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[5-34] 与えられた猶予

 仮面の天使は、腹部を貫く鮮血の鎗を、へし折った。

 塞がらぬ傷跡から滴る血は、火花となって散っていく。


 天使は呆れた様子だった。仮面の下で渋面を作っていることだろう。


「おいおいおいおい、あたしゃ確かに殺したと思ったんだけどね」

「たしかにわたしはころされた」


 ミアランゼは薄く笑った。


 その背後から、更に別のミアランゼが現れた。

 右からも、左からも。


「だがわたしは」

「ひとつではない」

「それだけのはなしだ」


 闇の中から這い出してくる。

 生まれたての小さなミアランゼたちが。


「……世の中には不思議なことが沢山あるねえ」


 己も神秘の欠片である天使が、しみじみと絶句していた。


 植物の魔物の中には、竹が地下茎を通して幹を増やすように、己を複製して増殖するものがある。

 ミアランゼは、それをやった。

 自分が消滅ころされることを前提に、『怨獄』を苗床として、意識と魂を共有する複製体を植え付けておいたのだ。

 ルネが法を敷き、魂の運行すら歪めた異界だからこそ成し得た荒技だ。ミアランゼ自身、自分たちが今どういう状態なのか分かっていない。

 だが大切なのは、まだ自分が存在し、戦えるということだ。


「さあ、つづけようか。

 おまえがしぬまであいてになろう」

「いや、ちょっと待ちな」


 包丁みたいな剣だの、大ぶりなフォークだの。

 ミアランゼたちは皆、血霧を固めた武器を手に身構える。


 天使はそこに、待ったを掛けた。


「アタシの仕事は一旦終わったらしい。

 それで次の仕事があるっぽいから、まあ、帰るよ。

 ……ルネによろしくね」


 天使が大きく羽ばたき、光の羽根を撒き散らす。

 そして全く急に、何の余韻も無く、天使の姿は掻き消えた。


「てったいした……のか……?」


 ミアランゼたちは各々、周囲を見回し気配を探った。

 あまりに突然、ぷつりと糸が切れるように戦いが終わったので、それが信じられなく思うほどだった。

 天使たれば、常に天啓が与えられ、果たすべき使命を知るのであろう。状況が変われば命令が変わり、彼女は遅滞無くそれに従ったのだ。


 ルネは城内に被害を出さぬよう、この『怨獄』に天使を捕らえて戦っていた。

 そう簡単には抜け出せないはずだ。何かタネがある。

 ダンジョンに入る前の冒険者が、脱出用の転移陣を外に仕掛けておくみたいに、脱出の準備をしていたか。もしくは神殿などの、神の威光に満ちた場所であれば、着地点として使えるだろうか。

 いずれにせよ、状況を放棄しての完全撤退だ。


 そうと察して、ほんの少し緊張を緩めた瞬間、もうミアランゼたちは立っていられなくなった。

 天使に杭打ちをされて、無事で居られる吸血鬼ヴァンパイアなど居るだろうか?

 風に薙ぎ倒された草のように、皆、ばらばらと地に伏した。


 * * *


 そして夜が明けた。


「いやあ…………なんだこりゃ。無茶苦茶だ。城が二つ並んでやがる」


 バーティル・ラーゲルベックは、テイラ=ルアーレを望む山嶺から、それを見ていた。

 純白の王城と背比べをするように、すぐ隣に漆黒の魔城が停泊していた。大砲どころか、石を投げても届きそうな距離だ。

 ちなみに下層に都市部を抱え込んだ多層構造になっているため、黒い城の方が背が高い。


「……これは、どうなるのでしょうか」


 供の騎士は兜の上から頭を抱えていた。

 視覚的にもデタラメな状況だが、内実はそれ以上に複雑だ。


「一時膠着だな。

 黒チームは白チームをいつでも吹っ飛ばせそうだが、やっちまったら掴みかけた民の心を手放す最終手段だ。

 そうまでして天使とやらを倒せなかったら、丸損だろ」


 バーティルは話しながら頭の中で考えを纏める。


 ――『天使』、か。現状で最大の未知数……

   詰まりかけた盤面を一撃でひっくり返してくれたな。一体どういう奴なんだ?


