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[5-17] 煩悶のトレイル

 停泊中の王都シエル=ルアーレ。

 雪化粧した門前には、出張役所の天幕テントが立ち並び、人でごった返していた。


「移住希望者はこちらへ! 王都市民証を発行しております!」

「仮住居の申請はこちらです!」

「落ち着いてお並びください!」

「あんたうちの農園で働かねえか?」

「帝国風の肉饅頭いかがっすかー!!」


 各地に派遣された送迎艇が、次々に避難民を乗せて到着していた。


 シエル=テイラ亡国は、『王国』の民に対して、あくまでも『自国民である』という態度を取っていた。侵略者であるディレッタ神聖王国の占領地で、傀儡の僭主による圧政を受けていた民だ。

 故にこれは解放であり、王都への受け入れはあくまでも国内での移住だ。適切な手続きさえ取れば基本的に認められる。そしてその手続きと審査さえ、戦時特例として簡略化されていた。


 建前の話を置いておくのであれば。

 それは多くの人々が、人族世界に正しく存在することよりも、遂に己の命を選んだ瞬間だった。

 爆弾にまんまと火を付けたのはディレッタだが、その導火線を用意したのは亡国である。


「うふふふふ……今なら官舎を用意するだけで兵士が寄ってくるわよぉー。

 民兵として訓練済みの者は即座に組み込んでいくわ」


 賑わう門前を、高い外郭上の防衛歩廊から、ルネとエヴェリスは見下ろしていた。


 人間の市民を取り込んでいくことは、象徴的な意味合いも強い。

 かつての国民が集うことを以て正統な後継国家の証とする。

 同時に、人族が庇護を求めて魔物の国へと下る状況は、人族世界の欺瞞の証明。彼らの正義の陥穽を示す、皮肉であった。


 さらに、大勢を変えるほどではないが、ありがたく思える程度には兵が増える見通しだ。


『頃合いですな。

 始めましょう』


 エヴェリスが持つ通話符コーラーからアラスターの声がする。

 渋くほくそ笑む彼の顔すら浮かぶようだった。


 * * *


「悪ぃが品切れだ。

 取り締まりのこと知ってるだろ、流石にもう扱えねえよ」


 うさんくさい髭面をした路地裏の闇商人は、キセルをふかしながら、取り付く島も無くそう言った。

 蔓草の吊り鉢をリヤカーにたっぷり積んで売りさばいていた彼だが、今は身軽なものだった。

 彼は元々、違法な薬物の売人であるらしく、商品のラインナップも既に平時のものに戻しているようだ。


「……そうじゃないんだ。

 なあ、あんた。例の花は『亡国』から仕入れたんだろ?」


 客として訪れたのは、街の門番の任に当たっている、衛兵の一人である。

 本来は衛兵たるもの、通常の市民以上に遵法精神が求められる。闇商人と違法な取引をするなんてもってのほかなのだが、下っ端役人は国家の大義などよりも己と家族の命が大事だった。どうせ、ディレッタの言いなりになっている王国が、下っ端役人ごときを守ってくれる保証も無いのだ。


