[5-25] 身軽
バーティル・ラーゲルベックは神出鬼没であった。
「この国は、グラセルム鉱脈だけではありません。
貴重なポーション材料たるスノー・ローズの供給源として世界的にも認知されています」
『避難民キャンプ』の建設を監督していたその日のうちに、ウルダ侯の居城にて会談に臨んでいた。
ウルダ侯ロメイは、厳めしい壮年の武人。彼は真剣になると、新米彫刻家が適当に削った岩のような表情になる。
彼は蜂蜜茶に口を付けることすら忘れた様子で、一字一句どころか息継ぎすら聞き逃さぬ勢いで、バーティルの話に食いついていた。
「『西』では、その蒸気化栽培を去年から始めていまして……まあ去年が実験、今年から本格稼働ってとこですがね。収量は昨年度実績で、およそ2.6倍になりました。
ポーション材料は何処でも必要になる。連邦も大いなる関心を寄せております」
「ほう、ほう」
「実はね、農業の蒸気化のことで『東』の諸侯ともお話がしたいという方は、結構居るんですよ。
『西』の実績を研究すれば、国全体の蒸気化がされていない『東』にも導入できると。
よろしければ、今すぐにでも……」
「なるほど、それは確かに、こちらとしてもありがたいお話ですな」
まるで商会従業員のように、バーティルはセールストークを持ちかけていた。
西アユルサ王国はジレシュハタール連邦にとって、実質的属国だが、割れてはならぬ盾でもある。そもそも手入れの要はあるのだ。
さらに西アユルサが蒸気化を受け容れたとなれば、関与の度合いは更に高まる。人族世界で、本当の意味で蒸気技術を持っているのはジレシュハタール連邦だけ。他の国は借り物を使っているに過ぎないのだから。
新たな利権は新たな人脈を生む。バーティルはそれを東側にも繋げようとしていた。
「それが実を結ぶかは分かりませんでしょうがね……」
「世の中はそういうものでしょう。
あらゆる未来に備えることこそ、必要です」
「いや、まったく」
もっともらしい顔をして、二人は頷き合った。
* * *
粉雪が吹き付ける中、銀色の大地を滑り進む人影があった。
登り坂すら滑り進める魔法のスキー板と、崖を超えるための飛行用箒を携え、わずかな供の者のみを連れてバーティルは移動する。
街道でも裏道でもないが、しかし、このやり方なら通れると己が知っている道を。……かつてバーティルが指揮した第二王宮騎士団は、守りの軍として国土をよく把握し、雪中の行軍も得意とした。
電撃的に『東』入りしたバーティルは、そのまま諸侯との会談をハシゴしている。冬の支援の相談という名目で、余計な雑談を色々と挟むのだ。
ディレッタが何のかんのと口実を付けて自分を止めに来ることは想定済みだ。それを躱すためにムチャクチャな隠密行動をしていた。
「『逃げ場がある』ってことは、人を強くも弱くもする……
この場合はまあ、弱くするんだろうな。もはや後には退けねえって考えが、みんなの背骨を支えてたんだ」
「連邦の手を入れて農業を蒸気化するとなると、ずいぶん先の話にも思われますが、その準備が今の戦いに関わるのでしょうか」
「効くさ。話をする口実をくれるだけで充分だろう」
供の者に問われバーティルは、祈りも込めて言った。
東西分裂の衝撃で色々なものが途絶えてしまったが、旧シエル=テイラ全体が、連邦と太い縁を持つ。
それを繋ぎ直す口実なら、些細なものでも効果があるだろうし、バーティルが今すぐできるのは、その程度の事だけだ。
「皆が連邦とよりを戻す糸口だけ作っときゃいい。
追い詰められたら西へ亡命できるかも、って希望を持っただけで、もうディレッタと一蓮托生じゃなくなるんだ。振るう剣は鈍るだろ」
そう言ってからバーティルは、付け足す。しみじみと。
「もちろん俺は本当に逃げてほしいよ。列強のいがみ合いの駒にされて、旧知が犬死にするのは悲しいから」
バーティルは『東』に行ってしまった者たちを、切り捨て難かった。結果だけを見れば彼らは愚かだが、結果だけを見て物事を語ることもまた無意味だろう。彼らの選択が最もマシな結果をもたらす可能性すらあったのだから。
とは言え、今できる事は限られており、優先順位を付けざるを得ない。後はただ祈るだけだった。
「……さ、急ぐぞ。
もしこんな馬鹿みてえな道まで、ディレッタの金ピカどもが俺を止めに来るなら…………んー」
「来るなら?」
「褒めてやる」
ディレッタの邪魔など入らぬであろう道なき道を、騎士たちは滑り進む。
雪と岩と針葉樹ばかりの世界だ。魔物すら出ない。ここ最近、周辺地域では異常に魔物が減少しているのだ。どこに馳せ参じているかは言うまでもない。
