[5-42] リーダー
ルネは人の感情を読み、それを食らうアンデッドだ。
なればこそ見える。その光が。
追い詰められた者が、そのまま押しつぶされて死ぬか、圧搾されたゴマが油を出すように何かを見せるのかは、個人差があるだろう。僭王ベーリは、後者であった。
「ぬぅうおおおおおおお!!」
鷲獅子馬の羽ばたきにも負けぬ、ベーリの雄叫びが轟いた。
大慌てで出て来たためか、装着に時間が掛かる胸甲や鉄靴は省略し、サーコートの下はミスリルの鎖帷子程度しか着ていない。これだけ軽ければヒポグリフも飛びやすかろう。
こんな心許ない装備で、しかしベーリにはいささかの恐れも見えぬ。
空行騎は、極めてコストの高い兵種だ。
まず騎獣となる空飛ぶ魔物が高価なのだが、その騎獣が無ければ訓練もままならぬし、習熟には時間が掛かる。
しかも、見慣れぬ乗り手を騎獣が嫌がったり、従わぬ場合もあるのだから、騎獣を貸して訓練させるとか、一の騎獣に複数の乗り手を用意するというのは難しい。
資金力がある騎士や、大国が抱える選りすぐりのエリート兵だけが空行騎を駆るのだ。
シエル=テイラ『王国』に残された空行騎は少なく、その乗り手の一人は、ベーリ自身だった。そこまでは亡国も把握していた。だからと言ってこの場面でベーリ自ら飛び出してくるとは思わなかった。
ベーリも空行騎を駆るほどなのだから無能ではないにせよ、算盤の扱いばかりを得意とする、武勇の誉れとは縁遠い男という評判だった。
立場が悪化して、一兵卒のように拒否権無くディレッタに使われているのだろうか。あるいは。
ルネは羽ばたき、宙を蹴る。
騎獣では決して不可能な、鋭角を描く急制動だ。己の翼で飛んでいるために可能な芸当だった。
「≪七連魔弾≫」
ルネが剣を一振りすると、その軌跡から、鬼火の如き赤黒い魔法弾が七つ飛び出した。
それらは各々に飛翔し、突っ込んでくるベーリを迎え撃つ。
ヒポグリフは急には止まれない。それどころか、回避しようという努力すら見えぬまま、それはただ全速力で突っ込んでくる。
血飛沫の散るが如き、闇の炎の爆発。
直撃を受けたはずのベーリも、その乗騎も揺るがぬ。
代わりにヒポグリフが祭りの飾りみたいに巻き付けていた、黄金の板が二枚、白い煙を立てながら黒く煤けて弾け飛んだ。
魔法を防ぐ使い捨ての盾『護符』である。装備者が魔法を受けたとき、身代わりになって弾け飛ぶアイテムだ。
だが、その守りはルネの方も承知している。
「ぬおっ!?」
ベーリは兜の奥で驚愕の声を漏らした。
それはそうだろう。
まだ接敵まで二秒はあるはずだったのに、闇の炎を振り払ったときには、既にルネが肉薄していたのだから。息が掛かりそうな至近距離だ。
タネは簡単で、魔法が炸裂して視界を遮った瞬間に≪短距離転移≫で急接近したのだ。
ダメージを防ごうとも、魔法が消滅するわけではないのだから、目眩ましにはできる。
空中では足を踏ん張れない。代わりにルネは強く羽ばたいて、同時に一閃!
呪いの赤刃ではなく、国宝の魔剣・テイラ=アユルをルネは用いた。
首を断ち切られる、刹那。
ベーリは剣を打ち合わせて辛うじて防いだ。腕前は到らぬ、反応できたのは幸運と言えるほどだ。だが、今、この一撃だけは防いだ!
ヒポグリフ騎士は、その重さを活かして地上へ突撃し陣列や壁上を蹴散らすのが、戦場で最も力を発揮する運用だ。小さくて軽い相手と空対空戦をするには全く向かない。
相手もそれは考えているのか、ベーリは典型的な武装である馬上鎗を持たず、細く鋭く射程が長い馬上向けの長剣と、連射式の弩を携えていた。
交錯。
一合結び、力負けしたベーリは騎上にて大きく態勢を崩した。
「陛下をお守りせよ!」
後続の空行騎がルネを狙う。
弩の矢が射かけられる。嫌な気配がした。聖水を浸したか……いや、そんな生やさしいものではなく、矢軸の材料となるミスリルからして聖別されている代物だろう。
自分に当たりそうな矢だけルネは剣で打ち払った。
そして、空中を突撃してくるヒポグリフが自分を跳ね飛ばす寸前で、ルネは再び転移。
ベーリが騎すヒポグリフの尻の上に立った。
「ぐっ……!」
騎獣に乗ったまま、背後の敵を斬るなど、いかなる達人でもそうそうできぬ。できても有効打にならぬ。
まして、ベーリ程度では。
……というルネの推測は確かに正しかったのだろうが、次なるベーリの行動は、逆の意味で予想外だった。
「えっ!?」
彼はヒポグリフを乗り捨ててルネの刃を逃れ、落下した。
鳥が落とした木の実のように、呆気にとられるほど見事な落ちっぷりだった。
そして落下しつつ空中にてベーリはルネを狙い、バネ仕掛けの弩を放つ!
