[5-23] 血の協定
その日、テイラ=ルアーレでは緊急の諸侯会議が執り行われた。
もっとも、諸侯会議と銘打ってはいるが、地元に居る者が即座に王都に参じることはできない。ディレッタによって魔力の統制を受けている今、遠話での会談も容易くない。
なので丁度王都に居た者と、領軍を預かって王都に駐留している名代の騎士たちをひとまず集める事になった。
十年前から修繕もされぬまま、石の柱に謎のひっかき傷が残る軍議の間の空気は、重かった。
「戦況に関しては既に聞き及んでいるだろうが、今一度確認したい。
『亡国』を名乗る軍勢は山脈を渡り、クスティレ市に奇襲を掛けて陥落させた。
今は態勢を整えている様子だが、早晩、王都を狙うことだろう」
ベーリ王が口火を切ると、円卓に座した騎士たちはざわついた。
「ディレッタはどうする気なのだ」
「分からぬ。このままではいかんと、考えてはいるようだが」
「援軍はいつ来るのだ!」
「ディレッタは、グラセルム利権を守る気は無いのか?」
「我が国の民が一人残らず殺されようとも、その後に勝利すれば構わんのだろう」
誰の顔にも、焦燥と疲労の色が濃い。
皆、ディレッタが命ずるまま、戦支度に駆けずり回っているところだ。
だがそんな中、ディレッタの動きは鈍い。そしてディレッタが支援しなければ決して勝てない戦いになるのだと、皆、理解していた。
「本当に……殺されるのか?」
「何?」
一人の呟きが、静かな水面に波紋を広げた。
名誉の戦死を遂げたハルゼン伯の名代、キルベオだった。
預かるべき領主軍は既に潰え、主君も死んだ今は、宙に浮いたような形でここに居る騎士だ。
「これは公にすべきでない話だが、クスティレの街領主一家は助命されたそうだ」
「何だと!?」
「そうですな? 陛下」
「あ、ああ……」
何やらぞっとするような、暗く座った目をして、キルベオはベーリに問う。
ベーリが聞き及ぶ限りでは、クスティレの街領主が助命されたのは事実であった。
あの街はディレッタの某とかいう騎士が取り仕切っていて、街領主の男爵など下働きの役人のような仕事をさせられていたというが、街に潜り込ませた密偵は、確かに『亡国』による占領後も男爵の姿を確認していた。
軍議の間はたちまち、蜂の巣を突いたような騒ぎになった。
「許されたのか!? 何故だ!」
「『東側』全てを断ずるのではないようだが」
「クーデターの際、どちらについたかが重要なのでは?」
「家臣に関しては、判断権が無かったものとして見逃されたのでは」
「いや、奴らは支配のための手が足りないのだ。半獣や化け物に役人は務まらぬだろう。
有用であると認められれば、あるいは……」
誰も彼も命は惜しい。自分の命も、家族の命も。
民のことまで考えている者も、少しは居る。
戦わずに助かるかも知れない。
深き夜の森に枝葉を透かして差し込む、朧な月光のような、微かな希望だった。
だがそれは心を揺らがせるに十分すぎた。
「負けた先の話を今から考えてどうする!」
年かさの騎士が一喝した。
ざわめく声は半分ほどの大きさになって、そして、止まなかった。
「戦って勝てるなら、そうするとも……」
誰かが呟いた。
誰が言ったかも分からぬ一言だったのに、それは誰の心にもある考えだったから、誰の耳にも届いた。
ベーリさえも、そうだった。
利害調整のための調整弁。最大公約数として玉座に着き、ディレッタが吸い上げる富のおこぼれに……おこぼれと言うには、やや豪華だが……預かるのが、今のベーリの生業であった。
命懸けで守るものなどどこにあろうか。
とは言え、便宜的な王座であろうと、“怨獄の薔薇姫”にとっては王位の僭称者だ。
この期に及んではとんだ貧乏くじ。クスティレの街領主が許されたのと同じように、ベーリが許されることは、まず無いだろう。
――死ぬのは御免だ。地位と財を失うのも御免だ!
……そのためにはどうすればいい!?
口々に勝手なことを言い合う騎士たちを諫める気にもならず、王冠ごと頭を抱えてベーリは逡巡していた。
* * *
地脈に近い、王城地下の遠話室は、重く暗い石造りだ。
部屋いっぱいに敷かれた魔方陣の光が足下から立ち上って、どこか幻想的な眺めを作り出す。
『それを何故、私に相談しますかね』
冷たい石の部屋の薄闇から、ベーリに向かって声が響いた。
どこか気抜けするような、飄々とした声が。
『今では国すら分かれた私に』
「そう、つれないことを言わずとも良いでしょう」
『まずは、うちの王様にするべき話じゃないですか』
「実質的に貴方が頭脳でしょうに。
……ラーゲルベック卿」
ベーリは薄闇を透かすように見据えた。
遠話の相手……『西側』に居る者に向かって。
旧シエル=テイラ王国の第二王宮騎士団長。そして現在は西アユルサ王国の王宮騎士団長……実質的には宰相とも言える男。
“機腕”のバーティル・ラーゲルベックであった。
「事は、我ら『東側』だけのものでも、ディレッタだけのものでもありますまい」
『確かに。故に、人族と世界には時が必要です』
バーティルの言い様は、まるっきり他人事のように聞こえ、ベーリは即座に食い下がる。
「いつかの未来ではない、これは今の問題ですぞ」
『いや、失礼。からかっているわけではありません。
私はむしろ、陛下の決断力に敬服致しました。
助けを求めることは、恥ではありませぬ。民を救うためには全ての手を尽くさねば』
「う、うむ。そうよな」
思いがけず賞賛されて、ベーリは息を詰まらせてむせかえりそうになった。
そして、バーティルの次の一言で、ベーリは今度こそ本当に息が止まった。
『……冬の備えを援助致しましょう』
「なんですって?」
『つまりディレッタが問題にしているのは、魔力資源を敵に奪われる事態です。
その点、我らが提供できるのは「蒸気」です。
これなら持っていても……あまつさえ奪われても、大した問題はありますまい?』
元々、旧シエル=テイラは、『蒸気と歯車の国』ジレシュハタール連邦と関係が深かった。
だが東西分裂後、西アユルサは更に踏み込んで、国全体の『蒸気化』を決断した。地脈から得る魔力のほとんどを蒸気に変換する体制を構築し、日々の生活から軍備まで、蒸気動力を導入していっているのだ。
これは世界的に見ても、連邦や、周辺のいくつかの国に限られる話。蒸気を渡されてもいきなりは使えないのだ。あの『シエル=テイラ亡国』とて……空飛ぶ城なんて作る連中だから蒸気動力技術くらい持っているかも知れないが……蒸気動力機関の備蓄は無いだろう。
たとえば西アユルサが、蒸気と蒸気動力の暖房機を提供するだけでも、大変助かる。
これならディレッタも文句は言わない筈だ。
『寒さをしのぐ手段と温かい食事ぐらい、民に施したいと思うのが人情でしょう。
我ら、元は同じ国の兄弟姉妹。私がかつて自らの剣で守った民でもありますから』
バーティルは、欺瞞とは思えぬ調子で想いを込めて言う。
あまりに都合が良すぎる。だからこそベーリは、何か罠が仕掛けられていないか警戒した。
そして同時に、仮に罠が仕掛けられていたとしても、話を飲むしかない状況なのだと理解していた。




