[5-20] 大ヒット
そして、最初の夜。
クスティレ市の繁華街、表通りに面した大きな酒場にて。
「しゃああ! 今日は朝まで飲むぜ!」
「「「おおお!」」」
盛大に祝杯が打ち鳴らされた。
唱和される勝ち鬨は、まさに獣の咆吼だった。
酒場は貸し切りだ。
シエル=テイラ亡国の、獣人部隊の半分以上が、そこにひしめき合っていた。
テーブルの上には料理が、壁際には酒樽と酒瓶が、それぞれヤケクソと思えるほどの量、積み上げられている。おそらくそれでも足りない。
「肉をもっとくれ、こっちは犬が多いんだ!」
「はい、ただいま!」
「こっちはもう酒がねえぞ!」
給仕も料理人も、近くの店から応援が呼ばれている。
給仕の女たちは不届きな視線と手をかいくぐり、戦場のようなホール内をせわしなく駆け回っていた。
「ちっ。俺らにゃ酌する女も居ねえのかよ」
そんな店の中。
末席の四人は不満を垂れながら酒を飲んでいた。
彼らはとりわけ最近、"赤麦の兄弟"がまるごとシエル=テイラに召し抱えられる直前に、仲間に加わった者らであった。
ギャングも、軍も、この場で多数を占める犬獣人も、全て序列に厳しい。
宴席での扱いにも、それが現れていた。
仕方の無いことだと思っているから、上の者に不満は無いが、だとしてもつまらない。
ホールの一番奥にどっしり座った首領……もとい部隊長ウヴルのところでは、派手にめかし込んだ数人の女が付きっきりで媚びを売っている。ウヴルは彼女らを悠々とあしらっているところだった。
一人くらいこっちに寄越してほしい、と思うのも当然だった。
「そこらで適当に女探してこようぜ」
酒と料理を一通りかっくらったところで、末席の四人のリーダー格、グヒシは立ち上がる。
彼は青毛のコボルトで、這い回る蛇のような毛文を半面と両腕に施した男だった。
「連れてくるのか?」
「だったら俺はベッドに連れ込みてえ」
「おい、独り占めすんなよ!」
グヒシは、耳がおかしくなりそうな騒ぎの店を出て行く。
残りの三人も飲みかけの酒瓶を持ってそれに続いた。
周囲の店からこぼれる疎らな明かりが、深い影と風の冷たさを際立たせていた。繁華街と言えど、ド田舎の北国の、中規模都市だ。共和国の大都会を知るグヒシには、実に貧相に思われた。
だが、この国は美人が多い。
「セーサツとかあるんだろ、大丈夫かよ」
「ああ? ありゃ商売やってる女を買うこたぁ禁じてないだろ?
俺らの前で開業してもらうのさ」
四人は揃って、低く笑った。
この街の主立った者らや、ディレッタに使われていた現地民の役人は、皆ディレッタに全ての責任を押しつけて亡国への恭順を誓った。
亡国側はそれを受け入れ、街全体に対して『自国民の解放と保護』という立場を取っている。
住人に対する乱暴、狼藉、略奪、捕食などは戒められた。
規則を正面から破るのは馬鹿だ。言い訳ができる程度に破るとき、一番美味しい思いができる。それがグヒシのやり方だった。
……もっとも、それは決してギャングに限った話でなく、王侯貴族から行商人まで誰もが実践しているような、狡猾な知恵であるが。
街の広さは、壁を守り切れる大きさに限られる。故に庶民の住まいは、小さな部屋をぎっしり積み上げた高層集合住宅だ。
グヒシたちは丁度、目に付いたアパートに踏み込んで、千鳥足で外階段を上りながら様子を伺った。
そうしてグヒシは三階の部屋の一つに目を留めた。
「居るか?」
「居るぜ居るぜ。若い女が一人きり。
しかも……あぁ、多分美人だ」
「そこまで分かるのかよ」
「デブは臭えがこいつは違う。
あと、昼間は薄化粧だったみてーだな。顔に自信あるんだろう」
コボルトの嗅覚は鋭敏だ。
その能力を犯罪に活かしてきたグヒシは、ニオイで他人を探る術に長けていた。
グヒシはにんまり笑って、それから目の前の扉を、荒々しくノックした。
「こんばんはーっ!!」
どこか近くの、無関係の部屋から、赤ん坊の泣き声が聞こえ始めるような大声だった。
「我々はぁ、シエル=テイラ亡国軍だ!
お前を簡単な仕事に徴用する! すぐに身なりを整えて出てこい!」
グヒシは扉を乱打する。
返事は無い。だが、中に居る者が息を潜めている様子さえ、グヒシの耳は聞き咎めていた。
「居るのは分かってんぞ! 起きてるんだろ!
