[5-41] 逆境魂
王都全体を覆い、黄金の椀でも伏せたように光の壁が張られている。ディレッタが持ち込んだ神器『ウルザの誉れ』による障壁だ。
その鳥籠の中を飛び回るものがあった。
鳥よりも明らかに大きくて、何億倍も危険なものたちが、王都上空で旋回飛行する。数は十にも満たぬほどだが、だとしてもあり得ぬものだ。
ベーリ王は庭園にまろび出て空を見上げ、唖然とした。直後、見上げた影から豪速の矢が飛来して、ベーリ王は一歩下がってそれを躱した。あれだけの高所から正確に心臓を狙った矢は、矢羽根の半ばまで深々と地に突き刺さっていた。
「何事だ!」
「敵襲です!」
「それは分かっている!
敵はどうやって侵入し、何をしているのだ!」
急を報せる伝令が、ようやくやってきて跪いていた。
「少数のみで、どこかの街門を強行突破した……と思われます。
奴らは乗騎も無く、身一つで機動空襲の如き攻撃を仕掛け、要人や物資を狙っています」
青い顔をした伝令兵も、それを遣わした騎士も、状況を完全に把握できているわけではなさそうだ。
城が襲われて死人が出てから報せが来るのだから、事態がどれほどの速度で進行したかも察しようというものだ。
街は神のご加護によって守られている。
だが、穴はある。空けざるを得なかった。物資のやりとりや人員の出入りのため、北と東の街門は通れるようにしている。
無論、警備は厳重だ。あれはもはや警備ではなく陣構えと言うべきだろう。
そして、『亡国』とやらが魔城から打って出るなら、即座に察知して、さらに守りを固める手筈。
……少数での奇襲による街門突破など、そもそも防ぎようがない。
いや、防ぐことはできるが、割に合わない。敵が少数で乗り込んできたところで、決定的な打撃は受けないだろう。むしろ敵の方が多くを失う筈だ。だから備えは必要十分で良いはずだった。
ベーリは戦力を供出させられただけで、戦術に関する相談は無かったが、ディレッタ側の考えはそんなところだろう。実際妥当に思われる。
では、これは何事か。
上空の敵のほとんどは、奇妙な空飛ぶ鎧を着たエルフどもだが、その中に一つ、異質なものがある。
黒い闇の尾を引いて飛び、黄金の空を穢す、小さな銀の彗星。
ほんの僅かな手勢を率いて、まさか“怨獄の薔薇姫”自らが飛び込んでくるなど。
「あーあー、よくやるよ全く」
場違いに気抜けした声が、すぐ隣から聞こえた。
いつの間にかベーリと並んで天を見上げていたのは、ディレッタが連れてきた『天使』。聖なるものではあろうが、ベーリには、得体の知れぬ曲者としか思えなかった。
彼女は仮面越しに、“怨獄の薔薇姫”の動きを目で追っていた。そしてまるで他人事のように感心している。
「て、天使様。
敵を打ち払ってはくださいませぬか」
「だぁから、アタシは障壁だけで手一杯なんだっての。片手間でやり合うのは無理よ。
戦ってほしいってんなら、障壁は一旦放棄する。まず上に積もった雪が降ってきて、次にあっちの黒いお城から砲弾が降ってくるだろうね。
それでいいならそうするさ。大砲が、あんたらの居場所だけ都合良く避けてくれるとは思わないがね」
「ぐ……!」
それでは本末転倒だ。
あくまでも現状は、障壁ありきなのだから。
「ならば我らが魔物どもを叩き落とす」
天使に続いて、金ぴか鎧のディレッタ騎士たちも、どやどやとやってきた。
やや軽装で流線型の騎士鎧。それは空行騎のためのものだ。
「天使様は地上にてトドメを」
「……やるしかなさそうだ、しょうがないね」
「この状況ならば、連中も袋のネズミだ。
迂闊な真似を後悔させてやろう」
ディレッタの騎士たちは、危ういほどはやっているように、ベーリは見て取った。
