[5-39] 欺き
『亡国』の脱走兵たちは、避難民キャンプよりさらに北にある、廃墟の地下施設を仮の宿としていた。
ここはかつて、とある犯罪組織が山中に作った前哨地の一つであるらしい。公権力の座である都市から離れた、隠れ家というわけだ。
違法薬物の製造施設や、人質用牢屋だったと思しき部屋が残されていたが、それらはもう使える状態ではなかったし、脱走兵たちには必要も無い。
吹雪から身を隠せる場所があるなら十分だった。
「クソが!
ディレッタに負けておいて、弱い者いじめには全力か!」
本来は族長のみが身につけられる、大仰な襟巻きを着けた若きリザードマン・シジルハルギィリは、怒りに震える拳を事務椅子の手すりに叩き付け、へし折った。
『亡国』に吸収されたリザードマンたちは、元より政治的に不安定であった。
カリスマ無き調停者、『化石』や『溺死体』(半水棲種族たるリザードマンにとって最も侮辱的な渾名の一つだ)とも揶揄される族長・フルシュシルシギィは、“怨獄の薔薇姫”の威光に縋り、彼女の忠実な代理人になることで下剋上を封じて政治生命を存えていた。
そのことで、若く野心的なリザードマンたちは不満を抱えており、今回はそれが爆発した形だ。
彼らの理屈は単純だった。
自分たちが力を示せば、往生際悪く『亡国』に従っているリザードマンたちも、馳せ参じるであろうと。
あながち間違いとも言えないが、甘い目論見はすぐさま行き詰まった。
稼ぎに出ていたリザードマンたちが『亡国』の討伐部隊に襲われて皆殺しにされたのだ。
「残ったのはこれだけです、族長。
俺たちは、どうすれば……」
「ぐっ……」
ちょうど隠れ家で休んでいて難を逃れた、八頭ばかりの仲間たちを見てシジルハルギィリは牙を軋ませる。
どうしようもないに決まっている。
それでもどうすればいいか、シジルハルギィリは必死で考えて、同じ会議室で話を聞いていた獣人たちを、八つ当たりのように睨み付けた。
「おい、毛むくじゃら。
此度、被害に遭ったのはリザードンマンばかりだ。
お前たちも血を流すべきではないのか?」
サバトラの毛並みを持つ、隆々たる猫獣人は、鼻面に皺を寄せて渋面を作った。
「それは話が違うだろう。
各々勝手にやるという取り決めだったはずだ。獲物だって分けてねえ。
協力するなら、それは取引になるぞ」
「チッ」
脱走兵たちは、いくつかの種族の寄り合い所帯だ。人間すら居る。
だがこれは本当に寄り合いでしかなく、種族を超えた協力態勢など、最初から誰も考えていなかった。
お互いに関わらない、実質的には別の組織だ。ならば分け前で揉めることも無くなるが、力を合わせて大事を成すこともできない。
組織が生まれるとき、内部対立が生まれ、大きな組織ほど不和が増えていく。
意見が異なる者を切り捨て、あるいは自ら離れれば、一時的にはスッキリするだろう。だが代償として勢力はしぼみ、そのくせ次の内部対立が生まれる。
その結果何が起こるか。
……仲間割れもできないくらいに力を失うまで、分裂を続けるのだ。
共和国でギャングの離合集散と抗争を見てきたムールォは、そう理解していた。
だが愚かな選択と知りつつムールォは、血と鎖の絆で結ばれた兄弟を、見捨てられなかった。故に彼は、ここに居る。
獣人部隊からの脱走兵たちは、ムールォをリーダーとして動いていた。
威厳あるウヴルの下で懐柔役をしていたムールォは、こういう止むに止まれぬ期待を集めてしまう立場であったし、算盤を弾けるのが彼ぐらいしか居なかったというのもリーダーに収まった理由だ。
とは言え、いくら算盤を弾けても、金と物資を無から生み出せるわけではない。
戦時である事を差し引いても、山賊行為の上がりは想定外に乏しく、ムールォは間に合わせの帳簿を睨んで頭を痛めているところだった。
かつてチェーンギャング“赤麦の兄弟”が活動していたファライーヤ共和国は、列強五大国のひとつ。雪に埋もれた小国とは豊かさの桁が違う。
奪えば生きていけるのだ、という楽観が兵たちの中にはあった。実のところムールォも、外道に徹すれば生きてはいけると、少し甘く見ていた。状況は想定よりも厳しく、残された時間は少ない。
飢えて倒れるまでが勝負だった。
帳簿に挟んだ、宛名も差出人も書かれていない立派な封筒を、ムールォはそっと開く。
「兄貴、それは……」
覗き込む犬獣人にそっと人差し指を立て、リザードマンどもが苦悶する会議室から、ムールォはそっと立ち去る。
「リザードマンは魔物だが、俺たちゃ人族だろ。ジレシュハタール連邦に逃げ込めさえすれば、どうにかなるかも知れねえ。
例のキャンプには、連邦の仲介人が入り込んでる……そいつらに話をしてるんだ」
