[5-37] 置き去りにされた者
トレイシーが会いに行ったその男は、分かりやすく避難民に紛れるどころか、連邦の商人の顔をしてそこに居た。
「よう。随分と興味深いことになってるな」
「きっつい皮肉だなあ、それ」
プレハブ商店街の片隅の、小さな蒸気銃店に、情報屋は居た。
いつの国、いつの時代にも、時勢に通じることで商売とする者がある。
情報網とは即ち、人の縁だ。
まるで擬態するアマガエルのように、彼らは協力者の手を借りて装いを変え、仕事ができる場所に滑り込むのだ。
トレイシーはどちらかと言うと影に隠れるのではなく、有名冒険者として表舞台にも立つタイプだったが、彼らの手管には通じている。
「ま、俺の仕事には関係ねえか。
調べが付いたぜ。ケーニスの連中が『亡国』の目を欺いて逃げおおせた一件だ」
情報屋の男は店の戸に『店主外出中』の札を掛け、真鍮色の日除けを降ろして、話し始めた。
「動いてるんだよ。"虹の目"のユーニスが」
「ユーニス?」
「……そうか。よそ者のお前は奴を知らねえか。
今、このシエル=テイラ王国で一番やべえ女だ」
10年間、この地を離れていたトレイシーは、実際よそ者も同然だった。国の現状を全ては知らない。
再征服作戦のため、事前に調査の手を入れてはいたが、藪を掻き分け石をひっくり返すような調査は無理だ。飛び込んでからでないと見えないものもある。
「ユーニスは元は、ナイトパイソンが消えた後に台頭した中小犯罪組織の、ボスの愛人っつーか……肉奴隷の一人だったんだがな。
あの女、幹部連中を手玉にとって内部抗争を引き起こし、組織を分裂させて、片方を自分のペットにしちまった。
そこから手を広げて、トントン拍子さ。
ユーニスは特定の組織のボスじゃねえが、あの女が一声掛けるだけで悪い奴らが山ほど動く。
奴は信じられねえくらい頭が良くて、周到なんだ。しかもそんで、顔が広くて敵が居ねえから、大抵のことができちまう」
「へええ。
なんだかボクと気が合いそうな人だ」
無邪気に褒める言葉は、しかしトレイシーにとって最大級の警戒でもあった。
古いことわざに曰く、『ウサギの穴はウサギが見つける』。
人に取り入るトレイシーの技は、全くの我流である。他の誰にもできないことだった。だからこそトレイシーにとって最強の武器だった。
同じ技を持つ者と戦うのは、いろいろな意味で避けたい。
「あの女、迂闊に手ぇ出した奴には、しっかり分からせるんでな。
俺はここまでだ。どんなに金を積まれてもこれ以上はやれねえよ」
「で、そんな人がどうして動いてるのさ」
「……正直、分からん。
ケーニスが協力者を探してるところに、自分から手ぇ上げたらしいがな……」
情報屋の男は、間を持たせるかのように一服、煙草を吹かした。
「らしくねえんだよ。
ケーニスから仕事を引き受けたと、ディレッタに知れたら酷え事になる。
あの女の手勢だってよぉ、ディレッタが本気になりゃ鼻息で吹っ飛ぶぜ。金ごときのために、んな危ない橋渡るとは思えねえんだ」
*
「あは! 私が怖い?
何が見えてるの? お嬢ちゃん」
虹色の目の狂人は、気さくに、にこやかに、かがみ込んでルネと目線を合わせた。
ルネはあくまでも感情しか読み取れず、相手の思考が分かるわけではないのだが、それでも人が動くときは、感情の揺らぎからその予兆を察する。
特に白兵戦で立ち会うとき、これは強力な武器となる。釣り合った天秤は一枚の羽根でも傾く。この『感情察知』能力は、技を極めた達人同士の戦いなら、拮抗する勝敗の天秤を問答無用で傾ける、まさしくズル技だ。
その感覚は既に、習い性として染みついていた。
だからこそ、特異な精神の有り様を持ち、いつどんな動きをするか全く読めない女を前に、ルネは戸惑っていた。
そのルネの反応は、どうも相手からは、人見知りか何かに思えたようだが。
「大丈夫大丈夫。
アハハ、普通じゃないのって大変だよね。でもね、生きてりゃ良いことも、願いが叶うことも、きっとあるのよ。だからさ、頑張ろ!」
虹色の目の女は、上機嫌な様子でルネの頭を防寒帽越しにわしわし撫でて、そして去って行った。
何もかも無軌道に思われた。
ルネのどこを見て怪しんだかも分からないし、その上で声だけ掛けて何もしないというのも、また妙な話。あるいはまさか本気で、元気づけただけなのか。
撫でられた痕に手をやって、ルネは首を傾げる。
だが、呑気に不思議がっている暇は無い。
ルネは、あの奇怪な女のことをひとまず思考の隅に押しやって、己の仕事を成すべく動き出した。
*
一方、魔城の指揮所にて。
指揮所の幻像盤が映し出したのは、黄金の光だった。
「……なんだ、アレは」
「ちょっ……マジ?」
輝かしい黄金の光を圧し固めたような、どんな巨人でも抱えられないほど超巨大な盾が、張り子の如く数十枚つぎはぎに貼り合わせられて、テイラ=ルアーレを包んでいた。
