[5-54] 機械学習
ルネとディアナは翼を広げ、崩落した地下水道から飛び出した。
戦場で迂闊に高度を上げれば射撃のマトになる。
だが今は、地上はそれどころではない状態だった。
「なんだいこりゃ!」
下水道を流れてきた肉片は、千切れたほんの一欠片に過ぎなかった。
それとは全くスケールの違う、異常なものが、地上にあった。
城壁の矢狭間や城門から、肉の津波が流れ出していた。
砦城になっている城門内は、おそらく既に、肉に満たされているのだろう。
流れ出した肉は、お盆のように城壁で囲まれた王城敷地内に満ちていき、おそらく城内にも流れ込んでいる。
もちろん城外も無事ではない。
城門前の広場は既に足の踏み場も無く、うごめく肉塊が徐々に大通りへと浸食していた。
「エヴェリス、見えてる!?」
『ゴーレムで見てるよ! だが妙だ!
計器が全て、あり得ない数字を示してる!』
「これは……何?」
『推測でよければ。
……『外なるもの』よ』
少なく見積もっても数百年を生き、二柱の魔王に仕えて大戦を経験し、数多の戦闘経験と博覧剛毅を誇る彼女が『推測で』と注釈を付けるのが、まず異常だった。
それほどにあり得ぬことが起きている。
『姫様の魂が他所の世界から来たみたいに、本来交わることのない異世界が星の数ほど存在するの。
下手したら物理法則すら違う場所がね。
本来そこから、形のあるものが渡ってくることは無いはず……なんだけれど、ごく稀に起こりうる。
ああ、もう! こんな時じゃなければゆっくり観察したいのに!』
実際それは、戦場のど真ん中に突如、ぽっかりと生じた『虚無』だった。
気配は感じられず、漏れ出る魔力の波動も無く、ルネの『感情察知』の力でも何も読み取れない。
とにかく何もかもが、この世界に存在するものと違う規格で構成されていると感じられた。
便宜上、いびつな肉塊という形に落とし込まれているだけという雰囲気だ。
『能力、性質、目的不明!
ただ一つ言えるのは、お友達にはなれないってことね!』
「もう一つ言えるわ」
城壁の上を逃げる防衛兵の姿があった。
急速に体積を増す肉塊が、城壁の上も埋め尽くそうとしている。
その波を逃れて走るが、逆方向からも肉が迫る。
進退窮して防衛兵は飛び降りた。
だが……闇の中で人間の目にはよく見えなかったのだろうが、落ちていく先の堀は既に、水ではなく増殖する肉塊に満たされている。
着地。
兵の肉体は、肉塊との境界を失う。
そして悲鳴を上げながら彼は溶け合い、一つの肉塊になっていった。
「触ったらああなる」
『なるほど』
肉塊は今のところ、王城を中心に発生している。
おそらく被害に遭っているのはディレッタの駐屯軍ばかりだろう。今のところ。
だが、このままでは亡国軍まで飲み込まれるのは時間の問題だった。
「わたしは自軍の救援に行くけれど。
止める?」
「それどころじゃなさそうだね、どうも」
傍らの天使は、仮面状の防具の下で、顔をしかめたらしかった。
「上の奴ぁ合理的でね。賭けにならない賭けはしない主義らしい。
あたしも、お仲間を助けに行くことになったよ」
実際ディアナ単独で、ルネを滅ぼすほどの力は無い。仮に戦闘で勝利したとしても、滅ぼすには至らぬ可能性が濃厚だ。
この場でディアナが戦う理由は、あくまでも時間稼ぎだ。ルネを釘付けにしておいて、その間に戦いを終わらせるはずだった。
自軍がメチャクチャになっている状況で、ルネと戦ったところで元も子もないわけだ。
お互い、それ以上の言葉は無く。それだけの時間も惜しみ。
二人は翼を強く打ち仰ぎ、己が向かうべき場所へと飛翔した。
* * *
こぼした水が床に広がるように、ひたりひたりと、徐々に肉が迫る。
王城に向かっていた亡国軍は、後退を余儀なくされていた。
生きた兵や、コストの掛かっている上級アンデッドを先に逃がし、殿は数で勝負する一般スケルトンが請け負う。
元が生体だったものなら、骨のアンデッドでも好き嫌いしないらしく、謎の肉塊は逃げ遅れたスケルトンどもを、触れた傍から飲み込んでいった。
「≪爆炎火球≫!」
ルネは低空を滑空するように、建物を避けて飛びながら魔法を投げ落とした。
火の玉は着弾するや、激しく燃えながら爆ぜて、肉津波の先端を炭化させながら吹き飛ばす。
しかし、遅滞は一瞬。その穴はすぐに埋められてしまった。
通常の攻撃魔法では焼け石に水状態だ。
ルネは都市地脈レベルの魔力貯蔵力を持つが、その大半をシエル=ルアーレの非常用動力として供給してしまっている。
後先考えずに大技をばらまくわけにはいかない状況だ。
そこに被せるように、地を揺るがす大爆発!
