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[5-28] 躊躇の強制

 テイラ=ルアーレの街壁が破られて、すぐのことだ。


『我々は包囲戦は致しません。

 そのような必要はございませんからな』


 テイラ=ルアーレで守護の任に付く騎士のうち、幾人かの前に、幻像の使者が現れた。

 ハルゼン伯の名代・キルベオは、街壁南東の側防塔に詰めていたところだ。伯より預かった兵を率い、側防塔の螺旋階段を降りようとしたところで、いきなり目の前に慇懃無礼な雰囲気の役人が現れたのだ。


『我々は南側より参ります。

 戦いを放棄して北に逃げ去るのであれば、追いはしませぬ。どうかご自由に』


 ちらつく幻像の使者は、一方的に言いたいことを言うと、それきり、ふっと消えてしまった。


 残されたのは、しばしの沈黙だ。

 兵たちは各々に戸惑い、思うところある様子で、おっかなびっくりにキルベオの様子を伺っていた。


「貴様ら。生きて家族に会いたいか」


 キルベオは振り絞るように言った。

 元より彼は逃走するつもりだった。


 *


 ある者は全く別の形で接触を受けた。


『我々は即時の武装解除を求めます。

 武器を捨て、術師には枷を。

 さすれば投降を受け入れましょう』


 市街の小砦にて備えていたタズル候は、戦いを前に糧食をかっくらっていたところ、食卓にしていたテーブルの対面に突然、幻像の使者が現れて我が物顔で座っていたものだから、サンドイッチを吹き出しそうになった。


「ぐほっ、ごほっ……

 ああ、うむ。降伏の勧告でしたら、そのお慈悲はかたじけなく存じます。

 ですが我ら、戦い抜く覚悟を固めております」


 タズル候は模範解答を返す。

 内心どう思っていようがこう答えるべきなのだ。ここで節操なく応じるようでは、敵からも味方からも軽く見られるから。


 慇懃無礼な幻像の使者も、その答えをとっくに予想していた様子で頷く。


『今なら、候の罪を一等減ずることも叶いましょう。

 また、候以上の罪を家臣に求めることなど、当然、できますまい。

 ……その意味をどうかよく、お考えください』


 タズル候は内心の動揺を呑み込んだ。

 これまでの経緯を思えば、結構な譲歩を簡単に投げ渡してきたという印象だ。


 最悪の罪とは、王家に弓引いた大逆の罪。

 シエル=テイラ『亡国』は、ただ襲い喰らう魔物としてではなく、正統王家の後継者として奸臣を誅する名目で攻め寄せたのだ。

 大義やお題目というものは、振りかざす者にとっての枷ともなり得る。言葉の重さは威厳の重さ。一度口から出した言葉は飲み込めない。

 では罪を減ずるというのは、口約束だけしておいて、そんな約束は無いとしらばっくれるつもりだろうか。ありうる話だ。だがしかし。

 現にお咎め無しだった者が、既に居るではないか。


 流石にタズル候は、お咎め無しとは行くまい。罪を減じられようと、良くて幽閉、悪くすれば死罪だろう。

 だがそこは最優先の問題ではないし、『亡国』が言いたいのもそこではないだろう。

 ……家を残してやる、という意味だ。


 地位を守ること、土地屋敷を守って子孫に伝えることは、貴族にとって一番の大事。

 己の代で家を失うのは、父祖への裏切りで、堪えがたき汚名であった。

 タズル候は既に心のどこかで諦めていた。だがもし、そのチャンスがあるのならば?


『時が経つほどに、我らは剣と矢を、そちらは命を浪費する結果となりましょう。

 お互いに利益があるよう、候のご決断が果断なることを、我らはお祈り申し上げます』


 なかなかに身も蓋もない脅し文句ではあった。


 *


 また、別の者には一切の接触が無かった。


 エクトラ候、つまりベーリ王の息子は、王城の守りについていた。

 夜闇に閃く照明と、魔力投射砲の砲光を、エクトラ候は城下町の頭越しに、城壁の指揮所から睨んでいた。


 死を覚悟しての任務だった。事実上の殿しんがりだ。

 ベーリ王は既に、王宮騎士団と共に脱出している。だが息子であるエクトラ候が身を挺して勇敢に戦っていたなら、家名も汚れはするまい。

 ディレッタが滅茶苦茶にした故郷などもはやどうでもいいが、家は守りたいのだ。そして父王が健在なら、それは為されるであろう。

 父は最後に、黙して堅く、エクトラ候の手を握った。その熱がまだ残っているかのようだった。


 ――さあ、来るがいい。“怨獄の薔薇姫”よ。

   我が戦いを見せてくれよう。

 

 真新しい金ぴかの剣と鎧をすがめて、エクトラ候は細く深呼吸をした。

 ディレッタは装備だけは渡してくれた。シエル=テイラは豊富な鉱脈を抱えることから金属加工技術も発達したが、やはり大国の技術は凄まじい。特に、邪悪に対峙するための聖なる武具とあっては、ディレッタに並ぶ者など無い。

