[5-38] まやかし
「何だ、これは」
踏み荒らされた雪道の上に、死体が散乱していた。
流れた血は、まだ湯気を立てている。
人間大の、トカゲか翼の無いドラゴンか、という外見の魔物。
リザードマンだ。
鎧の下に、小さな懐炉らしきものを付けた保温スーツを着込んでいる。変温体質のリザードマンは、そのままなら寒冷地で戦えまい。なので専用の装備を開発したようだ。
長い舌を雪道に投げ出し、事切れている。
そんなリザードマンの死体が、見えるだけでも三十は転がっている。
橇馬車は雪の街道を北へ向かうところだった。
その行く手に突然、惨劇が横たわっていた。
馬車は速度を落とし、徐行する。
ユーニスがどこからか呼んできた、明らかにカタギでない護衛たちは、剣を抜いて馬車の周囲に方円の陣を組み警戒の態勢を取った。
ウィルフレッドも馬車を降りて、辺りを伺いつつ死体を検める。
「『亡国』の逃亡兵でしょうね」
「この傷……カタナだ」
サムライたる者、カタナ傷を見間違えはしない。
リザードマンたちは、カタナによって斬殺されていた。
「全員、同じ太刀筋だ……
これだけの人数が一人にやられてる」
カタナが付ける傷には、使い手の癖が出る。筆跡のようなものだ。
散乱する死体が全て、同じ一人の手によるものだとしたら……この多数を相手に切り結んで一方的に虐殺したということになる。
そも、カタナを持つ者など、この地方では稀だ……
「おや。見られてしまったようでござるな」
散らばる死体の先に、彼は居た。
今まさに血を吸ったカタナを、ぶんと振るって血脂を払う。
大柄な金髪の男だった。
三度笠にキモノという、雪の中を歩くとは思えぬ姿。
なにしろ彼はもう生きていない。蒼白な肌に体温は無く、肩にうっすら積もった雪はいつまでも溶けぬ様子だった。
「……やっぱり……
あなたが『ウダノスケ』だったんですね」
ウィルフレッドは茫漠と呟く。
キャサリンが共有したシエル=テイラ亡国の資料には、彼についての記述もあった。
“怨獄の薔薇姫”の切り札の一つ。悪魔の如き強さを誇り、主立った戦いには必ず姿を現すという、カタナ使いの食屍鬼の剣士。
ウダノスケ。
状況は符合していた。
ウェサラの街を一度滅ぼしたのは、ルネで。彼女は、あの戦いで配下を増やしていたはず。
もしも、あの……名も知らぬ気高きサムライが、戦いの中で命を落としたなら、ルネはきっと彼を拾い上げただろう。
別人であってくれと、ウィルフレッドは願った。
あのサムライは、今も世界のどこかを飄々と流離い、力無き人々のために剣を振るっていると、思いたかった。
「ウィル!」
馬車の窓からキャサリンが叫んだ。
死んだら済まぬと、心で詫びる。
この決着を付けなければ、ウィルフレッドは先にも後にも進めない。
「拙者を知っているでござるか」
「俺には二人の師匠がいる。
技の師匠はディレッタの道場に。
サムライの心を……魂を俺に教えたのは、ウェサラが滅んだ日、俺の命を守った、名も知らぬサムライだった……」
コンバット摺り足で雪を踏み分け、ウィルフレッドは進み出た。
雪風が、轟と、吹き付けた。
「俺はサムライ、ウィルフレッド・ブライス!
その剣に魂は在りや。
……手合わせ願う!」
「拙者はウダノスケ。
立ち会うならば、加減はできぬでござるぞ」
ウィルフレッドは低くカタナを構え、駆けだした。
「む……サーモンの構えか」
対するウダノスケは、ニワトリの構えから、叩き潰すような兜割りの一撃。
ウィルフレッドは鋭く手首を返し、打ち払いつつ斬り上げる。サーモン・タキノボリだ。
だが、切り結んだ瞬間の衝撃が大きすぎた。不完全な反撃は容易くいなされる。
まさに剛剣。ウダノスケは生前より、恐るべき使い手であったのだ。そこにグールの膂力が加わり、比類無き剣士となった。
ウダノスケの突き一閃。
当たれば一撃必殺の恐るべき剣圧だが、これすらも見せ技だ。紙一重で回避したウィルフレッドは、切り払いへの派生を警戒し、当て身を仕掛ける。
想像以上にウダノスケの体幹は重い。
しかしそれでも崩した。
離れかけた間合いを、ウィルフレッドは詰める。
「「スシ!」」
一閃。一合。
ウダノスケは未だ、守勢。
カタナを返しての袈裟斬り。二合。火花が散る。
半歩ウダノスケは下がる。タヌキの構えからの反撃の予備動作だと、ウィルフレッドは見抜いた。
踏み込んで、体重を乗せた面打ち……を、放つと見せかけて、ウィルフレッドはコンパクトな籠手打ちを繰り出す。
「!」
カウンターを読まれたウダノスケは、機先を制したウィルフレッドの一撃を、辛くもカタナの柄で受けた。ギリギリの防御だ。
そしてウダノスケは、前蹴り一発。ウィルフレッドはカラテ防御しつつ後ずさった。
カタナばかりがサムライに非ず。カタナの隙を補うカラテあってこそだ。
「なるほど。
元より手の内が知れているなら、拙者も技を惜しまぬ」
ウダノスケが、バネをたわめる如く、深くカタナを構えた。
――来る……!
