[5-19] アイアンメイデン
パレードが終わっても、まだ街の興奮は覚めやらぬ様子だった。
朝市のような活気が街の隅々にまで満ち、ルネが入城した街中央の館には野次馬が群れていた。
後でバルコニーにでも顔を出して、手でも振ってやったらポイントを稼げるかも知れない。
「やるじゃないの姫様ぁ。
同じ事をやった魔族の騎士を思い出したわよ」
ルネが城館に辿り着いたとき、街領主の執務室だった部屋では、既にエヴェリスが街を拠点とするべく采配を振るっていた。
戦いが始まって一ヶ月。ここまでディレッタ側は、シエル=テイラ亡国の侵攻路を塞ぐ形で陣を構え、ロステール市を攻撃していた。
それは多方面に戦力を分散させる必要が無かった、という事でもある。たとえロステールを攻め落とせずとも、道を一本塞げば亡国を封じ込められたのだ。
……それは大いなる見当違いだったと、今日、証明されたわけだが。
亡国は裏道を抜けるかのように、一足飛びにクスティレ市を奪還した。
この街の南側は急峻な山地だが、それ以外はどこにでも道が繋がっている。まして北西側は、そう離れてもいない場所に旧王都テイラ=ルアーレを望む。
この街の地脈はやや貧弱だが、どうにかして橋頭堡とできれば、一気に戦いの展望が開けるだろう。そのためにエヴェリス自ら最前線で悪巧みをしているところだった。
「あんな感じで良かった?」
「花丸あげちゃうわ」
エヴェリスは城館に残された行政書類を検めつつ、親指を立てる。
暗殺者の存在を察知できたのはパレードが始まってから。ルネとエヴェリスはこの件に関して、念話で連絡を取り示し合わせ、敢えて狙わせ利用した。結果は大成功だった。
「お陰で動員とか、街の体制変更で無茶しても『連帯責任』って言えるわね。先に手を出されたわけだから、余計な反感買わずに済むわ。お得お得ぅ。
今後占領する街にも伝わるよう、うちらがアメだけじゃないってことを示しときましょ」
魔女はにんまり微笑んだ。
大衆の心理につけ込んで利を取るやり方は、ルネもエヴェリスも、好むものだった。
「それだったら……」
「姫様!」
丁度そこでミアランゼが、書類まみれの部屋に飛び込んできた。
彼女はあくまでもルネの側仕えの侍女として、パレードには参加せず、城館に先行し、ルネの居室を整えていた。
だがその間にルネが狙われたとあれば、元から血の気が無い顔も、さらに青白くなろうというもの。
ミアランゼの気性を考えれば、その場に居てルネの盾になれなかったことを悔いているに違いないのだ。
「ご無事でしたか!?
自ら刺客の矢に身を晒されたと……!」
「この通り、全くの無事よ。傷ももう塞いだわ」
ドレスの脇腹部分にできた穴を、ルネは示す。
布地に少しばかり血が付いていたが、それだけで、肉体は傷跡すら存在しない。この程度の傷を塞ぐのは、粘土を捏ねるようなものだ。
そもそもルネの本体は、この仮の肉体に宿した霊体の方であり、この身体も生きているとは言えない状態だ。穴一つ空いたとて、よしんば臓器が一つ二つ潰れたとて、動かすに支障無い。
だがミアランゼは納得しなかった。
「だとしても痛みはございましょう」
「慣れた。もうずっと戦ってるもの」
「お召し物も、このように傷つけられてしまって……」
「直せばいいもの、気にしてないわ」
「私が気にするんです」
ミアランゼのしなやかな尾が、鞭のようにピシャリと床を打った。
「あぁあ憎い!
姫様のお心を理解せず歯向かうなどと!
叶うならば、こんな街、今すぐにでも滅ぼして見せしめにしたい!」
「やめてね。
それはわたしの望むところではないわ」
「はい……姫様がそうおっしゃるのであれば」
ミアランゼの本気の殺意を読み取って、ルネは慌てて諫めた。
『一部の例外を除いて人間という種族そのものを憎んでいる』という点で、ミアランゼの志向はルネとも微妙に異なるのだ。彼女なら何かの拍子にやってしまいかねない。
だが同時に、彼女にとってルネは絶対だ。一言命じれば彼女はすっぱりと殺意を引っ込める。
「……姫様は、感情を召し上がるのですよね。
私の怒りは、美味しゅうございますか?」
「それは……」
しおれた様子のミアランゼは、どこか拗ねたようにも思える調子で、ルネに問う。
ルネの本体は奈落の忌霊という霊体系アンデッドで、感情を食らう。人族の負の感情を美味と感じ、それを糧とする魔物だ。
既にアンデッドとなった……即ち魔物となったミアランゼの感情では、ルネの栄養にならない。
だが、それでも彼女の感情を読み取り、味わうことがルネにはできた。
跪くミアランゼの後頭部に、ルネがそっと手を置くと、三角形の耳がぴくりと立った。
彼女の頭を覆うのは、一見すると普通の黒髪だが、手触りは艶やかな獣毛のそれだ。
形無き心を、ルネは舌の上で転がした。
「熟成されてる。
ずっと、これを抱えてきたのね」
身にはならないが、それは美味だった。
悲しいほどに甘く芳醇な怒りだった。
怒りを抱えることは、鉄の茨を抱くようなものだ。痛みの中で己の血に溺れることだ。
そうとルネは分かっているから、ぎょっとした。自分を棚に上げ、よくこれで平気なものだと驚いた。
否。平気なわけがない。
とうに狂っているのだ。ミアランゼも……ルネも。
だが同じ痛みを知るからこそ、ミアランゼは自分のことを棚に上げてルネを案じた。
「その怒りを目的にしないで。
わたしは……怒り続けるために戦っているわけじゃない。実を結ばせるために戦ってる。
憎むべきもの、怨むべきもの全てを、怒る気も失せるくらい叩きのめす……そのために戦っているんだから」
「はい。……はい」
自分の紡いだ言葉を聞いて、そういうことかと、ルネ自身が納得していた。
結局許せないのは、踏みにじられたことよりも、仇に報いが無かったこと。この世に真っ当な正義などありはしない、という絶望こそが怨みの根源だ。墓の下で安らかに眠ってなんかいられない。
だからこそ、この手で相応しき報いを。
驕れる正義に、悪の鉄槌を。
そして、もし戦いを完遂したら、その時はどうなるのだろうか。
これは怨みと義務感による、精算の戦い。
誰かが幸せになるための戦いではないのだ。
「為すべき事を全て為したら、その時わたしは、消えるのかな」
「……お心のままに。いかなる選択であろうと、私はお供致します」
深く頭を垂れたまま、ミアランゼは言った。
その心は痛いほどに澄んで、偽りや曇りは無かった。