矢を収めた射出口が蜂の巣みたいに並んだ、連発式の弩だ。それをベーリは乱射した。
狙いはあまり正確ではない。一発などは、ベーリ自身が乗っていたヒポグリフの腹に刺さる始末だ。いくら人に慣らされても魔物は魔物だ、かなり痛いだろう。
そしてまた別の一発が、上手いことルネに当たる軌道だった。
状況は変化したが、ルネの判断も即座だ。
ベーリを追うのではなく、両手で逆手にテイラ=アユルを構え、ヒポグリフの首筋に深々、突き込んだのだ。
自分目がけて飛んできた矢は……素直に当たってやる道理も無し。
軌道を見極め、僅かに首を傾げるだけで回避した。
聖なるミスリル銀の矢が、ルネの頬をかすめる!
絵筆でマグマを塗られたように、頬に一線、熱い痛みを感じたが、それだけだ。
足下では、深々と魔剣に突き刺されたヒポグリフが悶絶していた。
「陛下!」
既に鎧の隙間から何本も矢を生やした、僚騎のヒポグリフたちが急降下していく。
ベーリを拾おうとしているのではなく、落ちていくベーリの盾になろうとしているのだ。
着地自体は問題あるまい。落下の勢いを殺すアイテムはベーリも持ち合わせているはずだ。
エルフの空行兵たちが一斉にベーリを狙った。
落下していくベーリの、防具に守られていない二の腕や足など、よりダメージが通る場所を正確に狙って矢を射かける。己も飛行しながら落下体を正確に狙うのだから、傍で見ていてルネが舌を巻くほどの業前だ。
ヒポグリフの騎士たちは、その射線に無理やり割り込んで守った。
鎧で弾くも弾ききれず、ヒポグリフの胴体や翼、騎士の身体にまで矢は刺さり、もつれ合うように落ちていく。
だが尚も、騎士たちは逃げぬ。歯を食いしばって耐える。
指数関数的に高まっていく、奇妙な熱意が彼らを動かしていた。
ルネは虚空に手をかざし、どこからともなく投げ鎗を引き出し構えた。
収納の魔法は本来、術者に重い負担を掛けるが、ルネは己に重なり合う異界を都合良く物置としても使っていた。
手にしたのはただ頑丈なだけの投げ槍だ。これ自体はマジックアイテムですらなく、ひたすら頑丈なだけの鎗。
だからこそ使いようがある。
蒼雷が迸り、鎗の柄を、幾重にも光輪が纏った。
「≪多段念動射出≫」
墜落していくベーリ目がけ、鎗が飛んだ。
重厚な投げ槍が、矢よりも速い速度で。
鎗を取り巻く光輪状の魔方陣は、術式と魔力を内包している。多重の光輪が一枚砕け散る度に鎗は速力を増し飛んだ。
実体弾を撃つ魔動砲のように、理力を作用させ推進力と成すのだ。
僅かな時間差を付けて空中で段階的に力を解放することで、その度に軌道を補正し速度を安定させている。
当たれば人の身体など鎧ごと粉微塵だ。
新型砲の技術を流用して大魔女エヴェリスが編んだ、恐るべき投擲補助魔法である。
鎗が駆け抜けた後から、やっと大気がうなる程の高速!
鈍重なヒポグリフでは、元より回避不可能な一撃だ。
しかし、その時ルネが見て取ったのは『逃げられないから身を守るしかない』という悲壮な覚悟にはあらず。命すら燃やす光だった。
ヒポグリフの騎士は、飛来する鎗に立ち向かう。剣で打ち払い、盾で防ぎ、それが成らずば乗騎と己が身で阻もうと。
そして、その通りになった。
剣は何の役にも立たず跳ね飛ばされ、盾は叩き割られ。
投げ槍は騎士の身体を濡れ紙の如く貫いて、ヒポグリフの騎獣鎧にすら穴を空け、深々と突き刺さってようやく止まった。
――守った……
ベーリを、守った。
主君への個人的な忠義のためだろうと、戦いに勝ち国や家族を守るためだろうと。
主君の盾となり散っていく戦士の姿は、古今東西の戦場に珍しくもなかろう。
しかし今この時、目にしようとは。
ディレッタにとって都合の良い傀儡。
形ばかりの王座と、臣下の者らも承知で付き従っていた。
はずだ。はずだった。
だがそれがどうだ。この短い戦いの間に、何かが変わったではないか。
『姫様、退却を!
ディレッタの空行騎が!』
「……分かってるわ」
ルネの持つ通話符に、アラスターの声が届く。
『王国』の空行騎が即応した形だが、すぐにディレッタが後続を出してくる状況だ。
タイムリミットだった。そして、仕事は既に済んだ。
「総員、わたしに続け!」
討ち漏らしたベーリにも未練を残さず、ルネは急旋回し上昇した。
光の盾をドーム状に貼り合わせた巨大な障壁が、テイラ=ルアーレの街全体を覆っている。
その天井にルネは迫る。
外に向けた障壁なら、内から切り崩すのは多少、容易い。
ルネは羽ばたいて滞空し、野菜でも刻むように黄金の天井を滅多斬りにした。
幾重にも切り裂かれたその亀裂から、障壁に積もった雪が零れ落ちてくる。
ルネは一旦少し引いて旋回し、弧を描く。
そして障壁を、文字通りの『飛び』蹴りでぶち破った。
ルネが障壁の穴から飛び出すと、エルフの空行兵たちも器用に飛行を制御して、小さな穴から次々と抜け出してくる。
そうして、ディレッタの騎士たちが離陸したときにはもう、亡国の奇襲部隊は市街上空から離脱。
戦いは最初に死人が出てから10分にも満たぬものだった。
亡国側には一切の被害無し。
ディレッタは騎士四名と金貨1200枚相当の物資(主に聖別された矢とそのための弓弦)、および厩舎に繋いでいた騎獣三頭(うち空行騎1)を喪失。
『王国』は空行騎士が一騎と、ベーリ王の乗騎たるヒポグリフを失う結果となった。




