[5-55] ドラゴンの掌握
「来るな! こいつっ!」
逃げ遅れた小隊が、裏路地に立て籠もって身を守っていた。
その辺に落ちていた廃材や、崩した瓦礫を隘路にバリケードとして積み上げ、鉄の大盾を持ったスケルトンが堰き止める。
生きた兵は、その壁の後ろから爆弾だの魔法だのを投じて、どうにか迫り来る肉の津波をとめようと足掻いていた。
しかし、傷を付けたところで死んでくれない敵だ。
肉の津波の先端を攻撃し、一時的に散らしたとて、すぐに後から後から押し寄せてくる。
爆弾も魔力も有限だというのに、それを消費して時間稼ぎしかできない。
そしてその時間稼ぎもそもそも無駄だった。
「後ろからも来てるぞ!」
「何!?」
抵抗する兵たちの背後にも、不気味にうごめく流体めいた肉が忍び寄っていた。
侵食する肉塊は大通りに満ちて、少しずつ路地に流れ込んでいる。
正面だけ堰き止めたところで他から回り込まれるのは自明だった。
もっとも、それは空から状況を見ている者でなければ見通しがたいであろうが。
「バオオオオオオッ!!」
サイボーグワイバーンの身体を乗っ取ってワイバーンゾンビと化したルネは、建物の屋根すれすれに滑空飛行しながら、二度に分けてブレスを吐いた。
妖しく黒紫色に燃え上がる瘴炎のブレスが、兵の前後に迫っていた肉津波を焼き払う。
「助かった……」
兵たちは呟き、呆然と空を見上げていた。
逆に兵まで炎に巻かれてしまわなければいいが……そこまで面倒を見ている余裕は無かった。周りが雪だらけだから、自力でどうにかしてくれるだろう。
この謎の『肉塊』は、ひとまず焼き尽くすのが効果的だとルネは見ていた。
焼いて灰に変えれば異常性を失うし、嵩も減る。普通の人体と同程度には燃えてくれるし、炎は伝播、延焼する。心肺機能を外付けガジェットで強化し、生体魔力を補う魔力タンクまで搭載したサイボーグワイバーンは有効な兵器だった。
とは言え、肉塊があふれ出てくる勢いは凄まじいもので、いくらルネでも一人では焼き切れない。
『兵を一旦退かせ、体勢を立て直します』
『私としては、あの肉塊の封じ込めに動くべきかと思うのだけど』
ルネの頭の中に遠話が響く。
「……そうね。おそらく広がるほど対処困難になる。万一、こっちの城にまで届いたら飛ぶしかなくなるわ」
肉塊は旧王城を発生源として、徐々に広がっている。
つまり、まず最初にディレッタ軍の拠点を食い潰してくれているわけで、その分には非常にありがたい。
だがもしこれが旧王都内に収まらず溢れ出したら、亡国も身動きが取れなくなるのだ。何故ならすぐそこに、魔力切れ寸前のシエル=ルアーレが停泊しているのだから。
「策はあるの?」
『有機物しか取り込まないのは分かったから、築城魔法と大盾でどうにか。
焼いて質量を減らしつつ、歯止めを立てて、押し返していくって感じかなー。
最終的には密封した『石棺』にできないかなってとこ』
「分かったわ、そうしなさい。
ただしディレッタはなるべく助けないように」
『もちろん。向こうにもしっかり損してもらうわよ』
情の話ではなく戦術的な判断だった。
肉塊への対処にこちらばかりがリソースを投入し、被害を出せば、ディレッタに漁夫の利で勝利を掠われるだろう。
「≪神罰:鉄鎚戒≫!」
空中から見ていたルネが吐き気を催すほどの聖気を撒き散らして、神の見えざる鉄鎚が、広範囲に肉塊を打ち据えた。
ぺしゃんこにプレスされた肉塊は血と体液を吹き出す。
そして侵攻を遅滞させた。少なくとも、絨毯みたいに平たくなった残骸が、後続の肉塊に飲み込まれるまでの間は。
「そら、とっとと逃げな!
