[5-16] フランクリンの悲劇
戦いの最前線たるロステール市から北西。
エドフェルト侯爵領、クスティレ市。
昼間から、大通りすら人影まばらで、閉まっている店が多い。開いている店も明かりが落とされている。
ディレッタによる魔力利用統制下の街は、まさにゴーストタウンの様相だった。
そんな街の、とある横町の、隠れ家の如き酒場。
二階には宿屋のような客室が一つだけ備えてあって、キャサリンとウィルフレッドはそこに居た。
コンパクトに纏めた旅荷物は、いつでも持ち出せるよう、解かれてすらいない。
殺風景な部屋の中で目立つのは、部屋の四隅に置かれた小さな香炉みたいな物だ。
野営にも使うことができる、空間保温用のアイテムである。魔力の利用が制限された街の中では、満足に暖房を使えず、特殊な備えが無ければ寒さをしのげない……のだが、このアイテムはもちろん、一般的な暖房機より遙かに高価である。
「今までの五倍くらいの量、入ってきてる。
おかげで誰でも買える値段だ」
「やはり……今までは仕込みだったわけね」
二人は蔓草の吊り鉢と、そこに植わった花を調べていた。
街で違法に売られているアリシャ花だ。
シエル=テイラ亡国は、アリシャ花の存在を宣伝し、ディレッタの占領地にこれを流し込んでいる。
それは、越冬の望みとしてはあまりに細いものだったが、困窮する市民は藁にでも縋るしかないのだ。違法な品だというのに、ほぼ公然とやりとりされている。
品薄ゆえに高騰し、奪い合いになったり、アリシャ花を買うための犯罪まで発生したほどだ。
だが突然、様相が変わった。
……十分な量のアリシャ花が供給されるようになったのだ。
あるいは、これを使えば皆が安全に冬を越せるのではないかと思えるほどに。
「俺さ、『亡国』はアリシャ花をエサにして人を集めるつもりだと思ってたんだけど……」
「私ももちろん、その線はあると思ってた。
でも、違ったわ。さらに一手深い」
テーブルの上にキャサリンは、持ち込んだ錬金術実験器具を広げていた。
花弁や葉を磨りつぶしては試薬に浸し、反応を見る。微弱ながら邪気が検出されていた。
この花は魔物だ。
寒さに強い量産型という触れ込みだが、その品種改良は、魔物化することで力を与えたものだ。
「推測だけれど、エルフの技術を使うなら、魔物なんかにしなくても品種改良できたはずよ。
……なら、敢えて魔物にした理由がある」
キャサリンは(つまりケーニス帝国の“怨獄の薔薇姫”対策室は)、シエル=テイラ亡国の内情についても多くの情報を得ている。
ゲーゼンフォール大森林のエルフたちを吸収し、彼らの技術を利用しているということも。
故にこそキャサリンは、違和感を覚えた。
* * *
静まりかえっていた街に、怒号が響く。
「やめろ! やめてくれ!」
「俺たちを殺す気か!」
巨大な荷馬車が大通りを進む。
そこに山盛り積み上げられているのは、アリシャ花だ。
浄化作戦は、街の衛兵隊を実働として、神殿とディレッタ軍の指揮下で行われた。
店だろうが集合住宅だろうが、通りの建物に片っ端から押し入って、邪気の有無を調べ、アリシャ花を探し出す。
見つければ問答無用で回収していく。
ほぼ全ての家から当然のようにそれは発見され、回収されていく。
市民の悲嘆、怨嗟、憤怒を尻目に。
「お願いします、どうかこの子の分だけでも!」
涙ながらにすがりつく女を、白と金の鎧の騎士が、張り飛ばす。
回収を行うのは主に衛兵だが、ディレッタの兵や騎士が必ず監督に就いていた。
何しろ衛兵はあくまで、この地の民だ。市民を哀れに思って手心を加えたり、あるいはディレッタの本気度を理解せず賄賂など受け取って見逃すこともあり得る。
