[5-58] とどめの一撃
ルネはワイバーンの翼で羽ばたき、地を蹴る。
ディアナに意識を割きながらも、まずはベーリへ。
王侯貴族や上流階級は婚姻において、家柄と並んで生体魔力の回路を重視する。言うなれば彼らは、品種改良が施された上位種だ。ほとんどが魔法の才能に満ち、鍛えれば身体的にも超人になれる。
ベーリは、騎士としては十人並みだが、あくまでそれは騎士の基準。決して、看過すべきザコとは言えなかった。
とは言え、ルネやディアナとの力差は歴然。
ルネにしてみれば一撫でで殺せる相手だ。
故にまず狙う。相手が共闘する気なら、まず状況をシンプルにする。
瘴炎のブレスを吹き付けながら、ルネは槍の穂先みたいな爪を突き出し、蹴りかかる。
ベーリはそこに、何か金色に光るものを投げつけた。
――『護符』を、投げた!?
魔法攻撃を防いで身代わりになるアイテム、『護符』。
本来は身につけて使うものだが、その場合、自分自身を強化する魔法や、味方からの支援すら防いでしまうという問題がある。
ベーリは無茶な手を使って、その制約をかいくぐった。迫り来る瘴毒のブレス目がけて、護符を投げつけた。
技、と言うよりもクソ度胸。
こんな使い方ではタイミングを外して失敗するだけで死ぬのに、平然とやれるのは並大抵ではない。
ブレスが爆ぜ割れる!
だが紫炎の残滓を蹴散らして、ルネは突貫。致命的な爪の一撃を狙う。
いくらなんでもベーリでは、ワイバーンゾンビの滑空突撃を受け止められぬだろう。
だからディアナが受け持つ。
そう、三人が同時に考えたようだった。
「はあっ!」
黄金の斧鎗が一閃、ルネを弾き飛ばした。
はじめからそうと分かっていたかのようにベーリは追いすがった。
僅かに飛行の体勢を崩したルネの、ワイバーンの翼。硬い鱗に守られた部位ではなく、翼膜に。
シエル=テイラの鉱石とディレッタの技術で作り上げた、黄金の聖剣が、一撃。切り裂く。
ルネは空中で前転でもするみたいに、強いて姿勢を変え、頭突きと言っていい勢いでベーリに噛み付く。今のルネの力なら、鎧すらレタスのように咀嚼できるだろう。
「ぬっ!」
避ける、いや、避けきれずベーリは、ルネの頭を抱え込む。
その頭をルネは思いっきり、手近な石壁に叩き付けた。堅牢な城壁の石壁が無残に割れ砕けた。
「≪信仰爆発≫!」
さらにもう一撃、というところにディアナが魔法を叩き付ける。青白い聖気の爆発が、ほんの一瞬、辺りを真昼の如く照らした。
純粋な聖気の魔法は、人族にはほぼ(あるいは全く)効果が無い。ベーリも火傷くらいは負うだろうが、それを許容しての攻撃だった。
ルネは火傷では済まない。ワイバーンの鱗がジクジクと泡立ち溶解するほどだった。
この身体ではむしろ不利だとルネは判断し、少女の姿に戻る。
自分のしがみついていた、竜の大顎が突然消えて、肩透かしとなったベーリは放り出された。
尻餅をついたベーリに向かって、ルネは≪短距離転移≫。
二歩の距離を零の時間で詰め寄り、ベーリの背後に立つ。そして魔剣テイラ=アユルを逆手に構え、突き下ろす。
「くっ!」
自ら仰向けになってベーリは、突き下ろされた刃に聖剣を合わせ、防いだ。火花が散る。
さらに突き下ろす。ベーリは転げて回避。そして身体のバネで起き上がる。
「イィアアアアアッ!!」
ディアナの蹴り。
生者であった頃から、彼女は足だけでオーガを蹴倒すほどだった。
槍の鋭さと戦鎚の重さを備えた蹴りを、ルネは≪短距離転移≫で空振らせ、深紅の魔剣とテイラ=アユルの二刀流で、風車の如く斬りかかる。
斧鎗の穂先、石突き。そして手甲でディアナは防ぐ!
肉薄。
ディアナの手がルネのドレスを掴んだ。
投げ技と言うには粗暴すぎる動きで、ディアナはルネを引き寄せ、斧鎗の穂先に突き刺そうとする。
ルネはテイラ=アユルを投げ上げた。
「何!?」
そして、転移。
ディアナの手から抜け出す。
投げ上げたテイラ=アユルを、空中に転移し、自らキャッチして振り下ろす。
……という、フェイントだ。
ルネはディアナの足下、すぐそこに這うような姿勢で姿を現した。
「≪衝撃≫!」
「うおっ!」
至近距離から理力の魔法!
ディアナは手甲で防いだ。防がせた。
この衝撃を受けて砕けぬとは、さすが天使の防具は格が違うが、しかし真下からの衝撃では踏ん張りもきかず、ディアナは大きく打ち上げられる。
――八秒。
猶予、八秒。ルネはそう見積もった。
打ち上げられ、風に舞う木の葉のように回転していたディアナは、無理矢理に羽ばたいて体勢を立て直す。
「おおおおおおお!!」
裂帛の気合いと共に、ベーリが剣を叩き付けてくる。
八秒あれば、殺されるには十分。故に、この一瞬に賭けたのだ。
――いや。
そうだろうか。
合理的な気もしたが、捨て身過ぎる。
死にに来ているような破れかぶれの攻撃。
これはまるで、ルネが身体を使い捨てる時のような戦い方。
ルネの脳裏に閃きが走る。古い記憶が。
ルネは、落ちてきたテイラ=アユルを手に取り、まず一撃。
舐めるような、殺せるが浅い、一撃。
ベーリの鎧を裂き、服を裂き、しかし……吸い込まれるような奇妙な手応え。肉が全く切れない。
ルネは即座に刃を返す。二の太刀。
ベーリの顔色が変わった。
刃がベーリの肉体を舐める。まだ斬れない。
ルネはベーリを蹴り飛ばし、体勢を崩す。
間断無き三の太刀。斬り上げた剣はつるりと滑り、しかし最後に、ベーリの鼻の先を裂いた。
手首を返して剣を溜め、ルネは今度こそ渾身の突きを繰り出す。
鎧を巻き込んで穿孔し、深々、血まみれの刃はベーリの背から飛び出した。
「その技は、知ってるわ」
ディレッタの聖獣が用いる技……『贖いの生贄』と呼ばれる、縁を結んだ相手の傷を、自分に移して守るもの。
ルネはかつて、その技を用いる歪んだ聖獣と対峙した。
おそらく、この近くのどこぞに聖獣が控えているのだろう。ベーリはそれに命を委ね、守りを捨てて攻めかかった。
ルネが最初の一撃で全力を出していたら、その隙に反撃を受けていた。
身代わりが尽きるまで切りつけ、手応えがあった瞬間にとどめを刺す。……一度成功した技だ。キャサリンの姉をこれで殺した。
「ゴフッ……世は、とかく、ままならぬ……!
右も左も行き止まり……凡俗にとって、己が生を歩むことの、なんと難しきか……」
「ベーリ。巡り合わせが許せば、あなたは良き王にだってなれたでしょうに」
だが、そうはならなかった。彼は正統な王位になく、そしてルネの敵であった。
血の塊を吐いて。
苦い笑いが色褪せて。
ベーリは、清らかな灰となって爆散した。死体と魂を奪われぬための祝福だ。
「『次』があるなら、そん時ぁ酒でも飲もうや、旦那」
天使はもはや急がず、ふわりと降臨し、短く弔辞を述べた。