ああ、今、ベッドに伏せて? そっと毛布を被ったな! 分かってんぞ! おい!」
グヒシが言いつのっても、部屋の中の女は無言。
どうすればいいか分からぬまま恐怖に凍り付いている様子だった。
元々グヒシは短気で、しかも今は酒を飲んでいる。
グヒシの我慢はあっさり限界を迎えた。
「……強情な女だ!」
「きゃああ!?」
扉の隙間に爪を差し入れ、指をねじ込むと、グヒシはそれを力任せに引き剥がしたのだ。
鍵と蝶番は、扉ごともぎ取られた。グヒシはその扉を、背後に放り出す。
さして広くもない部屋の奥。
ベッドの上で毛布を抱いて、震え上がっている女が居た。
「ほら見ろ、大当たりじゃねえか」
透き通えうように白い肌と、茶色がかった長い髪を持つ、若い女だった。比較的細身だが適度に柔らかそうな体つきをしている。
グヒシはそれを見て、長い舌でマズルを舐めた。
獣人は総じて、相手が人族でさえあれば種族には頓着しない傾向が強い。人間に対する美醜の基準も、人間自身による評価とあまり変わらなかった。
「居留守はよくねぇな、姉ちゃん。
なに、やる事ぁ簡単だ。俺らのお気に入りになっときゃ、得するぜ」
「い、いやぁっ! 助けて、誰か!!」
「この国を助けに来たのは俺たちの方さ!
だから、なあ、ちょいと協力してほしいんだ……」
グヒシが部屋に踏み入ると、女は裏返った悲鳴を上げ、ベッドの上にへたり込んだまま、背後の壁まで後ずさる。
もちろんそんな行動には何の意味も無く……
「ごあっ!?」
女の細い腕をグヒシが鷲づかみにした、その時だった。
部屋の窓が内側に吹き飛んだ。
そして間髪入れず、重い衝撃がグヒシの顔面を見舞い、グヒシは一回転して倒れる。
ここは三階だというのに、何者かが窓を蹴破って部屋に飛び込み、グヒシの鼻面を思いっきり蹴り飛ばしたのだ。
「そこまでだ、狼藉者ども!
デンチュウでござる!」
女とグヒシの間に割って入ったのは、奇妙な羽織を纏った男だった。
彼は、腰に提げていた細く鋭い片刃の剣を抜き、それを四人に突きつけた。
*
ウィルフレッドが隠れ家としている、酒場の二階の客室で、窓から見上げればこの部屋がちょうど見えた。
騒ぎを聞きつけ、様子を伺っていたウィルフレッドは、悲鳴に即座に反応した。
カタナをひっつかんで窓から飛び出すと、壁の凹凸を飛び渡ってアパートの外壁を駆け上がり、犯行現場へ乱入したのだ。
「なんだてめえ!?」
「済まぬが名乗れぬ身の上だ」
獣人たちにカタナを突きつけて牽制しながら、ウィルフレッドは必死で考えを巡らせていた。
サムライの誇りに賭けて、ここで助けに入ったのは正しい。もし時間を戻せるとしても同じ事をしただろう。
だが、今、ウィルフレッドとキャサリンは帝国の命を受けて潜入調査をしている身の上だ。
シエル=テイラ亡国に気づかれたくない。ましてディレッタに見咎められるのは絶対にダメだ。
なれば穏便に切り抜けたいところだったが……どう考えても不可能だ。
「構わねえ! このクソ生意気な人間をやっちまえ、てめえら!」
「おい! やめろ!
この人数が相手だと殺すしかねえんだ!」
ウィルフレッドの威嚇もむなしく、獣人兵たちが襲いかかってくる。
街に繰り出して騒いでいる最中だから、完全武装ではないが、高い身体能力だけでも恐ろしい相手だ。おまけにナイフを取り出したり、気の回る奴が部屋の台所から包丁なんぞ持ち出している。
爪を剥き出して猫獣人が組み付いてきた。
猫の素早さと虎の怪力を併せたような攻撃だ。
捕まれば……あるいは回避しても隙を晒せば、背後の仲間が即座にとどめを刺しにくるだろう。
ウィルフレッドは、カタナを片手で持って身を沈め、空いた手でカラテした。
組み付いてきたケットシーの服を掴んで、社交ダンスの如く半回転。勢いを殺さぬままに反転させ、投げ返したのだ。
「ぎゃああ!」
「うわっ!」
「てめえ、この!」
投げ飛ばされたケットシーは、仲間のナイフで腕を切り、そのまま団子になって食器棚に叩き付けられた。騒々しい音を立てて陶器の雪崩が発生する!
