[5-50] ペンティメント
耳がおかしくなりそうなほどの轟音が、右から左から響いた。
「走れ!
足を止めた者から死ぬぞ!」
キルベオはあらん限りに声を張ったが、果たして部下たちにすら聞こえたかどうか。
ディレッタによって再建されたテイラ=ルアーレは、都市そのものが砦となるよう設計されている。仮想敵はジレシュハタール連邦、およびその手先となった西アユルサ王国などだが、今は『亡国』を迎え撃つ陣地となっていた。
「おのれ……櫓は囮か」
キルベオは吐き捨てて、飛んできた矢を切り払い弾く。
攻め落とすはずだった防衛拠点はエサだった。裏を搔いたはずが、さらに裏を搔かれた。
集合住宅の壁を叩き割って防衛兵器が顔を出し、裏道の進入路は命を磨り潰す乳鉢と化した。なるほど地図を思い浮かべれば、本来の防衛地点を一つ捨てることで、必殺の罠を一つ増やせる。
知恵を絞ったものだと、味方の策なら感心していたところだ。残念ながらこれを考えたディレッタは、今は敵だが。
前後の建物が仕掛け爆弾で崩落し、道を封じる。
そして、その瓦礫ごと粉微塵にする勢いで、魔法弾がつるべ打ちに叩き込まれた。
本来なら城壁や陣列を相手にするような攻撃だ。防御しようとすれば死んでいた。
とっさに『ノームの左手の杖』で道脇の建物に穴を空けて逃げ込んだのは、他に対処する手段を持ち合わせていなかったからだ。偶然にも、それは正解だった。
「い、一体何がどうなってんだよぉ!」
「熊を捕らえる罠に狐が掛かったのさ。
本来どうでも良い小さな獲物に手こずっているほど、敵は不利になるだろう。
……狐は死ぬ」
うろたえる部下に向かって、キルベオは言う。
部下たちは青ざめた絶望の表情だった。『亡国』に下って専業兵に取り立てられたが、つい最近まで農兵だった者たちだ。只、戦いに生きて死ぬ過酷な覚悟など求められようか。
キルベオ自身さえ口調ほど冷静ではない。
「俺よぉ、ゾンビになるのか?」
「スケルトンの方が良いな、俺。臭くねぇだろ」
「アンデッドになれるならマシかも知れないぞ……ディレッタは敵も味方も、アンデッドになるのを防ぐそうじゃないか」
「ママぁ……!」
悲嘆が、悲鳴が、伝播する。
それは手足を縛る鎖で、死に至る毒だ。
「我らが死して滅ぼうと、働きが認められれば……我らの名誉は国に刻まれ、家族への恩給も重くなろう」
「ほ、本当に報いてくれるのか……?」
「信じろ。もう、信じるしかない」
己に言い聞かせるようにキルベオは吠える。頭の中が燃えているようだった。
話し声が通じることに、もう少し早く気づくべきだった。
音が止んでいる。狙っている場所に標的は居ないと、『上』の敵が気づいたのだ。
次なる轟音。
魔法弾が頭上の構造物をもぎ取って崩し、雪混じりの風が生者たちの頬を薙ぐ。
「腹を括るぞ!