「砲撃!?」
迫り来る肉めがけ、大砲が撃ち込まれたのだが、その砲撃はルネの目の迷いでなければ王城側から飛んできた。
『敵軍が統制を失っております。
繰機兵が各々の判断で攻撃を仕掛けているようです』
「このまま魔力を使い切ってくれたら助かるんだけど」
『同意です』
魔力投射砲の一撃で、先ほどのルネの攻撃魔法より遙かに大きな穴ができた。
別にそれが肉塊にとって痛手になった様子も無いのだが、しかし被弾で失った質量を回復するには、時間が掛かっている。
「砲撃は効いてる……!」
『触れては危険なだけで、およそ生物に有効な攻撃は全て通用するようです。
ただし、異常な再生力を持ち、どれほど攻撃しても時間稼ぎにしかなりません』
『たぶん正確には、再生してるわけじゃないわ』
通話符越しのアラスターの遠話に、エヴェリスが割り込んだ。
『異世界に繋がる『穴』が……正確な表現ではないけど、穴があるわ。そこから何らかの実体、あるいはエネルギーが絞り出されてるのよ。ホイップクリームみたいに。
肉の津波の流れを見るに、発生源は城壁の指揮所ね』
「……ディレッタがこれを?」
『どう……かしらね。
外なる者の召喚は、世界の秩序を乱すこと。
こんな、大神に弓引く真似を、よりによってディレッタがやるとは考えがたいけれど……』
確かにそうだ。
ディレッタはひたすらに『神の僕としての戦い』を志向している。
いくらルネを倒すためだろうと、こんなものを別の世界から引きずり込んできて世界を汚すとは思えない。
――そもそもディアナの動きと噛み合っていない。だとしたらディレッタの作戦ではない……し、もしかしたらこれは……神の予想外……?
砂浜に埋まったガラスの欠片が光るように、何か、閃きの片鱗のようなものがルネの頭をよぎった。
それはまだ明確に、何がどうとは言えないものだったけれど。
ともあれ、今必要なのは、目の前の脅威に対応することだった。
「竜を出しなさい」
『既にご用意しております』
もはや空行兵を狙う火線も無く、それは悠々と羽ばたいて、自分自身を運んできた。
翼竜。前肢と一体化した巨大な翼を持つ劣種竜だ。
こいつは人族が飼い慣らして乗騎にすることもある魔物である。もちろん本物のドラゴンにこそ劣るが、『人が乗れる魔物の中では最もドラゴンに近い』と言われるほどで、力も強ければ炎も吐く。
ディレッタ貴族のお屋敷の屋根ををかち割って、ルネの隣にズンと着地したこいつは、ただのワイバーンではない。
口や胸部、足なんぞに、キラリと輝く機械部品が埋め込まれている。
機械化されたワイバーンゾンビ。
と言うか、生体改造実験に耐えきれず死んだワイバーンをゾンビ化したものだ。
こんな半端なやつでも、ルネの乗騎として使う機会があるかと、ストックしていたのだが……
「……いつか、ここで同じ事をやったわね」
『あの時よりも上等な『機体』よ、多分』
ルネはそっと、ワイバーンゾンビの腹甲に触れる。
その手が、腹甲が、びちりと血を吹いて癒着した。
そのままルネは、ワイバーンゾンビに頭を埋める。
かりそめの肉体が自壊しつつ融合していく。肉が裂け、骨が割れ、臓物が潰れる。ルネ自身は痛みすら感じないが、あまり愉快な感覚ではなかった。
ルネを取り込むにつれて、ワイバーンゾンビの身体に変化が生じた。
暗緑色だった鱗が、褐色だった鬣が、雪のごとき銀の輝きへと染め上げられていく。
そして。
「オオオオオオオ!!」
ルネは吹雪の闇夜に咆吼し、翼腕で羽ばたき、舞い上がった。




