[5-29] 劇作法
城だけは元のままだった。
城下町を駆け抜けた『亡国』軍は、遂に旧王都の中心、『白薔薇の誇り』城へと駒を進める。
この城は10年の時を経てもかつての姿を保っていた。
と言うのも、都市を要塞化するに当たっても、城の重要度は低いからだ。仕掛けを詰め込んだ街壁と城壁が最大の要。壁でなくば、砲撃や魔法は止められない。極論、城は美しいだけでいいのだ。
ディレッタとしては単に、自分たちが住むわけでもない城に余計な金を投じたくなかったのかも知れないし(なにしろウェサラの旧ジェラルド公爵領城は全面改装されている)、民が慣れ親しんだ国家の象徴の姿は保全した方が良いと判断したのかも知れない。
城壁は既にボロボロだ。
一見互角に砲を撃ち合ってはいるが、戦の見方を知る者なら優劣は明白に分かる。亡国側は高威力短射程の攻城砲と、それを守る障壁を据え付けている。城壁の至近にそんなものを持ち込めるほど市街の状況が安定しているということだ。それは、遠からず決着が付くことも意味していた。
ルネは一歩引いた場所から戦いを見守っていた。
ルネ自身、攻城砲とやり合えるレベルの魔法力を持つが、砲撃戦は繰機兵に任せるべきで、本来ならば自分が出張るのは非効率。
今は切り込むべきタイミングを見計らっていた。
『王宮騎士団は既に、僭王ベーリを守り、落ち延びたようです。
王城に残っているのは、王宮騎士団の殿と、一部諸侯軍……
騎士と兵を合わせて、百に満たぬ数です』
「特筆に値する強者は?」
『おそらく、ご報告に及ぶほどの者はおりませぬが、ご注意ください』
「ご苦労」
通話符による遠話で報告を受けながら、ルネは溜息の一つもつきたくなった。
敵ながら嘆くべき惨状だ。
旧シエル=テイラの王宮騎士団は、国中から素質ある者を集めて編成されたものだった。小国ゆえ、質にも量にも限界はあるがそれでも、豊富な鉱物資源で武装を整えた精兵集団は、近隣の小国群でも頭一つ抜けた武力を誇った。
だが第一騎士団は、かつての王都の戦いでほとんどが惨殺された。
第二騎士団は生き残った者も多いが、散り散りとなった。そして後に最後の団長バーティル・ラーゲルベックを慕い西アユルサ王国に参じた者が多い。バーティル自身が積極的に、かつての部下をかき集めたのだ。
つまり、そもそも、この『東側』には素質ある戦士がほぼ残っていなかった。
たった十年で騎士団を精強に鍛え直すことはとても無理だったのだ。
『……姫様、少し東へお回りください。
敵が陽動に掛かりました。およそ七分後、南東側を破る機がございます』
アラスターの合図を受け、ルネは動き出す。
足音も無くミアランゼが付き従った。
その背後で、ルネの足跡から染み出すように、影から這い出すように、異形の影が湧き上がる。
忽然と、だが続々と。
体液で湿った足音。
骨と鎧の打ち合う乾いた音。
渦巻く闇が粉雪をかき回す風切り音。
間断無き砲声の中で、だがその軍勢は更に異質なる響きを伴い、進んだ。
金ぴかレリーフだらけの城壁をルネが見上げた時、矢の一本も飛んでこず、もはやその場所には運悪く通りすがった兵が一人居るばかりだった。そいつは迫り来る異形の軍勢を目にして、戦う前から腰を抜かしてひっくり返った。
『今です、姫様』
「≪迫撃岩塊≫×≪迫撃岩塊≫×≪迫撃岩塊≫……」
詠唱は省略したものでいい。
それだけでも今のルネなら、十分な力が出せる。
この旧王都の建物は、デザイン様式こそ変わったが、今も昔も石造りが多い。魔法で土を盛り上げて固めた疑似石ではなく、地元の石切場から運んだ石材に、魔法的な加工を施して断熱性を持たせているのだ。
石には、石のための魔法。良質な石材は魔法の媒体としても適する。その辺の地面よりは遙かに。
王城を望む建物が、ルネの背後で内側に潰れるように崩れ落ちた。
壁が、支柱が、無くなったためだ。
見えない力に引き寄せられて、建材の石が建物から引き剥がされて、宙を流れる。