市街北側はまだ空いてるよ。ベーリの旦那が陣地を作ってたからね!」
「は、はひっ!」
「神のご加護を!」
鎧を脱ぐ暇も無く、代わりに剣も盾も放り出して身軽になったディレッタ騎士たちが、ディアナの魔法に助けられて逃げていくところだった。
「……仕事熱心ね」
「へえ。イカしたお洋服じゃないか」
ルネはディアナの隣を飛び抜ける。
暴風に煽られたディアナは、しかし小揺るぎもせずに滞空していた。天使の翼は見かけによらず、凄まじく強靱なのか、はたまた何か奇跡の力で飛んでいるのか。
「あんたにゃ憎い敵だろうさ! あたしも碌でなしの連中だと思ってるよ!
でも、あいつらだって国に帰りゃパパなんだ。
親を亡くして泣きわめくガキなんざ少ない方が良い。化け物のエサになるくらいなら助けてやるさ!」
「そのパパたちが! わたしの国で! 『泣きわめくガキ』を増やしてるんだけどね!?」
「ここで見殺しゃ解決するってもんでもないだろ!?
後々戦うことになるなら、そん時ぁ好きにしな!」
阿吽の呼吸。
唸る雪風の中でも言葉が交わせるほどの距離で、もつれ合うように二人は飛んだ。
大路に満ちた肉塊は、建物一階の窓くらいまで嵩があったのだが、それが毛織りの絨毯みたいな厚さまで次々叩き潰されていく。
水分が抜けて燃えやすくなったそれを、ルネは片っ端から焼き払っていく。
結果として肉の津波は、一気に退潮していた。
特に合図もしていない。協力を約束したわけでもない。ただ向かう先が同じで、戦い慣れた者同士、自然に連携が生まれるのだ。
「この腸詰め野郎、やっぱりこの世界のもんじゃないね。理に反するブツなのに、聖気自体は効きゃしない。
つっても他は効くんだ。魔力の圧でぶっ潰しゃいいか。
ああもう。戦闘聖紋がありゃ、もうちょい手数が増えたのに」
「あら、酒代の差し押さえにでも遭ったの?」
「お下がりに出しちまったよ」
空中から根こそぎに肉塊を蹴散らしていく二人の前方から、肉塊を挟み討つように火の手が迫る。
『炎』を使うことを考えた者が、他にも居たようだ。
粘性を帯びた油が噴射されて、燃えながらぶっかけられていた。
「火炎放射……」
「燃料に聖油が混じってるね。元は、アンデッドの軍勢を薙ぎ払うために用意してたんだろ」
軍用の『ブレスポンプ』……竜のアギトを模した、太く短い筒。
水鉄砲と言えば普通は子供のおもちゃだが、そこにあったのは発火機構を備えた強力な水鉄砲に、粘着質な油を詰めたものだった。
聖油を使ったところで、あの肉塊に追加ダメージは無いだろうが、まあ、元々装填されていた燃料を入れ替える暇も無かったのだろう。
「化け物め……
私の城を返してもらうぞ」
ブレスポンプに直結した、油の大樽を背負う騎士が、供を連れて躍り出る。
市街の北側に布陣していた『王国』軍の首領。僭王ベーリ自らの出陣であった。
*
一方その頃。
獣人部隊は変なものを支給されていた。
「しかし不気味な奴だな。
目だの手足がボコボコ突き出してんのに、口が無ぇってのも変な話だ」
「……隊長。
命令なら突撃しやすが、本当にこんなもんで、あれを止められるんスか?」
スケルトンどもが持たされていた鉄製の大盾に、即席の工作で、長くて真っ直ぐな柄を付けた物体だ。もし、この中にサムライがいたら、トコロテンを押し出す棒を思い浮かべたであろう。
獣人たちは、その変な『棒付き盾』を、手に手に持っていた。
「行けるさ。
あの肉塊は無限に湧いて出やがるようだが、流出そのものは物理法則に縛られてる。
下から上へ広がるには時間が掛かるし、城門の狭い隙間から出て行くのもちょっとずつだ。
圧力を掛ければ、流出を遅延させられる。その間に……」
ウヴルは伝えられた情報と自分の考えを整理しながら説明する。
そして、どうもピンと来ない様子の部下たちを見回して。
白い溜息をつきながら、顔面の毛皮に付いた雪を払った。
「あー……つまり、なんだ。
地面すれすれにケツを出して野グソをするとよ、クソが地面につっかえて出が悪くなるだろ。
あのクソ野郎を、そういう状態にしてやるんだ」
「了解しやした、隊長!!」