さらにウィルフレッドは間髪入れず裂帛の踏み込み。
カタナを峰に返し、強かに打ち据えた。
「げはっ!」
褐色のコボルトは手首を砕かれ、包丁を取り落とした。
「ちっ……おい、下がってろ」
リーダー格であるらしい青毛のコボルトが舌打ちし、子分どもを掻き分けるように進み出る。
体格と体幹。みなぎる気迫。漏れ出る生体魔力の密度。
ウィルフレッドの背筋を冷や汗が伝う。
――まずい。こいつ、かなりやる奴だ。
必要十分の雑兵ではなく、上位冒険者や特殊戦闘兵のレベルに近い超人だと、ウィルフレッドは察した。
そして更にまずいのが、コボルトの獣臭さを帳消しにするほどの、酒のニオイだ。
なけなしの理性を酒で吹き飛ばしたならず者……とても手に負えない。
「シャアアアアアア……」
青毛のコボルトは身を奮い立たせ、指の節を鳴らす。
その腕に恐るべき力が満ちた。毛皮に浮かんだ蛇の如き紋様……腕のファータトゥーが鈍くぬめり輝く。
練技だ。
練達の武人が体得する、武具を介した魔法のような武技。
その中には、ボディーペイントや刺青を媒体とすることで、身一つで使える技もあるのだった。
「兄貴ぃ!」
「来るぜ、兄貴の必殺技が!」
青毛のコボルトは、床を踏み割り跳躍。ウィルフレッドに襲いかかった。
迫る巨体。
狭い部屋。
背後の女。
そして、交錯。
「……斬り捨て御免!」
全ては一瞬の出来事だった。
ウィルフレッドの背後で、大輪の血の花が咲き、コボルトの巨体が崩れ落ちた。
擦れ違った一瞬。ただ一撃。
あまりの速さゆえ、ウィルフレッドは正面ではなく背中に返り血を浴びていた。
荒い息をつくウィルフレッド。
もはやピクリとも動かぬ肉塊。
「あ、兄貴……?」
あんぐりと口を開けて、信じられないという顔でこちらを見ている獣人たちに、ウィルフレッドは血まみれのカタナを突きつけた。
「立ち去れ!
さもなくば次はお前らの番だ!」
「あ、兄貴が!」
「やべえ!」
先程までむくつけき猛獣の気配を漂わせていた獣人兵どもが、尻尾を巻いて逃げていく。
後ろを振り返りもせぬ必死の逃げっぷりは、まさに脱兎の如しだった。
その足音が遠ざかりきらぬうち、ウィルフレッドはベルトに留めてあったポーチから、通話符を抜き出して起動する。
『ウィル、どうしたの!?』
「悪い、すぐに逃げるぞ!
ユーニスを呼んでくれ!」
* * *
獣人兵たちは全速力で、夜の街を逃げていた。
「ど、どうすんだよ! 口止めできなかったぞ!」
「そういう問題か馬鹿! 兄貴が死んだんだぞ!」
「血ぃ止めろ、それ見て追ってくるぞ!」
どこに逃げればいいか、なんて冷静な思考はもはや存在せず、ただただ来た道を引き返し、仲間たちが居る酒場を目指していた。
まずは殺される恐怖、そして罰される恐怖。
そして誰より信頼する兄貴分の死という衝撃で、彼らは恐慌状態になっていた。
「首領に知られる前に、ムールォに相談するんだ。
あいつなら何かいい手を……」
そして、突如だった。
彼らの行く手から全ての光が消え失せた。
「えっ?」
獣人たちは闇の中で立ち止まる。
周囲の店からこぼれる光も、街灯の光も、月や星の輝きすら消え去っていた。
前後どころか上下の感覚すら曖昧になりそうな、真の闇がそこにあった。
代わって、闇の中に、赤いものが湧き上がってきた。
染み出し、滴る赤が。
光ではなく、赤い闇がそこにあった。
闇の中に赤いものが咲いた。赤い闇が薔薇の形を取って、咲いた、咲いた、咲き乱れた。
かつーん、かつーん、と。
石畳を鉄靴で歩む如く、足音が、響く。
それが徐々に近づいてくる。
逃げなければ死ぬと、三人ともが本能的に察していた。
それは『死』であった。『死』がやってくる。
どんなに鈍感であろうと明白に察せるほどの死の気配があった。
だが誰も足を動かせなかった。
恐怖のせいだった。恐怖が彼らを無力にしていた。
足音を響かせ、赤い闇の中から姿を現す者があった。
それは宝玉の如き深紅の剣を携えた、銀色の少女であった。
そうして三人は死んだものと認識されているが、実のところ死んでおらず、今もまだ苦しんでいる。




