[5-59] ディストーション
同時刻。
旧シエル=テイラでも、現在の『王国』でも、東の果てに位置する大都市ウェサラ。
ジェラルド公爵領城の再建なる名目でおっ建てられた、しかしもはや誰もが『総督府』としか呼ばない神聖金白装飾の華美なる城館の、その地下、遠話室にて。
「まだオーレリオとは繋がらんのか!」
「申し訳ありません!
遠話を中継しようとしたのですが、観測部隊の拠点も繋がらず……」
「言い訳なら懺悔室でしろ! 手段は問わぬ、現地と遠和が可能な状態にしておけ!」
サミュエルは術士たちに怒鳴り散らしていた。
もはや戦況のことよりも、サミュエルが考えていたのはオーレリオに関してだ。
そもそもオーレリオも本来、此度の戦いにおいてはウェサラに退いてそこから指揮を執る方向で予定を立てていたのに、何やらよく分からぬ意地を出してテイラ=ルアーレに残った。
面倒くさい話だったが、脱出の手筈は十二分に備えさせた。落城しても彼一人は逃げられる……はずだった。
ところが何か妙なことが起こっている。
オーレリオの居る指揮所どころか、前線のどことも遠話が繋がらない。辛うじて通じていたのは別経路の通話符を持っていたベーリ王だけだが、どうも向こうから切断されてしまったらしい。
オーレリオに死なれてはまずい。
あのボンクラ次男すら溺愛していた、神聖王国一の親馬鹿クリストフォロに合わせる顔が無い。あの男は神殿の政治力そのものだ。クリストフォロの不興を買うことがどれほどの破滅であることか。
状況すら見えぬ中で、サミュエルは苛立ち、やきもきしていた。
「いいな、何かあればすぐに知らせるのだぞ!」
「「はっ!」」
震え上がる下級騎士たちを置いて、サミュエルは地上階へ出て行く。
階段を上りきった時にはもう、先ほどまでの焦燥は顔から消し去っていた。
深夜でも『総督府』の廊下は煌々と明るい。外は吹雪いているのに空調も整えられて、急いで歩けば汗ばむほどだ。
「お待たせ致しました、ラーゲルベック卿」
「いえいえ、お気遣い無く。お目にかかれまして光栄です」
湯気立つ蜂蜜茶を飲みながら、その男はサミュエルを待っていた。
西アユルサ王国、王宮騎士団長。“機腕の”バーティル・ラーゲルベック。
サミュエルが彼に会うのは三回目だった。
国家間の関係は敵対的で、バーティルは油断ならぬ男だが、どんな状況でも話ができる政治屋でもあると、サミュエルは承知していた。政治的な交渉や取引が必要なとき、使者を追い返すような真似はしない相手だ。そして政治的な話ができる相手なら、背負った国の力の差で好きなようにできる。
ここしばらく、彼がシエル=テイラ王国内に侵入し、野ネズミのように隠れて駆け回っているというのは分かっていた。
それが、よりによってサミュエルとの会談を望んできた。
しかも、この日この時を指定しての約束。夜中に。シエル=テイラ『亡国』の侵攻が予期されるタイミングに。
その意味が分からないサミュエルではない。戦いの結果を見て即座に、双方にとって最適な善後策を協議しようというのだ。
ずいぶん急ぐものだと思ったが、それくらいのスピード感はあった方が良いだろう。
実際、その性急さに助けられたとサミュエルは思っていた。
「お望みの商品は、最新の戦況ですかな。信仰促進官様」
サミュエルの心を読んだかのように、バーティルは言う。
西アユルサは、今宵の戦いを傍観している。
だが、見ていることだけは確実だった。
自前の『目』が使えなくなった以上、相手が西アユルサだろうと頼りたい。サミュエルは藁にも縋る心境だった。
「ほう。現に戦っている我らよりも多くをご存じと?」
「ええ。そのために準備を整えておりましたものでね」
いくら縋りたくても、下手に出れば足下を見られる。それが政治だ。
サミュエルはあくまで堂々と応じた。
