[5-56] サージ
「押し返せぇ!」
屈強なる獣人部隊が、押し寄せる肉の津波にも負けない、湯気立つ『肉の城壁』となって大通りに立ち塞がった。
そして棒付きの盾を突き出して、迫る肉を押しとどめる。
その隙間から溢れたものを、遅れて突き出された第二波の盾が押し返す。
力だけなら量産型アンデッドで事足りるだろう。
だがゾンビやスケルトンは高度な思考力を持たず、判断力が低い。大雑把な行動しか取れないのだ。
今は生者の力が必要だった。
広がり続けていた肉塊が、止まる。
蒸気機関のように息を吹き出す獣人たちの甲冑が、膨張する筋肉によってせり上がっていた。
「私の合図で下がれ!」
吹き付ける雪嵐より鋭く、上から降ってくる声。
そして、しなやかな羽音。何より、吹雪よりも背筋を冷たくする邪気の重圧。
そこに誰がいるのか、ウヴルはすぐに分かった。
「了解した!」
「1,2の……3!」
合図と共に、盾が一斉に引いた。
直後、耳が震えるほどの轟音がして、肉塊に光が突き刺さった。
上を見てウヴルは、あんぐり口を開け、呆れざるを得なかった。
夜闇に紛れるメイド服を着た吸血鬼が滞空している。
彼女がしがみつくように抱えている、彼女自身よりも大きな武器は……
「大砲!?」
「私の技は邪気に偏りすぎている。
だから魔力の性質を変える武器を持ってきた」
ミアランゼはさらりと言って、地に舞い降りる。
そして、重い音を立てて、得物を一旦下ろした。
黒光りする金属塊。魔力投射砲だ。
魔力投射砲は実体弾砲と異なり、弾込めも不要だし反動も(一般的には)無いか小さい。とは言え、普通は携行するような武器ではない。術式を展開し、励起し、魔法弾を射出する機構は威力に比例して巨大だ。
それをミアランゼは腕で抱えて飛び、低空から地上へ撃ち下ろしたのだ。
「なるほど、そりゃあいい! すげぇバカだな!」
「……それは褒め言葉なのか?」
「勿論」
ウヴルは牙を剥いて親指を立てた。
「あり得ねえことをしでかすバカが、世界を変える。
小利口な奴らは考えるもんさ……『誰かが言う通りに決まり切った仕事をしてれば、一番マシな結果になる』って」
「ふむ」
ミアランゼは、氷を踏むような奇妙な音を立てて指を鳴らす。
直後、彼女の手は赤く染まり、数倍の大きさと長さに膨れ上がった。
血霧を纏って長大に変化した彼女の手は、猫が羽虫を叩き落とす敏捷さで、カメレオンの舌のように伸びて。
道の側溝の格子を、濡れた紙のように破り、潜んでいた者を引きずり出した。
「これが『賢い』奴らか」
闇夜に潜む、黒衣の刺客だった。
ミアランゼの巨大な血霧の手で諸共に握りつぶされていたが……小型の仕掛け弓を装備している。小さな矢では威力も低かろうが、これに毒でも塗れば話が変わる。
「……ディレッタの兵か。
おいおい、よぉ。テメーらも、あのバケモンと戦う場面だろ?
俺らが踏ん張れば、テメーらにも有益だろ? なぁ、ちっと待ったらんかい」
「ぐっ……
『邪悪なるものと肩を並べて得た勝利は、腐り落ちた果実に等しい』!」
「あ? 聖典か?