 降って湧いたように突然投入された天使が、全ての計算を狂わせた。

 単独で戦況を左右しうる強者など、世界でも指折り数えるほどだろうが、彼女はそれを為した。


 ……バーティルも、ディレッタが切りうる札として、滅月会ムーンイーターと並んで例の天使のことは念頭に置いていた。

 だが、その投入があまりにも唐突かつ致命的なタイミングだった。何者かが天の高みより見下ろして、駒を動かしたかのようで。

 ともすれば戦いの寸前まで、天使は遠きディレッタに居たかも知れないとバーティルは思っていた。何らかの奇跡によって突然転移してきたのではと、疑うほどだった。なにしろディレッタ軍すら天使の動きを見て対応した格好だったのだから。


 『亡国』の正確な台所事情は分からぬが、ディレッタが近隣一帯の地脈を徹底して枯らしてきた焦土戦術は、今、『亡国』に重くのしかかっているはずだ。

 この一戦で備蓄魔力を使い切るくらいのつもりだったはず。ところが、想定外の対英雄戦闘を強いられた。さらには、目の前に拠点を置いた有利な状況と言えど、ここからテイラ=ルアーレを攻め直さねばならぬ……


「こいつは、ディレッタが待ちわびた勝利の端緒だ。俺なら援軍の編成を今すぐ始めるね。それも気合いの入ったやつを。

 援軍が来るまでに足下の抵抗を平定し、どこからか魔力の補給を通し、守りを固めりゃルネちゃんの勝ち。

 まあ全部できるだろ、その算段が無きゃ攻めてこねえ。

 ポイントはそれが間に合うかって事と……絶対にここで吹き出してくる『棚上げの課題』だ」


 外套を敷いて、雪の上にどっかと座り込んだバーティルは、魔法の水筒から蜂蜜茶を出して、湯気も漏らさぬ勢いで飲んだ。

 身体と頭を温める必要があった。


「……分からなくなった。

 よくて……動かねえと」


 綴られるべき未来と、今守るべき命。難しい方程式だった。

 針山の上で綱渡りをするような、慎重な立ち回りが必要だ。

 足を踏み外したときに死ぬのは、バーティルだけではないのだ。


 * * *


 戦いは一時停止した。

 だがそれは決して、戦う者たちの平穏を意味しない。

 シエル=ルアーレは、街を丸ごと四回ひっくり返したような、てんやわんやの状態だった。


 ルネとエヴェリスは立ち止まる暇も惜しく、殺人歯車トラップが剥き出しの廊下を、足早に歩きながら話していた。


「姫様の供給してくださった魔力のお陰で、魔力槽枯渇ブラックアウトは免れた。

 あと一回は戦えると思うわ。むしろ、こっちが無防備だと思って攻め込んでくれるなら一発で片付くんだけどね……」


 胸部を押し上げるように腕を組んで、エヴェリスは、眉間と谷間に皺を寄せていた。


 ディレッタ軍は、天使の大暴れに呼応してこちらへ向かっていた。

 だがルネが都市に魔力を供給した途端、天使は撤退し、それによってディレッタ軍の足も止まった。今は旧王都(テイラ=ルアーレ)に布陣している。


 最適なタイミングで、確実に最善手を打っているという印象だ。

 頭が良いとか、察しが良いとか、そういうレベルを超えている。

 ディアナの動きが戦局を誘導している。ディレッタが、最も有利な選択をするように。


「神は正解を知っている、と?」

「私は経験上、そう思ってる。

 こっちが一つでも選択を間違えたらドボンよ」

「気に入らないわね、それ」

「うぬぼれだけど、天使の標的、途中までは私だったんじゃないかと睨んでるの。

 姫様の財産で、失ったときに一番戦況に響くのが何かって考えたらさ、この世界征服コンサルタントの頭脳を置いて他に無いじゃない?」

「それは……確かに」


 実際ありうる話だとルネは考えた。ディレッタや、大きく見れば人族全体にとって巨大な利益になるだろうと。

 失いたくないものなどいくらでもあるが、私情を抜きにして考えるなら、最も重要な手札はエヴェリスだ。今ここで彼女を失えば、人族世界に対するルネの脅威は急激にしぼむだろう。


