らぐほどの声でウヴルは咆えた。
「アタシはディアナ。
故あって天使やってる……ううん、この言い方もなんだねえ。
滅月会を足抜けして冒険者になって、んでまあ、ルネと戦って死んだ女さ」
「ほう。それはまた難儀なこった。
それで自己紹介は終いか?」
「いや。だがお互い予定が詰まってるだろ」
「違いない」
絵画のように固まっていた戦局が、瞬時、怒濤に転じた。
ルネは突進。呪いの赤刃による、コンパクトで単純な、しかし渾身必殺の一突き。
聖気と邪気は相殺しうるもの。天使とは謂わば、聖なる亡霊。邪気の刃は聖気によって容易く砕かれようが、しかし天使に対する武器としては極めて有効なのだ。
金色の籠手が刃を弾く。黒白の火花が散った。
即座にルネは赤刃を放棄。魔剣テイラ=アユルに持ち替え、躍動的な連撃を放つ。一合二合、そして飛び上がり、ディアナの頭を飛び越えながら浴びせるような攻撃。
対してディアナは黄金の斧鎗を手の中で滑らせる。重さが無いかのように振り回して杖術的な所作で連撃をいなす。……そう、彼女はいつもの銀鞭ではなく、聖なる斧鎗を使っている。剣を主武装とするルネに合わせて武器を選んだのだろう。
その斧鎗すら叩き割る勢い。
ルネの攻撃を防いだ僅かな隙が狙い。
ウヴルの腕と肩が筋肉で恐ろしく隆起し、超重量の蛮剣が振るわれる!
ただただ、強烈な力。
いくら天使の武装と言えど、こんなものを正面から受け止めるのは得策ではない。
ディアナは攻撃を見切った。横薙ぎのフルスイングを、羽を畳んでくぐり……
「!」
ウヴルは、剣から片手を離していた。
器用にも……そして剣の重量と勢いを考えたらとんでもない膂力だが、右手のみで剣を保持。そして懐に飛び込んできたディアナ目がけ、左手の一撃。
ウヴルは左手に、鋭い爪を備えた手甲を身につけていた。猫獣人の戦士などが、好んで使うものだ。
交錯。
拮抗。
ディアナに蹴り弾かれたウヴルは、巨体にそぐわぬ身軽さで転がって跳ね起き、体勢を立て直す。
「≪神罰:石打戒≫!」
その、頬を掠めるほど近くを、神の礫がぶち抜いた。ディアナの武器の矛先から、聖なる石が生まれて飛んだ。
起き上がる瞬間、ウヴルは無理矢理に手を突いて脇に飛び、致命的な神罰を躱す。
聖気によって構成された石は、ウヴルの背後で分厚い壁にぶつかり、抉り取って砕いた。ウヴルは、ヒュウと口笛を吹く。
「……小洒落た穴開けパンチだ。
どんな書類もイチコロでひとまとめだな」
「必要なもんは束ねてやるから、早めにサインしな。
あの世の特等席はいつまでも空いてないよ」
言うディアナの頭上から、剣の雨が降る!
深紅の刃が、いくつも同時に。
ディアナは避けきれない赤刃を切り払いつつ、駆ける。さらに刃は降ってくる。そして床に当たって跳ね返り、赤い霧となって散る。
ルネは呪詛の剣を生み出しては、それをディアナの頭上に転移させ、≪念動≫の魔法で突き立てていた。
この魔刃はルネが、己の血と呪いから生み出すもの。大量に生成し、贅沢な投擲武器とすることも可能なのだ。
ディアナが飛ぶなら、これで翼に穴を開ける。
「鬱陶しいったら!」
ディアナは大げさなくらいに斧鎗を振り回しながらルネに迫る。
ひっきりなしに打ち込まれる赤刃の矢を切り払い、辺りの瓦礫などは容赦なく粉砕して。攻防一体なんて生やさしい言葉でこれを表現していいとは思えない。もはや黄金の竜巻だ。
ルネは赤刃を生み出し、擲ちながら、退く。
二歩下がり、三歩下がり。
ディアナの背後に躍りかかる巨影を見て、かかとで地を蹴り、前進に転じた。
ウヴルの蛮剣が。ルネの赤刃が。ディアナを挟み討つ。
「やっぱりそう来るか!」
ディアナはしかし、これに反応。
きびすを返しつつ、その勢いで鋭く斧鎗を振るい、ウヴルの蛮剣と打ち合う。
そうなれば背中がガラ空きだ。だが、同時、ディアナは純白の翼を大きく広げた。
ディアナが翼を大きく打ち仰ぐと、その内から、聖気の光が湧き上がった。
それは翼を構成する羽根という羽根の合間から、数えきれぬほどの光条となって、即ちそれは光の矢となる。
このデタラメな聖気の乱射に、ルネは至近で見舞われた。
全て直撃すれば大ダメージだ。ルネの身体が壊れうる。さすればディアナはウヴルを殺して逃げ去るだろう。ルネが身体を乗り換えて復帰するまでの間に、ルネの軍を荒らせる限り荒らすだろう。
もはや旧王都戦の勝敗は決したようなものだが、勝利を台無しにすることは、まだ、できる。
それをさせてはならぬ。そのために戦っているのだ。
ルネの身体が膨れ上がり、鱗に覆われ、銀の翼が夜を覆った。
ルネが取り込み、肉の津波を焼くために使った、機械化ワイバーンゾンビだ。ルネは再び、それに変化した。少女の肉体よりはいくらか頑丈だ。この姿で聖気を耐える。
己の身体を翼腕で包んで、正面突破を……
――やられた!
