[5-27] バシッ!
そして漆黒の浮遊都市は、それきり大した戦闘も無く、戦略目標へ攻め寄せた。
「……実際に見るとだいぶ悪趣味ね、あれ」
夜は未だ深く、吹雪が月と星を隠す。
だが行く手には目映いものがあった。
魔力灯のサーチライトをヤケクソのように振り回す、テイラ=ルアーレの街壁だ。
篝火など即座に吹き消されるほどの吹雪の夜だが、それでも街は輝いている。
自ら放つ光を、街壁の黄金装飾が照り返しているのだ。
黄金は、聖気を宿す媒体として適する。
黄金は太陽の輝き。太陽とは大神の座で、聖なるものだ。
悪魔やアンデッドと戦うための聖なる武器には、しばしば黄金の装飾が用いられる。流石に防壁にまでそれを使う例は珍しいが、魔王軍と戦うための前線拠点など、魔物の脅威が顕著な地域では用いられる。
また、ディレッタ神聖王国の王都などは、街壁にも城壁にも黄金細工が施されている。精緻なレリーフは聖気の護りでもあり、邪悪なるものとの戦いの歴史を綴る宗教画でもあった。
それと同じようなものが、行く手の壁には施されていた。
なにもグラセルムだけが資源ではない。この地には種々の鉱物資源が存在し、その中には良質な金も含まれているのだ。材料の調達には不便しなかっただろう。
「もしかしてディレッタの王都より豪華なんじゃない?
壁だけは」
黒く尖った城壁の上から、吹雪の向こうを透かし見て、ルネは呆れ半分、呟いた。
「実際そうよ。
動乱で死んだ人々への鎮魂だの、アンデッドが二度と出てこないようにだの……色々と理屈をくっつけてるけど、結局は勝利を記念するモニュメントだわね」
隣でエヴェリスは、暗視スコープらしきものを覗いて街壁を観察していた。
何しろ吹雪の中なので、珍しくもエヴェリスは防寒着を着込んでいる。だが、敢えてきつめのサイズ着ているらしく、そのメリハリのあるボディラインは分厚いコートの上からでも丸わかりだ。そしてその防寒着の下は、下着姿か全裸だろうと、ルネはほぼ確信していた。
行く手の街壁には、半ば図案化された宗教画のモチーフが、黄金によって刻まれていた。
神々の威光に照らされて勇ましく戦う騎士団だ。もちろん、どこの騎士団かまで描かれているわけではないのだが、何を意図して描いたのかは明白だった。ディレッタ神聖王国の遠征軍が、この街をシエル=テイラ亡国から奪った戦いだ。
魔王軍は大陸北東の不毛の地に押し込められ、今やそれと国境を接する国さえケーニス帝国だけとなった。
人族にとっては我が世の春とも言える平和な時代だが、それはディレッタ神聖王国の存在感の低下にも繋がっていた。
百年も遡れば、ディレッタ神聖王国は人族世界において唯一絶対のリーダーだった。人族の庇護者で、神々の戦いの地上代行者だった。それが今はどうだ、列強五大国の一つでしかない。
まして魔王との戦いはもはや、聖典で尻を拭くような品位無き狂犬・ケーニス帝国が我が物顔で担い、それを以てデカい顔をしている。
そんな中、十年前に『亡国』を追い払った戦いは、小さくても相対的に重要な宣伝機会だった。
『亡国』が滅茶苦茶にダンジョン化していたテイラ=ルアーレの再建に当たって、街壁を気合いの入ったモニュメントに変えたのは、その辺りの事情もあってのことだ。
そして砲声が轟いた。
こちらの方が、射程が長い。敵が動き出す前の、挨拶代わりの先制攻撃であった。
弾着のタイミングを合わせた一斉砲撃によって、テイラ=ルアーレの街壁は刳り貫かれた。
「ま、所詮こんなもんか」
物理的なダメージに対しては聖気の護りも無意味だ。
絢爛な黄金レリーフの、騎士の頭がもげていた。
* * *
堰を切ったよう、という喩えのそのままに。
防衛兵器は瞬く間に沈黙。街壁を防衛する部隊も薙ぎ払われて、兵たちは堰の穴から一気呵成に、夜の市街へ雪崩れ込んだ。
石造りの市街は、そこかしこにディレッタの様式が見られ、街区の区切りも整然としていた。
再建に当たって一から設計し直されたこの都市は、連邦を仮想敵として、その侵攻に備える構造にもなっている。最初から市街戦を想定して作られているのだ。要所の設備が防衛拠点としても使えるよう、王城への侵攻経路が限られるようできている。
だが、そこを守る兵が少なく、さらに士気も低いのだから、守れるものさえ守れない。
「だめだ、かなわねえ!」
「逃げろ!」
都市防衛障壁を制御する小さな塔から、兵が飛び出し、逃げていく。