それはルネが腕を掲げた先に、集い、寄り集まる。立体パズルが組み上がるかのように、形を作る。
貫くと言うよりも、破砕のための、太短い鏃。
衝撃を逃がさず伝える強靱な矢軸。
それは石によって作られた、攻城弩の弾丸だ。
ただし本物は石よりも金属が使われるし、これほど巨大ではあり得ないが。
「複合錬成魔法……≪星割り流星≫!!」
矢が飛んだ。
神殿の鐘撞き堂より大きな矢が、一矢乱れぬ三本の編隊で。
大きさよりも、その巨大質量を打ち出す速度こそが術者の技量の証明だ。
それは城壁に突き刺さり。
魔法で硬質化させた石組みを割り。
石と石の間に詰め込まれた砂を跳ね飛ばし。
黄金とミスリル銀で構成された結界回路を歪め潰し。
別に狙ってはいないが射線上で腰を抜かしていた兵士の肉体を分割し。
城壁に大穴を空けて、吹き飛んだ瓦礫とともに、雪かぶりの庭園に転がった。
「……突撃」
ルネの静かな号令で、屍の兵士たちは一斉に、壁の穴へ殺到した。
魔法の直撃を受けてバラバラになった城壁上の兵士も、自分の身体を自ら繋ぎ直して参加した。
城壁を守る者たちは、轟音と振動でようやく異変に気づく。
だが、壁が壁として機能しなくなった以上、防衛の有利は無い。
「こっちだ、防げ!」
「待て、もう逃げるしか……ぎゃあ!!」
集まってくる者たちは、物量に押しつぶされて、瞬く間に倒れ伏した。
ゾンビやスケルトンの一体二体を破壊しようと、いくらでも次が控えている。
ルネは自ら剣を振るう必要さえなかった。ただ、歩いて瓦礫を跨ぎ超した。
雪に一直線の足跡を付けて、ルネは真っ直ぐ、城の正面玄関へ向かった。
煌々と篝火を灯し……魔力灯ではなく象徴としての物理的篝火だ……静かに閉じたままの扉を見上げて、声を上げた。
『開門せよ』
魔法で拡声し、ルネは声を響かせた。
城内に居る者なら聞こえるように……地下牢で大いびきでも掻いていない限りは。
『わたしはシエル=テイラ亡国、国主代理。
ルネ・“薔薇の如き”・ルヴィア・シエル=テイラ。
卑劣なる謀反によって命を奪われた、この国最後の王にして我が父・エルバートに代わり、亡国を統治する者である』
そして、それきり。ルネは扉の前に立つ。
城壁の一角が破られたことで、周囲からは戦いの気配が急速に引いていた。
そうして、夜の静けさが少しずつ戻り始めても、まだ扉は開かぬ。
「あと三分、姫様をお待たせするのであれば、私が物理的に開門して参ります」
「待って」
ルネの傍らでミアランゼは、少しずつ殺意を募らせていた。
だが彼女も気配と、鋭い聴覚で察しているだろう。扉の向こうの動きを。
果たして、間もなく扉は開く。
光が溢れた。
正面玄関は城の顔だ。ホールには贅をこらした美しい魔力灯シャンデリアが掲げられ、白壁と赤絨毯を照らしていた。
そこには、武装解除したために制服でしか身分を判別できぬ衛兵が僅かに居るばかりで、他は戦いに関わらぬ使用人ばかりだった。
誰もが震えながら床に頭を擦り付けていた。扉を開いた者もすぐさま、弾かれたようにルネから飛び離れて、土下座の列に加わった。
旅行に出ていた主人が屋敷に帰るときなどは、使用人一同が整列して出迎える作法もあるというが、それに比しても奇怪な眺めだ。
この光景を察していたルネさえ、たじろぐ。
「立て、貴様ら。
平伏・叩頭が、使用人の礼儀か。それは奴隷のすることだ。この国に奴隷は居らぬ。
つまらぬ考えは捨てて姫様のご帰還を祝い、各々の職分を全うせよ」
零下の声音でミアランゼが言い放つと、居並ぶ者たちは怯えすくみ、誰からともなく立ち上がり、挙動不審に顔を見合わせた。
「……ああ、指示を出す者も居ないのか」
ミアランゼが言うのを聞いて、ルネも察した。
王宮に仕える者たれば良家の子女も多いが、そういう連中はベーリと共に逃れた者も多いのだろう。この場に居るのはもはや、逃げそびれた下級使用人ばかりだ。
「では今はあなたが差配なさい、ミアランゼ」
「かしこまりました」
その時だった。
『ごめん、姫様! ちょっといい?
