[5-57] 英雄の奮起
『エルバートとロザリアが出会ったのは、冬至祭りの夜だった』
この際、城の内装は一旦どうなってもいいとルネは思った。どうせ肉塊に汚されているのだから徹底した浄化が必要だし、ディレッタの連中が好き勝手にした部分も多かろう。
そんなもの全て燃えてしまって構わない。
三階の窓に口を付けて、そこからルネは思いっきり、ブレスを吹き込んだ。
しっかりと燃え上がっているのを確認してから、次は二階へ、そして一階へ。
油壺の中に火種を放り込んだようなものだ。白石でできた城は、窓という窓から火の手や黒煙を噴き出し、そこから黒い涙を流しているかのように煤で染まっていった。
『君も知っているかも知れないが、冬至祭りの日には、王がお忍びで城下の祭りに繰り出す伝統があってね。
うん? 伝統と言うのも大げさか。長くてもたかだか100年だ』
「その時に出会ったのね」
『傑作だよ。
あいつめ、『張り子蜜飴』の食い方が分からなくて、居合わせたロザリアの服を汚してしまったらしい。それで詫びて、新しい服を買ってやったのだ』
その間、肉のプールみたいな状態になった城の庭でも、むちゃくちゃな戦いが続いていた。
ディアナが肉を叩き潰し、ベーリと僅かな供の騎士たちが、圧縮された肉を焼き払っていく。そうする度に四方八方からさらに肉が流れ込んでくるのだから、一進一退の攻防だった。
なにしろ敵の出所は、おそらく城壁の中だ。城壁の内側を片付けなければチェックメイトはできないが、しかしそれは敵の口の中に飛び込んで針で突き回るようなものだ。
『傑作にはさらに続きがある。
また来年の冬至祭りで会おうか、なんて軽い約束をして別れた二人だが、エルバートは思い焦がれて冬至を待ちきれず、夏至祭りの日に公務の合間に抜け出して、思い出の場所へ行ってしまった。
……そうしたら、なんと、相手も同じ事を考えていた』
「あら、まあ」
『人と人の出会いは、不思議なものだ。
舗装された街道を歩くように当然に出会う者もあれば、まさに天の配剤としか言えぬほどの巡り合わせでで出会う者もある……』
「わたしに『天』は禁句よ」
『……なるほど、これは失敬』
一方で、城壁の外の戦いも追いついてきていた。
南側から旧王都へ攻め入った亡国軍は、あちこちの建物を意図的に崩し、肉の津波が流れてくるルートを制限。
流れを大通りに限定した上で、それを押し返し、歯止めを作っては戦線を押し上げる。
もはや城壁に手が届こうかというところまで来ていた。
『『天』か……
我が国で銀髪銀目を忌み子としたのは、建国王の占術師が予言した故、であったな』
堀の水はもはや存在せず、代わりに、でたらめに目や手足の飛び出した肉塊がみっちり詰まっている状態だった。
そこに油壺が次々放り込まれ、堀は火の海となった。
『結果だけを言うなら、予言は正しかった。
だが、これは……何者かの差し金なのだろうか?
あの予言がなければ、そもそも『銀髪銀目』が国を滅ぼすこともなかっただろう? これでは因果が輪になっているではないか』
一方、北側は『王国』軍が陣を張っていた。
こちらは装備も練度も数も、亡国には劣る。
だが、なにしろ士気が高く、ついでに市街を魔法でめちゃくちゃに作り替え、市街全体が砦のような有様だった。南側からの攻撃を徹底して防ぐ構えだ。
実際それで肉津波の流れもかなり堰き止められていて、そこに魔力投射砲を叩き込んで防いでいた。
「これは最近、家臣の一人から聞いた仮説なのだけど、予言とは……予測ではないかと」
『ほう?』
「この世の全てを見て計算できるなら、十年や百年先の出来事も、ある程度は予測できる。
予言とは……『こうなりそうだ』という神の呟きを、拾い聞いてしまったものではないか、と」
『なるほどな……』
内から、外から。
徹底して叩き潰され、無限に溢れ出していくかに思われたそいつは、徐々に空からでも見えぬほどになっていった。
後はもう、出所となる城壁の中に詰まっているだけだ。
「もし、ヒルベルトのような男がこの時代に生まれると決まっていたのであれば、あの予言が無くても……仮にわたしが銀髪銀目でなくとも、家族を奪われて殺されていたのかも知れない。
