[5-14] 消えゆく灯火
ロステール市へ攻撃を加えるため、ディレッタ側は前線基地を構えたが、そこへの度重なる夜襲に悩まされることになる。
もちろん備えはあった。大国であるからこそ、積み上げた戦訓の量も桁が違う。相手が人でも魔物でも戦える、はずだった。
だが、万全の備えをあざ笑うかのように死は訪れた。
まず拠点を構築し始めた初日に、将軍であったグムル伯が、陣のど真ん中で殺害された。
聖なる結界は破られてすらおらず、どうやって“怨獄の薔薇姫”が侵入したのか不明だった。この謎は大神殿にも報告され、神官たちを悩ませることになる。
ひとまずディレッタの拠点では、常時警戒に当たる人員を増やし、祈り手も増やし、『風読み』(※対隠密探知術式)を徹底し、陣地周辺を哨戒し、本来なら遠距離攻撃から陣を守るための障壁を侵入防止用に展開することとした。
どれが効果を発揮したか分からないが、少なくとも初日のような異常な襲撃は二度と発生しなかった。
だが次に、陣から出て哨戒に当たる者が狙われた。
それは全軍の数からすれば、ほんの僅か。誤差と言えるほどの少数であったが……あまりにも確実に狙われる。
灯火を掲げて見回りに出た者が決して帰らぬ。死体すら見つからぬ。
人の口に戸は立てられず、話はすぐに陣内に知れ渡った。跡形も無く魔物に食われただの、アンデッドにされただの、恐ろしげな噂が立つ。
すると、歩哨の役に付けられた者が、昼間のうちから逃げ出すようになった。続いて、そうでない者も一緒に逃げ出すようになった。次は自分に役目が回ってくるかも分からぬからだ。
駐屯軍は哨戒を聖獣に任せ、全軍に対し『夜は歩哨を陣から出さぬ』と宣言するより無かった。
かと思えば周辺警戒が無くなった隙を突いて、獣人たちのまともな夜襲部隊が一撃離脱を仕掛けてくる。
密かに忍び寄った者たちが障壁をかち割り穴を開け、火矢を射かけて爆弾を放り投げ、反撃に出ようとしたときにはとっくに姿を消している。
これは壁上の見張りを増やすことで対処された。ひたすら人の目を増やすことで、敵が忍び寄れないようにしたのだ。さらに反撃を仕掛けるため戦闘態勢を取って待機していた。
その途端、襲撃はぱったりと止んだ。まったく平和な夜が2日、3日と続いた。
毎晩戦闘態勢で待機などできない。夜中に兵を疲弊させては昼の攻撃もできないのだ。警戒は緩み、見張りも少し減った。
それでも十分に厳重な警戒をしていたはずなのだが、その隙間を縫って最大の襲撃が起こった。
襲撃者はごく一部の見張りだけを殺して警戒網に穴を開け、他の誰にも気づかれぬまま侵入し、兵の休んでいる天幕を五つほど潰して立ち去ったのだ。
聖獣が血のニオイに気づき、『風読み』の術師が逃げ去る者たちを捉えた時には、もう手遅れだった。何が忍び込んだかも分からない。ただ、兵の死という結果があった。
もはや呑気に寝ても居られない。
休むように命じられたはずの者さえ、夜通し剣を抱いている有様だった。
* * *
光の弾ける音が、雪空に轟く。
魔力投射砲の砲声は独特だ。
編隊飛行する雁のように、幾筋もの光が天を駆ける。
そしてそれは、ロステール市街の真上で急激に向きを変えて落下してきた。
「今日も、よく降るわね」
「ええ。傘が必要ですな」
街領主の館は、前線司令部となっていた。
市街戦を想定してガチガチの城塞に造ってあるわけでも、贅をこらして華美に造っているわけでもない、質実剛健な(つまり予算が控えめな)館だ。
その窓からルネとアラスターは、街に降ってくる光の砲弾を見ていた。
砲弾は館を直撃する軌道であったが、その遙か手前。
落下してくる砲弾の行く手に割り込んで遮るように、小さな光の盾が宙に展開される。
そして、爆発。
小雪に交じって、砲弾の欠片みたいな光の粒子が散り、屋根の高さにも届かず消えた。
ディレッタ軍の攻撃が始まって一ヶ月。
当初の予想通り、ディレッタ側はひたすら魔力を浪費し、魔力投射砲を延々打ち込むばかりだった。
ディレッタ軍はもはや砲撃陣地の維持を諦めており、毎朝魔法で地形をいじって陣地を再構築し、収納魔法でしまって持ってきた大砲を配置し、攻撃を開始している。
間抜けにも思える話だが、そんな無茶を通せてしまうのは、ディレッタに軍としての練度があるためだった。
一方、砲撃を防御する都市は街を障壁の屋根で覆うため、概して攻撃側以上に魔力を消費するものだ。
それでも普通なら地脈を使える分だけ防衛側の方が有利なのだが、今回ディレッタは占領地中から魔力をかき集め、雪水の如く使っている。
ただでさえ魔力を節約したいのに、真っ当に相手をしていては備蓄魔力が先に尽きる。
そこで、常時展開するのは矢を弾く程度の低強度障壁に留め、砲撃の着弾する瞬間に一点集中の障壁を張ることで防御に使う魔力を最小限に留めていた。
普通ならどこかで失敗するし、でなくてもこんな重責を負っては障壁を操る者の神経が焼き切れてしまう。だが防衛障壁を制御しているのは、スケルトンやゴーレムだった。心を持たず疲労も知らぬ繰機兵たちが街を守っているのだ。
「砲撃の間隔が乱れております。兵の動きが鈍っているのでしょうな」
窓から空を見てアラスターが呟く。
最高指揮官である彼がロステール市に張り付けているのは、敵の侵攻路がほぼ限られて多正面作戦の要が無いためだった。
「兵の士気は、熱として伝わり合うもの。
彼らには冷えた心を持ち帰っていただきましょう」
そう言うアラスターの頭上で、カタリと静かな音を立てて天井のパネルがずれた。
そしてその穴から、猫のように回転しながら小柄な人影が降ってくる。
「姫様!
あっと、公爵様も」
「トレイシー、あなた普通に出てくることはできないの?」
もちろんルネは彼の接近を察知していた。
天井から落ちてきたトレイシーは、そのままピタリと片膝を突く姿勢で着地。
彼が着ているのは、館の下働きの者らと同じ、粗末なメイド服だった。この出で立ちで館の中を歩き回っていても、事情を知らぬ者は彼が何者であるか(性別も含めて)分からないだろう。天井から降ってくるところを目撃したりしない限り。
トレイシーは王都とディレッタ占領地を行き来し、諜報活動の統括を行っている。
彼は地元に顔が知れすぎている。そして10年も姿を消していては、もはや死んだと思われているだろう。
故に正体を明かして人に会うことはできないが、だとしても地元だ。どこを探れば何の情報が手に入るか、彼にはよく分かる。
「様子はどう?」
「順調順調。
遂に、アレ一鉢に金貨三枚の値段が付いたってさ」
「ご苦労」
苦笑交じりで彼は報告した。
報告に満たないほどの些細な混乱が山ほど起きている、というのが聞くまでもなく分かる。
「寒く、なりましたな」
「ええ」
シエル=テイラに雪の季節がやってきた。
北国の冬は厳しい。人が容易く死ぬ寒さだ。
だが占領地では魔力利用が制限されている……
「収穫の時期だわ」




