[5-21] 執念の対象
未だ、夜も明けぬうち。クスティレ市中心の城館、かつての街領主執務室にて。
ウヴルは冷えた石床に、三角形の耳が当たって反るほどの勢いで額を擦り付けていた。
「申し訳もありません、姫様……!」
現在シエル=テイラ亡国に存在する獣人兵は、ほぼ全員、ウヴルが率いたチェーンギャング"赤麦の兄弟"出身。かつ、現在も彼の指揮下に存在する。
部下の失態はウヴルの監督責任だ。
「何が問題か、あなたはよく分かっているでしょうから、多くは言わないわ。
責任を明確にするため減給処分。
後は綱紀粛正に努めなさい」
「はっ!」
ルネはもふもふの後頭部を見下ろし、零下の声音で言い放つ。
己の考えとは無関係に、公として振る舞う……いつしか、こういう態度も身につけていた。
「下がってよろしい」
現状、ウヴルは換えが効かない指揮官だ。責任のためと言え、クビにはできない。
それにウヴル自身は問題ないと、ルネも思っている。
処分は手ぬるくあったが、これが限界だった。
「……エヴェリス。
私が直接、兵を廃棄処分したのはまずかった?」
ウヴルが去って後、ルネは参謀に問う。
ウヴルに関してはこれで良かろう。
だが彼の部下たち三人は、エヴェリスへの相談も無くルネが独断で、己が取り得る中で最も残虐な手段を用い『処分』した。事態を知って、計算も何も無く、激情のままに行動していた。
そして『処分』を終えてから、まずかったかも知れないと思い至ったのだ。
「うーん……
一般論として言うなら手続きを踏んだ上で部下にやらせるべきだわね。処分への反発が姫様に向かないように。
……でもま、私は良いと思うわよ。この国は姫様の所有物だもの」
エヴェリスは茶化すでもなく、生真面目な調子でそう答えた。
自ら率いる勢力の骨格を作る……
多忙を極め、嵐の中で揉みくちゃにされているような十年間だったが、ふと立ち止まって、国を持つことの意味を自問したことくらいあった。
富も権力も要らない。それはただの道具だ。
ルネにとって必要なのは、あくまでも、戦いの道具としての国家だった。世界の平和と民草のために、住みよい国を作る事ではない。
だからエヴェリスは、その在り方を説いた。
所有物は丁寧に扱って大事にしたい。
だが、道具は使ってこそ意味がある。必要なら磨り減らし、消費するだろう。
同時に、役目を果たせるよう適切に管理する必要もある。刃物を研いで錆を落とすように。
「冒険者に殺された兵の、献屍意思表示は?」
「拒否してるわね。
死後懲役を科す選択もあるけれど、私はこれ、獣人部隊へ与える動揺が大きいと思う」
「なら、希望の通りに。ただしくれぐれも殉職ではなく、刑死者と同等の扱いとすること」
溜息をこらえて、ルネは判断した。
「了解。ま、戒めとしてはそれでも有効でしょうね」
感情を食らうアンデッドだからこそ、ルネは心というものの面倒くささと、利用価値を理解している。
他人を操るための優しさ、というのも存在するのだ。要は、飴と鞭だ。
「一応言っておくけれど、こういう事は今後増えるわよ。
手足のように自在に動く、統制された集団なんて、小勢力にしかなり得ない。国が大きくなれば、隅々まで全ては姫様の目に入らないわ」
「……難儀ね」
「そう。だから私が居るのさ」
大魔女は、暴圧的な胸部を押し上げるように腕を組み、カラカラと笑った。
「トラブルの根絶は無理だけれど、減らすことはできる。
かつては何千万もの魔物を支配した魔女さんよ。バカを束ねるのは慣れたものさ」
仕事が報酬だとうそぶく彼女は、ルネにとって都合良すぎる参謀だった。
知識も技術も経験もある。そのくせ(適量の美少年を欲する以外は)私心無く仕えてくれる。
ルネはそれを、実質的には非対等の同盟で、利用し合う関係だと思っていた。
エヴェリスに必要なものをルネが丁度持っていたから、高く買ったのだろうと。でなければ、とても釣り合わないと思っていた。
だが、いい加減、観念して認識を改めるべきなのかも知れない。
「相手の冒険者は、一応今も探してるけど、すぐには見つからないだろうね」
一方、こちらも今を楽しんでいる者。
部屋の隅の本棚の上に、メイド服姿のトレイシーが居て、足をぶらつかせて座っていた。
クスティレ市は重要な橋頭堡。その占領に当たって隠密衆は細心の注意を払い、情報収集と工作活動に励んでいる。
トラブルをルネが即座に察知したのは、その奮闘あってのもので、そして今も彼らは調査に動いているのだが……
「……断っておくけど隠密は、事態を把握してすぐに姫様に報告したし、それからずっと警戒を解いてない。
なのに、その中であの短時間で逃げおおせたんだから……相手は只者じゃないよ。何か、変だ」
釈然としない様子で、トレイシーは口を尖らせる。
彼の言葉は言い訳ではなく、己の実力と、手塩に掛け育てた諜報組織の力を信ずるが故の疑問だった。
ルネは特に論評しなかった。
吸い寄せられるように検屍報告書の一文を見ていた。
「……刀傷……」
グヒシなる獣人兵は、カタナと推測される武器で殺されていたそうだ。
カタナを使う冒険者は、極東ではそれなりに存在した。決して珍しくなかろう。
