[5-22] 迫害
指揮所から、王城の執務室へ戻る途上。
近道をして、上部街壁を通ろうとしたルネは、人気が無いはずの歩廊に意外な人影を見た。
「あら」
「んあっ、姫様!?」
隆々たる肉体にサバトラの毛皮を持つ猫獣人が、歩廊の縁に腰掛けて、銀嶺を眺めて煙草をふかしていたのだ。
ルネがやってきた事に気づいて、彼は泡を食って煙草を消し、飛び上がる。
「こ、ここは……
俺が入ったら駄目な場所でしたか!?」
「いえ、そうではないけれど……」
城内や都市中枢はもちろん、みだりに立ち入れぬ場所で、ルネは普段そこで仕事をしているのだ。
それで彼は、ルネの姿を見て慌てたようだ。
実際のところ、この上部街壁は市民の立ち入りすら認められている場所だが、市街地領域はまだスカスカで近くに誰も住んでいないので、人が訪れることは稀だ。どうしても高いところで風に当たりたい者がやってくるようだった。
本来はどこかへの近道にすらならない。ルネがここを通り道にしているのは、街壁裏の配管渓谷を跳躍と短距離転移で駆け上る前提なのだから。
確かに独りで気晴らしをするには、良い場所かも知れない。
そんな場所でルネと出会ってしまい、気晴らしどころではなくなった不幸なサバトラに、ルネは見覚えがあった。
「あなたは確か、ウヴルの補佐だったわね」
「はっ、ムールォと申しやす」
「ギャングの頃からずっと、ウヴルの下で?」
「兄貴……いや、隊長は、怖い顔してなきゃなんねーでしょ。
だから俺はこう、緩衝材っつーか……そういうことしてたんスよ。
多分これからも……」
何の話が始まったのかと、戸惑いながらもムールォは応じる。
「あなたにとって、人間とは、どういう存在かしら」
ルネが問いを切り出すと、ムールォは針を飲まされたように緊迫した顔になった。
「一昨日の話、っすか」
ルネはウヴルら、チェーンギャングたちの過去について、隠密の調査報告を読んで、ウヴルと話をした程度しか知らない。
ムールォはウヴルを補う立場だった。ならば彼の視点はルネにとって、獣人たちの考えを知る上で重要な手がかりになるはずだと、ルネは考えた。
ムールォは寒風に髭をそよがせ、煙管をいじりながら考えていた。
「そりゃ人間は憎いけど……違えな、俺たちゃ人並みに贅沢な暮らしがしてえんでさ。
んでそのために一番手っ取り早いのは、俺らから奪ったもので腐り肥えた、人間どもから奪い返すことでしょ?」
「……なるほどね」
「って、これじゃ関係ねえ話になっちまいますか」
「ううん、参考になったわ」
ルネは……奈落の忌霊は、人の心を読み喰らう。
言葉の裏の気持ちまで余さず味わえば、自ずと分かることもあるのだ。
獣人たちはそもそも、復讐者とは言いがたい。怒りを抱えた略奪者だ。
だが更に言うなら、本質的には自己正当化すらも必要無いのだろうとルネは感じた。彼らはただ、己らが生きる道を探し、歩んでいるに過ぎないのだ。導き出された答えが……この世界が彼らに許した道が、あまりに酷かったというだけで。
「もう少し話を聞いても良いかしら。
ギャング時代の、組織内の出来事についてとか」
「姫様に聞かせるような話じゃねえと思いやすが……」
(少なくとも外見は少女である)ルネに憚った様子でムールォは躊躇ったが、それでも逆らわず語り聞かせてくれた。
まさに血で血を洗うような、欲望のまま金と女を奪い合うばかりの、醜い闘争の話を。
話を聞く限り、やはりウヴルやムールォは上澄み中の上澄みで、『赤麦の兄弟』はずいぶんと教育が行き届いている方だ。曲がりなりにも即座に軍隊として取り込み、規律通りに集団行動できているのは驚くべき事だ。
他のどんなチェーンギャングにも、同じ事はできなかっただろう。彼らのほとんどは明日のことすら考えない、目の前の欲に忠実なチンピラでしかない……あのグヒシのような者こそ普通なのだ。
もちろん、そういう馬鹿者どもであっても規格化して軍に取り込むのが、将来の目標だけれど。
「そう言えば、徴兵者の組み込みは順調?」
「森の連中っすね。
クスティレでの勝利に触発された奴ぁ結構居るみてえで、訓練も熱が入ってるようでさ。
じき、まとめて動けるようになるたぁ思いやすよ」
ウヴルは前線たるクスティレ市に残っているが、ムールォは王都に戻ってきている。それは訓練中の獣人たちの面倒を見させ、近々彼らを率いて前線へ向かわせるためだった。
今のところ獣人部隊は、ウヴルの組織そのもの。
お陰で即戦力になっているのも事実だが、これをルネの軍隊にしなければならないのだ。
規律に隷従し、群れに服す部族の戦士たちは、良い薄め液にもなるだろうとルネは睨んでいた。
そこで上空より舞い降りる気配。感情の発生源が一つ。
その感情の色あいだけで、誰が来るかすぐに分かったので、ルネは空を見上げて出迎える。
喪服の如き黒衣の侍女が、身を丸めてクルクルと回転しながら落ちてきた。
そして彼女は灰が舞うようにふわりと、ルネの傍らに跪く姿勢で、重さを感じさせぬ着地をした。
「姫様、こちらにいらっしゃいましたか」
ミアランゼだ。
城で待っていたが、なかなかルネが来ないので、気になって探しに来たのだろう。
「あっ、姐御!
