[5-24] 陽動
「姫様、ちょっといい?
妙な動きがあるみたい」
軍議の最中、報告を差し入れられて、エヴェリスは話を遮った。
エヴェリスの研究助手の美少年ダークエルフが、遠見の水晶玉を捧げ持ち、ルネに見せる。
水晶が映す景色の中、雪が払われた大地で、急ピッチの工事がされていた。
巨人サイズのゴーレムが、大金槌で地面を叩いて均し、そこに職人たちがラインを引き、何やら建材を並べている。
「旧王都の北側、ガディエ付近だって」
「……整地、測量……
これは都市を広げようと……って言う雰囲気でもないか」
「街から微妙に離れてるからね。で、もう一つ見てほしいのが搬入資材なんだけど」
エヴェリスが水晶をひと撫ですると、映像が切り替わった。
車輪の足を持つ機械馬みたいな荷役ゴーレムが、奇妙なものを引っ張っていた。
四台の巨大トランペットが融合したみたいな、パイプと噴出口を持つ巨大な筐体。魔化真鍮による、据え付け型の蒸気タンクである。
さらには、タンクの入出力や防護機構を備えた組み立て済みのパーツが運び込まれ、見る間に繋ぎ合わされて蒸気備蓄設備になっていく。
「プレハブの……大型蒸気タンク」
「連邦仕込みの技術だわね」
「なら、これは西アユルサが?」
「そうなのよ。これが国境を越えて、すごい勢いで運び込まれてる」
列強五大国の一つ、蒸気と歯車の国・ジレシュハタール連邦。
そのジレシュハタール連邦に隣接し、後援としているのが、東西分裂した旧シエル=テイラの『西側』……西アユルサ王国だ。
西アユルサ王国は分裂後、急速に国内エネルギーの蒸気化を進めた。それは技術的にも連邦依存を強め、命綱を握らせると同義でもあったが、引き換えに産業や生活の水準は向上している。
その力を以て、今、西アユルサは『東』を助けようとしているのだ。
「東西分裂した旧シエル=テイラは、それぞれが別の後援国を持ち対立してるわけだけれど、『魔物との戦い』を大義名分にすれば、敵と協力しても連邦に言い訳できる……」
「んー、僭王ベーリが昨日、西アユルサの誰かと遠話会談をしたのはほぼ確実なのよねー」
「にしても仕事が早くない?」
「そうよねえ。昨日の今日でこんなバリバリに……」
「待って、エヴェリス。ちょっと視点戻して」
水晶玉の中に過ぎゆく景色を眺めながら考えていたルネは、見過ごせぬものを目に留めた。
資材を運ぶゴーレムと、指揮する技師たちの中に、まるで蒸気機鎧のような両の機腕を組んで、作業を監督する騎士の姿あり。
ルネが最後に彼に会ったのは、旧王都での戦いの折だ。少しばかり年を取った彼は、顔に小じわが目立つようになっていたが、飄々とした雰囲気は変わらない。
煮ても焼いても食えない強かな理想主義者、というのがルネの所感だった。そんな印象もまた、変わらなかった。
バーティル・ラーゲルベック。
彼がここに居るというのは、つまり、何かを企んでいるのと同義だった。
* * *
王都より東。エドフェルト侯爵領、領都テイラ=カイネ。
……正確には『旧エドフェルト侯爵領』『旧領都』と言うべきだろうか。
現在は王宮直轄領の名の下に、事実上、ディレッタが管理している土地だ。
その街の中心部の広場に、煌びやかな装いの騎士と役人たちが、高札を掲げていた。
この『東』の者ではなく、西アユルサから来た者たちだ。
「……あー、故に!
我が国、西アユルサ王国は、同胞たる貴国の民を救う決断に至った!