だがそれでもルネは、特定の一人を連想せずにはいられなかった。
カタナ使いの冒険者、ウィルフレッド・ブライス。
この雪深い山国の出身で、彼もまた踏みにじられた者。
彼はキャサリンと共にケーニス帝国に渡り、その後もずっと、キャサリンと共に在る。
この地にキャサリンが居るのだと、ルネは既にほぼ確信していた。
それはキャサリンに対する、ある意味での信頼だった。
* * *
明くる朝。
シエル=テイラ王国王宮付き信仰促進官サミュエルは、新型アリシャ花への対応のために一時テイラ=ルアーレへ出張っていたが、既に高速馬車でウェサラに戻っていた。
クスティレ市が陥落したら、戦線は王都の目の前だ。そんな危ない場所には居られないからだ。
サミュエルはウェサラの公邸でいつも通りの時間に起き、日課の祈りを終えて朝食をとりながら報告を聞き、それからやっと、遠話会談のため、旧領城の遠話室へ向かった。
実はサミュエルが朝食を取り始める前から、王城の遠話室でベーリはずっと待機していたのだが、もちろんサミュエルは相手の事情など一秒たりと考えず、食後のお茶と砂糖漬けの果物をたっぷり楽しんできた。
サミュエルは主観的には仕事熱心だった。公務の時間には一秒たりともサボらないのだから。
「クスティレ市は、『亡国』が無理矢理、手を捻じ込んで築き上げた橋頭堡だ。
地脈が回復して、拠点として堅くなる前に、これを奪還せねばならぬ」
魔方陣から立ち上る明かりで、地下の通信室はぼんやり照らされていた。
その薄闇に向かってサミュエルが言い放つと、縋るような調子の苦い声が響いてきた。
『敵方は迂闊に都市攻めをすれば、魔力が枯渇して立ちゆかなくなる。
故に敵は身動き取れぬのだと、そう、おっしゃったではありませんか。
ですが、現実には、敵は大砲の一発も撃たずに都市を奪ったではありませんか……』
「自ら敵を招き入れたのでは、壁すら無意味になるわ!」
遠話の相手、王城に居るベーリは、おそらく頭を抱えているのだろう。声に混じって髪を掻きむしるような音が聞こえてきた。
その弱音をサミュエルは喝破する。
「一から十まで指導せねば何もできぬと申すか?
いや、少し我々はあなたがたを甘やかしすぎたようだ」
糊のように粘り着く口調で、サミュエルは指弾する。
サミュエルは確かに政治家として優秀だった。だがそれだけに、自分より劣る者の気持ちが分からず、他人にも己同等の優秀さと非情さを求めるところがあった。
実際もしサミュエル自身が、このシエル=テイラの王であったなら……民草は更に苦しんだだろうが……こんな無様な負けを喫することは無かっただろう。
「僭越ながら……ここは我々が認識を改めねばならぬ部分もあるかと存じます」
「何?」
同席するオーレリオは、黙っていようかとも思った。
だが遂に堪えかねて、口を挟んだ。
「確かに、魔物の軍門に降る者、降参する者は少ない……
ですが、それは神と神殿の正義を信じ、結束しているわけではありません。魔物に降参したところで奴隷か食料になると分かっていたからだったのです。
そうではない魔物が現れたときに、民がどう振る舞うか、我々は少し認識が甘かったのではないか、と」
サミュエルにとって民草とは、数字である。
家畜を支配するように、ゴーレムを管理するように、扱うものだ。
だが、違うのだとオーレリオは知っていた。
民は知恵を持ち、各々に打算を持つ。尽くせば恩義を抱き、粗末に扱えばヘソを曲げる。己らと同じ、人であると。
「『亡国』はただ、殊勝に振る舞っているだけだろう」
「この地の民がどう思うか、というお話です」
「教化が足りておらぬと言いたいのか?
……まあ、確かにそうやも知れぬが……」
サミュエルも何か引っかかる様子で、反論を引っ込める。
オーレリオはサミュエルの失敗に、そしてその原因に思い当たっていた。
彼のやり方はあまりにも、ディレッタ的なのだ。
ディレッタ神聖王国は、『人族の繁栄』という神の教えの実現を掲げ、列強五大国の中でも最も福祉政策に力を入れている。
神の教えの名の下で、民は国に護られている。
だからこそ民は、神の愛を、神の庇護を感じ、結束できるのだ。安息日に神殿で説法を聞いたからではない。
一方でシエル=テイラの民はどうか。
そも、シエル=テイラ王国は小さい。ディレッタ本国のように圧倒的な力で民を救い上げることは叶わぬ。民の側もそうと分かっているのだ。
必然、民は、己の力で生きねばと考えているだろう。まずは明日の飯と薪を約束せねば、神の愛など畜生すら跨いで通ろう。
その違いにサミュエルは無頓着だ。
彼が優秀さを発揮するのは、管理、統制……そのための制度設計。人を数字と見なすがための効率性。
ディレッタ神聖王国という大船の上では、それが通用した。植民地の搾取にも力を発揮した。
だが彼は今、ひょっとしたら人生で初めて、己の課題に直面しているのだ。
「事は命令一つで一朝一夕に変わるものではありません。
ですが私に考えがあります。
少し、よろしいでしょうか」
オーレリオは言葉に力を込めた。
この世に存在する全ての間違いは正されるべきだ。今こそが、その一つを為す機会だった。




