表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
289/376

[4b-37] ファックオフ民営化

 デボールは控えめに言ってブチ切れていた。


 老齢のドワーフであるデボールは、魔法動力研究の権威である。

 少なくともデボールの実績を知る者からはそう評価されている。問題は、そうして評価してくれる者の絶対数が少ないことだが。


 かつてはステルウェッド大で教授職にあったが、今はモルマ工科大学にて特任教授として研究チームを率いていた。

 ところが大学の経営体制が変わるなり、『成果が出ていない』ことを理由に、一方的に契約解除を告げられたのだ。


 この場合、成果とは、大々的に報道されて大学の評価を高めるようなものや、金を生み出すようなものだ。この共和国では金こそが正義だった。

 デボールの研究は多くの応用技術を支えるものだが、ひたすら地味だし、それ自体が直接的に金になるものではない。

 数十ページの資料を作成して、デボールは己の実績と研究内容について訴えたのだが、教育省出身の大学経営委員は三分間で資料を流し読み、デボールの目の前でごみ箱に捨てた。


 デボールは普段入らないような安酒場で、本日十本目の酒を飲んでいた。

 頭の中で渦を巻くのは、どうしようもない現状への怒りと、屈辱。なおも折れぬ矜恃と使命感。

 デボールの研究は道半ば。そしてデボールの代わりは居ない。ここで研究が動かなくなれば、技術の進展が遅滞する。それはこの世界にとっても、共和国にとっても良くないことだ。


「あちらの方からです」


 飲み続けるデボールのテーブルに、まだ頼んでいない十一本目の酒が置かれた。

 安い酒場で精一杯高価な、家庭的な高級ワインだ。


 店員が手で示した方をデボールが見やると、そこに居たのはスーツを着た男……役人的で堅い雰囲気のエルフだ。


「ゴゴトック博士、お会いできて光栄です」

「酒をありがとう。だが、わしに何の用かね」

「デルク動力機研究所の者です。

 単刀直入に申し上げましょう。あなたと、あなたの研究チームを丸ごと買いたい」

「ほ……!?」


 デボールが、何を言われているか即座に理解できなかったのは、酒のせいでもあるまい。

 思ってもみないほど、あんまりに都合の良い話だったからだ。


 唖然とするデボールに、男は名刺を差し出した。

 『デルク動力機研究所』という、彼の所属機関は、聞いた事も無い。男も詳細について何も言わなかった。

 だがそれが、()であるかは、あまりにも明白だった。


 名刺の片隅に印刷された、赤薔薇の印章が、全てを物語っていた。


「何を、しろと?」


 名刺を恐る恐る受け取って、デボールは睨むようにエルフの方を見た。


「概ね現在のお仕事のままで結構です。

 ただ、こちらからお願いしたい研究があるのと……

 後は少し、現場で研究の実践をしていただきたい」


 酔いはとっくに醒めていた。

 デボールが今考えているのは、己が研究者として死ぬべきなのか、真っ当とは言えない道で生き延びるべきなのかという事だ。


 * * *


 ク=ルカル山脈の東の果て。

 シエル=テイラ亡国、暫定王都シエル=ルアーレにて。


「すみません。

 どうしても直接話を聞きたい、と申しておりまして……」

「いいわ。

 これも私の仕事よ」


 何故か裸白衣姿だったエヴェリスは、服を着ながら王城の廊下を突き進む。


 この日、シエル=ルアーレには、スカウトされた学者の一人、デボールが訪れていた。

 彼は単独で渡航し、ルガルット王国経由でやって来たのだ。

 まだ、彼はスカウトに対しては何とも返事をしていない。こちらの研究施設と待遇を、己の目で見て確認するためだそうだ。


 魔物の国と分かって自らやってくるのだから、なんとも度胸があるように思えるが、デボールはもう失うものが少ないのだろう。

 それにシエル=テイラ亡国自体、共和国内では既に、そこまで警戒されていないはずだ。人界の倫理の外にあるが、それでも話は通じる相手だと思われているだろうから。


 だが、ここで仕事をできるかどうかとなると、また別の話。

 そして不安と疑いを払拭するのは、無理だ。国の行く末はしっかりと邪悪なのだから。

 ならば示すべきは、身内への誠実さと、仕事の魅力だ。


 おろし立ての研究機材が置かれた研究室で、デボールは案内の者らと共に待っていた。

 もしデボールが亡国へ来るのなら、与えられる予定の部屋だ。


「デボール・ゴゴトック様。

 此度は、我らの申し出に応じて頂けましたこと、心より嬉しく思っております」

「まだそうと決まったわけではないぞ」


 デボールは恐れた様子も無く、不遜なほどに胸を張り、エヴェリスと対峙した。


「儂が最も我慢ならんのは、技術というものを一切理解しない、頭がお粗末な輩の下につくことだ。

 簡単なテストをさせてもらうぞ。

 ……チャッタレー予想に関して、最新の知見を述べよ」

「Mmax(1-Mw#2)^Mn、ただしMnが自然数の三乗である場合は1と見做す。

 私が知ってる名前は『ターナーの観測特異点定理』だけど」

「は……!?」


 その会話の意味を正確に理解できたのは、その場に居る者ではデボールとエヴェリスだけだった。


 デボールはしばし、呆然とした。

 それから、手の平に指で何かを描いて、すぐにそれでは間に合わなくなった様子で、新品の黒板に勝手に数式を描き始めた。


 十分も経った頃、デボールは呼吸を忘れていたかのように、息を切らせて振り返る。

 

「それは、本当か?」

「ダテに先々史時代から生きてないわよ」

「儂は、儂らはっ……! 今まで何をしておった!

 学ぶべきものはここにあった! 既に解き明かされているものを……嗚呼、なんという時間の空費か!」


 編み髭の老ドワーフは、目を剥いて頭を掻き毟り、それから慟哭した。


 実のところ人界の技術の中には、大戦の混乱を経て遺失したものも多い。

 何しろ人族の数そのものが、一時は限界まで減ったのだ。即座に役に立つような技術は多くが現物として残っていたが、遺失したことすら忘れられた技術・理論もある。


 もっとも、魔族の側も総じて学問を体系立てることが苦手なので、結果として人族と魔族の技術水準に大きな開きは無い。

 そんな中で魔女はただ独り、記録し、記憶していた。

 少なくとも、自身の興味が及ぶ範囲の事は。


「私のささやかな蔵書を、見せてあげて良いわ。

 たーだーし、一ページでも読んだらもう逃がしてあげないけど」

「か、構わぬ!

 儂に残された人生は少ないのだ、最早、一日たりと無駄にできぬ!

 研究を三百年分は進めてくれるわ!」

「あっはっは!」


 血相を変えたデボールに、エヴェリスは呵々と笑った。


「我々が何なのか、まさかご存知でない?

 永遠の時間に興味はありませんかい?」


 はっと、デボールは息を呑む。

 彼は、その邪悪な提案を、一笑に付さなかった。


「……まあ、すぐに答えを出すようにとは言いませんよ。

 ごゆっくりどうぞ」


 交渉事では、相手が悩んだ時点で勝ったようなものなのだと、エヴェリスは心得ていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] モノの価値がわからないやつに財布を握られると腹が立つよね・・・ 換金性に直結しないと価値が認められにくいのは資本主義の欠点か 何度も滅んでるからこの世界、車輪の再発明を連発してそう
[良い点] ここは見捨てられたものたちの楽園 [一言] 「ようこそ。我々は新たな同胞を歓迎する」な台詞がすごく似合う出会い(ωー
[一言] リクルート成功( ˘ω˘ )!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