それを神は見たのではないかしら」
『ふむ……』
「あと、予言は確かにあったけれど、それは未来を定めるものではない」
さて、大詰め。
流れ出す肉塊の源泉へ、如何にすれば至れるか。
流れて広がった後なら範囲攻撃でまとめて叩き潰せるが、ここからは激流を遡るような戦いになる。
実体弾砲の斉射が城壁の頭をえぐり取り、穴を開ける。
途端、そこから爆発的に、臓物のようなものが溢れ出して、滝の如く流れ落ちていく。
立て続けの砲撃。肉の飛沫が舞う。
その奥に何かが見えた。
ちょうど、成人男性一人分くらいの、人の形をした穴……あるいは、虚無が。
「確かにこの国は滅んだ。
だけど、死にながら生きている。
わたしと同じ……アンデッドとして」
『故に、自ら『亡国』を名乗るか』
「死は始まりに過ぎない……わたしの場合は……」
正面から全て処理するのは無理だと、ルネは判断した。だが、攻めるべき場所が見えたのは僥倖だ。
流出するものの処理は後ろに任せ、一直線に出所へ突っ込むことにした。
飛翔。
天使の翼と、銀色のワイバーンの翼が、力強く羽ばたいて。
大砲で吹きさらしになった指揮所の上方へと舞い上がる。
この謎の肉塊は無限に流出するが、あくまで重力に従って広がるのだ。周りを全て片付けてしまえば上への攻撃は無い。
ルネとディアナはそこから、翼を折りたたんで急降下した。
「係鎖行ける!?」
「こちとら聖気ばっかりだよ!?」
「理力を乗せるからそれでいい! ≪超重圧壊≫×……」
「……≪神罰:鉄槌戒≫」
狙うは、ただひたすらに強烈な一撃。
分散しては意味が無い。一瞬の、一度の、ただ一撃。
「≪支天巨人の踏み抜き≫!」
指揮所を収める、城壁で最も堅牢な防塔が。
魔法でも大砲でも、そう容易くは崩れぬはずのそれが、三階層ぶち抜きの吹き抜け構造になった。
急降下するルネとディアナから真っ直ぐ打ち下ろされた見えざる力は、肉も石も、全てを叩き潰し、円柱形に刳り貫かれた何も無い空間を作り出した。
その真ん中に、『虚無』は浮いていた。
人の形をした穴の向こうに、理解できぬ何かが見えたのは一瞬のこと。すぐにまた、謎の肉が溢れ出して……
「今だ!」
「≪迫撃岩塊≫!」
「≪石工術≫!」
溢れ出すよりも、早く!
周囲の瓦礫が『虚無』目がけて一斉に擲たれた。
砂鉄が磁石に吸い付くように、『虚無』を囲い、閉じ込めた。
単純な話、溢れ出す肉の圧力よりも堅牢な石棺ができてしまえば、この流出は止まるのだ。
仕上げをしたのは、ちゃっかりここまで追いついてきたベーリだった。
重なり合った大質量の瓦礫は、そのまま継ぎ目無く溶け合って、たちまち巨大な中空構造の岩塊となった。もしストーンゴーレムが卵生だったとしたら、こんな卵を産みそうだ。
「……こんなんで本当に大丈夫なのかい?」
「しばらくは保つでしょ。応急手当としては十分。
戦いの勝者が続きをやればいい」
「ああ、そりゃ確かに」
そして雪風が吹き抜けた。
分厚い雪雲に陰っていた月が、いつの間にやら顔を出していた。
壁の六割方と天井を失い、床にまで大穴が空いた、もはや廃墟の様相を呈する石の部屋。
月明かりが白々照らす。
下方からは、肉津波の最後の一波と戦う者たちの声が、砲声が、聞こえていた。遠く、遠く。
ベーリは、燃料が尽きたらしいブレスポンプを、背負っていた樽ごと放り捨てる。
そしてルネとの遠話に使っていた通話符を……もはや薄っぺらく黒ずんだ灰の塊みたいになったそれを、風に晒して塵にした。
「延々、言い訳でも聞かされるかと思ってた」
「必要かね?」
「じゃあ、命乞いは?」
「言ったとして、聞くかね?」
僅かな供の者は皆、どこかで肉塊に捕らえられ、死んだらしい。
僭王ベーリは独り、剣を抜く。
ディアナも黙ってそれに並び、構えた。ベーリを守ってやる義理もなかろうが、共闘して利用するのが、彼女の仕事にとって最も利益になるのだろう。逆にベーリも、自分の戦いのためにディアナを使える機会は、今をおいて他に無い。
「意地だよ。これは。
見栄と言ってもいい」
ベーリの吐息だけが白く、風に舞う。
「……なら、始めましょう」