 後は、扱う者の技だけだ。

 死ぬなら死ぬで、歴史に名を刻むほどの大暴れをしてやろうと、騎士は決意を固めていた。


 城下の戦いが、何一つ思い通りに動いていないと気づくまでに、あと10分。

 奇抜な服装のグール兵に奇襲を仕掛け、『畜生タヌキ!』の一言と共に鎧ごと真っ二つにされるまで、あと14分だった。


 * * *


『敵さん、見事に対応が分かれて大混乱してるわ』


 遠話でエヴェリスが戦況を伝える。

 シエル=テイラ亡国は敵方の主立った者らに、全くバラバラの内容の交渉を持ちかけているのだ。

 必然的に行動もバラバラになる。迷い方のベクトルすら引き裂かれているのだから、どちらに転ぶにせよ、敵は統一行動を取れない。


 戦いが始まるタイミングで接触することで、考える時間を与えない作戦だったが、時が経てばそれはそれで混乱が広がるだろう。

 隣の奴は逃げる気ではないか、と疑い始めたら、とても背中を預けられない。自分は死すべき運命にあり、隣の奴は救われるとなったら、それはそれで疑いの種となる。

 敵の士気は低く、こちらが何かする前から綻びは見えていたのだ。既に存在する傷口を広げるのは、容易い。


 ルネは敢えて身を隠さず、アンデッドの兵たちを率い、街壁南門から王城まで真っ直ぐ向かった。

 走ることすらしなかった。

 凱旋パレードのように。

 もしくは、散策路プロムナードをそぞろ歩く貴人のように。

 一歩。

 また一歩。


 ゆっくり進んでいるはずなのだが、『歩みが止まらない』というのは、思いのほか速い。特に戦場では。

 向かってくる者があれば草を抜くように殺し、防衛拠点があれば落ち葉を踏むように潰した。敵の戦い方は統制を欠いていた。


 ルネは景色を眺める余裕すらあった。

 物心つく前に追い出されたという、旧王都の記憶は薄い。かつて己が攻め落としたときは、すぐに城下町ごと改造してダンジョンにしてしまった。

 だからいずれにしても景色に見覚えは無い……はずなのだが、『こんなものがここに存在するべきではない』という、吐き気にも似た違和感を覚えていた。


 ディレッタによって再建された都市は、もはや以前とは似ても似つかぬものとなっている。

 ディレッタ様式のアーチ構造が散見され、大通りのタイルすらアーティスティックなモザイクだ。


 道には、何やら死に物狂いで雪かきをした形跡がある。

 一般的な旧シエル=テイラの町並みと異なり、石畳に雪対策がされていないのだ。雪を払いやすい構造でもなく、凍結した際に滑りにくい仕組みも無い。雪流しの側溝すら無い。

 おそらくディレッタの連れてきた建築家が、この地の気候を考えずに設計したのだろう。

 日常生活でも凄まじく不便だろうが、さらにここで戦う準備をするなら、死に物狂いで雪かきするより他に無い。

 これではディレッタの邦人から文句が出ないものかと思ったが、彼らは通りを自分の足で歩いたりしないのだろう。窓から綺麗な景色を眺めるばかりで。


「いかが致しましたか、姫様」


 傍らのミアランゼがルネの視線を追い、微かに首を傾げて問うた。

 ここは戦場で、侍女たるミアランゼが本来出てくるべき場所ではないが、先日のパレードでルネが狙われてからというもの、彼女は片時も離れぬのだ。


「……わたしはこれを10年、放置していたんだな、って。

 こんな……あってはならないものを……」


 ミアランゼは、ルネが言うことを察した様子で、黙する。

 その反応を見て、ルネは、彼女を相談相手にするのは無神経だったと思い至る。


「あなたに言うべき事ではなかったわね。

 かつてのシエル=テイラすら、あなたにとっては……」

「姫様。そのようにおっしゃらないでください。

 姫様のおられる場所こそ、私の居場所なのですから」


 奴隷制を廃したはずの旧シエル=テイラで、とある偏執的な廷臣貴族によって、ミアランゼは事実上の奴隷とされていた。

 それはルネの父、エルバートの代からの話で……エルバートはその乱行に気づけず、正すこともできなかったわけだ。

 ルネは、クーデター以前の王権の正当性を大義として戦っているが、それも無謬のものではあり得ないのだ。ミアランゼの考え方は獣人的で、国家という曖昧で巨大な概念には、あまり関心が無いようだったが。


「それに姫様は放置などなさっておりませんでしょう。

 今日この場にこうしてお戻りになるため、ずっと力を蓄えてきたのではありませんか」

「力を、ね……」


 ふっとルネは、まるで全てが淡い夢だったかのように思えた。

 己が死んだ瞬間、邪神が介入したことからして、とんでもない幸運だ。

 復讐の機会など与えられぬまま、虫けらのように死んでいく者の、なんと多いことか。それが普通だ。ルネはそれを見てきた。

 ミアランゼとて、そうなっていたはずなのだ……もし自分と出会わなければ。


 彼女は変態貴族の慰み者にされた末、絶望の中で死ぬべきだったのだろうか?

 否。断じて否、だ。道理が通らぬ。

 だがその、『道理を通す』というのが、信じられないくらい難しい。

 彼女一人救い出すにも、邪神の加護を受けた最悪のアンデッドが必要だったのだ。ましてや、国一つに道理を通させるとなれば、この大騒ぎだ。


 普通はできない。

 だからこそ。


「勝ちましょう。ミアランゼ」

「?

 ……は、はい。もちろん! 私も力を尽くします」


 それを為せるルネが、為すべきなのだろう。

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