 門番の問いに闇商人は、顔をしかめて凄みをきかせる。


「何が言いたい?」

「あ、いや、すまん、責めてるわけじゃなくてな……

 む、向こうに顔は利かねえか? 金なら出せるだけ出す、『制札』が欲しいんだ」


 戦場では、勝利した側の兵がしばしば略奪を行う。それは兵にとって重要な収入で、略奪無しでは生活が立ちゆかぬ者もあるためなのだが、襲われる市民の方はたまらない。


 『制札』とは、戦闘勝利後の略奪や狼藉を禁ずる命令書だ。

 一般的には侵略してきた軍の指揮官が、敵地で軍門に降った都市や村、神殿などに発行して、部下を戒めるもの。もっぱら写本コピーを立て札に掲げ、略奪者を遠ざけるのだ。

 強い侵略者は制札の発行をちらつかせて、戦う前から敵の中に裏切り者を作り、戦いを有利に進めるのだった。


 制札は幾ばくかの金品と引き換えに、個人に対して発行される場合もあった。

 地域や神殿に対するものと異なり、今ひとつ信頼性に欠けるものではあるが、だとしても生き延びる保証が欲しいのだ。

 少なくとも、隣に住んでる奴よりは安全になりたい……というのは、自然な真理だった。


 ただ、制札を手にするためには、伝手コネクションが必要だ。

 侵略者のところに出入りする商人は、典型的な窓口の一つだった。もちろん金だけ取って適当な偽物を渡す輩も居るが、それでも縋るより無いのだった。


 闇商人はもう一服、キセルをふかしてから、悪い笑い方をした。


「いいねえ。丁度、そういう話がしたかったんだよ」


 足を止めていたシエル=テイラ亡国が、進撃を再開した……

 その噂は、誰が伝えるでもなしに、既に街に広まっていた。


 * * *


 シエル=テイラ亡国は、『王国』とディレッタの連合軍による攻囲部隊の陣を迂回。

 人の足では踏破が難しい急峻な山地を抜けて侵攻部隊を派遣し、敵の後背の都市を狙った。


 その上で、一旦はロステール攻囲部隊(全く()んでいないが)の後方拠点となっている二都市を攻撃すると見せかけた。

 だが真の狙いは更に奥。都市防衛のための魔石すら禄に備えていなかった、エドフェルト侯爵領クスティレ市へと攻め寄せた。


「きっ、来ました! 来ましたよ、騎士様!

 とんでもねえ数です……!」


 雪雲が月を隠す夜であった。

 闇の中に揺れながら迫る、不気味な灯火の行列を見て、街壁上に居た衛兵は震え上がる。


 衛兵の仕事は本来、あくまでも犯罪の取り締まりだ。

 だが、街を襲う魔物を排除する、平時の防衛戦闘も担当する。

 定置魔弓や魔力投射砲の扱いを心得ている者も多く、状況が切羽詰まれば戦いに駆り出されるのだった。


「何を狼狽えている、愚か者。

 ほとんどはスケルトンの雑兵ではないか。

 しかも……ハッ。一体が三本の松明を掲げている。古典的な兵数のごまかしだ」


 指揮を執るのは街領主の男爵、ではなく、この街を縄張りとして我が物顔で振る舞っているディレッタ騎士。

 ボッティ伯の四男、オッフェ・ボッティであった。


 若き騎士オッフェは、この街の全ての住民から嫌われていると言っても過言ではない男だった。

 彼は、このシエル=テイラで戦っても、別に自分の領土になるわけではないと分かっていて、逆にだからこそ好き勝手に振る舞っていた。気まぐれに金品を徴用したり、気に入った女を館に引きずり込んだり、と言った調子だ。


 そんな男が迫る敵を見て、恐れているかと言えば、全く違った。両手に松明を持ち、背中にまで括り付けたスケルトンの姿を魔動双眼鏡で見て、彼はせせら笑っていた。


 オッフェは軍略の教育も受けており、少なくとも戦況の判断くらいはできる。

 そしてこれは普通にやれば勝てる戦いだった。

 都市や城塞への攻撃は一般的に、攻撃する側が数倍の戦力を用意しなければならないほど圧倒的に不利なもの。そして亡国の戦力は虚仮威しだ。少ない戦力をやりくりして、ロステール市の防衛をしている最中だから、どう頑張っても大規模な侵略部隊は出せないのだろう。

 オッフェの手元の戦力も少なく、しかも大半は現地の民兵という有様だが、だとしても勝てる。味方の救援までは待てる。

 勝てる戦いが己の手の中に転がり込んできたのだから、笑いが止まらない。

 どんな戦いであろうと、そこで武功があったなら、本国はそれを評価せねばならないのだ。


「壁に籠もって街を守っていれば、すぐに味方が駆けつける。

 馬鹿は頭ではなくて身体を使え。貴様らはただ、私の言うとおりに動けばいい!」


 臆病風に吹かれた衛兵の尻を蹴りつけ、オッフェが大げさに溜息をついた、その時だった。


「その通りだな。

 馬鹿には自分の身体で戦ってもらおうか」

「何!?」


 オッフェは殺気に反応して瞬時に剣を抜き、背後を斬った。

 その反応は、武人として及第以上であっただろう。


 だが、想像の五倍は重い手応えが、オッフェの手に伝わった。

 巨大で野蛮な、鉄骨のような剣が、野蛮な出で立ちの獣人兵によって、オッフェ目がけて振り下ろされるところだったのだ。


 剣と剣が火花を散らす。

 オッフェの剣も相応の業物。

 折れはしない。

 だが、それを支えるオッフェの手が持たなかった。


「ぎひっ!?」


 あり得ない方向にオッフェの手首が曲がり、剣が弾け飛ぶ。

 そして、その攻撃では蛮剣の勢いを禄に殺せず、肩口にめり込む一撃!