この一分一秒が、我らの戦果だ!」
「お、おおおお!」
キルベオを先頭に、部隊は再び駆け出す。
そしてすぐにまた足は止まった。
背骨が軋むほどの衝撃が足下から伝わった。
キルベオのすぐ後ろに。馬上槍みたいな大矢が突き立っていた。兵を一人、貫いて、瓦礫に縫い止めていた。
想定外の方向からの射撃だった。
逃げようとした先にもう一つ、こちらを見下ろす射撃地点がある。
ああ、獲物の動きまで読んだ周到な構えだ。
「ひえええ! もうダメだああ!!」
「ぐっ……」
部下たちは崩れ落ち、キルベオは臍を噛んで闇を見上げる。
この場で、抜きん出た英雄(『特殊戦闘兵』と言ったりするが)を一人二人は仕留める気で備えていたのだろう。
そんな丁重なおもてなしに、十人並みの騎士であるキルベオはとても太刀打ちできぬ。最初からそれは分かっていたことだ。
だが、熊を捕らえる罠でさえ、竜は通りすがりに踏み潰していく。
「なっ!?」
今まさに致命的な攻撃を仕掛けようとしていた、敵の砲座が吹き飛んだ。
夜空が白々、明るく見えるほどの大爆炎によって。
炎に包まれた瓦礫が流星群のように降ってきた。
すわ暴発か。
いや、違う。
強力な≪爆炎火球≫……もしくは、それと同質のブレス。
砲座に着いていた敵の繰機兵が、バラバラと振ってくる。
それを、天より落つる深紅の穂先が空中で貫き、地に叩き付けながら昆虫採集標本みたいに縫い止めた。
それから、ぬうっと、崩れかけの商店を踏み壊して、鋼の冠を被った大犬が姿を現した。
大犬の背には、吹雪の闇夜に浮かぶ、銀の月。
「大儀である」
「姫様!?」
“怨獄の薔薇姫”、即ちルネが、そこに居た。
彼女がキルベオの部隊を助けたのだ。
振り仰げば、背後の砲座も潰されていた。
魔法薬で暗視力を得たキルベオの眼には、脈動する黒い団子が、敵の繰機兵が居た場所を包んでいるのを見て取れた。
よく見れば、数百匹の吸血コウモリが球状に集っているのだ。中身がどうなっているかはあまり想像したくない。
助かったのだと理解はしたが、まだ気持ちが追いつかない。夢でも見ているか、もしくは夢から覚めたばかりのような気分で、キルベオは呆然としていた。
「一旦退却して体勢を立て直しなさい。死体は可能な限り回収すること」
「死体……は、こいつだけです」
「……なら、この場で済ませましょう。
猛き心には相応しき力を」
巨大な矢に貫かれた死体をキルベオが示すと、ルネは、石畳に突き立つ巨大な矢に、小さな手で触れた。
するとたちまち、それは腐食し、赤錆びて崩れ落ちた。
それから、残った死体にルネは、呪詛の魔剣を突き立てる。
「ごあああああ!!」
死体が、叫喚した。
血を吐きながら、跳ね回る魚のように激しく痙攣して。損壊した部位に新鮮な肉が盛り上がっていく。
そうして肉体が形を取り戻すと、彼は自ら手を突いて身を起こした。
「あれ、俺……生きてる?」
「馬鹿、死んでるよ!」
誰も彼もがあっけにとられて、おっかなびっくりだった。
動き出したしたい本人までもがそんな調子だから、おかしなものだ。
そのアンデッドは、彼自身が死ぬ前とさして変わらぬ姿をしていた。
ただ、脱毛した頭部に太い血管のようなものが脈打ち、小さな角か鋲のように、透き通った赤い結晶が突き刺さっていた。
「姫様がお救いくださったのだ」
「これはゾンビの膂力と耐久力、スケルトンの身軽さ、屍食による肉体の維持能力、そして生者の知恵を持つ『ハイレブナント』……
エヴェリスには『魔物分類学的にレブナント+3と呼ぶのが正しい』なんて言われたけど」
後にキルベオが知るところによると、この『ハイレブナント』、欠点は工業的な量産が不可能でルネ手ずから作り出さねばならないということだったという。あと確実にハゲること。
戦場で生み出す即席戦力としては必要十分以上だ。
「さらなる忠勤を期待するわ」
「はっ……!」
キルベオと配下の兵たちは、揃って深々と頭を垂れた。
死せる兵も、生者と共に。
既に皆、ルネも含めたアンデッドの姿を見ているわけだが、すぐ隣に居る者がアンデッドになるというのは初めてだ。
だが、『亡国』の兵として戦場に立つ以上、それは起こりうる……これから先も。人として尋常の生を送ってきた者には、かつてない形で生と死が入り乱れる混沌だ。
恐ろしいと言うよりも、ふわふわと浮き足立つように、現実感が無い。これが新たな現実だと分かっていも、だ。
まるで神話絵巻の中に取り込まれてしまったような心地だった。
「お前、意外と美味そうだな」
「食うなよ!?」
ハイレブナントは傍らの同輩を見て、冗談か本気か分からぬ事を言っていた。