「正体不明の化け物が現れたことは流石にご存じでしょう。
あれがディレッタの司令部を轢き潰した模様です。
その後、『亡国』と『王国』、天使の共闘により、化け物の封じ込めに成功。最終局面の戦いが始まっているようで……ああ」
バーティルは、手にしていたビー玉ほどの水晶をちらりと見た。
それはチカチカとカラフルに輝いている。色の組み合わせによって状況を伝える暗号符牒だ。
「……死んだか、ベーリ」
バーティルは感傷的な溜息をこぼす。
取引の材料にもなったであろう新鮮な情報が、タダで次々放り渡されて、サミュエルはバーティルの狙いが読めず困惑する。
次いで、その中身を吟味した。
「では、もはや……わが方には天使だけしか……」
「そうです。大将が討ち取られた以上、『王国』はもう戦えませんでしょう。
後は天使だけですが、あれはむしろ“怨獄の薔薇姫”を足止めできる駒としての意味が大きい。いくら天使と言えど、単騎でいかほど暴れられるか。
テイラ=ルアーレは『亡国』の手に落ちます。
しかしまあ、まだディレッタは勝ち目が無いでもない。やることは同じ、戦いで疲弊した『亡国』が回復する前に叩くわけですね」
「う、うむ。後は天使の働き次第だ。神は我らの戦いをご照覧になってくださるとも。
たとえ王都が落ちようと、それは敵を罠に引き込んだに過ぎぬ。次の戦にて我らは勝利するのだ」
「それを止めていただく」
「ほ?」
「もはや勝ち目の薄い戦いを、シクシクと続けてもディレッタは平気なのでしょうが、それで苦しむのはこの地の民です」
バーティルの言葉に対して、サミュエルが即座に怒りを表せなかったのは、あまりにもあり得ないことを言われたからだ。
西アユルサが不遜にもディレッタと交渉すると言うなら、勝手口から入って来る物売りのように卑屈でちょうど良いくらいだ。その上でディレッタに十分な利益を齎す提案をするなら、取引に応じてやってもいい。
それがサミュエルの面前で国家の方針について注文を付けるなど侮辱にも等しい。
「ところで私は……まあ、相手の名は状況を慮って伏せますが、1時間前に諸侯の一人と会談し、5分前には避難民キャンプの集会所で慰問として、眠れぬ夜を過ごす人々に会っておりました。
そして夜明けと共に橇馬車でキャンプを発って、西アユルサへ帰る予定です」
「何だと? それが本当なら、どうやって……」
サミュエルの言葉は断ち切られた。
身体に軽い衝撃を感じ、胸が焼け付くように感じた。
「……え?」
その攻撃は、長弓の弓弦が返るより遙かに静かで、肉を食い破る異音ばかりが聞こえるほどだった。
弩が矢を打つのと同じように、バーティルの機腕に仕込まれていた投擲刃が打ち出され、サミュエルの心臓を深々と突いていた。
普通は会談の場に武器など持ち込まぬ。
だが、『腕を置いていけ』とも言えぬ。
いや、そもそもあれが武器だという認識を誰も持っていなかった。ここまでバーティルを通した騎士も、サミュエル自身も。
「つまり『今この時、ウェサラにバーティル・ラーゲルベックが居る』というのは極めて不自然なのですよ。
下手をしたら模写影人とでも考える方が自然でしょう。
仮にそのバーティルが奇妙な行動を起こして姿を消したとしても、知らぬ存ぜぬ、あれは『亡国』が遣わした偽物だと言い張ることもできる。それでも私は疑われるでしょうが、まあ、いくらかは許容しましょう」
静かに蕩々と語るバーティルに、サミュエルは、何かを言おうとした。
それは恨み言だったかも知れないし、命乞いだったかも知れないのだが、もはや考えもまとまらなくなっていた。
そして声すら出ず、ただ血を吐いて膝を突く。
「不幸をお悔やみ申し上げます。
……あなたよりも、あなたの地位が悪かった」
どう聞いても心が籠もっていない弔辞を、バーティルは短く述べた。




