[5-18] ヒュブリス
明くる朝。
クスティレ市の街門は大きく開け放たれ、亡国の軍勢は堂々とパレードの隊列を組んで街に入った。
先頭は磨き上げられた装備のスケルトンたち。一糸乱れぬ動きで更新し、血薔薇の軍旗を掲げて太鼓を叩く。
続いて、オーガの重装兵たちがのっそりと姿を現すと、見物の市民はどよめいた。通り脇の建物の二階まで頭が届くような巨人が、禍々しく馬鹿でかい金棒を担いで、大勢やってきたのだ。恐ろしいのは当然だ、もし金棒がここで振るわれたら一瞬で何十人も死ぬと馬鹿でも分かる。巨人の行進は小さな地震を引き起こした。
さらに煌びやかな装飾を纏ったリザードマンの水戦兵。
装備すら統一されていない、暴力の気配に満ちた粗野な獣人部隊。
妖しげな色香を漂わせるダークエルフの弓兵たちには、老若男女問わず沿道が湧いた。
行進するのは人型をしたものばかりではなく、合間合間に、まるで軍用犬みたいに魔獣がうろついている。だが魔獣たちは決して、見境無く観衆を襲ったりしなかった。周囲の兵に歩速を合わせ、時には愛嬌を見せて兵にじゃれついたりしているのだ。
翼ある魔物たちが空を舞う。
それと共に街の上空を旋回するのは、飛行用の鎧を身に纏ったエルフたちであった。
まるで、これで戦争が終わって凱旋したような騒ぎだ。
中規模都市一つを奪還しただけではあるが、実際これは一つのターニングポイントだった。
膠着状態を作られて、封じ込められていたシエル=テイラ亡国が、均衡を破り駒を進めたのだ。戦いの局面が変わった。それを象徴するための宣揚であった。
遂にルネの乗騎が門をくぐると、歓声と紙吹雪が舞い上がった。
ネームドモンスター"赫々たる溶鋼獣"ことフォージ号は、頭の高さがオーガを超えるような大犬だ。彼は並大抵の犬よりも……つまり相当に……賢く、場の雰囲気を察して威風堂々と歩を進めていた。
その背中にあっては小さなルネは目立たぬだろうと、演出を考えたエヴェリスは少しばかり案じていた。だが実際にルネが姿を晒してみれば、まさしく釘付けの勢いで、四方八方から視線と感情が突き刺さる。
クスティレの市民は、意外なほど……他ならぬルネが意外に思うほどの数、沿道に詰めかけていた。
恐れによる部分もあるだろう。忠誠を示さなければどう扱われるか分からないと。
だがそれだけではなく、そこには確かな熱気があった。
シエル=テイラ亡国は、昨夜のうちに高札を掲げ、市内と衛星農村に対する魔力利用制限緩和、およびアリシャ花の配給を報せていた。
冬越えに不安を抱いていた人々にとって、これはまさに解放だ。
そしてディレッタに対する市民の不満は、十年間掛けて、シエル=テイラの銀嶺すら超えようかという勢いで積もりに積もっていたのだ。
もちろん、全員がそうというわけではないが。
「止まりなさい」
大通りを進んでいる最中、ルネは突然命じ、パレードを止めた。
スケルトンの楽団もぴたりと演奏を止める。
沿道の市民はもちろん、周囲の兵たちも何事かと訝しむ様子だった。
「今ここに、わたしを狙う者があります」
ルネが言い放つと、反応は戸惑い半分、驚き半分。
ディレッタの兵は掃討され、今は賑やかなお祭り騒ぎの最中だ。大地を埋め尽くす軍勢も、地上の理をねじ曲げる奇跡も無く、どうすればルネを狙えるというのか。
ルネの力を知る者ほどそう思うわけだから、警護の兵らも周囲を警戒しつつ戸惑っている。
だが、有効性をさておいて、自殺的な攻撃を仕掛ける者は存在する。