シエル=ルアーレは今、旧王都の眼前にあるのだから、それこそ城壁から手を伸ばしたら、黄金の光に触れられそうなほどだった。
都市防衛のための障壁に似ているが、違う。
本来自在に展開できる光の盾を、都市防衛障壁の代用としているのだ。
「『ウルザの誉れ』。
四百年前の大戦で、人族が賜った神器の一つ。ディレッタの国宝よ」
エヴェリスはもちろん、それに見覚えがあった。
かつての大戦で使われた戦略級神器は、ディレッタ王宮の飾り物となって久しかったが、その一つが持ち出され、ここに在る。
ディレッタ神聖王国の本気の証か、あるいは神の差し金か。
おそらく天使が本国から持ってきたものだ。
あの神器は、人の手には余る。力の代価として生贄の聖女を要求する品だ。だが天使なら扱える。
「多分、アレが決定打になってたわね。
姫様が……ここで後顧の憂いを潰していなければ」
エヴェリスは状況を計算する。
現在、敵も味方もリソースが尽きかけている消耗戦だ。
しかもお互いに、手を伸ばせば相手を殴れる、足を出せば蹴飛ばせる、超至近距離に拠点がある滅茶苦茶な状況。その中で守りの手札として、神器を持ち出してきた。
軍勢を丸ごと守れる、神の大盾。都市防衛障壁の代用に使うなんて、逆に勿体なく思えるほどだが、妙手ではある。最悪でも時間稼ぎにはなる……『亡国』を時間切れに追い込む、最後の一押しには十分だった。
その結末だけは、辛くも回避した。
おそらく。きっと。
「ディレッタ君の大事な大事な国宝。
奪い取って邪神への供物にしてやるわ」
エヴェリスは元より難局を楽しむ質である。同時に己の在り方を、タフで不敵な参謀と定めてもいた。
上に立つ者が心折れなければ、下の者は後に続く。
だから、どんなに厳しい状況でも、望みが尽きるまで弱音はナシだ。
「失礼致します。
魔女様と元帥閣下にご報告申し上げます」
壁面パネルが継ぎ目の部分で一回転したかと思うと、そこには黒衣の隠密が跪いていた。
「避難民キャンプより北西方面の街道にて、西アユルサへ脱出していく者たちの一団が、脱走兵どもに襲撃され全滅しました」
「何?
……手が早いことだ」
「一番安全な場所で稼ぎだしたかぁ」
報告を受けて二人は唸る。
息つく暇も無く、同時多発的に事態が進展していた。
脱走兵どもは、隠密衆に追跡させている。
彼らは目下、概ね一塊になって行動していた。
とは言え、統率が取れているわけではない。バラバラに動いたところで飢えて凍えて死ぬだけだから、なんとなく一緒に居るのだろう。
中身はいくつかのグループに分かれていて、先を争って補給を始めているようだ。
「処理したいわね。ただし、片手間に」
「掃討の余裕は無いでしょうな。
気勢を挫くだけでもできれば……」
脱走兵たちは、状況を乱す雑音だ。
どこでどう動くか、それほど上手くやってくるか、何とも言いがたい。
最善の対応は、今のうちに完全に叩き潰し、残兵を屈服させて再吸収すること……そうしている余裕は無い。
最低限の手数で、必要十分の対処をすべきだ。
「……ウダノスケを出すか。あれは本来、遊撃を得意とする」
*
「おっ待たせぇ~」
部屋で待つウィルフレッドとキャサリンの所に、予定より少し遅れてユーニスが帰ってきた。
避難民キャンプには、避難民受け入れのための高層プレハブ集合住宅がある。
蒸気暖房配管が通った、荷箱みたいなシンプルな部屋が、いくつも並んでいるのだ。
本来それは避難民に貸し与えられるものなのだが、ユーニスは何をどうやったのか知らないが部屋を一つ手配してきて、ウィルフレッドたちはその部屋を一夜の宿として使っていた。
「何か良いことでもあったのか?」
「面白いことならあったかもねぇ」
「そ、そうか……」
この協力者が有能である事は、ウィルフレッドは流石にもう理解している。
だが同時に、胡乱で奔放で、行動原理も何を考えているかも読みがたい怪人だと思っていた。
「とにかく、用が済んだなら長居は無用だ。
『亡国』の脱走兵とやらが、どこに出るか分からないんだろ」
「そうね。間が悪くこっち方面に流れてきちゃったから危ないわ」
「せめて明るいうちに移動するべきですね」
今朝方、西の街道で避難民の一団が襲われたニュースで、キャンプは持ちきりだった。
色々と憶測も流れているが、シエル=テイラ『亡国』の脱走兵の仕業だと、既にユーニスは情報を掴んでいる。
敗軍の脱走兵というのは、大抵の場合、一番厄介な野盗だ。
訓練されていて、装備が良く、戦術を駆使するのだから。
「お前が何だろうと、協力者には礼儀を尽くし、このカタナとサムライの誇りに誓って守ろう」
「あら格好良い。襲ってもいーい?」
「ふざけんな」