一冬の宿を求める者があらば、我らは屋根を貸そう!」
戦場での名乗りの如く、騎士は高らかに声を張り上げる。
役人が配る三色刷りのチラシに、市民は我先にと飛びついた。
西アユルサの支援による、蒸気暖房機の貸し付けと蒸気の配給。
さらに、前線の都市から非戦闘員を避難させたり、陥落した都市からの避難民を受け入れるキャンプも開かれる旨が記されていた。
「ほ、本当か?」
「『西』に密入国しなくてもいいんだ!」
喜び沸き立ち、辺りはたちまち、人が入り乱れて戦場のような騒ぎになる。
誰かに知らせに行くらしい者、騒ぎを聞きつけてやってくる者、それらに揉みくちゃにされて右往左往する者。
遂には誰から始めるともなく、国家の斉唱まで始まったところで、威圧的な大声が広場に叩き付けられた。
「おい!
貴様ら、誰の許可を得てこのような真似をしている!」
白と金の高貴な装いをした騎士たちが、大騒ぎの広場に乱入したのだ。
この地に駐屯するディレッタ神聖王国の騎士だ。
剣を佩いているのは当然として、街の中だというのに美しく装飾された鎧兜で完全武装している。これを装備するのに時間が掛かって、すぐには駆けつけられなかったらしい。
騒いでいた人々は、冷水を浴びせられたように静かになる。
ディレッタ騎士の機嫌を損ねるだけでどんな酷い目に遭うか、もうみんな身にしみて分かっているのだ。
一方、西アユルサの騎士たちは、この展開を最初から予想していたかのように余裕綽々、これ見よがしに折り目正しい礼をする。
「これはこれは、ディレッタの騎士様方。
我ら使節団、これこの通り、ベーリ陛下の勅許ありて皆様に呼びかけております」
「何だと?」
「疑いあらば、すぐそこの王宮に問い合わせるがよろしゅうございましょう」
西アユルサの騎士は、ベーリ王の署名が入った勅許状を広げて示す。
それを見たディレッタ騎士たちは、まるで何が起こっているか分からないという様子で目を剥いていた。
それから、ひどく戸惑った様子で囁き合った。
「本物か?」
「何が起こっている」
「どうして今……」
「こんな中で……」
しばらくヒソヒソと彼らは相談していたが、やがて、市民が訝しげにこちらを見ているのに気づいた。
「仕方ない、やるぞ」
「あ、ああ、うむ」
ディレッタの騎士たちは頷き、聖印が刻まれた黄金のベルを高らかに鳴らす。
「うおっほん!
神殿公示である! 神殿公示である!」
これは神殿が、市民に広く何かを告知するとき、その証として使うものだった。
ディレッタの貴族は大抵の場合、神官としての地位も持っている。今、この場では彼らは神殿の代表として立っているのだ。
「神殿とディレッタ神聖王国は、共同し、救貧騎士団を派遣することを決定した!
生活に困窮する者、働けぬ者、働けぬ家族が居る者には神殿のお慈悲があろう!」
一瞬の沈黙。
そうして、それから、噴火が起こった。
「あんだそりゃ?」
「何をしてくれるってんだよ!」
「魔石だ! 魔石を寄越せ!」
人々は口々に、苛立ちを露わにしていた。
そして徐々に、少しずつ、ディレッタ騎士たちに詰め寄る。包囲の輪を狭めるかのように。
救貧騎士団とは、『騎士団』なる名前こそ冠しているが、つまりは神殿が派遣する人道支援部隊だ。
神の教えの下、衣食住に困っている者を助けるため、戦場や飢饉の地へと赴く。
確かに救貧騎士団は、困窮する人々にとっては天の助けだろう。……だが、その仕事は『命を繋ぐ』ことであって、それ以上はしない。自助が可能な者は選別する。無論それは、もっぱら戦場という過酷な環境で一人でも多くを救うために致し方ない部分もあるのだが、民は今、それに納得しなかった。
黄金の騎士たちは……鎧兜で武装した黄金の騎士たちは、剣も持たぬ市民が静かに唸りながらにじり寄ってくる有様にたじろいでいた。
この程度の反抗さえも、今までには無かったことだった。冷たい諦めの殻にヒビが入り、何かが生まれようとしていた。
「ええい、散れ散れ!
