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[5-40] デスバウンド

 テイラ=ルアーレの王城。

 石の柱に謎のひっかき傷が残る、軍議の間にて。


「全く貴様らときたら、どの面下げてこの城に戻って来れたものか」


 大机を囲う者たちの表情は、暗い。

 ベーリ王と、諸侯のうち幾人かである。自領を離れられない諸侯は、名代の騎士を派遣しているわけだが、こんな時に王城へ派遣された名代は主を恨んでも許されるだろう。


「よくも逃げ出してくれたな。

 王権とは、そしてその負託を受けた貴族の支配とは、神が与えたもうた戦いの義務なるぞ」


 威圧的で、粘り着くように嗜虐的な声が、軍議の間に虚しく反響する。

 ベーリ王の毛皮のマントより豪華で絢爛な、ディレッタ貴族らしい金ぴかの服を着てイライラと歩き回りながら説教を垂れているのは、エツィオというディレッタ騎士だ。

 エツィオは指揮官でもなんでもない。

 テイラ=ルアーレに駐留するディレッタ軍の中ではナンバー4くらいで、今日はただ説教がしたい気分でここに来たのだろう。


「このシエル=テイラには信仰無き腑抜け者ばかりか。民に示しが付かぬと思わぬか!」


 エツィオは唾を飛ばして喝破する

 『ではディレッタの騎士はどうなのだ。負けると分かるなり、我らに戦いを押しつけて、家財もろとも逃げ出したではないか』……というのは、ベーリ王を始め皆が思っていることだが、誰も口に出せなかった。


 ベーリ王や諸侯軍は、攻め寄せる『亡国』軍を前に、城を捨てて逃げ出した。

 結果として命は助かったわけだが、先に逃げていたはずなのに突然踵を返したディレッタ軍が『亡国』を追い払ってしまったせいで、事態はかなりややこしく面倒になった。


 敵前逃亡の汚名を背負い、ディレッタの庇護下に舞い戻るより他に道は無かった。

 だが一度抜いた剣を元の鞘に収めるのは、ドラゴンを斬るより難しいと言う。

 針山に座るようなものだ。このままディレッタが勝利したとしても、立場が悪くなることは確実。どのような扱いを受けるか分からぬ。

 そしてそれでもディレッタには逆らえぬ。

 再び劣勢になれば彼らはいち早く逃げ出すのかも知れないが、今は庇護者だ。軍勢は帰ってきて、天使によって顕現した神のご加護が王都を守っている。

 だから……出口の無い話し合いの最中に、暇を持て余したディレッタ騎士がやってきて何時間説教を続けたとしても、それを黙って聞くしかない。


 もっとも、エツィオの説教は、ベーリの予想より遙かに早く終わったが。


「いいか、貴様らぼびら!?」


 窓から飛び込んできた太い投げ槍が、エツィオの首筋を貫いて口から飛び出し、彼が絶命したことによって長広舌は途絶えた。


「な、なんっ……」

「なんだ!?」


 灰色の石床に、真っ赤な血が広がっていく。

 居合わせた者たちは皆、エツィオの身体が崩れ落ちるより早く、反射的に窓から離れた。彼らとて騎士、武人である。致命的な攻撃がどこから放たれたか見極め、安全を確保したのだ。


 投げ槍によって割り砕かれた窓からは、うっすらと黄金の光が差し込む。

 伏せたボウルのように街と城を覆う障壁の輝きだ。

 まるで空から金色の雪が降っているような幻想的な光景だが……


 その空を、影がよぎった。


 *


 一方その頃、天使は哀れな騎士たちを怒鳴りつけていた。


「無茶言うんじゃないよ! あたしゃ、あの壁をおっ立たせ続けるので精一杯なんだよ!