邪悪に対する戦意だけではなく、手柄が向こうから飛び込んできたことに興奮しているのか。
実際、此度の攻撃は自殺的な奇襲としか思えない。まあ“怨獄の薔薇姫”は、もう死んでいるわけだが。
気を逃さず反撃に打って出るのは間違いではないだろう。
問題はディレッタの騎士たちが次に言うであろう言葉で、ベーリは既にそれが分かっていた。
『シエル=テイラにも、出せる限りの空行騎を出していただきたい。
まあ、賢明な皆さんのことです。既に用意を済ませているものと、私は確信しておりますが』
騎士の一人が通話符を恭しく捧げ持っていて、そこからは、ウェサラに居る『総督』サミュエルの声が聞こえた。
そしてベーリが予想していた通りのことを言った。
ディレッタの方針ときたら、とにかく一貫していて、自国の戦力をなるべく損耗させないようシエル=テイラをこき使っているのだ。
「お待ちください。
元より我が国は、空行騎を少数しか持ち合わせておらず、さらにその大半を先日の王都の戦いで失いました」
「そうだ、これでは本当に何も無くなってしまう」
諸侯らが控えめに反駁する。
だがサミュエルは、どこ吹く風だ。
『残りを出し渋る理由にはならぬでしょう。
そも、今そちらに残っている空行騎は、王都の戦いから逃げ出したために生き残ったのでしょう?
汚名を雪ぐ機会を与えようと言っているのですよ』
そして、沈黙。
サミュエルが言うのもまた、一面の事実だった。
「しかし……」
「構わぬ」
言い返そうとした者を、ベーリは制した。
「戦うより他に……なかろう」
それは諦めか。
あるいは、怒りか。己の手足に絡みついてくるものへの。己自身への。
*
ルネの頬を、舞い上がってきた火の粉が撫でた。
広場に積まれた荷箱が燃え上がるのを空から見下ろして、ルネは頭の中のチェックリストにまた一つ印を付ける。
そして吸血鬼の翼を羽ばたかせ、急旋回した。さっきまでルネが居た場所を、定置魔弓の高射が貫いた。
此度の作戦は、一撃離脱。
奇跡の盾の内側に、少数で飛び込んで荒らせるだけ荒らし、相手が迎撃態勢を取る前に逃げ出す。
勝負はせいぜい数分間。連れ込める部下の数も限られる。必然、できる事も限られるし、部下の一人でも死んだら差し引きマイナスになりかねない。
そして……この場にはルネが居る必要がある。取られたら終わりの王将を、神気の檻の中へ放り込むのだ。
行動は大胆だが、計画は繊細でなければならぬ。それでも必要だし、可能だと判断したから、ルネはここに居る。
「敵騎影確認! 王城より発進しました!」
ルネに追従する空行兵が声を上げる。
同時、重低音の羽ばたきがルネの耳にも届いた。
「ブリーフィング通り、引き気味での戦闘を!
取れるならわたしが取る。更に増援が出たら、即時退却!」
「「「了解!」」」
力強い応答があった。
エルフの空戦部隊『フロッカス』は、この世界の空戦の概念を変える革命だが、その猛威は集団戦闘あってこそだ。少数での奇襲においては、重量級の騎獣に手こずるだろう。蜂が暴れ牛を殺そうとするようなものだ。
この作戦は最初から撤退を盛り込んでいた。
王城の敷地内から騎影が舞い上がった。
鷲獅子馬は城壁に前肢を掛けて蹴り上がり、一気に高度を上げる。
ヒポグリフばかり三騎だ。
その先頭のヒポグリフの騎衣に、あり得ぬものをルネは見た。
戦場で、己や乗騎を飾るために王家の白薔薇を冠するのは一人だけだ。
もちろん、本来ならそれは、ルネであるべきなのだが。
「あれは……僭王ベーリ!?」
黄金の空に、白薔薇は翻る。
破れかぶれに輝く、魂の炎を宿して。