堅実に戦おうとした分、ルネの方が一歩遅かった。
ディアナはルネが思っていたよりも捨て身だった。彼女は神の戦略的判断によって、いくらでも身を捨てるだろうと、そうするしかないだろうと承知してはいたが。
背後に牽制の一撃を放ったきり。まるでウヴルを殺すのと引き換えにルネに滅されても構わぬとでも言うかのような、無茶な突撃だった。
「ぬうううん!」
「イアアアアアアアッ!」
ディアナは黄金の斧鎗で突き、払い、その柄で薙ぎ、穂先を突き立てて身体を支え回し蹴りを撃つ。
ウヴルの蛮剣が、弾き返される度に切り返し、滅多打ちを見舞う。
常人であれば鼓膜が破れそうなほどの重低音が、一瞬のうちに幾度も響く。
ディアナの方が、僅かに早い。
いかに怪力のウヴルと言えど、あんな超重量級の武器を棒きれみたいに振り回す、無茶な攻撃はいつまでも保たない!
戦いの流れが途切れ、二人は飛び離れる。
よろめいたウヴルにディアナは、斧鎗の穂先を突きつけた。
「≪神罰:火炙戒≫」
炎が熾きた。
ウヴルの足下から炎が生まれ、天を突くほどの勢いで吹き上がった。
聖なる戦いの象徴の一つ。人を、特に魔女を、焼くための魔法だ。
攻撃範囲はちょうど一人分。融通が効かないだけに、威力は激烈である。
直撃、に、見えた。
だがその攻撃の失敗を、ルネはすぐに察知した。
「……やりやがる」
ディアナは、賞賛と呆れが同居するような呟きを漏らした。
闘牛士がマントをひらめかせるように、ウヴルは鎧を……そう、背中部分を破壊して開きにした鎧をだ! 重いはずのそれを軽々、軍旗の如くに振り回して、異端を灼く裁きの炎を打ち払ったのだ。ベーリが着ていた、火竜の鱗の鎧だった。
神聖魔法で人族に有効打を与えうるものは少ない。炎が来ると読んで、最初からこれを使う気でいたのだろう。
自分の代わりに、モロに炎に巻かれて焼け焦げたベーリの死体を、ウヴルは蹴り飛ばす。
「チェーンギャングの手癖の悪さを!
舐めんじゃねええええっ!」
今度こそ二人の剣がディアナを捉えた。
交差する剣閃が、彼女を地に叩き付ける。
仰向けの状態で腕を突っ張り、彼女は斧鎗の柄で辛うじて、二本の剣を受け止めていた。
「……実は、ちょいと見込み違いをしていてね。
ここであんたがアタシと戦うなら、独りで来るか……まあ、古参の家臣と一緒だろうと思ったのさ。こないだの猫ちゃんとかね。
ところがどうだ。ポッと出のイイ男が大活躍じゃないか」
「もう、これは……」
ルネはディアナを押さえ込みながら、空いた手にもう一本、赤刃を生み出す。
「わたしだけの戦いじゃ、ないから!!」
光が爆ぜた。