疲れ切った日の、益体も無い夢みたいな旅路だった。
だがその途上に、存在しないはずの変な物があった。
「なんだ、ありゃ?」
「スケルトン?」
スキーを飛ばす騎士たちの行く手を遮るかの如く、雪の中に屹立する骸骨一体。
古式ゆかしい伝令の装束たる編みサンダルを、この天候にもかかわらず身につけている。その肩骨には雪が積もっていたが、そいつの歩いてきた足跡はまだ雪上に確認できるほどだった。
スケルトンは一切動かない。
バーティルは束の間、慎重に気配を探ったが、これを操る何者かが潜んでいる気配は無かった。
それ以前に、スケルトンは微動だにしないし、その骨を操るエネルギー源たる邪気も感じない。
「もう動く力は残ってねえみてえだな。
使い捨てのやつだろ」
念のため警戒しつつ、バーティルはスキー板を操って距離を詰める。
骨は動かない。
水筒を一つ、捧げ持つポーズのままで静止していた。
収納魔法が魔化された水筒だ。
収納のアイテムは、見た目より多く入るものほど高価だ。この水筒はおそらく、外見とほぼ同じ収納量だろう。金を出せばいつでも買えるレベルの品だ。
亜空間に仕舞った物は、熱さ・冷たさを保つ。これにより、水筒に保温・保冷の機能を持たせているのだ。
バーティルは水筒を骨の手から取り上げると、蓋を兼ねたコップに中身を注いだ。
甘い香りの湯気が立ち上った。
「蜂蜜茶か」
そして躊躇わずに飲んだ。
「畜生め。わざとクソ苦え茶に蜂蜜を混ぜてるな」
「だ、団長!?」
「だーいじょうぶだって」
ほろ苦く熱が染み渡る感覚を噛みしめながら、バーティルは笑った。苦笑した。
――可愛い意地を見せてくれるじゃねえの。
こんな場所に、丁度通りすがるタイミングで届けられた、一杯のお茶。
暗号手紙として解読するなら、『助けてくれてありがとう』という気持ちばかりのお礼と……『でもあなたの動きはお見通しなんだから、余計な真似はしないでね』という意地、あるいは強がり、負け惜しみ。
バーティルは『亡国』の限界を見極め、その少し上へ引き上げる手助けをしたのだ。主導権を勝手に握られたのだから、それが助けであろうとも、『亡国』としては危機感を覚えて然るべきだろう。実際バーティルは今も『亡国』の思惑から少し外れたところで動いている。
意図が分かっているからこそバーティルは無警戒に茶を飲んでいるわけだが、供の騎士たちは感心2割、呆れが8割といった様子で唖然と見ていた。
――さて。
熱と糖分が、頭を動かす。
――そろそろ始まるだろう。
ドラゴンどもが翼を広げ、ブレスを吐き合う下で、地を這う俺はどう動くべきや?
ひとまず、回避すべき最悪のシナリオだけは、バーティルの中で見通しが固まっていた。
ディレッタは傷が浅いうちにすっぱりと負けるべきだ。さもなくば、魔王だの『亡国』だのの前に、ケーニス帝国が止まらなくなると。
この戦場を泥沼に変えてはいけないのだ。
* * *
魔城の指揮所にて。
「魔力備蓄は?」
「足りるか足りないかで言えば、足りない」
「つまりベストの状態ってことね」
操機兵たちの操舵を見下ろす、バルコニー状の軍議スペースに、主立った幹部が集っていた。
ルネの手元の資料には、今後の魔力消費量予想が項目別に書き連ねてあった。
何もかも想定通りに事が運ぶなら足りる。つまり、それは、足りないという意味だ。だが、何かが足りないのなんて、言ってしまえばいつものことだった。
「……やれることはやったわ。
兵と物資は可能な限り集め、魔力も蓄え、敵の足並みも乱した」
「妙な手助けもあった」
「そしてこれ以上時間を掛ければ、ディレッタでも派兵積極論が高まっていく。
まして春になれば行軍も容易だからどうとでもなるわ」
ルネもエヴェリスと同じ事を考えていた。
この不安定で、魔力資源も不足している状況で、ディレッタとやり合うべきではない。ましてディレッタが面子を捨てて形振り構わず、兄弟国ノアキュリオの助勢を求めたら……そして(現段階では思考実験的なあり得ない予想だが)両国が総力を挙げて攻めてきたら、敗北・落城すら有り得るだろう。
時間は敵の味方だった。
限られた時間の中で、ルネたちはやれるだけのことをやった。
後は決断するだけだ。
「これより、旧王都奪還作戦を開始する」
ふとルネは、緊張している自分に気づいた。
失敗してはならぬ。それでは道理が通らぬからだ、と。
『驕れる正義に、悪の鉄槌を』。
これがこの世の習いたるかは、今、ルネ次第だった。




