[5-15] イラプション
熱を生み出す赤い花……これをエルフたちは『アリシャ』と呼ぶ。遙か昔、その名の人間が呪いで姿を変じたと伝えられるのだ。
真偽は定かでないが、ともあれ、この『アリシャ花』はエルフたちにとって重要な暖房具だ。戒律により、森の中のほとんどの場所でエルフは火を使えない。温暖な気候の森であっても、冬をしのぐには必須の逸品だ。
シエル=ルアーレ第一街区、農業区画にて。
アリシャ花の咲き乱れる温室(現状は実質、低温室だが)の前に、闇商人の馬車が停まっていた。
「売れ行きはいかがです?」
「いやもう、悲鳴が出るほど売れてますよ!
今後ともよろしくお願いします」
「こちらこそ。我々は向こうへ出ていくわけにはいきませんのでねえ。
共存共栄、というやつですよ」
農園のエルフと、うさんくさい髭面の闇商人は、固く握手を交わす。
解放地域の者たちはシエル=ルアーレに出向き、アリシャ花の話や、その実物を持ち帰っている。
人の流れは止まらず、人の口に戸は立てられない。
解放地域から占領地域に逃れる者が、街の噂を伝染病の如く持ち込み、やがてそれは爆発的に広まった。
ディレッタ神聖王国の占領地域では、亡国による『解放地域』への侵入を禁じるお触れが出されていた。表向きは、危険だからという理由で。
そんな中でも、占領地域からシエル=ルアーレへと出向き、アリシャ花を仕入れる闇商人が現れ始めた。
彼らはアリシャ花を持ち帰り、路地裏で、薄暗い店の奥で、顔を隠してやってきた市民にそれを売りさばく。もちろん違法な商売で、発覚すれば売り手も買い手も罰されるのだが、買い手はならず者だけでなく、善良な労働者たちや下っ端役人さえ手を出した。誰もが冬を越える術に不安を抱いていたのだ。
「それで、今回の仕入れなんですが……」
「ああ、その事で一つ」
もみ手をする闇商人の前に、エルフは蔓草の吊り鉢を持ってくる。
そこには赤い花が植わっているのだが、今までのアリシャ花とは少し違った。赤い花びらは肉厚で、縁が鋭く尖っている。
闇商人はそれをためつすがめつ観察した。
「こいつは……少し、違いますね」
「量産に適するよう調整しました。
それと、この辺りの寒冷な気候にも耐えられるよう、少し改良を加えましてね」
エルフは微笑む。
獲物を狙うオオカミが牙を剥くように。
「これは、あまねく民を救わんとする姫様のお慈悲。
自信を持ってご提供致します」
闇商人は、一瞬、怖じ気づいたような顔をした。
だが、すぐにまた商談成立の握手をする。
目の前に大儲けが転がっている。そのためには首を縦に振るしかないのだ。
* * *
シエル=テイラ王国、王都テイラ=ルアーレ。
分裂前の旧王国の王都であるこの場所は、かつて“怨獄の薔薇姫”によって死都と化したが、その後、ディレッタ神聖王国によって奪還され、復興された。
計画的に再整備された市街は、一部も隙無く整った同心円構造。
多くの建物は典雅なアーチを多用した、ディレッタの建築様式だ。
その役割は、旧王国の正統後継であることの象徴。
そして、分裂した旧王国の『西側』である、西アユルサ王国に対する……即ち、その背後に存在するジレシュハタール連邦を睨む、防波堤であった。
少なくともディレッタ神聖王国のお偉方はそう考えており、それを反映してテイラ=ルアーレの街壁は、砦もかくやという堅牢さであった。
なお、象徴として王都たるべき場所だが、西からの有事に際しては即座に最前線となる場所。
そのためディレッタ神聖王国は、さらに東の……つまりシエル=テイラ王国の領地において、中心付近とも言える……第二の都市ウェサラを最大の拠点としている。
この王都に縛り付けられているのは、傀儡の王とその家来たち。
ディレッタの者ら、特に武より政治に関わる者は、必要に応じてウェサラからこちらにやってくるのだった。
「つまり、これは魔物だ。
魔物化することで寒さへの耐性を持たせた……」
そしてその日は、王宮付き信仰促進官サミュエルが居た。
総督と渾名され、事実上の最高権力者と目される彼が、このためだけにやってくるほどの大事だった。
彼の前に置かれているのは、蔓を編んだ手提げ鞄のような植木鉢。
そこから顔を出しているのは、ほのかに熱を放つ赤い花。
アリシャ花……密かに流通している、奇妙な花。