救貧騎士団については、追って神殿より更なる公示がある! それを待て!」
散れと言いながら這々の体で、黄金の騎士たちは去って行く。
そして領城に飛び込むと、跳ね橋まで早々に巻き上げてしまった。
後には凍てつく堀を囲んで、雪もちらつく中揺るがず、城を取り巻いて睨み付ける人々だけが残った。
* * *
そのまた東。
雪を被った宿場町の宿で、ウィルフレッドは昼食後の蜂蜜茶を飲みながら新聞を読んでいた。
正確には、その裏に貼り付けて差し入れられた、国内の最新情勢に関するメモを。
「救貧騎士団の施しも、全ては救えませんが、たとえば十人のうち一人が助かるだけでも、国内の不満はしぼむことでしょう」
「だがそこに、もっと良いもんをぶつけられたらディレッタの面目は丸潰れだよな」
肩越しにキャサリンも覗き込んでいた。
ユーニスがどこからか集めてきた情報によると、ベーリ王の求めに応じ、西アユルサ王国は『東側』を助けに入ったとのこと。
その蒸気技術によって、軍民問わず冬への備えを支援することにしたのだ。
だがそれは、『東側』の宗主国であるディレッタが、民への支援を発表するタイミングと完全に被っていた。
しかも話を聞く限り、せいぜいが救貧騎士団の派遣に留まるディレッタの支援策よりも、西アユルサの方が遙かに勢いを感じる。そもそもがディレッタの施策は、魔力使用を制限した事への、物足りない穴埋めに過ぎない。
何より、よりによって西アユルサの方は、王宮騎士団長バーティル自身が電撃的に訪問して陣頭指揮を執る形だ。旧シエル=テイラは東西に分かれてしまったが、バーティルの人気は東側でも健在だった。民がどちらを信頼するかは明らかだ。
ディレッタの施策は、霞むだろう。怒りや落胆すら通り越して、忘れられるだろう。
後に残るのは、冬への備えを取り上げたディレッタと、そこに救いの手を差し伸べた西アユルサという構図だ。
「えげつねえ真似しやがる……
こいつは、ラーゲルベック卿の策か」
ウィルフレッドは感心しつつも恐ろしく感じる。
形の上では確かに支援で、それはディレッタと『亡国』の戦いにも資するもの。だというのにディレッタを完全に道化にしている。
事前にディレッタの動きを掴んでいて、それに被せたのだろう。
まさか恥を掻かせるだけが目的ではあるまい。何かが起ころうとしている。
「しかし妙だな。
王様の意向で西アユルサに助けを求めたなら、なんでそれとカチ合うような真似をディレッタがやるんだ?
……もしやベーリ王の動きは独断だったのか?」
「その可能性はあるでしょうね」
「だとしたら王様をちょっと見直すぞ、俺」
「そしてラーゲルベック卿は、逃さず機に乗じた……」
「救貧騎士団の一件は、ディレッタが『東側』の民の心を辛うじてまとめる最後の機会だったかも知れません。そうと見て、卿は妨害に動いたのでしょう」
「なんでまた……」
「分かりません。
あの方の大局観は、まるで預言者の如しですから。
きっとあの方の頭の中には、未来の歴史書があるんですよ」
キャサリンが真面目な顔で言うものだから、ウィルフレッドは、あながちそれも間違っていないような気がしてきた。
バーティルは世界を動かそうとしているのだ。己すらも手駒として。
その先に何があるのかは、まだ見当も付かないが。
「でも一つだけ分かりますわ。
『ルネちゃんに貸しを作れてラッキー!』って、思ってらっしゃるでしょう」
お茶目にバーティルの声真似をして、キャサリンはおどける。
「貸しだって?」
「あの子は義理堅いですもの」
そう言ってキャサリンは静かに蜂蜜茶を飲んだ。
ユーニスはずっと、両目を無限の色彩に輝かせながら、食堂の隅でラリっていた。