今日もクールっすよ!」
ミアランゼの登場に、ルネが声を掛けるより早く、意外にもムールォが歓声を上げた。
「姐御って……いつの間にそんな仲良くなったの」
「何故か一方的に懐かれておりまして……
それより姫様こそ、このような者に何か?」
「『このような者』たぁあんまりです、姐御」
「ちょっと現場からの意見の吸い上げを」
「は、はあ」
* * *
晩方、クスティレ市での仕事を終えたエヴェリスも王都に戻ってきた。
「まー、即座に解決できる問題じゃ無いわよねえ」
正体不明の機械と書物が大量に詰め込まれた、エヴェリスの巣……もとい、工房にて。
寝椅子の上でエヴェリスは、三人の研究助手美少年ダークエルフに全身をマッサージをさせながら、信じられない速さで書類の山に目を通しているところだった。
ムールォとの話をルネから聞いて、エヴェリスは溜息をつく。
「無論、最終的には政治的統合を目指していくわけだけど……」
「だとしても、その場しのぎは必要だし意義があるんじゃない?」
「それはそう」
何もかもが足りない、とまでは言わないが、限界近くまで突き進んでいる状況ではある。
架橋工事をしながら、その橋を渡って進軍しているようなものだ。
次々湧き出してくる問題に、如何にして余力のみで対処するか、頭をひねる必要があった。
「贅沢品の支給を増やしたら、多少大人しくならないかな。
アイス……は寒いか。パンケーキとかワッフルとか」
「あー、甘いものかあ」
「要は、生活の満足度かなって」
ルネは考えておいた案を、エヴェリスに諮問した。
聞きかじりの知識だが、甘いものは軍隊の士気を維持する上で非常に有用だという。
緊張が続く職場でほっと一息付ける瞬間が欲しいのは道理であろうし、多量のカロリーを必要とする究極の肉体労働者たちに、糖分は確実に沁みる。
生活への満足度が高ければ、わざわざ何かを奪いに行く気も失せようというものだ。
「お金さえ出せば、蜂蜜はいくらでも買えると思うし」
「それそれ、トレイシーにお茶貰ったときホントびっくりしたわ。
この辺の人って浴びるように蜂蜜飲むのね」
調達の当ても考えていた。
旧シエル=テイラ地方は養蜂が盛んで、他所の国から見れば恐ろしいほどの勢いで蜂蜜を消費する。普通の蜂が動かなくなる冬場に備え、蜂の魔物まで使うほどの執念を見せるのだ。
蜂蜜は、厳しい寒さに耐えて体温を保つためのエネルギー源だった。
これだけ生産が盛んなのだから、短期的には、金さえ出せばいくらでも買い付けられるだろう。
「輜重隊の余力と相談だけど……ま、話投げてみましょっか」
「任せるわ」
ルネは策を思いついたが、実現性に関してはエヴェリスの方が把握していよう。
彼女が首を縦に振ったのだから、後は彼女の方から実務レベルに投げてもらうことにした。これ以上、自分がしゃしゃり出ても上手くはいかないだろうから。
「ひとまず、旧王都を奪還すれば一息付けるわけだから。
それまでは慎重に、かしらね」
エヴェリスが言って、ルネは頷く。
旧王都の奪還が全ての一里塚だ。そのための戦いは、もはや目前に迫っていた。