偵察から報告よ。敗走中だったディレッタの部隊が突然全軍、こちらに引き返し始めたって』
突然、頭に声が響く。
エヴェリスはルネと直通の通話符を何枚も用意している。にもかかわらず敢えて、周囲に声が漏れない遠話でルネに、緊急連絡を飛ばした。
『どういうこと?』
『分からないのよ。
荷物を全部まとめて完全にウェサラまで引っ込む態勢だったのに、騎士どもが武装だけひっつかんでこっちに向かってるらしいの』
確かに奇妙な話だった。
何かの罠か、とも思ったが、騙し討ちにしては遅すぎるし、今更どうする心算なのか読めない。
それだけに不気味だし……何より、エヴェリスの勘を無視すべきでないとルネは判断した。
勘とは、言語化が難しい経験則のこと。神話的戦場をいくつも駆け抜けてきた大魔女が、警戒を声音に滲ませているのだ。軽視すべきではない。
『緊急警告!!
シエル=ルアーレ七番街壁門前に、異常な聖気反応を検出!』
果たして直後、ルネの持つ通話符が声を発した。
城の指揮所の繰機兵からだ。
指揮所では様々な手段によって戦場全体の観測を行っている。その中でも、特に緊急の判断と対応を要するであろう異常事態に当たっては、最高幹部から前線指揮官まで無差別に警告を飛ばす手筈だった。
ルネは振り返る。
夜闇の中、今し方乗り越えてきた城壁の向こうに見える漆黒の魔城を。
『概念強度計測値、滅月会隊士の約…………150倍!?
奇跡を宿すモノではなく、奇跡そのものです!
そんな、これは……!』
*
シエル=ルアーレ、七番街壁門塔……
門塔と名前は付いているが、街壁も城壁も都市全体と一体化した構造であるため、内部の市街地に通じる通路と言うのが適切であろう。
壁も床も天井も、全てが滑るように黒い。
そこを、非常事態を告げる赤い魔力灯が照らしていた。まるでそれは火竜の臓腑を内から眺めているかのようだ。
異常な聖気反応を受けての警戒ゆえ、魔物兵は一歩下がり、警備ゴーレムが前面に立つ。
侵入者が姿を現した瞬間に襲いかかる態勢で、固く閉じた門扉を内側から睨んでいた。
まず一撃。
砲撃すら防ぎきるはずの街壁に、亀裂が入る。
けたたましい金属音と共に、門扉が火花を散らして裂けた。赤黒い闇に沈む通路に、烈光が差し込む。
二撃、三撃、亀裂が増える。
そして。
「イアアアアアアアアッ!!」
雄叫びと共に、門扉が力尽くで蹴り抜かれた。
武器によって傷つけ、切り込みを入れた門扉を、よりによって、蹴り抜いたのだ。
切り離されて制御を失った流体金属装甲の塊が、騒々しい音を立てて吹っ飛んできて、ゴーレム二体を巻き込みながら正面の曲がり角にぶち当たる。
目も眩むほどの光が、闇を照らした。
後光を背負う人影が、一つ。この魔城へと攻め入るに、たった一つ。
「さぁて。
気は進まないけど、ま、ご立派な仕事ってなぁ、大概そんなもんさね……」
仮面の天使は、いらだつ猫の尻尾のように、腕を一振り。
銀鞭が床を、タアンと打った。