 代わりにあんたらが生贄の聖女になるってんなら、今すぐにでもタマ千切ってやるからそこに並びな!!」

「た、タマって……」

「し、失礼しました!」


 伝令役となったディレッタ騎士たちは、おそらく『シエル=テイラ』駐留組。宮殿で悪名を轟かせたディアナの気質を承知していなかったのだろう。

 聖なる戦いだの、人々のためだの、経典を切り貼りしたようなセリフをひっさげてやってきたものだから、それはそれは鬱陶しがられて這々の体で逃げ帰ることとなった。


 ディアナは溜息をついて、白雪色のソファーに身を投げ出した。

 特に何の説明も無くあてがわれた部屋だが、城の高所に設けられた一等広い寝室たれば、城主のものだったに違いない。もっとも、本来の主はすぐに城を追われたわけで、禄に使われた様子は無かった。


 星を散りばめたオーロラのような薄紫のカーテンに、白と桃色のベッド……最近どこかで見たような童話趣味ファンシーな内装は、同一犯の気配が漂う。

 ルネ自身の趣味ではないだろうし、偉ぶったディレッタの騎士たちもこんな部屋使いたがらないだろうし、ディアナもここに居るとなんだか尻の穴がむず痒くなってくるようだった。


 眠ろうという気にもならないが、ディアナはそのまま目を閉じる。

 その瞬間、鋭いノックの音にディアナは叩き起こされた。


「なんだい、まだ何か用…………あれま」


 扉を開けると、青髪の若き女司祭が咎めるような目でディアナを見上げていた。

 ディアナの世話係として付けられた神官、聖都に置いてきたはずのパメラである。


「よく付いて来れたね」

「来させられたんです。

 それに私は司祭位がありますから、自分の権限で転移陣を使えます」

「寒いのは苦手だろ」

「大抵のことは慣れが重要です」


 そう言ってパメラは、凶器になりそうなスーツケースを部屋に運び込んだ。おそらくディアナの着替えも入っているのだろう。


 ディレッタ神聖王国のお偉方は、ことディアナに関してはパメラに頼りっきりだ。

 傍若無人な戦乙女ヴァルキリーが、パメラに対してはどうにも弱い。彼女を緩衝材として使うことで、ディレッタのお偉方は辛うじてディアナを制御している。

 もっともディアナに言わせればパメラの存在は、体の良い人質のようなものでもあったが。


「何があったんですか、天使様。

 逃げていったお二方、すっかり青い顔でしたよ」

「別に。

 ……ちょいと仕事をしてこいって言うのさ。亡国の兵が城を出てうろついてるから、数を減らして来いって。

 そりゃあアタシなら、どこへでも軽く行って帰れるけどさぁ、でも無茶じゃない」

「確かにそれは珍しく天使様が正しいかと」

「なんだい『珍しく』ってのは。

 ……そのくせ戦況だの方針だのの話にゃ、混ぜてくれないし教えてもくれない。

 あいつらみぃんな、アタシを馬鹿だと思ってんだから、やんなるよ」


 寸の間、パメラは怯んだように押し黙る。

 彼女は聡い。ディレッタ神聖王国の王宮が、口ではディアナを尊びながら実際は利用することしか考えていないと分かっている。パメラに対してもそうだ。形式的な司祭の位を与えているが、敬意の欠片も抱いていない。

 だが、反抗したところで、他に冴えたやり方など無いのだ。パメラには我が侭を通すような権力ちからは無いし、ディアナも大神の手駒として首輪を付けられた身の上だ。結局はディレッタを助けるしかないのだと、たかを括られていて……その認識は致命的な部分で間違っているのだが、少なくとも今のところは正しかった。


「あんたに聞かせてもしょうがなかったね」


 しおれてしまったパメラの頭を、ディアナはわしわしと掻き乱した。


 だが次の瞬間ディアナは、背の翼を広げて、それで抱くようにパメラを庇う。


「…………おばさま?」

「下がりな!!」


 勘としか呼べないほどの、些細な違和感。

 それは天使としての超感覚によるものではない。研ぎ澄まされた五感と、その中から注目に値する情報を抜き出す判断力。冒険者としての経験が為せる技だった。


 耳の底で拾った、風を切る音。戦うための速度、殺すための迅速さだ。

 それと裏腹に殺気も邪気も感じ取れないのが、異常だった。

 密かに何かが起こっている。


 掃き出し窓の外。バルコニーの手すりの向こう。黄金の光が降る空。

 まるで城の壁を駆け上がるかのように、猛スピードで横切ったのは、銀色の風。


 刹那。

 だが、時が止まったかの如く確かに、二人は目が合った。


「あれ、まあ」


 黒い皮膜の翼を背にはためかせ、ルネが飛んでいった。

 一拍おいて、窓ガラスがビリビリとうるさく鳴いた。

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