剣も盾も放り出し、もしこれで今少し脱ぎやすい鎧を着ていたなら、鎧まで捨てて身軽になったことだろう。
攻める側にしてみれば拍子抜けだ。
「腰抜けばっかりだ」
「しゃあねえよ。
こいつらみんな、ディレッタに引っ張り出されただけだからな」
あっさり放棄された設備の内部を手早く確認し、ウヴルは制御端末のレバーを上げて、王城への道に張られた障壁を解除する。そして鼻を鳴らして笑った。
空戦部隊が破れた時点で、ディレッタの駐屯軍は東へ退却を開始していた。後に残ったのはシエル=テイラ『王国』の軍だ。退却のため殿を押しつけられた彼らの士気は、すこぶる低い。
特に深刻なのは、諸侯の名の下に集められる農兵や市民兵だ。雑兵は、劣勢になれば逃げ出すものと相場が決まっているが、今回は最初から極めつけの劣勢なのだから、そもそも集まるはずの数が集まってすらいない。辛うじて戦っている者も、突けば逃げ出す有様だった。
「しかし街がほとんどカラッポなのは、どうなってやがる?」
「戦わねえ奴は北の避難キャンプとかいうのに逃げてるんだろ」
ウヴルは背中の蛮剣を振り上げる。
そして。
「っりゃああああああ!!」
「ぎゃあっ!?」
壁際に積まれた空っぽの木箱に振り下ろし、その後ろに隠れてこちらを狙っていた騎士を木箱ごと粉砕した。
「好都合だぜ。
隠れてる敵が居たら、ニオイで丸わかりだ」
胴部を鎧ごと叩き潰され、虫の息となった騎士の首を、ウヴルは蹴飛ばしてへし折りトドメを刺した。
相手は年季が入った中年の騎士であった。どこぞの諸侯の忠臣だろう。彼の指揮していた兵は逃げてしまったが、ウヴルを指揮官級の者と見抜き、差し違えてでも殺そうと隠れて隙をうかがっていたようだ。
非戦闘員を先んじて避難させれば、その保護を戦闘中に考えなくて済むのだから、『王国』にとっては助かるだろう。
だが余計な気配やニオイが無ければ、ウヴルにとっても闇の中で戦いやすい。
何より、ここで市民を巻き添えにするのは『亡国』にとっても可能な限り避けたいだろう。ウヴルはそこまで考えていた。
「ヴオオオオオ!!
殺ぜ! 壊ぜ! 進めえええええ!!」
重装の鎧を纏った巨人たちが、金棒を振り回して即席防壁を叩き壊しつつ、すぐ隣を駆け抜けていく。
飛んでくる矢や魔法弾を、門扉の如き大盾で弾きながら、負傷も死も厭わぬ勢いで突っ込んでいく。
馬鹿でかい足音と鬨の声で、ウヴルの耳がびりびり震えた。
「耳が痛えっす、兄貴ぃ」
「あの馬鹿ども、やかましくしなきゃ戦えねえのか。
……おい、待て! そこの! オーガ以上の馬鹿!」
オーガどもを見送った視界の端に、決して看過できぬものを見咎め、ウヴルは耳の毛を逆立てて咆えた。
配下の獣人兵の一人が、ぎょっとした顔で、後ろ手になって後ずさる。
「何を隠した?」
断定的に問い詰めると、兵は観念した様子で、宝石付きの首飾りを出した。
ウヴルは牙の間から白い吐息を吹き出して、首飾りをひったくる。
「言ったはずだな。奪うのは俺らの仕事じゃねえ、って」
「と、通り道で見つけたもんを盗っただけっす!
仕事はサボってません!」
「大馬鹿野郎!!」
兵の鼻面にウヴルの鉄拳が突き刺さった。
殺さぬよう加減はしてあるが、殴られた者が尻餅をつくほどの勢いだ。
辺りの空気は吹雪よりも冷たく、凍てついた。
「戦利品は略奪部隊が集めて、俺らには報償として分配される!
こいつは既に姫様の財産だ、テメエが勝手に懐に入れて良いもんじゃねえ!」
溜息と怒鳴り声を一緒に出したいくらいだった。
ギャングをしていたときは、多少の勝手も許されたわけだが、今は兵としての規律が必要なのだ。だがそれを、頭の軽い馬鹿野郎どもに理解させるのは難しい。何もかもが間に合わせだ、教育する時間すら足りない。
――クソ。怒鳴らなきゃ示しが付かねえが、怒鳴ってる時間も惜しいか。
自分がもう一人居れば楽だったろうにと、あり得ぬことをウヴルは考えた。
ウヴルが手綱を握ることで獣人部隊は曲がりなりにも形を保っているが、部下の統制に力を費やすほど他がおろそかになる。
そして、一瞬で何の犠牲も払わず問題を解決するような名案は、当然無い。
考え込みそうになって、ウヴルは短く、錐揉みに首を振った。
悩んでいる場合ではない。それこそ時間の無駄だ。
「雑兵はなるべく殺すなよ! 痛い目に遭わせろ! 悲鳴を聞かせるんだ!
進め!」
「「「応!」」」
ウヴルが咆えると、稲妻が走るように戦意が満ちる。
もはや行く手の王城にも、戦火の指先が届き始めていた。