そして、組織的な攻撃なら予見しようもあるが、個人的な『慈善事業』まで完全に予測することは不可能なのだ。
「元よりわたしは復讐者。この身に纏う血のニオイを塗り隠し、薄っぺらな言葉で身を飾ろうとは致しません。
故に……己に正義ありと思うなら、許します。武器を取り、声を上げ、わたしと立ち会いなさい。
心を込めて手折りましょう」
時を告げる鐘のように朗々、ルネの言葉は響いた。
観衆のほとんどは、わけもわからぬままに気圧された様子でたじろぐ。
パレードは大通りのど真ん中で止まっている。両側には店舗や集合住宅が並んでいるのだ。
数えきれぬほど並んだ窓のうち一つから、ルネは明確に自分へ向けられた敵意を感じていた。敵意と……恐怖を。
まさか攻撃を仕掛ける前から計画が露見するとは思っていなかったらしい。
襲撃者はそこで初めて、己は戦場に立っているのだと自覚する。
刃を向けられる恐怖を、真の意味で知るのだ。
そして、矢は放たれた。
正義の一撃ですらなく、恐怖からの逃避として。
通り脇の集合住宅の二階、半開きの窓の隙間から矢が飛んだ。
鏃に聖水が仕込まれていて、衝撃を受けると放出するものだ。矮小なアンデッドなら一本で浄化できよう。
さらに、その矢は簡易的なものながら、『必中』の魔化が施されていた。狙いが大まかに合っていれば自ら標的に向かっていくのだ。
耳障りな矢羽根の音。
観衆が狙撃に気づいたのは、放たれた矢がルネの脇腹を貫いてからだった。
時間が止まったかのように、一瞬、全てが静止した。
「捕らえよ!」
天を舞うエルフたちの弓射が、狙い違わず、窓を叩き割る。
そこに向かって、骨だけの鳥が即座に飛び込んだ。地上からも、それどころか建物の外壁をよじ登って窓からも、次々に警備の兵が向かっていく。
ルネの周囲の兵は方陣の構えを取り、数体のスケルトンが乗騎の背によじ登ってルネの盾となった。
観衆も騒然となる。
対照的に、矢の発射点となった部屋は、即座に静まった。戦いの音すらしなかった。それは戦いと言うほどの戦いさえ起こらぬまま、下手人が制圧されたためだったが。
「皆、ご覧なさい」
ルネの言葉が再び、静寂をもたらした。
観衆も、兵たちも、固唾を飲んで耳をそばだてていた。
ルネの脇腹から背中に突き抜けた矢は、木製の矢軸が徐々に黒ずんでいた。腐食しているのだ。
やがてその矢は腐れ落ちた。ルネの肉体の傷もすぐに塞がる。ドレスには穴が空き、転んですりむいた程度に血が滲んでいたが、それだけだった。
金属製の鏃だけは、辛うじて形を残していた。
ルネは足下から、仕掛けがされた鏃を拾い上げる。
「この武器こそは神の力の具現。
知り得ていることでしょう。この国で、神の名を借りた簒奪者によって、いかなる非道が行われたか。
あの忌むべき日に始まって、そして今も……」
敢えてルネは、言葉に殺気を込めた。一般人にも分かるほどの、黒く冷たい炎を込めた。
率いるためには、畏怖が要る。
故にこそ果断に立ち、故にこそ希望となり、故にこそ……恐怖を与えねばならぬ。
もはや観衆は、吐息一つすら聞き逃さぬ、という程に神妙であった。
「もし神の思惑に踊らされることを、運命と呼ぶのならば……
この世界に運命など要らない。
地を這う我らの手に、未来を」
スケルトンの楽団が盛大にシンバルを打ち、演奏を再開させた。
それを合図にパレードはまた、元の隊列を形成しながら進み始める。
地鳴りのような声が、徐々に、徐々に伝播し、沸き起こった。
それは熱狂的な快哉であった。