あの技だ。
今でも目に焼き付いている。
「ハラ!」
天地を分かつ横一閃!
受け止めたウィルフレッドの手が痺れる。
「キリ!」
続いて、縦一閃!
いかな名刀と言えど、ハラキリ十字を刻まれて無事で居られるか。
この技の性質を知るウィルフレッドは、無理やりに転げて避けた。受けてはいけない。武器破壊を招く。
「SMAAAAAAAAAAASH!!」
そして、袈裟斬り。
崩れた体勢で渾身の一撃は防ぎきれぬ。
咄嗟の判断だ。ウィルフレッドは身体を丸め、カタナを抱くように構えた。
超重量級の一撃!
ウィルフレッドは踏ん張らず、自ら弾き飛ばされた。
後転し、受け身二連。雪の上にクレーターを刻んでウィルフレッドは起き上がった。
そして、ウダノスケは納刀。
これが『ハラキリスマッシュ』のトドメ。ハラキリ十字の起爆符牒である。
ウィルフレッドのカタナに、重い手応えが伝わり高く鳴いた。三連撃を全て受けていたら、ここで砕け散っていただろう。
「捌ききるか」
「何故です、師匠……」
顎も砕けよとばかり、ウィルフレッドは歯を食いしばっていた。
「正義のために戦ったあなたのカタナは、まるで火を噴くように輝かしかった。
だと言うのに、今は軽くてカラッポだ。
サムライの魂を、どこに忘れてきたんです!」
ウダノスケは、恐ろしく強い。
だが、それ以上のものが無い。剣技が悪い意味でブレない。訓練用ゴーレムと戦っているような気分だ。
あの日、ウィルフレッドが見たウダノスケの剣は、こんな無機質ではなかった。
全てのサムライの理想たる、太陽の如き光を見た。それをずっと目標にしてきた。
だと言うのに。
「……知らぬのか。
『ウダノスケ』は、犯罪組織“ナイトパイソン”に、金で雇われた用心棒にござった。
元より、このカタナに宿す心など、ござらぬ」
「えっ……」
ウダノスケは、決して自虐という風ではなく、さして興味も無さそうな口ぶりで己の来歴を語った。
ウィルフレッドが考えもしなかったことを。
「あぁ。どこかで聞いた名前だと思ったわ。
バルタークの用心棒。
“虎殺し”のゴド、女暗殺者エスト、そして……人斬りサムライ・ウダノスケ」
成り行きを見守っていたユーニスが無慈悲に補足した。
彼女は裏社会を知り、そこに生きる者だ。なら知っているのも道理だろう。
ウダノスケの言葉は虚言ではないし、生ける屍となった彼が見た悪夢でもないのだ。
「ほう?
十年留守にした地に名が残っているとは。拙者も捨てたものではなさそうでござるな」
「又聞きヨ。
ナイトパイソンなんて、もう昔話だもの」
「嘘だ。
あの日、あなたは……損得無く命懸けで、人々を守った!
金だけの殺し屋に、そんな真似ができるものか……!」
「さて、生きておった頃のことは禄に思い出せぬが、やはり拙者が斯様な大人物であったとは思えぬな。
故にこそ、我が死後の剣は姫様に捧げ申す」
ウィルフレッドは、あのサムライの背中に憧れた。
あの輝きに。あの勇気に、焦がれた。
だが、ならば、ウィルフレッドが見ていたものは何だったのか。
たとえばウダノスケが魂を呪縛されて『亡国』に仕えていたとしても、そのために非道の人斬りに堕ちていたとしても、それはルネが『サムライ・ウダノスケ』を貶めただけであって、あの日ウィルフレッドが見た輝きは色褪せぬ事だろう。
むしろ、その方がウィルフレッドは救われたはずだ。
己の虚無なるを知り、それ故に今を愛する、枯れ寂びた戦士の姿など、ウィルフレッドは見たくなかった。そして、そんなウダノスケにすら、ウィルフレッドの『心ある剣』は及ばぬのだ。
カタナを鞘に収めたまま、それをもう一度抜くことは無く、ウダノスケはそのまま背を向けた。
「っ……! 待て!」
「待たぬ。
無用な殺生はせぬよう、命じられているでござる」
ウダノスケは振り返りもしなかった。
「お主のカタナは折れておらぬが、心は既に折れている。
これ以上は、手合わせにござらぬ。ただの嬲り殺しになるでござろう。
……では、これにて御免」
舞い散る雪の、帳の向こうへ、その男は消えて行った。