そうならぬよう、ディレッタの者が目を光らせているのだ。
ディレッタ兵に盾突く市民は極めて少ない。声は上がれども、それ以上の混乱は無く、ただ無慈悲に作業は続いた。
荷車が行く先は、街の神殿だ。
神殿前に盛大な篝火が組まれ、聖油が焼べられて燃えさかり、そこに次々、赤い花が放り込まれていく。
こんなに弱い魔物なら、ただの炎でも十分だろうが、聖火で焼けば害が広がらぬように徹底浄化できるし、何よりディレッタが邪悪を罰することの象徴……一種のデモンストレーションでもあった。
「排除させるために……ばら撒いたってのかよ」
無慈悲に赤々と燃える炎を見て、ウィルフレッドは呆然と呟く。
遠巻きに炎を眺める市民の姿もあった。ある者は呆然と、ある者は膝を折って失意を滲ませ。
実際、この『改良型』は大したものだった。
それが魔物であるという事実と、僅かに吐き出される邪気を無視すれば、冬をしのぐ助けとして頼りうる品であっただろう。
だとしてもディレッタは、それを排除せざるを得ない。邪悪に対したとき、融通が利かず、容赦なき力を振るうディレッタの姿は、人族世界を守護し導く神の使徒として諸国の信頼を集める理由でもあるのだ。
それを傷つけるわけにはいかない。しかも、相手が“怨獄の薔薇姫”とあれば、尚のこと。
だからシエル=テイラ亡国は、ディレッタにそれをやらせた。
現に生きるか死ぬかの状況に陥っている市民から、ディレッタの手で希望を奪い取らせた。
「ディレッタの駐屯部隊は、なるべくシエル=テイラ『王国』をこきつかう方針だわ。
実際それは正しい。土地を知り、雪の中の歩き方も心得ているのは、この地の民ですもの」
「だがその兵が働かなくなる、ってか」
「そう。
貴族はまだ、政治的な理屈で絡め取れるかも知れない。
でも民兵は違うわ。まずは一人一人に命の問題がある。無理矢理に動かしたところで……」
ディレッタの占領軍はただでさえ、市民の魔力使用を制限したことで反発を買っている。
そこに今回の騒ぎはトドメとなる。
もはや、この地の民兵は、ディレッタに命を預けられないと考えるだろう。それでは戦いは立ちゆかぬ。
しかも、この作戦でシエル=テイラ亡国は、銅貨一枚たりとも損をしていない。
むしろ大儲けしているのだから、馬鹿馬鹿しく思えるほどだった。
「……あれは」
アリシャ花を回収する大騒ぎの傍ら。
大荷物を抱えて歩く者の姿が、通りにはちらほら、見え始めていた。
家財や子どもをリヤカーに乗せて、牽いていく者もある。
街を出る口実には事欠かない。
仕事のためであったり、他所の街に居る家族を訪ねるためであったり、それこそ戦いを避ける疎開もあり得るのだ。
だが、その行く先を、ウィルフレッドは知っていた。
「シエル=ルアーレに向かうのか……」
街を逃げ出す者に、シエル=テイラ亡国は、迎えを出しているという。
街道を外れたところに浮舟を寄越し、待っているのだと、噂が流れていた。
亡国によって意図的に流された噂であろう。それを頼りに出て行った市民は、実際に迎えを見つけ、去って行く。
「これ全部……計算のうち、かよ」
「ルネも全ての民を引き抜けるとは考えていないでしょう。
ただ、動揺は広がるわ」
疲れ切ったように暗い影を帯び、街門をくぐる市民の背中を、二人は見送る。
おそらくディレッタは、次は市民が街を出ること自体、制限し始めるだろう。そうすれば表面的には動揺が収まるかも知れないが……
「来るだろうな」
「ええ」
キャサリンは確信を持って頷いた。