 堅牢なはずの騎士鎧は、踏みつけられた泥みたいにへこんで、オッフェの肩を粉砕した。


 獣人兵はすぐに再び、巨大な剣を振り上げる。


「待っ……」


 次にへこんだのは兜で、同時にオッフェの頭蓋は割れていた。


 *


 少数での防衛戦は、壁ありき。

 もし裏口を開ける者が居れば、堅牢な砦すら無意味だ。

 壁上には外から内から兵が取り付き、悠々とよじ登り、僅かな防衛兵を次々拘束、防衛兵器も鹵獲しているところだった。


「こんな簡単に終わっちまうなんて……」

「そりゃ、これだけ内通者が居ればなあ」


 ウヴルは文字通り、舌を巻く。

 突撃したのは自分だが、その時には何もかもお膳立てされて、勝利への道を突っ走るだけだったのだ。


 衛兵、役人、交易商人……複数の内通者を準備し、それぞれができる範囲の小さな仕事をさせることで、亡国の兵は少数ながら昼間のうちから壁の中に入り込んでいた。


 夜になって攻め寄せた味方の編成は確かに虚仮威しで、数も限られていた。

 空行兵すら、食用魔物の骨を再活用リサイクルした『トリガラ』どもくらいだ。

 攻城兵器は用意していたが、魔力は敵にも味方にも使わせたくない。そしてそんな亡国の事情を、ディレッタは理解している。

 だがそれでも虚仮威しが重要だった。内通者たちが、やっぱりやめたと言い出さないよう、恐怖を演出する必要があった。


「ま、まて、俺は味方だ!

 命じられたとおりにしたぞ、なあ!」


 ムールォに鉄爪籠手を突きつけられた衛兵が、慌てて剣を捨て、懐に忍ばせていた羊皮紙を取り出した。

 見張りの警戒に穴を作り、ウヴルを通した衛兵だ。裏切りの報酬として制札を渡され、その後の身柄の保護を保証されているのだ。


「うむ。姫様は必ずや貴様の働きに報いるであろう。

 ……客人だ、後方に逃がしてやれ」


 街壁上が概ね制圧されたとみるや、ウヴルは拡声杖マイクを出して、街に向かって咆え掛かる。


『武器を持つ者は、それを全て大通りに積み上げ、投降しろ!

 あー……心ならずも侵略者に加担した罪、姫様は寛大にお許しになる!

 だが、尚も戦うのであれば、裏切り者として処断する!』


 街は明かりすら無く静まりかえっていて、まるで毛布を被って震えているかのようだった。

 だが、やがてぽつりぽつりと、人の姿が通りに見える。

 そして剣や、狩猟用の弓、包丁、農具、食器までもが次々、大通りに放り出された。


「首領。連中の結界、もうぶっ壊れたと思いやす」

「っしゃ、なら街はスケルトンに任せるぞ。

 ディレッタから来てる奴らは多分降伏しねえ。したら帰る場所が無くなるからな。

 俺らは館を潰しに行く」


 人族の街は概ね、壁で囲った円形のもので、中心に領主の館や城がある。

 街領主の館ごとき、普通は大した防衛力を持たないが、しかし、立てこもれる場所はそこだけだ。

 闇に沈む街の中で、中心の館だけが煌々と明かりをともしている。先ほど討ち取った騎士の従者が、最期の抵抗をしようと身構えているのだろう。

 全く無意味な、殺されるための抵抗だ。


「……面倒くせえんだな、人間ってのは」


 ウヴルは白い溜息をついた。

 巨大な国家と、その中での、絡みつく蔓草のような政治的駆け引き。獣人には今ひとつ馴染まぬ感覚だ。

 逃げることすらかなわず、無駄死にしようとする者が目の前に居る。それを、己は、これから殺しに行くのだ。


「悪く思うなよ。神様に慰めてもらいな」


 蛮剣を担いだウヴルは街壁の縁を蹴って、夜に身を躍らせた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 残念だけどこの世界の神様は無駄死にする従者程度は認知すらしてないんだよなぁ……
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