かつて、旧シエル=テイラのグラセルム利権を他の四大国と争ったジレシュハタール連邦は、傀儡の玉座が脅かされても不気味な中立を保ち続けている。
他の国よりはまだ、味方してくれる望みがあるかも知れないとムールォは考えた。仲介人のための仲介人まで使って、ようやく連絡を取った。
その成果は……
「……あ? なんだこりゃ?」
ムールォは顔をしかめる。
封筒の中身は、求めた相手からの返答ではなかった。
* * *
その地下施設には、当然のように遠話室が設えられていた。
離れた都市と遠話をするような魔力リソースはもちろん無いが、相手方が一方的に魔力を負担するなら、受信は可能だ。
『罪を悔い改めることは、最も尊い行いの一つです。
我が国、ディレッタ神聖王国は皆様を受け入れましょう』
魔方陣が輝く、石造りの地下室に響くのは、朗々たる落ち着いた声だ。
我こそ正義なりという自信に満ちていて、それが余裕を醸し出している。
ムールォは神殿の説教など、生まれてこの方一度も聞いたことが無いが、おそらくこういう虫唾が走るものなのだろうと考えた。
遠話の相手は、ディレッタ神聖王国の騎士だ。ディレッタの側から呼びかけて、遠話会談をしているのだ。
遠話室にはムールォの他に、人間たちのまとめ役だけが来ていた。
彼は、アルと名乗っていたがおそらく偽名だ。この『旧領土』にて『亡国』が回収・合流した市民兵である。名が知られたら、どこぞの親戚に累が及ぶと警戒してのことだろう。
「ほ、本当か!
助ける代わりに兵士になれ、なんて話じゃねえよな!?」
『それはもちろん。
「聖なる逃亡者」条約に基づく正当な扱いを保証致しましょう』
ディレッタ騎士の誘いにアルは、腹が減って死にそうなときにようやくパンを一つ盗み出した子どものように、目を輝かせていた。
ムールォは、アルのように話に飛びつけなかった。
ディレッタ騎士の言う条約とやらがどんなものか知らないが、それは枝葉だ、どうでもいい。
優位にある者がこんな気前よく優しい顔をしているのが、あり得ないのだ。
「代わりに何をさせられるんだ?」
『何も。皆様は善き市民として、神の子として、日々を営むことで戦い、心ならずも魔物に従っていた事への禊としていただきたく存じます。
……ああ、念のため申し添えておきますと、我が国に奴隷制は』
「無ぇ。知ってるぜ」
『はい。
神聖王国は一貫して、神の教えに反するものとして奴隷制に反対しており、野蛮な奴隷制から逃げてきた多くの元奴隷が自由な生活を送っております。
ですので、その点もご安心を』
音声だけの遠話であるのをいいことに、ムールォは思いっきり苦い顔をしていた。
裏切り者には価値があることを、ムールォはよく知っている。
ギャングの抗争でもそうだったし、ファライーヤ共和国の政界でもそうだった。……ムールォに投票権は無かったが、兄弟たちと違ってムールォは、好奇心から人間の政治を観察していたのだ。
実際それは役に立っていた。人心を掴む術として、そして企みを見抜く術として。
こんな口約束に何の意味があるというのか。釣った魚に餌は要らない。料理されるまで生きていれば、それでいいのだから。
『ご存じの通り、状況は常に移り変わっており、残念ながらいつまでも待つことはできません。
どうか、お早いご決断を』
魔方陣が光を失い、遠話は終わる。
国の端から端まで繋ぐほど遠距離の遠話は、それだけ魔力を消費するのだ。ウェサラに魔石を集めたディレッタとて、無駄遣いはできまい。
遠話が終わると、アルは長い溜息をついた。
「いやはや、助かった!
神様ってのは本当に見ててくれるんだな! なぁ!」
『………………』
ムールォは何も答えられなかった。
怪しい誘いだ。
だが、そう思う時点で、自分は相手の思惑通り、篩に掛けられている……
素直に自分たちを信じてくる奴だけ、吸い上げて使えれば十分なのだろう。
――真っ二つに割れるだろうな。信じる奴と、疑う奴と……
元々、烏合の衆だ。もう引き留められねえ。
おそらく人間の中からも、ムールォのように疑う者が出る。
一方で獣人たちの中からも、アルのようにディレッタを信じる者が出るだろう。
割れて砕けてここまで来たが、今を維持することさえできない……
――クソが!
世界の全てが鎖となって、手足を縛り、首を絞めてくるような感覚。
奴隷だったとき、そしてギャングになってからも感じていたそれが、またムールォに纏わり付いていた。
カクヨムにて、1月末〆切のカクヨムコン向けに新作を投稿し始めました。
後日、なろうの方にも転載予定ですが、今すぐ読みたい方はこちらからドウゾ。
https://kakuyomu.jp/works/16818023212180393799