 そんなルネの生真面目な相槌を、エヴェリスは笑って聞いていた。


「んふふふ、仕事ぶりを認めてくれる主ってのも、また得がたいもんだわ」


 ともあれ。

 ルネが戻った時点で、敵の最善手は変わった。

 今度は魔力の供給源を断つことで、シエル=ルアーレを無防備化しようとした。そこにディレッタ軍や、ディレッタ派諸侯軍の残党が攻撃を仕掛けてきたら、仮にしのげても痛手を負っていたことだろう。

 だがルネが都市に魔力を供給することで、守りの態勢を整え、それも未然に防いだ格好だ。

 ギリギリで致命傷を躱し続けている。まるで敵に、べったりと背中に張り付かれているようだった。


 だいたい、どれだけ戦力を投入すれば作戦が成功するかなんてやってみなければ(……場合によっては事後にさえ)分からないわけで、そのせいでディレッタは尻込みしていた面もあるのだ。

 確かに天使の力で戦局は変わったが、これで過不足無く成功すると分かっていて突撃したなら、それこそがズル(チート)だ。


「復旧状況はいかがです?」

「今まで使ってた()は、すぐには使えなさそう。

 予備の薪は数が足りないし、絶望の質が落ちるわ」

「うん。

 実際、出力の計測結果は今までの3割ぐらいよ」

「そんなに落ちるか……」


 いかんともしがたい。

 異界に捕虜を閉じ込めて使う、あの『臨時動力炉』は、即席のアイデアにしては上手くいったが、戦いの中でルネが選りすぐりの材料を集め、自ら希望を摘み取ることで絶望の薪に仕上げていったもの。

 頭数を揃えれば元通りになるというものではなかった。


「周辺地脈からの補給は、やはり厳しそうじゃ。

 旧王都が『面』で抑えとる分はどうしようもない。

 どうせ備蓄魔力は、からっけつじゃろうがな」

「やっぱり、天使の存在を計算に入れた上で、早急に旧王都への再侵攻を成功させるしか無いわね。

 地脈を使うにも、魔石を補給するにも……」


 半身を機械化した白髭白衣のドワーフが、フリップを見て報告しながら一歩後ろを追随する。

 エヴェリスの部下の一人だ。


 目下、とにかく時間との闘いだった。

 ディレッタの援軍が来るまでに……では遅い。なるべく早く旧王都を平らげ、魔力の補給と防衛体制の構築を済ませねばならない。本気のディレッタ軍と正面衝突はできないのだから、仕掛けをするだけの時間が必要だ。

 相手はもはや、時間稼ぎをするだけで良い状況だ。ディレッタの占領部隊も、それくらいの働きはできるだろう。如何にしてか、突き崩さなければ。


「一昨日報告に上げた、伝送盤の改良を施してみるのはどうかね」

「んんん……この際やれることは全部やるか。

 頼んだわ、教授。それで大砲の一発でも余分に撃てるなら重畳よ」

「よしきた!」

「一週間でできる分だけ準備して頂戴」


 こんな状況だというのに、オモチャを与えられた子どものように目を輝かせ、サイボーグドワーフは走り出す。エヴェリスの同類だろう。


 それと入れ替わりに、血相を変えて、大砲の弾みたいな勢いで廊下を突っ走ってくる大男の姿がある。


「姫様! 失礼致します!」


 三角の耳を伏せてルネの前に跪いたのは、未だ鎧の返り血も拭っていない有様のウヴルだった。


「面目次第もありません。

 私の配下の兵の一部が……姿を消しました。

 おそらく、脱走です」


 ウヴルは怒りと自責の念からか、剥きだした牙を堅く食いしばっていた。


 来たか、とエヴェリスが呟いた。

 忌々しげに、しかし予期していた様子で。

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[気になる点] 最初の頃に語られた神と邪神の加護のバランスとやらはどこいっちゃったのかな?と 既に優勢とってる人類側のリソースに苦戦するだけじゃなく毎度毎度神様の直々の横槍でルネ側の手が覆される印象な…
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