シエル=テイラ亡国がばらまいているものだ。熱を放つ性質がある事から、冬の寒さへの備えとして、市民がこぞってこれを求めている。しかもアリシャ花は、この地の厳冬には耐えられない様子で、半月もすれば枯れてしまう。そうすれば当然、次を求めざるを得ない。
魔物の国と取引して金を渡すのは、当然に罪である。
だが購入者全員を取り締まるというのも労力が掛かるし、根本解決とはなりにくい。目下、ディレッタとシエル=テイラ王国は、市井に広まった物品よりも、それを運ぶ闇商人を取り締まることに注力していた。
シエル=テイラ亡国が闇商人の輸送に手を貸しているようで、取り締まりは難航したが、それでも成果は上がっている。
そんな中、現れたのがこの『改良型』だ。
安く、大量に作れて、寒さに強いとの触れ込みで売られている。
非常に都合の良いアイテムだ。そして、都合の良さには当然、裏があった。
「この花は僅かながら、呼吸の度に邪気を放っている。
身体の弱い者には病も呼び込むであろう。この国から消し去るべきだ」
サミュエルは、邪気を検知するための金色のナイフを花弁の前にかざしていた。
太陽のようだった黄金の刃の輝きが、どす黒く曇っていた。
これまでディレッタはアリシア花の流通に関して、可能な範囲の取り締まりをしていたが、魔物だと言うなら話は変わってくる。
故にサミュエルは、真っ先に大量の『改良型』を流し込まれた王都へ出張ってきたのだ。自ら情報収集し、対策の最前線に立つために。
「どうかご再考を。
寒さに凍える民にとって、これは……希望です。
このままでは、この冬の死者は、百や千ではきかぬでしょう」
サミュエルに異論を唱えるは、石像のように彫りが深く厳めしい顔立ちの、五十代半ばほどの男だ。
かつてヒルベルト二世に下った諸侯の一人。元エクトラ侯爵にして、このシエル=テイラの王。ベーリ・“祝福されし”・カムルス・シエル=テイラ。
旧王国の東西分裂に際して、東側の政治力学から弾き出された答え……特定の家や地域に利益が偏ることを避け、またディレッタ神聖王国の貴族とも縁戚関係を持つために、彼が選ばれた。
候は息子に家督を譲り、王城に入った。
ベーリはあくまで建前上、サミュエルと対等の立場だが、やはり力関係は歴然として存在し、懇願調で食い下がる。
それは民を慈しむ心と言うよりは、己の財産の目減りを気にする貪欲さから来る言葉であったが、しかしともかく、まず民の命を守るという考えによるものではあった。
「ならぬ」
だがサミュエルは、全く考慮した様子も無く切り捨てた。
「下水スライムや、騎獣と同じこと。
従用魔物として考えればよろしゅうございましょう!」
「我がディレッタ神聖王国において従用魔物の利用は、教皇庁の厳格な審査に基づいて行われる。危険が制御可能で、比較的邪悪でない種のみに、人に仕えて魂の罪を雪ぐ機会を与えるのだ。
新たに現れた魔物を、勝手に使うわけには行かぬ」
「ここはディレッタでなくシエル=テイラだ!」
「我らの助けが要らぬと申すか?」
神官の殺し文句に、王はたじろぐ。
ディレッタ無しでは立ちゆかぬ、傀儡の国の、傀儡の王は、たじろぐ。
小国の貴族たるベーリは、為政において、サミュエルよりもまだ視点が低い。刈り取られる麦の一把、徴収される金貨一枚の重さを、より理解している。
一方でサミュエルは、より大所高所からものを見ている。彼にとって政治とは、書類の数字と世界地図を見て行うものだ。それは列強の一角たる、ディレッタ神聖王国の考え方でもあった。
「奴らは……素晴らしいアイテムに見せかけて、人々を蝕む邪悪な呪物を広めているのだ。
これはあまりにも典型的な、童話にも出てくるような、邪術師の陰謀であるぞ。
それを我が国は看過できぬ!」
「今は害よりも益が勝ります!」
「ならば、そなたがディレッタ王宮と大神殿に物申してみよ。遠話の手配はするぞ。
仮に私が同じ事を言えば、地位を剥奪され、本国に送還され、聖都の病院に死ぬまで閉じ込められるだろうがな」
ディレッタがディレッタである以上、邪悪な陰謀は看過できない。
国家の威信を失うことは、国益にも関わるのだ。
そうと分かるだけにベーリは、二の句が継げなかった。
アリシア花の『改良型』は、今この瞬間も現在進行形で広まっている。
……それを官憲の力で、市民の手から奪い取るより他に無いのだ。