ご大層なこった。たっくさんお勉強して覚えたんだろうな」
刺客の男は、放っておいても握りつぶされて圧死しそうな有様だったが、ウヴルはそいつをミアランゼの手から毟り取る。
そして、投げた。放り投げた。
新たに隊列を作り直した、味方の兵の頭を越えて。
大砲の一撃で大きく後退し、再びこちらへ向かおうとしている、肉の津波に向かって。
「うわあああああ……」
悲鳴が遠のいて、飲み込まれて、消えた。
「あいつら、この状況でまぁだ亡国を狙ってくるのか」
「亡国の戦力は、傑出した個の力に依存しすぎている。
失われたら国家戦略すら破綻する、扇の要が多い。多すぎる。
それは敵にとって、どんな状況でも狙う価値がある獲物だ……と、参謀長殿はおっしゃっていた」
「俺もか」
「おそらく」
「……クソが。
俺はそんなご大層な奴かよ」
ウヴルは鼻面に皺を寄せて、舌打ちする。
魂の兄弟一人、守れぬ男だ。
無力感に灼かれていたのに、これでは己自身より敵の方が評価しているようなものだ。
ウヴルが漏らした悪態を聞いて、ミアランゼは真っ赤な目で睨め付ける。
異性を魅了し、洗脳する魔眼だ。とは言え、その能力を使わずとも、重圧を感じさせるには十分だった。
刃の輝きを恐れるのと同じ。不純物を排して研ぎ澄ました、信念の威力は恐ろしく見える。
切っ先はウヴルに突きつけられて、心の揺らぎを咎めていた。
「貴様の命は、もはや姫様の財産だ。
毀損すること罷り成らぬ」
「へっ。そいつは道理だ」
後悔も、そのための暇も、贅沢品。
今はまず、戦わねばなるまい。
* * *
「なるほどな。
あれは『亡国』の生み出した魔物かと思うたが」
ベーリは典型的な騎士鎧ではなく、レッドドラゴンの鱗をあしらった鎧を身につけていた。
ドラゴンの肉体部位はどれもこれも非常に高価だが、鱗くらいなら結構現実的な値段で手に入るのだ。それを防具の軸として用いれば、ドラゴンの強大な力に肖れる。
炎を操るレッドドラゴンの鱗を使えば、耐火性能を得る。自分がブレスポンプで撒き散らした炎に巻かれないよう、用意してきたようだ。
「どうやら正邪の相剋をさておいて対峙すべき、外法の怪物であるらしい」
「ま、そんなとこさ」
鎧兜で全身覆っているので、表情も碌に分からないが、それでもルネは心を読める。顔色などより遙かに多くの情報を、対峙するだけで読み取れる。
先日とは別人か、もしかしたら影武者でも用立てたのかとルネは思ったほどだった。
算盤を抱えて眠るケチな売国貴族とはとても思えぬ。全身の血を失うまで剣を振るい続ける、狂戦士の胆力をルネは見た。
『何をしておられるか!』
ベーリの懐からくぐもった声が聞こえた。
慇懃無礼な、形ばかりの敬意を織り込んだ叫び。
通話符だ。通話の相手はおそらく、ウェサラに逃げた信仰促進官殿だろう。遠距離通話が可能な高級品を、何枚か中継すれば、国の東端とも遠話ができる。
『よろしいですかな!
あなた方はディレッタ神聖王国との盟約の下、この場に居るのです!
勝手な真似をせず、我がディレッタ駐屯軍との連携に基づいて戦』
「ふん。よく喋る紙切れだ」
サミュエルの長広舌は無残に断ち切られた。
ベーリは鼻で笑い、通話符が燃え尽きて灰になるよりも早く、それを破り捨てて風に散らす。
「さて。まどろっこしい話は抜きにしよう。
城を取り戻すところまでは、目的も同じだと思うのだがな」
「それ、取引をしてるつもり?」
「否。
その程度の度胸はあろうと思っているだけだ」
ルネはせいぜい、顔を……ワイバーンの身体を乗っ取った状態では分かりにくいだろうが……しかめて見せた。
ディアナも仮面の下で渋面を作っている様子だ。
「言っとくけど、あたしの仕事は別にあるんでね。
あんたの命は二の次だよ」
「それは心強い。
こちらは真っ当な、定命の人間に過ぎぬものでしてな。
安心して後ろをついて行かせてもらおう」
「話聞いてた?」
「聞いておりますともさ」
内心ルネは、舌を巻く。
あのディアナが翻弄されるほどの強引さだ。
ベーリは元々、商談の場ではこういうことができる人間だったのかも知れない。
「……どうすんだい?」
「有用なうちは、そこに居ることを許容するわ」
「そうかい」
ルネは譲歩した。
実際、ディレッタの籠城軍が内側から壊滅したこの状況では、『シエル=テイラ王国』よりも、戦場を混乱させている謎の肉塊の方が遙かに大きな脅威だった。戦いには時間制限付きだ。ディレッタが次の手を打つ前に、できれば夜が明ける前に、全てを終わらせたい。
もしルネの後ろに味方の兵が控えているなら、この場でベーリを引き裂かねば示しが付かぬところだが、ディアナと一緒に飛んできたわけなので、取り巻きも居ない。
ルネの返事を聞くとベーリは、鎧の上から巻き付けていたアイテムポーチの一つを毟り取って、ルネの方に放る。
「何これ」
「よく喋る紙切れだ」
通話符を収めるためのものだった。
通話先となる符は、おそらくベーリが持っている。
「間もなく戦いは終わるのだろう。
そして、それは、いずれにせよ……我らにとって永遠の別れとなる。
だからそれまで束の間、話そうか。
エルバートの遺児よ」
彼は、九割九分九厘訪れる死への覚悟と、それでも僅かな勝利の可能性に縋る執念を、腹に据えていた。




